4 宿屋には美人妻
西部劇に出てくるような入り口の扉を開けて宿屋の中に入った。中は薄暗い。電気とかはないみたいだ。獣油のろうそくでも使っているのか、特徴的なにおいがする。嫌なにおいではない。窓は開いているから、すぐに眼が慣れた。客は数人、テーブル席に座っているみたいだけど、俺はゆっくりとカウンターに向かって歩いていった。ざわめきが静まる。注目されているようだ。カウンターの向こうには、20代くらいの女の人が立っている。
「おはようございます。門番さんに聞いてきたのですが。」
女の人が答えた。
「あら、ひょっとして避難民の子?大変だったわね。私は、おしの。」
おしのさんというのか。
「まずは食べるものを注文しなさい。部屋も使うわよね。聞いたと思うけど、2日分は商工会議所から補助金が出ているから心配しなくてもいいわ。」
おお、当たり前のことが当たり前にできている。商工会議所と門番さんと宿屋のお姉さんとが、きちんと情報を共有して、連携が取れている。これ、簡単なように見えて、なかなか難しいことだぞ。こっちで聞いた話があっちで通じないとか、いくらでもあることだからさ。こういうしっかりした社会は、なかなか信用できそうだ。
「ありがとうございます。俺はメンデス・池といいます。避難民15歳です。」
と、よく分からない自己紹介をした。年齢は関係ないだろ。
おしのさんは、店の壁に掛けられた、メニューの板を指差した。
「えっと、武装狸肉の野菜炒め定食を下さい。」
値段が書いてあるが、貨幣価値が分からないから判断できない。数字の小さいのを選んだ。
食費は商工会議所が持ってくれるらしいけど、あまり高いのを注文しても印象が悪いだろう。武装しているということは、筋張っていそうだし、狸は狸汁になるくらいだから、それほど高価な食材ではないだろうと考えた。
「はい、武装狸肉の野菜炒め定食一丁!」
おしのさんが、厨房に声を張り上げた。奥の方で、くぐもった男の声が応える。夫かな。おしのさんは人妻ということになるのだろうか。
「仕事はあるの?まだ着いたばっかりだったら、そっちが心配だよね。」
おしのさんが質問する。俺が返事をする前にしゃべりだした。
「この宿は避難民の人や、その他、町の外から来る人が結構多いから、そういう人を雇いたい人間が様子を見に来ることが多いの。よく来るのは軍隊の採用官とヤクザ。普段なら軍隊は堅いし、資格も取れるからお勧めなんだけど、ほら、君もよく知っているでしょうけど、今は南の方で魔物が大量発生しているからね。軍隊ともかなり激しくやり合っているみたい。だから軍隊はそれなりに覚悟が必要よ。ヤクザは、とりあえずの身の寄せ先としてはてっとり早いんだけど、そのあとの人生が限られてくるからね。お勧めはしないわ。」
なんか、昭和の御代、家出少年を奪い合う自衛隊と暴力団みたいだな。
「ありがとうございます。とりあえず仕事を探してみて、一生懸命頑張ろうと思っています。」
薄っぺらいコメント、もうかなり得意になってきた。中身がなくても、顔がフォローしてくれるだろうし。おしのさんも、なんか感銘を受けているようだ。若いのに立派ね。とか言っている。
「この町も、最近は景気があまりよくないの。安定した仕事についている男の人は結構少ないわ。だからうちの亭主みたいなぼんくらでも、あちこちに女がいるし。それでも私も別れるわけにはいかないからね。見てみぬフリよ。」
おっと、身を乗り出して、小声で自分語りを始めたぞ。イケメンは、こんな打ち明け話をしょっちゅう聞いているのだろうか。目の前にはたわわに実るふわふわがある。おしのさん、旦那に怒りと不満を持つ若妻というわけだな。そんな隙を見せてると、どこかのイケメンに食べられちゃうぞ。
「奥さんのように綺麗な人がいるのに、旦那さんは、よほどおモテになるんですね。」
