15 朝帰りはゆっくりと
朝というのは、何度目覚めてもさわやかなものだ。たとえそれが長い間放置されていた得体の知れない空き部屋であったとしても。そして、たとえそれが珍妙な変装をした女と一緒であったとしても。
目が覚めた。もぞもぞと動く。俺は仮面を外していた。さすがに仮面を付けて外を歩けないからね。夜中だとフードで隠している限り、それほど目立たないけど、昼間はまずい。
仮面をはずしてから、布で顔の下半分を巻く。こういうの、憧れてたんだよね。なんか、闇の軍団っていう感じだ。昨日着ていたフードも脱いで、帽子をかぶる。
仮に尾行する者がいれば、昨日の俺とは違った雰囲気になるから、俺が昨日の男だと断定できない。更に、今の俺を見ても、メンデス・池という人間だとは分からない。中間段階の変装ということになる。
ターニャも同じように着替えていた。
服は事務員風の服装だ。ちょっと昔の庶務課のOLさんみたいな雰囲気の服。なお、胸はさらしを巻いたまま。顔は鼻の粘土をとって、元通りにしているけど、帽子を被っている。お腹は更に綿を着込んで、かなり恰幅が良い。靴は平べったい靴に変えて昨日の夜よりも身長を低くしている。その他、色々男にはよく分からないところをいじっているので、全然印象が違う。昨日のターニャとも違うし、普段のターニャとも違う。一言でいえば、印象に残らない普通の女の人という感じだ。
二人で外に出た。建物のすぐそばに焼却炉があったので、前もって計画していたとおり、昨日着ていた服をそこで捨てる。それから北区の停車場の人ごみを抜け、中央区をあちこち歩き回って、それから南区の物陰で別の服装を回収して、公園の便所で着替えた。
ふう。やっと普段のターニャと俺に戻った。
それから、西区に行って、一緒に朝ご飯とコーヒーを飲んで、途中で分かれた。ラブラブな会話でもしようかと思ったけど、お互い眠くてほとんど喋る気分にならない。でも、こういうのもいいよね。美少女と二人。夜をともにして一緒に眠たげに朝ご飯を食べる。うーん。俺が前世で思い焦がれていたシチュエーションだ。細かいところは相当違うけど、でもこういうの憧れてた。
ご飯を食べ終わって、ターニャは事務所、俺は宿屋。宿屋に戻ったときは、もう日が高くなっていた。
ティナちゃんは出勤していた。特にやることは指示していなかったので、掃除をしたり書類を整理したりしていた。俺が帰ってきたので、「お帰りなさい」と言って、お茶を入れてくれた。
「メンデス先輩、昨日はお友達とですか?」
と、聞いてきたから、
「友達ではないけど、事情があって知り合いの女性と一緒だった。」
と半ば正直に言った。
ちょっと最近ティナちゃんが微妙に現状に不服があるような素振りを見せていたので、ちょっと釘を差しておこうと思った。俺はティナちゃんと恋人同士になるということは考えていない。まあ、可愛い秘書で、かつセクハラしても怒らない女の子という位置づけだ。もちろん好意はあるけど、ものすごく真剣かっていうとそうでもない。他の女性と何かがあったとしても、別に隠したりしないっていうことをここで確認しておこうと思った。
ま、重い女は苦手なんだぜ、っていう奴。一回言ってみたかったのだよ。言わなかったけど。
本当は、お湯で身体を拭いたかったけど、さすがにティナちゃんがいるところではやりにくい。
「昨日の夜はほとんど寝ていないから、ちょっと休ませて貰うぞ。ティナちゃんは、今日はのんびりしてくれていていい。事務用品とかがあれば買ってきてくれてもいいし、その他何か外でやる用事があればそれでもいい。中で書類整理とかあれば、それでもいい。」
漠然と指示した。本当は家に帰っていて貰ってもいいんだけど、そういうのはしないことにしている。特に頼む仕事がないたびに帰らせていたら、非常勤みたいな扱いになるし、そうすると定額の給料を払っているのと齟齬が出てくる。
こっちももったいないと思うようになるし、あっちも悪いと思うかもしれない。ティナちゃんに仕事に来て貰うからには、その辺はきちんとしておきたかった。ただ、今日は、仕事にならないから、事実上お休みしてもいいという意味で、あえて漠然と指示した。
