カレンブルグ領でお茶会
キャラクターの名前を変更しました(2024/06/16)
理由は『オリヴィエ(Olivier, Ollivier)はフランス語圏の男性名』(うぃきぺでぃあより抜粋)とのことで、女性名『オリヴィア』への変更です。
マリーが王都へ来る、ほんのちょっと前のお話です。
アンヌマリーのお母様と、ハインツ子爵夫人は従姉妹にあたります。
「ちいにいさまは、一体いつ帰って来られるつもりなのかしら」
口をとがらせてアンヌマリーがぼやく。
「ルーカスはいつも忙しそうにしているようだから、ギリギリになるでしょうね」
優雅にティーカップを口元に運びながら答えたのは、マリーの母親、イルゼ・カレンブルグ辺境伯夫人。その隣で頷きながらチョコレートに手を伸ばしているのが、イルゼの従姉妹にあたるグレーテ・ハインツ子爵夫人である。
普段は王都で暮らしているグレーテが、辺境のカレンブルグ領を訪れたのは、長子で後継者にあたるエリックの結婚が近くなったからだ。
客は結婚式の日程に合わせて集まる予定だったが、子がいないグレーテは久しぶりに従姉妹と時間を過ごしたくて、予定を早めてこちらへ訪れたのだ。
「マリーのために、王都でチョコレートを買ってきたのだけれど。気に入らなかったかしら?」
「むー……」
マリーはチョコレートを眺めて唸った。
「……クラーラ姉さまの分は、ある?」
後ろに控えている侍女に尋ねると、頷きが返された。それでようやく安心したのか、マリーはチョコレートへ手を伸ばした。
「今、クラーラは?」
「兄様が。忙しいから駄目って」
尋ねたイルゼに、マリーがふくれっ面で答えた。
クラーラは次期辺境伯夫人として、カレンブルグに滞在し、イルゼやエリックの仕事の補佐をしている。末の妹のアンヌマリーもすっかりクラーラに懐いているのだが、そこは仕事が優先ということで、マリーと食事を共にする時間はあっても、ゆったりとお茶を飲んでいる暇はあまりないのが、最近のマリーの不満だったりする。
「来週の日曜日には、クラーラも正式にうちの子になるし。楽しみだわ」
「晴れると良いわね」
「雨が降っても、それはそれで悪くないわ。神様や天使が嬉し泣きして雨を降らせちゃったら、仕方がないもの」
イルゼとグレーテはのんびりと笑う。
エリックとクラーラは、結婚式を控えて忙しそうにしている。エリックは時々眉間にシワを寄せたりしていることもあるが、ふと顔を上げて、クラーラと視線を交わして柔らかく微笑み合ったりしているのも、マリーは知っている。
「そうそう。マリー。お土産は気に入ってくれたかしら?」
「はい! ありがとうございます!」
今回、グレーテがマリーのために王都で買ってきてくれたものは、チョコレートだけではない。
以前、素敵なレターセットがあったら買って欲しいとおねだりしていたのだ。グレーテはちゃんと覚えていて、素敵な花の透かしが入った上品なレターセットを買ってきてくれた。
それだけではない。
きっと、王都に住まう兄、ルーカスに頼まれたのだろう。王都にいるマリーの文通相手の手紙も一緒に持ってきてくれた。
「次のお手紙は、グレーテおばさまのレターセットでお手紙を書くつもりなの。兄様たちの結婚式のお話を書くわ。姉さまのウエディングドレスがどんなにすてきだったか、とか……」
うっとりと夢を見るような表情で語るマリーに、二人は微笑んだ。
「イルゼ。マリーは来年から王都学院に通う予定だったかしら?」
「一応、ね」
「一応じゃないわ、母様。絶対、行くの」
「マリーは王都学院に通いたいのではなくて、王都に居る彼に会いたいだけでしょう?」
イルゼにはお見通しである。図星を突かれてマリーはふくれっ面で口を閉ざした。
「王都学院の入学試験は、社交シーズンの最初の頃だったわよね」
「確か、そうだったわね」
イルゼもグレーテも、王都学院の卒業生である。詳しい日程まではわからなくとも、受験についてのざっくりとした知識はある。
「グレーテ。私、考えていたのだけれども。あなた、王都に家庭教師の伝手はあるかしら。王都学院に入学するまでのフォローと、あとは礼儀作法の」
「探せば見つかるとは思うけれど。カレンブルグまで来てくれるような人を探すのは、ちょっと時間がかかるかもしれないわ」
