大量感染《パンデミック》の始まり
大量感染、謎のウイルスによって多くの人間がゾンビになり地球が滅ぶ。
よく映画や小説である話だ。
かく言う俺、鎖柯迅(16歳男性)はその手の映画をよく見る。趣味は映画観賞だ。
今日も明日、というより今日が学校の始業式だと言うのに午前3時になってもまだ自分の部屋のテレビの光に当てられている。
画面の中では一人の男性が突如血を吐いて倒れ、駆け寄った人に噛みつくというお決まりの後継が繰り広げられていた。
さて皆さん、突然だがもしパンデミックが実際に起こったとして、あなたにとって一番幸せな終わり方はなんですか?
仲間と共にゾンビどもを殲滅する? 最愛の人と生き残る? おおいに結構。だがしかし、俺は、一番幸せなのは何も知らずに一番最初に死ねた人だと考えている。
迫り来る恐怖も大切な人を失う悲しみも味わう事なくその生を終えるのだ。これほど楽な終わり方はないだろう。
だがもし、俺がこの後自分の身に起こる事を予知できていたら、こんな事は微塵も思わなかったのかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「起きてお兄ちゃーん!!」
「ぐぼふぉ!?」
結局朝と言ってもいいほど遅くまで映画を見ていた俺はひとりで起きることなく、腹に伝わる衝撃で目を覚ますことになる。
やった本人は妹の鎖柯鈴、中三。恨めしそうに妹を見上げる俺を見てにへらと笑う。
「全く、何しやがる」
「起きないお兄ちゃんが悪いんだしー」
ずきずきと痛む腹をさすりながら起き上がって部屋の隅の時計を見ると既に9時を回っていて、それでも『私には関係ありません』とでも言うように無表情にコチコチと音をならしている。
「起こしてくれればいいのに」
「映画見てたお兄ちゃんが悪いんでしょ。母さんが学校行けって言ってたよ」
「この時間でも?」
「この時間でも」
どうやら母はずる休みを許してはくれないようで、わざわざ伝言まで残している。仮に休もうものなら、妹にチクられて晩飯が抜きになる。
頭の中で、学校に行くのと妹を買収するのとでどちらが面倒か天秤に架けたあと、直ぐに学校に行く方が楽だという判断になりベッドから立ち上がって伸びをする。
「じゃあ先にご飯の準備してくるね! 早く着替えて来ないと遅刻するよー!」
「はいよ」
鈴がぺたぺたとスリッパの音を鳴らしながら部屋を出ていくのを確認してから、寝巻きを脱いでベッドの横に架けてある制服に手を伸ばしたところで、はたと手がとまる。
「そういやあいつも始業式じゃなかったか?」
妹は妙にずる賢いようだ。
だがどうとできる訳でもなく、迅は制服の袖に手を通した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
信号が緑に変わり、一斉に人の流れが動きだす。駅前には多くの製品店が建ち並んでいる。その人混みの中を眠気の抜けない顔でスクランブル交差点を迅は歩いていた。
10時になって駅へ向かう制服姿をチラリと見る人もいたが、直ぐに視線は手元のスマホに戻りその存在は忘れられる。
「9月もまだまだ暑いなあ」
たまに自分に向けられる視線を鬱陶しく思いながら少しでも籠った熱を冷やそうと、シャツの襟を緩める。
その時に注意を怠ったせいか、横を通り過ぎる人の波の内の一人と肩が当たってしまう。
「すいません」
「ごめんなさい」
咄嗟に謝ると相手と声が被る。ぶつかった女性は迅と同じく高校生で、スカートにシャツといったラフな格好をしていた。制服は迅の家から自転車で通える距離にある高校の物で、以前進学の選択肢に入れていたこともあって直ぐに気付いた。
自分と同じように遅刻する奴もいるもんだなあと感心していると、じっと目を離さないからなのかその女子高生が声をかける。
「あの? どうかしましたか?」
よく見ればなかなか整った顔つきをしており、普通の男子高校生が見ればドキッとしても可笑しくないレベルだった。
ただ迅は妹や従兄弟の姉が美人なだけあってあまり動揺ぜず、慌てずに言葉を返すことができた。
「ああ、すいません。その制服――――――」
「がああああああ!?」
「なんだ!?」
不躾な視線を送ってしまった事を謝ろうとした矢先、突然真後ろから絶叫が聞こえてくる。
