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影踏み

勇気なんてこれぽっちも持っていないやつが書いています。

10年前


 智樹恵美には家族の思い出が少ない。

 だからこそ、一つだけ鮮烈に覚えていることがある。

 まだ母が生きていて、弟が生まれるより前、一度だけ連休中に家族で出かけたことがある。

 海外にずっと赴任していて、滅多に帰ってこない父親・誠一郎が仕事中の怪我の療養のため帰国したのが、ちょうど大型連休の真っただ中だったのだ。

 普段はそんなことはしないのに、少し浮かれていたのだろう、恵美は駄々をこねて、ねだったのだ。

 「どこかに連れてって!!」

 顔を見合わせた両親が、そろって恵美に笑い返したときには、空と大地がひっくり返るぐらい嬉しかった。

 しかし、このあとすぐ、『どこかに』とぼかしたことを恵美は後悔した。

 「じゃあ…」と誠一郎が提案したのが、ピクニックに行こう、というものだった。

 遊園地とか、もっと楽しいところがよかった、というのが正直な感想だった。

不満はあったが、変なところで遠慮がちで計算高い恵美は、ここでごねて『出かけること』自体が白紙になるぐらいなら、と気持ちを切り替えた。

 父親がテキパキと、まるで作業のように宿の手配などもろもろの準備を済ませ、その日のうちに出発。最初こそ興奮して起きていたが、いつの間にか寝ていて、気付いた時には宿の駐車場だった。

 街灯もまばらで、近くに宿以外の灯りは見えない。風で遠くの木々がゆれる音や、虫やカエルの声だけがやかましいくらい。よくは見えないけれど、山の中なのだろう、と恵美は思った。

 「おもえばとおくにきたもんだ」

なにかで聞き知ったのであろう言葉を恵美が呟くと、両親は同時に吹き出した。

 次の日、朝から山へ。

 早朝の木々の香りは、夜にじっくり抽出されたように色濃い。

 胸一杯に大きく息を吸って深呼吸。一切の不満が消えたわけではないが、恵美の足取りは軽かった。

 なんだかんだ文句をつけようと思えばつけられるけれど、実際来てしまえばそんなことは瑣末な問題なのかもしれない。

 誠一郎の怪我の具合もあるので、ゆっくりと登っていたのだが、徐々にハイになってきた恵美はいつの間にか歩調を強めていた。何度か「遠くに行かないでね」と母に言われていたのに、はぐれてしまった。

 木、木、木…。

 四方を見渡しても木ばかり。

 どこかで分岐を間違えたのだろうが、戻る道すら分からない。

 心細さや、はずかしさ、いろいろな感情がないまぜになって、恵美は今にも泣きそうだった。

 しかし、瞬く間に感情が死んだ。

 数百メートル先に、熊を見つけたのだ。

 恵美は静かに息をのむ。

 動物園ではもっと近くで熊を見たことがある。手の届くような距離で、眠っていたり、あくびみたいに口をあんぐり開けたりしていた。その時には、ちっとも怖くなかったはずだ。

 なのに、米粒みたいな今の方が、感覚的にはずっと近くて恐い。

 檻が無い。境目が無い。ただそれだけがこんなにも恐ろしい。

 恐いのに、目が離せない。

 熊の一挙手一投足、全てを観察する。不思議なことに、熊の体毛の先まで見えるような錯覚が恵美を襲った。

 純粋な恐怖は、なによりも美しく、人の目を奪うものだ、と少女は直感した。

 のそり、のそり、と熊が恵美に興味を示さず去るのを見送ると、ふ、と恵美の足から力が抜けた。たった数分のことが、永遠のようだった。

 後ろに倒れた恵美の体を、誠一郎が受け止めた。

 「お父さん…」

 「よかった。無事で」

 「クマがいたの」

 「熊?」

 「ずっと遠くだったけど…怖かった」

 そこで、ようやく恵美は泣いた。うまく、甘えるために。


 

 12月14日

 

 いる!!!!!


 直感は段階を踏まない。疑惑の階段を駆け上がり、ほぼ確信へ。

 学校の外で感じた気配は、気のせいなどではなかった、と恵美は気を引き締める。

 「どうした?」

 隣を歩く蔵前大介が首を傾げる。

 「やっぱり誰かついてきてる」

 「え?」

 慌てて後ろを振り向こうとする大介の太ももを、恵美は躊躇なく蹴っ飛ばす。

 「いってえ!!あにすんだよ!!」

 「シッ!黙って」

 恵美がにらむと、大介が怯む。

 「なに?」

 「相手にこっちが気付いたって知られたくない」

 「はあ?」

 「うまく言えないけど、どこにいるのか分からない」

 「…それはいないんじゃないのか?」

 「ちがう!」

 小声だが、重いトーンで努めて淡々と恵美は言う。

 「いる。絶対にいる。なのに、わかんないの。この意味が分かる?」

 突然の問いかけに、大介は首をぷるぷると振る。

 「つまり?」

 「隠してるんだと思う、自分を。普通に不審者だったらすぐ分かるのに…。隠すのがうますぎる」

 「いや、普通の不審者て…。つか、わかんねえよ、普通。お前は何かの達人か?それともスパイか何かか?」

 「うっさいな!我が家に一人、気配を消すのがすごくうまい人がいるからなんとなく身に付いたの!とにかく…、徹底して隠すには理由があるはずでしょ?もし…」

 「もし?」

 「『身を隠す必要が無くなったら』、何をしてくるか分からないじゃない?」

 「確かに…」大介が表情をひきつらせる。「でも、このまま家までついてこられてもアレだろ?」

 「うん。だからどうにかしなきゃ…」

 「どうにかって…、あ!警察?」

 携帯を取り出そうとする大介を恵美が制する。

 「意味ないよ。今はいなくなったって、学校がバレてるんだったら自宅だってすぐバレる。てか、もうバレていて、今日のうちに何かするつもりかも…」

 「マジで?」

 若干震えて、歯の根が合わなくなってきたことを大介が自覚する5秒前。

 「だから、私たちでなんとかしよう」

 冷や汗を垂らしながら、笑顔を作って恵美が言う。

 「おぉふ…お前、ほんと…、マジか…」

 顔面を蒼白にした大介は、妄想の中でメンインブラック的な黒スーツにグラサンの外人に攫われて、宇宙人の実験材料として出荷されていた。

 


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