「お母様……?」
唐突に、自分の話を始めた大人二人に、マリーは怪訝な顔を作る。
「学力の心配はあまりしていないのよ。でもね……、やはりここは『辺境』だから。年の近い子供は多くないし。王都学院へ進学する子供はマリーしか居ないし。試験の直前に王都へ行って、試験だけを受けるのが良いのか、王都で短期間でも家庭教師をつけたほうが良いのか、少し迷っているの」
「そうねぇ。家庭教師の伝手を探すのは、ルーカスには難しそうねぇ。そのへんは私のほうが得意だわ」
グレーテは頷いた。
カレンベルグの次兄にあたるルーカスは、王太子の片腕として、いろいろな仕事を任されていて多忙にしているらしい。仕事は有能だろうが、家のことや、ましてや妹の家庭教師の手配などの細かい仕事ができるかどうかはやや疑問だ。
「本当ならば私が行って采配するべきなのはわかっているのだけれども。クラーラも嫁いできてすぐだし。まだしばらく領地を離れたくないの」
「確かに。エリックとクラーラは、やればできる子たちでしょうけれども。手を離すのは心配だってのもわかるわ」
「母様! 私、王都に行きたいわ!」
マリーの答えは即答だった。
「マリー。もし、王都に行くのならば、グレーテおばさまの紹介してくださる家庭教師について、ちゃんと勉強をしないといけないわよ? それは絶対のお約束です。サボったり手を抜いたりしたら、カレンベルグへ連れて帰って来て、王都学院への受験も今年は取りやめることにします」
「いやです! ちゃんと約束はちゃんと守るわ。だから、今年、王都学院の試験も受けるし、王都にも行きます! ねえ行かせて」
ここで甘えた声を出せば、父親やエリックならば折れてくれるのだけれども、さすがにイルゼは誤魔化すことができなかった。
「そうそう。イルゼ。私ね、夫から面白い話を聞いたのよ」
済ました顔でカップを手に取り、喉を潤したグレーテが微笑んだ。
「なあに? 面白い話?」
「オリヴィア先輩って覚えてる? 王都学院に居た頃に、マナー研究会を主催してた、オリヴィア・クルーゲ侯爵令嬢。今はルッツ伯爵夫人なのだけれども」
「オリヴィア先輩! お元気かしら」
「ええ。確か上のお嬢様が去年学院を卒業されて。ご令息がマリーと同い年だったと思うわ」
「まぁ。ご令息も学院に来られるのかしら」
「どうかしらね」
二人の思い出話は加速する一方で、マリーはほんのちょっとつまらなくなってしまった。
「グレーテおばさま。『マナー研究会』ってなあに?」
大人の会話に口を挟むのはマナー違反だとわかってはいるが、思い出話の方向を変えるために、ほんのちょっと水を差してみた。
「マリー。王都学院は、貴族の子息令嬢だけではなく、成績が優秀な平民の子も在籍するという話は知ってるかしら?」
覗き込むように、グレーテが尋ねた。
「いろんな身分の子がいて、学校の中では、マナーを守るということが大事で、身分を傘に着てえらそうにするのは駄目、みたいな校則だって聞いたと思います」
「そう。そんな感じ。学院ってね、平民だけど一生懸命勉強して通ってる子もいれば、裕福な家庭の子もいるでしょう? 平民の子はどうして一生懸命勉強して学院へ通うのかしら。マリー、わかる?」
「……いいお仕事につけるように?」
ほんの少し考えてマリーは答えた。グレーテは頷く。
「そうね。良いお仕事に就いて、お給料がたくさんもらえたら、いい生活ができるかもしれない。兄弟がいる子なれば、弟や妹を学校に進学させてやれるかもしれない。そんな風に考えて、必死で頑張ってる子もきっといると思うの。わかる?」
マリーは頷いた。グレーテの話は、小さなマリーにもわかりやすかった。
「例えばね。成績が良ければ王宮や公爵家の侍女として働くことができるかもしれない。でもね、平民は貴族がどんな暮らしをしているのか、侍女はどんな仕事をするのか見たことがなかったりするの。それをね、『マナー同好会』なんて名前をつけて、お茶会を始めたの。一番最初は、オリヴィア先輩が執事役で。お茶会に参加したことない子たちが令嬢役で。侯爵令嬢が率先して準備するものだから、伯爵令嬢や子爵令嬢が侍女役を買って出たり。お茶会のテーブルの準備から、テーブルマナー、お茶のサーブのタイミング、侍女とのアイコンタクト、そういうのをいつもとは違う立場から経験することで、「お客様に楽しんでいただくためには最低限のマナーと、ちょっとしたユーモアやサプライズが必要ね」なんて言って」
