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死神子爵は七度死ぬ  作者: liliput
一日目
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第一話

 しらじらとした淡い朝の光の中、おれはゆっくりと目を開けた。冬の冷気の満ちる、薄ぼんやりとした部屋の真ん中におれは立っている。外は分厚く雪が積もり、今もしんしんと天から無数の銀片が舞い降り続けている。この館にひたひたと迫る死の静寂。それに抗うように、室内はほんのりと温い空気をとどめていた。


 隙間から銀色の朝陽を漏らす絹の窓帷カーテン。柔らかな象牙色の壁紙。精緻な飾り彫りの施された南洋材の重たい家具類、白大理石のマントルピース。そっと足裏を受け止める、分厚い青藍せいらんの絨毯。抑えられた色彩だが、調度の豪奢さは容易に見て取れる。おれはかなりの分限者の家に遣わされたようだ。


 おれは傍らの、豪華な金枠にふちどられた姿見を見た。その長鏡は窓から漏れる朝の光を受け、おれの容姿を映した。左眼に大きな傷のある、剣呑な面構えの若い男が映っている。おれは存外に上背があって骨が太く、筋肉の乗った胸が厚い。


 おれは鏡に映る自らの傷に触れた。鏡は固く冷たく、指に死の温度を伝える。頬まで続く無残な傷だ、おれの目はすっかり潰れている。おそらく、これがおれの死因なのだ。してみるとおれは、なんらかの争いの中で命を落としたのだろうか。

 おれの黒い髪はいやに豊かで艶々《つやつや》としていて、野生のけだものの上質な毛並みを思わせた。その髪が数房、無残な致命傷に落ちかかっているさまはなんとも不気味だ。おれの姿は多くの人間には認識できないはずだが、おれを見た人間は恐ろしさに震え上がるだろう。


 それでいい、おれは恐ろしくなくてはならない。おれは死神なのだから。


 俺はサイドテーブルの上に置かれている懐中時計に触れた。一見地味だが、磨き抜かれた白銀が全面にあしらわれた、上質な品だ。蓋を開けると針は七時を指している。


 おれの目当ての人間は、白い寝台の中で未だ穏やかな寝息を立てていた。柔らかな枕に少しうねりのある黒髪が広がり、かれはその上で横を向いて眠っていた。

 労苦の倦みを知らぬままぬくぬくと育まれた、白く肌理きめの細かい肌をしている。細く形のよい、よく手入れされている眉、薄い瞼から伸びる長い睫毛、薄く端正な唇、整った鼻筋はきれいな線でおとがいと首筋を滑らかに描いている。寝間着の襟からわずかに鎖骨が覗き、その下でかれの胸は規則正しく上下していた。


 なかなかの美男だ、かわいそうに。お前は明日、おれが黄泉に連れていく。


東條善麿トウジョウヨシマロ――」


 おれは寝台に腰を下ろすとかれの頬に触れ、かれの名前を囁いた。かれのことは何も知らないが、この名前だけははっきりと脳裏に響いている。


 かれの瞼がふるえ、ゆっくりと開いた。睫毛の間で黒い瞳が動き、おれの方を見る。

 かれは跳ね起きた。わずかに後ずさり、己の胸に布団を押し当て、目を見開いて俺をじっと見ている。やがてかれは枕もとを探り、眼鏡を取り出して掛けた。自分の見ているものが信じられないようだ。おれは思わず愉悦の笑みを浮かべる。


「おれは死神だ。明日、お前の命をもらう」


 できる限り低い声でそう伝える。せいぜい怯えるがいい。東條は声も出せず、ただ唇を震わせて浅い呼吸を繰り返している。


「ふ、ふふふふ……」


 唐突に東條が笑い出した。目を見開いたまま、薄く開いた唇から笑い声が漏れる。その声は次第に大きく響き、哄笑へと変わっていく。東條は両の目尻に涙をにじませ、げらげらと笑い始めた。恐怖でおかしくなったのだろうか、実に結構なことだ。おれはいささか憐みを籠めた目で東條をにらむ。


 不意に東條が動いた。大声で笑いながら両腕を伸ばし、おれの首を固く抱きしめる。意外なほど強い力だ。


「やっと、やっと会えましたね」

 東條は喉を鳴らしておれに頬ずりする。かれの体温が熱い。おれの身体は驚きのあまり固まった。

「死神ですか、死神なんですか君は」

 東條は息を吸う間も惜しいとばかりに俺の耳にせがむ。

「では殺してください、今すぐにでも」


 東條は両腕をほどいた。おれの両手を握り、いかにも嬉しそうに振る。

「ねぇ、私はどうやって死ぬのですか?早く殺してください、君を待っていたんですよ」


 東條は頬を紅潮させ、期待に満ちた目でおれを見た。まるで旧い親友に会ったかのような歓待ぶりに、おれは狼狽した。死神に殺してくれとせがむ人間がどこにいる?死の恐怖で狂ったのだろうか。それともおれが来る前から、この男は狂っていたのだろうか。


 わからない。おれが困惑していると、背後から扉を叩く控えめな音がした。

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