15話(2)
◇
「――未来じゃ魔王征伐に失敗して勇者一行は全滅。一方俺達は、ロコを助けたことで帝国に追われ殺されかけた……。でお前は、そんな俺達を助けようとして時間を戻した。そういうことか?」
今日までの長い話をまとめたユニリスタに、ロコは小さく頷いて返す。
鉄格子のない新たに与えられた部屋。内装も違うその場所で、レイン一行とユニリスタ達はロコの話を聞いていた。
「単純な話、レイン達だけで負けたんなら戦力を増やせばいいんじゃねぇの?」
「おバカさんね。そんなことができるならとっくにやってるわよ」
室内で一番大きなソファーの端に小さく腰掛けているロコ。その隣に座るトルムーニは、呆れたようなため息をつく。
「魔王がいる城。そこへ辿り着くには魔界に入らなくちゃいけない」
そう話しながら彼女がクルリと指を振れば、氷で作られた二体の人形と氷城が宙に現れた。人形の一体には角があり、それは氷城の前で仁王立ちをしている。
「けれど、大気中の魔力濃度が異常に高いその場所に人間が行けば、魔力中毒を引き起こし三日と保たずに命が散る」
直後、角無し人形が苦しげに暴れ霧散した。
「でも勇者のそばにいる者はそうならない」
新たに作られたのは、たくさんの角無し人形達。彼らは現れるなり、氷城の周りを元気に駆け出した。その先頭にいる人形の手には、剣が握られている。
「聖剣に宿る浄化の力は、大気も浄化させることができるの。だけどそこに込められている力は無限じゃない。かつて、一国の騎士団を率いることも可能だった力は少しずつ弱まり、今じゃ勇者を含めて四人分の席しかない」
話の内容に呼応して角無し人形が減り、やがて四体だけが氷城の前に残された。同じ大きさのはずだが、不思議なことにその四体は、角有り人形よりも弱く小さく見える。
「仮にロコちゃんが力を使って呪剣を聖剣に戻したり、レイン様の持つ聖剣に新しく力を込めたとしても、それは微々たる変化にしかならない。現代に残されている記録によれば、初代の聖剣を作るのに千近くの命を使ったと書かれているの。だから、あなたがどれほどの強い力を持っていたとしても、決して届かないのよ」
あまりにも遠回しな言い方だった。だが誰もがトルムーニの言いたいことを理解し、口を閉ざす。
「……逃げましょう」
そう言ってロコは立ち上がった。
「だって、こんなのおかしいじゃないですか。千人の命を犠牲にしても、国と協力しても倒せなかった存在を、たった四人で殺せだなんて……。そんなのおかしい、狂ってる」
ロコがぎゅっと握りしめた拳を、誰かが優しく包んだ。視線を向ければ、小さく微笑むレインがロコの目に映る。
「ロコちゃんは優しいね。思わず甘えたくなっちゃったよ。でも……」
レインはロコから手を離すと、その手で宙に浮く人形の一つを撫でた。剣を持った人形だ。
「俺は勇者だ。聖剣を使える唯一の人間であり、ただ一人魔王を倒せる英雄の卵。そして、平和な日々を願う多くの人達の光そのもの。これが重たくないって言ったら嘘になるけど、俺が逃げる理由にはならない。俺は、魔王を倒すその日まで、勇者として生きたいんだ」
「だから」と、レインは優しくも覚悟を決めた瞳をロコへ向けた。
「俺達は行くよ。何が待っていようとも、何が起ころうとも最期まで戦う。それが、勇者一行としての使命であり、君達の友達として成し遂げたい事でもあるから」
アンナも、バルトも、トルムーニも……レインと同じ目をしていた。そんな彼らを引き止められるような魔法の言葉をロコは知らない。
「ダメ、です! 考え直してください!」
今にもレインに掴み掛かりそうな勢いでロコは訴える。
「このまま行けば、皆さんは命を落とします。そんなの、そんなのはダメです! 死にに行くなんてっ、おかしいです!」
「死ぬとは限らないよ。だってほら、ロコちゃんの行動一つで未来は変わって、今回は生きてる俺達と出会って話ができてるでしょ?」
「こんなの変わった内に入りません! だってまだ、皆さんは魔王と戦ってない。人の生死は、変えることができな――」
「本当に、そうなのだろうか」。ふとした疑問から言葉を飲み込むと、ロコはできる限り急いで記憶を辿り始めた。
村が襲撃され、ユニリスタ達と出会い、帝国騎士が現れるその日まで。前回と今回の違いを必死に探しながら、レイン達は、いつどうして魔王に敗北したのかと考える。しかし、知らない答えは出ない。
「ロコちゃん?」
ロコの目に、心配そうな顔をするレインが映った。その姿が一瞬、姉と重なる。
「…………あった」
「え?」
首をかしげるレインから静かに視線を落とし、ロコは流れるように額へ手を当てた。そしてぶつぶつと呟きながら、もう一度記憶の掘り起こしに集中する。
