ロマンスの神様
※裏社会、スパイ、戸籍関係に詳しくない者が書いてます。
約17年前、
『智樹誠一郎』という男はすでに死んでいる。
いずれろくでもない男であったから、その末路を知る者はいない。
それに関わった人間も例にもれず、消えたからだ。
しかし、その男の妻は実在した。
カツコツ、という音に、彼女…『智樹佳苗』が目を覚ました時、そこは病室のベッドの上で、見下ろしているのは見知らぬ男の顔だった。
彼女は数時間前に長女・恵美を産んだばかりである。大変な難産だった。我が子の顔を、その産声を、聞くなり意識を失い今に至るのである。
朦朧とする意識がゆっくりとはれていく途上で、佳苗は呟く。
「…誠一郎は?」
その問いに、男は率直に答える。
「死んだよ」
「…そう…」
「驚かないんだな」
「あいつが死んで、娘が無事に産まれてくれたんならトントンだわ…」
「…そういうものかな?」
「そういうものよ。で、あなたは?まさか奴の死を告げに来た死神ってんじゃないんでしょう?」
「私は、君の夫の死を買ったものだ」
「…?」
「これから僕が『智樹誠一郎』として生きることになる」
男の言葉を受けて、佳苗はしばし考え込む。
「戸籍の売買的なこと?」
「ああ、それも含めて一切を買い受けるつもりだ」
「まさか…私も?」
「もちろん婚姻関係も込みだ」
「あははは!何それ!?」
「君たち親子が十分な生活が送れる生活費を補償しよう。住むところももちろん提供する。海外に単身赴任している夫を待つ妻の役を最低一年は続けてほしい。それ以降は好きにしてくれ。言い値で離婚できるように手配する」
「なにそれ…至れりつくせり…」
「どうした?」
「あ~~ちょっとお腹痛いかも…?看護師さん呼んでくれない?」
「ナースコールがそこにあるだろう?」
男が枕元を指差すが、佳苗はいやいやするように首をふるだけである。
やむなく男がベッドを回りこみ、ナースコールのボタンを掴むと、その腕を佳苗が掴む。
「何をする?」
男が努めて冷静な口調で言う。
茶化すような笑みが漏れ、佳苗が言う。
「いやね、よく見たらタイプだなって思ってね」
12月3日 月曜日
朝一の会議でクビ(名目上、自主退職だが)を宣告され、午前中にデスクの整理をしたら、もうやることが無くなってしまった。
あっけないものだな、と思っていると誠一郎を呼ぶ声がする。振り返ると、花束と寄せ書きを持った同僚たちが立っていた。
こんな自分に、別れを惜しんでくれる人たちがいる。その事実が、誠一郎には新鮮な驚きだった。
「ありがとう。元気で」
誠一郎は振り返らずにオフィスを後にした。こみ上げるモノを感じたからだ。
ふと、佳苗に掴まれた腕に視線を落とす。
「これは彼女が繋いでくれた日常だ」
「壊させるわけにはいかない」
オフィスの外にはからし色のイタリア車が停まっている。
ギルバート・ロッシに一言文句を言いながら、智樹誠一郎は車に乗り込んだ。
ありがとうございます。
ここらへんはまだストックです。