7 手にした剣は、俺が役立たずだということを思い知らせてくれた
俺は防空壕に入ろうとしたが、おしのさんが宿の奥に向かうのに気付いた。食堂で戻ってくるのを待つ。気が付いたら鐘の音が止んでいる。外の音も、もうほとんどしない。
おしのさんが戻ってきた。剣と兜を持っている。兜っていうよりは、ヘルメットみたいなごく簡単なものだ。
「おしのさん、それをどうするんですか?」
小さな声で聞いた。
「ドラゴンには、こんなもの意味がないんだけど、こういうときに泥棒が出たりするの。お客さんの貴重品を盗まれるわけにはいかないから、これをもって扉の前で警戒するの。悪い人間が出ないように、どの家でも一人はそうすることになっているわ。」
そんなの、ぼんくら亭主にさせておけばいいじゃないか。ああ、夜遊びかよ。
「俺にさせて下さい。」
やっぱり、そういうよね。転移者だし、こういうときには大活躍するべきなんじゃないか。もっとも、剣なんか持ったことないけど。
おしのさんは、お客さんにそんなことをさせるわけにはいかないわ、としきりにいっていたが、俺は強引に剣を受け取り、兜をかぶって扉のところに立った。おしのさんは、ごめんなさい、と言いながら食堂の、外に一番近いテーブルについて座って、俺の背中を見ている。
男が突然、宿屋に入ろうとした。
「おい、ここに何の用だ。」誰何した。
「はぁ?ここは俺の店だ。お前こそ何者だ。」
おっ、これがぼんくら亭主か。暗くてよく見えないが、かなりの年だな。50歳は過ぎているみたいだ。シャツが少し、だらしなくはだけている。生臭い匂いがする。女と寝ていた男の匂いだ。
「俺はここの客だ。ここの奥さんが立ち番をしようとしていたので、俺が代わっていたんだ。」
ぼんくらは、俺をじっと睨んだ。俺の手から剣をもぎとり、兜も力任せに外そうとする。俺も別に兜にこだわるつもりはない。留め具をとって、渡した。この男の指はつるつるで、爪が伸びてた。おしのさんの水仕事で荒れた手とは全然違う。この男の手は、料理人の手じゃない。こいつは、いつも厨房で何をしているんだ?
「そうか、お前が避難民だとかいう奴だな。商工会議所から施しを受けて食う飯はうまいか。こんなんでも、うちのお客様だってんだから、まったくうんざりするぜ。無料飯食いは、地下に潜ってじっとしてろ。」
「ちょっとあんた」おしのさんが声を掛ける。
「なんだお前もいたのか。暗がりで随分楽しそうなことだな。ぐずぐずせずに、他の大事なお客さんを防空壕に案内しろ。それから戻ってきて、俺にお茶でも入れないか。」
ぼんくら野郎が吐き捨てるようにいう。
「おいっ、うるさいぞ。」
隣の戸口から声が飛んだ。
争うわけにもいかないから、俺はぼんくらを睨んでから防空壕に入る。真っ暗だ。
暗いところにいる。周りに人はいるが、何も見えず、何も聞こえない。
一人で考えてみる。無料飯食いといわれたことが予想外にこたえていた。
俺は避難民として二日間に限って、寝食を商工会議所の負担で面倒をみて貰っている。商工会議所といえば聞こえはいいが、要するにこの町の商人たちから集めた金だ。俺は神様の設定では避難民となっているけど、本当は違う。日本から来た。日本から来たのは、ある意味、避難民と同じくらい大変な立場だけど、避難民でないことは確かだ。商工会議所を騙して飯を食ったことになる。
もちろん、そのことは商工会議所もぼんくら野郎もしらないけど、俺はそのことを知っている。
今日の夜は、俺は宿屋では飯を食ってない。でもそれは西島組が好意でご馳走してくれたからだ。お礼だといってくれはしたが、好意は好意だ。
俺が着ている服は、13歳の少女がくれた服だ。今の俺は15歳で、その俺よりも年下だ。俺の本当の年齢は29歳で、ティナちゃんは、一回り以上も年下になる。そんな小さい子に同情されて服を与えられた。それを俺は着ている。
六郎氏は、お礼だといってこの宿屋の費用を数日間負担してくれたけど、それも本当にそれだけの価値のある仕事をしたのか、俺としては自信がない。ちょっと喋っただけだ。やってみたことがたまたまうまく行っただけのことだ。それにあの事件だったら、俺が黙っていても、六郎氏の容疑はすぐに晴れたかもしれない。
俺は、この一日で、何もしていない。他人の好意にすがっていただけだ。それを恥ずかしいとも、ありがたいとも思わず、当然のことのように思っていた。
お願いすらしていない。六郎氏のお金もおしのさんが代わりに頼んでくれた。誰かが俺の事情を察して、面倒をみてくれるのをただ待ってた。
俺は何か立派な人間になったと思っていた。先生なんて呼ばれていい気になってた。考えてみると、ティナちゃんも、おしのさんも、亭主も、片桐組長もピーコもエリスも、みんな働いているんだ。エリスちゃんのゴムマリが当たって、にやにやしていた俺だけが、何もせず、夢だけを抱えて、指先でちょいと寿司をつまんで食べていた。
あのぼんくら亭主に、そのことを指摘される筋合いはない。それは分かっている。ぼんくら亭主だって、商工会議所から客を回してもらっていることになるのだし、別にあいつが俺の宿代を負担しているわけではない。そういう意味ではあいつが俺をとやかくいうのは余計なお世話だ。でも、いま、俺はあいつの経営する宿の防空壕にいたくない。それは、すごく惨めだ。
ふらふらと立ち上がった。手探りで外にでる。裏庭から宿屋の建物に一度入って、扉から通りに出た。立ち番をしていた亭主が、「おい」と小声でいうが、無視して歩き出した。遠い空で一頭のドラゴンが吐いた火球が、俺の行く先を照らし出した。群れの他のドラゴンたちも、次々に輝く火球を吐き出した。
読んで頂いてありがとうございました。
明日以降は、一日一度の投稿とさせて頂きますので、引き続き楽しんで頂けましたら幸いです。明日も数話進められたらと思っています。