「私はあの日ねぇさんを助けようとした。けどそのせいで、ねぇさんは前よりも早く殺された。それならきっと、もしかしたら逆のことも……でもどうやって……」
今分かることと言えば「自分の言動」によって、ユリャの未来が変わったということ。その時自分が、彼女のそばにいたということ。
もし、仮に、ロコを中心として未来を変えられるのだとしたら。選択さえ誤らなければ、本当に理想の世界が作れてしまう。「誰も死なせない」そんな未来を迎えることも夢ではないのだ。
だがそれは、進んではいけない深い茨の道。ロコはユニリスタ達と再会したあの日、その事に気付き震えたのを覚えている。
しかし、目の前に吊るされたいくつもの死の記憶が、こちら側へとロコを誘う。「一度だけ」。悪魔のような囁きが、ロコの耳もとで聞こえた気がした。
「……レイン様。どうしても、魔王のもとへ行くんですね?」
「うん、行くよ」
彼の返事に「じゃぁ」とロコは顔を上げる。
「だったら、私も連れて行ってください」
その言葉に、誰もが一瞬呼吸を忘れた。
「初代に届かなくても、今の聖剣より私の方が強い力を宿しているはずです。それなら、私が直接魔王に触れて浄化すればいい。私自身が、聖剣の代わりになっ――」
ロコの頬を背後から冷たいものが掠める。少し視線を上げれば、レインのそばに角有り人形が浮いていた。
「こんなのに当たってちゃ話にならないわね。戦闘経験も無いようだし、はっきり言って足手まといよ。安易に死に場所を求めるのはやめなさい」
ひんやりとした雰囲気をまとわせた声でトルムーニは話す。
そんな彼女の方へロコが振り返ると同時に、人形劇は幕を閉じた。城も人形も、粒すら残さず宙から消える。
「そんなつもりじゃ……そもそも、トルムーニさんだって、このまま行けば殺されるかもしれないんですよ⁉ だったら、少しでも可能性がある方に賭けましょうよ!」
必死に訴えかけるが、トルムーニはロコと視線を合わせようとしない。
「私とあなたでは、死ぬことの意味が違うのよ」
「何言って――」
「一つの命としては同じだけど、世の中が見てる姿は全く違う。私は勇者一行の一人だけど、それ以前に魔法師よ。それもただの魔法師じゃない。女として最高峰の師名を与えられた存在。そんな私が魔王との戦いで死んだら、世の中はなんて言うと思う?」
彼女はそっと足を組み直し天を仰ぐ。
「『魔王はそんなに強いのか』『惜しい人を亡くした』『最期まで勇敢だった彼女に祈りを』……なんて悲しんでくれるでしょうね。けどあなたは違う。情報統制によって存在を曖昧にされ、真実と真価を知る一部の人間には、人として見られることがない。どれだけ勇敢に戦っても、どれだけ傷ついても、あなたがルーチェであることに変わりはない。一緒に戦った私達とは正反対の言葉を投げられ、ぞんざいに扱われる。『貴重な素材を無くした』『死体を探せ』『血肉が無いなら骨を砕け』『目玉の一つ、髪の1本も無駄に――』」
「やめろっ‼」
ユニリスタの叫びに、トルムーニはピタリと口を閉ざした。
「……もう、いいだろ。そこまで言われりゃ、こいつだって諦める」
誰よりも先に耐えきれなくなったのはユニリスタだった。その表情は、怒りよりも悲しみに揺れている。
「だそうだけど……ロコちゃんとしては、静かにお留守番できそうかしら?」
「できません」
「お前っ――」
ロコへ詰め寄ろうとするユニリスタだったが、リンに肩を掴まれ止められた。
「私は、死ぬために行くわけじゃありません。皆さんを生きて帰すために、一緒に行きたいんです」
「……もう一度だけ忠告するけど、死んだら殺されて、生き残っても使われるかもしれないわよ?」
不意にロコは足元へと手を伸ばす。ブーツの紐を解き、それを脱ぎながらソファーに上がる。ロコがトルムーニを大きく見下ろすように立った時、ようやく目を合わせてくれた彼女は、桃眼を丸くした。
「待って、守られて、止まってるだけの自分は、今日で終わりにしたいんです。世界が私を利用しようとするなら、私はそれより先に私を使い切る。もう、誰にも私を使わせない」
進む道を選んだ瞬間、ロコは答えを決めていた。自ら動かなければ、何も変えることができない。だからどれだけ怖くても、痛くても、苦しくても……ルーチェとして最期まで抗い戦うと。
「あなたの気持ちは良く分かったわ。けどねロコちゃん、それはお行儀が悪いからやめなさい」
「え、あっ、はい」
ニコリと微笑むトルムーニに促され、ロコは慌ててブーツを履きなおす。
「さて、彼女の気持ちは十分に聞けたことだし、そろそろ約束を守ってもらいましょうか」
