影踏み 2
不測の事態に対処できないやつが書いています。
12月14日
男は目標のことを知っていた。
学校も、自宅も、家族構成も、放課後よく道草する店も、共に行動することの多い友人も…。
数時間前に叩きこんだ、それらの情報と前方を行く実物の目標をすり合わせて行く。
目標は高校生。友人と二人で並んで帰宅の途中。どこかに寄るつもりなのか、進路にズレがある。しかし、これぐらいの世代ならそれも誤差の範囲。
概ね、その行動に問題は無いようだ。
だが、油断は禁物。
憶測を排除し、冷徹に。隙を見つけたら迅速に。危うきには近寄らず。
言い聞かせるまでもないほどに染み込んだ鉄則を胸に、男は機械のように日常に溶け込み、彼らの後を追う。
彼らが車の往来の多い大きな通りから、ビルの間の細い道に消えた。
男は内心で舌を打つ。
その路地から先の一帯は、新しい住宅地との境にもなっており、区画がころころと変わっているのだ。男は最新の地図を頭に叩き込んでいるが、細かなところまでは地図に描かれていないし、すでに変わっている可能性もある。
地理的な不利を埋めるために近づこうにも、人通りが少なくては尾行に気づかれかねない。
逡巡する暇すらなく、男は路地へ。少しでもこちらに目標が警戒を示したなら、強硬手段にでることも考慮しつつ。
右へ、左へ、まるで迷い込むように、二人は歩を進めていく。
やがて、男も異変に鼻をひくつかせるが、二人の歩調が逸るでも、誘う様に鈍くもならないので次の行動を決めあぐねていた。
二人が、一軒家の建ち並ぶ一角を左に折れた。
しばらくして、男もその角に差し掛かると、事態は一変した。
そこには少女が倒れている。
隣にいた男子が男を見つけて叫ぶ。
「そこのおじさん!助けてください!こいつ、急にぶっ倒れて!!」
「なっ…」
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男は驚きのあまり絶句していたようだったが、すぐに気をとりなおして智樹恵美に駆け寄る。
男は恵美のそばに寄り、ひざまずくが、街灯も無く様子がよく分からない。
「うう…」と短いうめき声が聞こえたが、意識はどの程度あるのだろうか。安易に動かしていいものかを考えて、男は傍らの蔵前大介に対して、「救急車は呼んだのか?」「脈は?呼吸は?」と矢継ぎ早に質問を繰り出す。
「あ、はい!救急車!!」
そう言って、大介が携帯片手に立ち上がる。
それを横目に、男は頭脳をフル回転させてこの状況の打開策を練る。
見送るか、これを好機として行動を起こすか。
やるなら今だ。
男がゆっくりと立ち上がる。
すると、鈍い衝撃が脳天を元の位置に押し返す。
「ぐうっ…」
歯を食いしばった男が膝をつく。
「ほんと…間違ってたらすんません。でも、こんなところになんの用っスか?」
男の背後には、大介が角材を持って立っていた。
「ここらへんはまだ誰も住んでないんスよ。まだ家も未完成で。工事の人とか、スーツの人とかならまだわかんですけど、そんな普段着で迷い込むっつうのがわかんないんですよね。いや、ほんと、なんか…すんません!!」
大介は角材を振り上げる。隙だらけの上段振りおろし。
男は膝をついた状態から強引に大介にタックルを駆ける。
あっさりと転がされる大介は抵抗も空しく男に拘束されてしまう。
「いてててて…」
「残念だったな」
息を切らせた男が、多分に私情の含んだ言葉を呟いた時、ふと男の背筋を冷たいものが走った。
それを知ってか知らずか、大介がぐしゃぐしゃな情けない顔で言う。
「ちくしょう。ほんとに囮にするとは…」
「なに…?」
男が反応するよりもずっと速く、小さな影が男の背後に這い寄る。
男がなりふり構わず、大介の拘束を解いて離れていればまた違ったかもしれない。
しかし、男は動けなかった。
そして、愚かにも振り返る。
そこには智樹恵美がいた。思い切り右手を振り抜く。
反応が遅れたとはいえ、大きな動き。紙一重で避けようとした男の顎先に鋭い痛みが走る。
男は意識が薄れるその刹那、ゆれる視界のなか、彼女の手の中にある缶コーヒーのパッケージだけを見ていた。
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「終わったのか?」
首を押さえて大介が立ち上がる。ひねったのかもしれない。
「わかんないけど…」肩で息をする恵美は、眉根を寄せる。「大丈夫?」
「まあ、なんとか。で、どうするよ、このおっさん。警察に突き出すわけにもいかないよなあ…」
どう見ても、加害者は二人だ。互いに見合って笑うしかない。
「どうしたもんか…。ん?」
悠長にしていると、男の足がピクリ、と動く。
「おいおいおいおいおい、どうすんだ?」
「どどどどど、どうするって。あんたも考えなさいよ」
パニックになる二人をさらに混乱させる事態が訪れる。
音も無く、新たに背の高い男が近づいていたのだ。
「ぎゃあ!」
色気の無い悲鳴を恵美が上げる。大介は失神寸前。
しかし人影は、二人に快活に笑いかける。
「ドーモドーモ!ニッポンダイスキー!」
「は。え?はあ?」
全く状況についていけない恵美が金魚のように口をぱくぱくとさせていると、笑っている男が倒れている男をひょい、と抱え上げて手を上げる。
「バイバーイ」
ひらひらと手を振る陽気な男に、恵美はなす術なく手を振り返す。
そうして二人の男が消えて、高校生二人が取り残される。
「なんだったんだ…」
「さあ…」
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路地を曲がったところに停めていたSUVの後部座席に、抱えた男を放りこみ、その後からギルバート・ロッシも乗り込む。
車がゆっくりと走り出すと、ロッシは手錠で倒れた男を拘束する。
「いやはははは。たくましい娘だな」
ロッシは運転席の智樹誠一郎に向かって言う。
「冷や汗をかいたよ」
バックミラーに渋い顔を一瞬映して、誠一郎はため息をつく。
「お前が出した殺気でこいつがビビって判断鈍らせなかったら、最後の一撃は入らなかったな。ふふ、あの瞬間は俺も横で見ててビビったぞ、親バカめ」
「うそをつけ」
「照れるなよ。いつも涼しい顔をしているよりもずっといい」
「ふん…」
ニヤニヤとするロッシを無視し、誠一郎は運転に集中するフリをした。
スパイたちを乗せたSUVが、安全運転で日の暮れた町を行く。
その行く先を誰も知らぬまま。