おしのさんは、赤くなる。旦那がモテるかどうかはスルーするつもりみたいだ。いや、おしのさんも、かなり綺麗な人ではある。ティナちゃんと比べると気の毒だけど、宿屋のおかみさんだけあって、健康的な色気がにじみ出ている。胸もはちきれそうだ。一言でいうと大人の女だね。日々、客相手の仕事をしているので、笑顔が素敵だし、その裏でたまに鋭い表情をすることがある。宿屋だから酒を出すだろうし、ヤクザも来るということだから、そういう客あしらいも慣れているんだろう。身のこなしも、きびきびしていて気持ちがいい。一言でいえば、クレーム対応もできる有能な販売員のお姉さんという感じだな。
今の俺は15歳だ。15歳の頃の俺にとって20代半ばの女は、完全に鑑賞対象でしかなかったが、本来の年齢で30歳近くの俺にとって、おしのさんは、完璧なまでに射程内だ。人妻か。これは人の道から外れるだろうか。
武装狸肉の野菜炒め定食ができた。おしのさんがカウンター越しに渡してくれる。それと付け合せっぽいのが出てきた。おしのさんが、「サービスよ。」とカウンターから身体を伸ばして俺の耳元に小声で囁く。俺はにっこりと微笑んで、ありがたく頂くことにする。
うまい!これはなんというか、うまい。こういうのに語彙がなくて、非常に無念だが、とにかくうまい。武装狸といいつつ、やわらかい部位があるのか、そもそも武装しているから肉の部分は柔らかいのか、狸肉はとてつもなく柔らかかった。しかも、なんか、獣の匂いがするんだが、それが決して不快ではなく、いかにも、肉を喰ってる!という実感を持たせられるようなじゅわっとした匂いが口中に広がる。
「おしのさん、これ、すごく美味しいです!」震えながら絶賛した。
「肉がいいからよ。冒険者が取ってくるんだけどね。この宿屋にもよく来るから直接回してくれるのよ。うちの亭主以外のまともな料理人だったらもっと美味しく料理できるはずだけど。」
おしのさんがさりげなく話題を危険な領域に進めようとする。
しかし、冒険者って言ったよな。やっぱりそうか。冒険者って、いるんだな。その辺ちょっと詳しく聞きたいと思った瞬間、後ろの扉が開く音がした。
「メンデス先輩!!」ああ、可憐な声がするぞ。あれは、人の声だろうか。それとも金の鈴が鳴っているのではないか?
「あらティナちゃん」
「おや、ティナちゃん。」
とおしのさんと俺が同時に言った。
ティナちゃんは、あたふたとしながらお店に入ってきた。両手に何か持っているぞ。店の中は薄暗いんだが、ティナちゃんの回りだけ、ぼうっと光っているような気がする。きっとオーラだ。本当に美少女だな。
「メンデス先輩、避難されてきた方だから、ここだろうと思っていたんです。あのこれ、兄が着ていた服なんですが、使いまわしで申し訳ありませんが、よかったら使ってください!」
ティナちゃんが、真っ赤になりながら、一息でしゃべる。息が切れていて、はあはあ言っている。俺も興奮してしまいそうだ。
「でも、悪くないかな。お気持ちはすごく嬉しいんだけど」
言いかけると、ティナちゃんが慌てて言った。
「いいんです。どうせあの馬鹿アニ・・・あっ、いえいえ、えっと、あの、おにいちゃんの小さくなって使えなくなった服なんです。メンデス先輩に着て頂いた方が服も喜びます!」
今、「馬鹿兄貴」って言いかけなかった?いやいや、ティナちゃんがそんなこというはずないか。こんなに可愛いのにね。きっと聞き違いだよ。
ありがたく頂くことにした。お礼を言おうとしたら、ティナちゃんは、真っ赤なまま、バタバタとおしのさんに挨拶をして走り去ってしまった。相変わらず、あっという間に消えてしまう子だな。
「おしのさん、知り合いなんですか。」
「近所のね、雑貨屋さんの娘よ。」そうか。後で着替えてお礼を言いに行こう。
そのあとは、他のお客さんの注文をとったりでおしのさんが忙しくなったので、ゆっくり食事をした。朝から肉だ。ちょっと重いかなと思ったけど、腹が減ってたらしく問題なかった。食べ終わったら、食器をカウンターの上に置く。気遣いだね。
おしのさんから部屋の鍵を渡されていたので、階段を登って、201号室に入っていった。