思わずブーツの紐を結んでいた手を止めた。ロコは顔を上げトルムーニへ視線を向ける。彼女は腕を組み、ユニリスタを真っ直ぐに見つめていた。
「約束って、何ですか?」
「あなたに魔王と戦う覚悟があるなら、使い魔契約を破棄させた上で同行させる。それが、あなたが帰還している間にここにいる七人で話し合った結果よ」
「だからっ、俺は納得してねぇって言ってんだろ!」
ユニリスタはトルムーニへ吠えた。しかし彼女は眉一つ動かさない。
「現実を受け入れなさい。あなた一人の意見では意味が無いのよ」
「けどっ……そんなの、分かってるけど……」
「弱体化した聖剣じゃ魔王は倒せない。だからこそ私達は、本人の意思を確認した上で彼女を連れて行くと決めた。勝ち目の薄い戦いだと誰もが理解してるわ。それでも立ち向かおうとするのは、背負うものがあなたと比べ物にならないほど多くて巨大だからよ。それは、分かるでしょ?」
トルムーニの言葉にユニリスタは勢いを無くし黙る。
「……少しだけ、時間をくれ」
やや時間を食ってその一言を絞り出すと、ユニリスタは部屋から出ていった。彼の背をリンとアリアが追う。
静かになった室内で彼らが消えた扉を眺めながら、ロコはぽつりと呟いた。
「……なんで、反対してくれてるんだろ」
一カ月ほど過ごした前回とは違い、今回はユニリスタ達がロコと出会ってさほど時間が経っていない。かと言って、彼らが反対するほど大きく関わったつもりもなかった。
今のユニリスタ達とロコの関係は、他人以上知り合い以下という半端な繋がりだ。しかしユニリスタは、何故かロコのことを気にかけている。それがロコにとって不思議で仕方なかった。
「あの二人と重ねてるのよ」
その声を拾ったのはトルムーニだった。
「リンくんとアリアちゃんは昔、あなたと似たような扱いを受けていたことがあるの。だからユニは、あなたを放っておけない。口と態度は悪いのだけどね……根っこの部分は臆病で、甘いのよ」
「ま、それだけじゃないんだけど」と小さく付け加えたトルムーニ。その顔はどこか悲しそうだった。
「私、ユニと話してきます」
結びかけの靴紐を手早く縛ると、ロコは部屋から駆け出した。トルムーニの話を聞き、大切なことを一つ思い出したのだ。
クレスタ村で、本当に初めてユニリスタ達と出会った時。あの時の彼も、すぐに手を差し伸べてくれたことを。何も聞かずに守ってくれたことを。彼が、今と何一つ変わらないことを思い出していた。
「ユニっ‼」
その名を呼べば、彼らが振り返る。
ゆっくり歩いていた三人に追いつくのは容易かった。ロコは歩を緩めユニリスタへ近付こうとそのまま進む。しかしそれを阻むように、アリアが彼の前へ出る。
「何の用ですか? マスターは、時間が欲しいとお伝えしたはずですが」
アリアの目は冷たかった。敵とまではいかなくとも、ロコのことを嫌な存在くらいには思っているのだろう。当然だ。アリアからすればロコは、マスターを困らせている厄介者なのだから。
「少しだけ、話をさせてほしいの」
「嫌です。後にしてください」
そう言ってアリアはユニリスタの袖を引く。だがロコも譲れない。遠のいていく彼らへ声をかける。
「私は二人とは違う‼」
その言葉に歩みを止め振り返るユニリスタ。リンとアリアも足を止めたが、ロコを見ようとしない。
「確かに私は、ずっとあの部屋に閉じ込められてた。けど、腕にある傷は無理矢理されたものじゃないし、脅されたわけでもない」
ロコは少しだけ嘘をついた。ルガーノのおかげで、あの時のような強引な採血がされなくなったのは事実だ。だが、血は毎日のように持っていかれた。いや「持って行かせた」。
「ロコ・ルーチェが血を差し出した分、村人が楽になる」。たとえ嘘でも、扉の外からそんな会話を聞いてしまえば、希望を抱かずにはいられない。その時のロコは、わずかな可能性にすがりたかった。
「必要なものがあれば、大体は用意してくれた。部屋だってご飯だって、困ることはなかった。ここに来て嫌なことなんて一つもないし、戦いに行くのだって、全然怖くな――」
「ロコ」
ユニリスタに名を呼ばれ口を閉ざす。
「夜には解放する。だから、少しだけ待っててくれ」
そう言って背を向けると、ユニリスタはさっさと歩き出した。リンとアリアも黙って彼を追い、やがて三人は廊下の奥へと姿を消す。
「自分は違う」と「大丈夫」だと伝えたかっただけだった。しかしその想いが上手く伝わらないまま、彼らはロコの前からいなくなった。
何がだめだったのかと考えるがまだ分からない。ふと、床を照らす陽の光に導かれ、ロコはガラス窓へ目を向ける。
「……私のバカ」
そこには、今にも泣きそうな顔をしている自分が映っていた。
◇