0と1について知る必要がある。 そのⅢ
雷が朔を連れて出ていくと、継がゆっくり悠紀の方を振り返った。
「術を、掛けましたね」
「一回限りだけど、万が一の場合に備えてね。結界を作動するようにしておいた」
継は大袈裟に、はああ、と溜め息をついて悠紀をじとっと見る。
「勝手にされては困ります」
「別にいいでしょ。ボクがどうしようと、今まで悪い方になったことないんだから」
「あっては困るから申し上げているんです!」
継が声を荒げる瞬間に悠紀と徹はちゃっかり耳を塞いでいる。
「わ、悪かったって。今度は継に相談するから」
「その台詞は何度も聞きました!」
端から見ている徹はまたか、と言わんばかりに素知らぬふりをしている。
「貴方は、自分の立場を少しは考えて下さい…!お願いですから…っ」
歯を食いしばっている継に、悠紀は優しく笑いかける。
「…考えてない訳じゃない。戦争を売りたい訳でもない。でも、大切なものを守ることくらい、我が儘させてくれてもいいでしょ」
「……っわかって、います」
でも、私は。
そう言ったきり黙り込んでしまった継を見て、何かを決心したように悠紀は徹を振り返った。
「…徹、雷に戻って来るように伝えて」
「え…?」
突然の指示に、継も唖然とする。
「高山君を、監視、警護するんではないのですか?」
「気が変わった。彼に囮になってもらう」
継と徹が同時に息をのむ。
「彼はこのあと恐らく買い出しに出掛けると思う。そこを敵は狙って来るはず。一度だけの結界に、時間稼ぎをしてもらおうか」
「…あの、送って下さってありがとうございました」
ペこりと頭を下げた朔に、雷は頭を叩いた。
「気にするな。何かあったら俺の名前を叫べ。すぐ行く。…おっ?」
ポケットから振動で着信を告げる携帯に少し首を傾げる。電話の予定はなかったはずだ。
それでもディスプレイを見て、応答する。
「…はい、予算の話は今は受け付けないぞ。今、朔と一緒なんだからな、邪魔するな」
『…色々言いたいところはあるが、この際だから割愛する。それより、悠紀が戻って来い、と』
徹の声がいつにも増して固く緊張している。何があった…?
「……わかった。すぐ戻る。何があったか知らねえけど、眉間にしわ寄せんなよ」
スピーカー越しに小さく息をのむ音と、舌打ちした音が聞こえて電話が切られた。図星か。
「何か…?」
「いや。ちょっと戻る。リラックスしとけ」
朔の頭を少し乱暴に撫でると、雷は生徒会室に向かった。
「えーっと、荷物の整理は終わったし…手紙はさっき受け取ったし……」
一人、部屋で身の回りを整理していた朔は、時計をふと見る。
いつの間にか、昼食の時間になっていた。時間が経つのは早い。
「何か作ろう……って、……何もない…」
冷蔵庫を開けると見事に空で、まだ新品の匂いがする。
「これは…買い出しに行かないと。お金…は、あれかな、理事長かな」
先程、部屋を整理していた時に見つけた、何故か理事長への直接内線電話から、繋ぐ。
「も、もしもし」
『あら、ちゃんと見付けてくれたのね。どうしたの?』
一瞬繋がるか不安だったが、理事長の声を聴いて少し安心する。
「あの、とりあえず買い出しに出掛けようと思いまして」
『出掛けるの?訪問型じゃなくて?』
「野菜とかは自分で見て、選んで買いたいので。それで、お金を…いただけますか?」
理事長はくすっと笑って、
『まるで主夫ね。お金のことなら、管理しやすいように冷凍庫の中に通帳しまってあるから使って。あなた名義で勝手に作らせてもらったわ』
「冷凍庫!?使えなくなったらどうするんです!?というか、勝手に人の名前で通帳作らないでください!ありがとうございますっ」
がちゃっと少々乱暴に電話を切ると、冷凍庫を開ける。
そこにきちんと置かれた通帳があった。…確かにこんなところじゃ泥棒が入っても、盗まれる心配はないが……。
通帳を取り出して中を確認すると、確かに自分の名義で作られた通帳で、ありえない額が刻まれていた。桁おかしい。
何はともあれ、ここから引き落として買いに行かなければ。
「今日は何にしようかな……」
そんなことを考えながら、朔は部屋を後にした。
「徹、雷が帰ってきたら興奮しないように事情を説明して。継、白に国際電話の回線繋いで」
「わかった」
「承りました」
悠紀は指示を出しつつ、右目に触れた。
布越しに、脈打つのが感じる。
「同盟、か……たやすく壊れるものなら、ボクは要らない」
左手で弄んでいたスペードのジャックをくしゃり、と握り潰す。
「ボクの国を、民を狙った裁きを下そう」
ニヤリ、と唇が笑みを浮かべる。冷たく、美しく。
「悠紀、白国の戴氏と連絡がつきました」
「貸して」
継が差し出した携帯を受け取る。
「もしもし、昼間に失礼。…いえいえ、こちらこそ。光栄です。さて、ボクは回りくどいのが苦手でして。ええ、そうなんです。本題を言いますと……我が国を敵に回す覚悟が本気でおありですか?」
「どういうことだ!囮だと!?」
「聞こえているなら訊くな」
声を荒げた雷に、徹はあくまで静かに言った。
「いくら結界があるからといって…一回きりしか持たないんだぞ!」
「そんなことは誰もがわかりきっている、だから!…お前の力が必要、ということだろう。悠紀の意図ぐらい察しろ」
ぎり、と徹が歯ぎしりする。徹も、正直雷と同じ気持ちだった。
そんな徹の姿を見て、雷は手を握り締めた。
「…わかった。悪かったな」
目線を外して、静かに言うと、部屋から出ていった。
「――――――っ」
自分の小ささに腹が立つ。人一人を、守ることすら難しいなんて。
わかってた、はずなのに。……いや、わかってたからこそ、腹が立つ。
扉を挟んで、二人が同時に泣き崩れた。
「こちらの言いたいこと、何だかわかりますよね?白王、戴」
悠紀の暗黒の微笑みに、見慣れているはずの継でさえ鳥肌が立つ。
白国、今まさに朔を狙っている露国の隣国で、国土はそれなりに大きく、豊かである。
豊かであるがゆえに、欲が出たのだろう。あらかた、我が国の領土を分割しよう、と露国に持ち掛けられた、といったところか。
「今なら、まだ間に合いますが。…それとも、これからボクが、そちらに向かいましょうか?折り入って話す、というのもたまには良いでしょうし」
継は思わず悠紀から目を背ける。……実に、実に楽しそうである。
さしずめ暗黒微笑、といったところ。
「…そう、ですか。それは残念。ですが、…受けて下さるのはこちらとしても助かります」
全く残念そうではないが、どうやら取り込みは成功したようだ。
「では、また。期待しています」
ぴ、と通話を切り、差し出された携帯を継が受け取る。
「…今何時」
「11時58分です」
「そう。…きっと、あと少しだね」
何が、と聞こうとした瞬間、はっと息をのむ。
「…雷が、動きました」
「そっか。じゃあ、行こうか」
幸いまだ結界壊れてないみたいだし。悠紀の言葉に、継の胸が少し痛んだ。
わかっている。これは自分の性質のせいだ。この痛みは、この主が自分の主である限り、変わることのない痛みだ。
そして、この状況において必要なものだ、と必死に自分に言い聞かせた。
国の名前がちょくちょく出てきていますが、実際の国とは全く関係ないです。はい。