流石に驚きを隠せずに振り向くと、サラリーマン風の男が目や耳から血を流し、立ったまま痙攣して今にも倒れんとしていた。
「ちょっ!? 大丈夫ですか!?」
慌てて体を支えるのと男の目が充血し、真っ赤になり倒れたのは同時だった。
「なんだよこれ?」
「だ、大丈夫?」
ただ事ではないと感じとったのか、回りの大人が救急車を呼び、先ほどの女子高生も動揺した様子で声をかける。
「分かんないけど顔中から一気に血を噴き出す病気なんて異常だ」
後ろを向いて答える。
男の顔は自らが出した血で汚れていた。顔中の全ての穴から大量の血液を流した結果だ。
見開いたままの目は充血しており、若干不気味に見える。
ホラー映画が好きな迅でも思うくらいだから、一般人にはグロすぎやしないかと思い顔色を確認して見るがなんとか堪えているようだ。
「ねえ……その人動いてない?」
「え?」
言われて前を向き直ると、地面に寝かせていた男がぴくぴくと動いている。痙攣しているようにも見える。
「本当だ! おいあんた! 意識はあるか!」
合わせて頬を軽く叩く。
冷たい。
まるで死人でも触ったのかと言うほどの冷たさに、ゾクリと背中に悪寒が走る。
「……ぁ……うぁ……ぁああ」
男がボソボソと声を漏らすが、小さすぎて音を拾えない。
「意識はあるのか! よしあんた――――」
「があああああああああ!!!」
「うわあ!」
「きゃああ!」
話を聞こうと声を掛けた矢先に突然男が奇声をあげる。驚いて迅と女子高生が声を上げる。
血を噴いたり奇声をあげたりつくづく異常な状態だ。
奇声が聞こえたのか救急車を呼んだ男性が慌てて戻って来た。
「どうした!? 大丈夫か!?」
「い、いえ、分かりません。突然叫んで」
ガチュリ
迅が倒れた男に視線を戻すのと、男が迅の手に囓りついて気味の悪い音がなるのはほぼ同時だった。
「は?」
突然の出来事に思考がフリーズする。
噛まれた部分に焼き付くような痛みが走り、それが血管を通して全身を侵すかのように広がっていく。
あまりの激痛にまともな思考が奪われる。
熱い痺れる焼ける溶ける燃える割れる裂ける千切れる。いたいいたいいたいいだいいだいいだい!!
けして比喩では表せない尋常ではない痛みと苦痛が脳を直撃する。
「ぐぅぁああ!?」
朦朧とした意識の中で本能的に男を突き飛ばす。突き飛ばされた男は狙うなら誰でも良かったのか、様子を伺っていた別の女性に襲いかかり噛んだ後、次から次へと目標を変えて無差別に襲いかかり始める。
「ぐっ」
何がなんだか分からない。どうして突然倒れたのか、どうして突然動き出し襲い始めたのか。
しかしその激痛が思考する事を許さない。
迅は頭蓋骨で反響する痛みを噛み締めながら立ち上がり、痛みの元凶であり、今も狂って回りの大人が人達に襲いかかる男から少逃げようとよたよたと歩き始める。
少しずつ騒ぎに気付き始めた人混みの中を縫って目の前の駅に向かう。
駅に着いた頃にはその騒ぎは大きくなっていて、駅の窓から下を覗きこむ人もいた。
「おい、やべえぞあれ。20人くらい暴れてんじゃねえのか!」
「マジかよ! て言うかなんか暴れてる奴ら強くね?」
(20人?)
それを聞いた迅の、頭が少しづつ働き続ける。
(なぜ暴れる人達が増えているんだ?)
麻痺した思考でどうにか答えを絞り出す。
一人になろうと半ばなだれ込むように、車椅子用の個室トイレに入り座って息を落ち着かせる。
(突然人に襲いかかり、その人数が増えていく……)
頭の中に全体に正解であって欲しくないキーワードが浮かびあがる。
「まさか……」
大量感染
迅がよく見るフィクションの中での出来事。それとあまりにも酷似していた。
自分の噛まれた左手を見つめる。グロテスクに皮が千切れ肉がまる見えになっている。
「やべえ噛まれた……」
視界がボヤけてくる。ここまで来て分からないバカではない。
完全にこれは死ぬ予兆。このまま意識を失えば次目覚めるのはゾンビと化したとき。地上を徘徊するだけの屍となる。
出てくるのは乾いた笑み。もう既に迅のサバイバルは終わっていた。
「ははは……悪い鈴、兄ちゃん死んだわ」
妹の事を思い出した瞬間、死にたくないと思ったが、その時にはもう瞼は落ちていた。