ティナちゃんは、
「あ、はい。じゃあ、ちょっと買出しに行ってきます。その前にお湯を用意しておきますね。先輩、身体を洗いたいと思いますので。」
と言って出て行って、しばらくして桶にお湯を入れて持ってきてくれた。ちなみに、オフィスビルではないので各階に給湯室みたいなものはない。宿屋にはぼんくら亭主しかいなくて、いつも自分の部屋に引きこもっているみたいで、たまにカウンターに出て泊り客の応対をしている程度だから、厨房がフリーパスになっている。ティナちゃんは、そこを勝手に使っているみたいなんだが、俺を見習って、ぼんくら亭主を完全に無視する方向だ。
最近、俺が帯剣するようになって、しかも戦車も乗り回しているのを見て、ぼんくら亭主は完全に萎縮してしまっている。たまに宿屋で見かけることがあるが、絶対に目をあわそうとしない。いい気味だ。こっちは遠慮する必要はないから好きにしている。
「じゃあ、ちょっと出掛けてきます。お昼ご飯買ってきますね。」
気の利く子だな。
ティナちゃんが出て行ってから、俺は服を脱いで身体を拭い始めた。
昨日は仮面だとかフードとかを着て、四万十川騎士団長と脂汗の出る交渉をした。それから夜中までうろうろして、よく分からない部屋で仮眠したから、お湯が気持ちいい。
ドアが突然開いた。
「メンデス先輩、お昼ご飯は何がいいですか?あっ!」
ティナちゃんが入ってきた。俺が身体を拭うっていうことをすっかり忘れていたらしい。お茶目さんだな。
「先輩ごめんなさい。そうでしたよね。身体拭って下さいってお湯持ってきたの私だったのに、全然忘れていました。あ、あの、折角だから、お背中流しますね。」
俺がどうしようかと考えているうちに、ティナちゃんは布を俺から受け取って俺の背中に回った。俺は、「いやいや、いいですよ。」となぜか丁寧語で断りながら股間を手でそっと隠し、ティナちゃんに背中を預けた。どっちなんだ俺。
ティナちゃんの優しい手が心地良い。
つくづく考えるんだが、ティナちゃんは、本当にいい子だな。
そもそも最初にこの町で出会ったときから、古着を持ってきてくれたりした。
俺は主義として、女性を順位付けたりはしない。それはイケメンとしてやってはならないことだ。しかし、俺にとっておしのさんが一番大切な人だとすると、ティナちゃんは二番目に好きな子だ。
そんなことを考えているうちに後ろを拭い終わった。それから頭も洗ってもらった。水洗いだけど。
・・・
「いや、前は自分でやるからね。」
ちゃんと断った。俺ってば紳士。
「あ、はい、そうですね。私も恥ずかしいです。」
ティナちゃんは引き下がった。ま、現実なんてそんなものですよ。ここで「前も拭きますっ」なんて、いう奴いないだろ。いくら俺がイケメンだからって、さすがにそれはないわ。ちょっと残念ではあったけど。
「でも、先輩お疲れですから、やっぱり前も拭きます!」
現実は、思った以上に過激だった。
「いやいや、いいって!」
「拭きます!」
「いいよいいよ。悪いよ、そこまでしてもらうのは。」
「そうですか。では、お湯はそのままにしておいて下さいね。あとで処理しますから。」
そういってティナちゃんは外に出て行った。ちょっと残念に思った。
ちなみにティナちゃんの「処理します」というのは、窓から中庭にぶちまけることだ。おしのさんがいたときは絶対にしないだろうけど、今はぼんくら亭主しかいないし、その点では全く遠慮していない。
俺は、その日の午前中はずっと寝ていて、ティナちゃんが買ってきてくれたご飯を、ちょっと遅い目のお昼ご飯として頂いた。午後は一応、手持ちの作業をしていた。ティナちゃんにもちょこちょこ仕事をして貰ったり、完全に日常を取り戻していた。
連休が明けてようやく週末が見えてきましたね。いろいろお疲れ様です。
読んで頂き、ありがとうございました。
今日の夜か明日には、また投稿できればと思っています。