「毎回、楽しいお茶会になるものだから、途中からはくじ引きで参加者が決められたりしてたわよね。なかなか参加できなくて悔しかったわ」
「でも、侍女として働きたいって思ってた平民の子は、割と優先的に参加させてもらえてたみたい。実際に働き出してから、オリヴィア先輩のお茶会の時に教わったことが色々役に立った、って話も聞いたわ」
「学院って、そんなこともしていいの?」
「ちゃんと理由があって、生徒会と交渉して、許可が出れば可能よ」
「ふーん……おもしろそう」
「今もマナー研究会が続いてるかどうかはわからないけれど、ね」
「で。オリヴィア先輩がどうしたの?」
イルゼが話を戻した。
「オリヴィア先輩のお嬢さん、アリシア・ルッツ嬢が、最近よく、うちのサロンに顔を出してるみたいなのよね」
「あら? 学院を卒業されたのなら、そろそろご結婚とか……」
「そういう話は聞いてないわ。ただ、サロンに集まってくる、うちの夫の教え子たちと喧々諤々と楽しそうにやりあってるらしい、って話」
「サロンに出入りするということは、ハインツ先生のお気に入りということよねぇ」
「噂では、レーベンブルグの使節団に通訳としてくっついて回っていたとかなんとか。去年の卒業生でかなり優秀な成績を取ってたらしいとか。サロンにあつまってくる連中やおじさんたちを相手にやりあうような子だと聞いたから、どんな子なのかちょっと興味あって探りを入れてみたんだけど。なんだか不思議な印象というか……おっとりしているのに、いつの間にか手の内をさらけ出させられるみたいな、油断してるとにこにこしながら急所に針を刺されるとか。可愛らしいのに捕まえるのが難しいらしいとか。いろんな派閥の連中が、彼女を欲しがって結婚相手を紹介したんだけど、彼女の知識量や会話についていけなくて次々脱落したとか、婚約どころか、おつきあいにも至らないとかなんとか」
「あらあらあら」
どこまでが本当の話かはわからないものの、すべてが嘘というわけではないのだろう。火のないところに煙は立たない。王都の噂とは得てしてそういうものだということを、イルゼは知っている。
「グレーテおばさま! おばさまのところへ行ったら、その方と会える?」
グレーテはニヤリと笑い、ちらりとイルゼへ視線を向けた。
イルゼはマリーに気づかれないように、小さく頷いた。
「会えないかもしれないし、会えるかもしれないわねぇ。ルッツ伯爵令嬢にお時間があるようであれば、試験までの勉強を見てもらえるようにお願いしてみましょうか」
「グレーテおばさま、お願い!」
前のめりになったマリーに、グレーテはにっこりと微笑んだ。
「そうね。エリックとクラーラの結婚式が終わって、ルーカスが王都に戻るタイミングか、私と一緒に王都に行きましょうか。毎日は無理かもしれないけれども、うちのサロンにはしょっちゅう誰かが来てるし。王宮で文官をやってるような頭の良い人達ばかりだから、わからないことは教えてくれるんじゃないかしら。話し下手って人ももちろんいるけれどもね。そうね、私が不在の時は、家の図書室で遊んでいてもいいわ。たくさん本があるのよ。きっとマリーの気に入る本もあるはずよ。――あとは、ルーカスに、王都で過ごすのを納得してもらえるかどうか……」
「ちいにいさまを説得するのはまかせて! 私のことなんだもの、頑張るわ!」
マリーの言葉に、グレーテとイルゼは顔を見合わせて頷く。
試験までカレンブルグで過ごすよりも、王都学院の入試に特化した家庭教師がみつかれば、そちらで教わるほうが良いだろうし。色んな人に会って、色んな話をしてみるのも悪くないだろう。
アリシア・ルッツが捕まえられれば一番都合が良いのだが、どうなるかは王都に帰ってからでないとわからない。
なにしろ、子供がいないグレーテが参加するお茶会は、大人が参加するお茶会ばかりなので。できればマリーの年に近い令嬢のお茶会に参加させてもらえる機会があれば、そのほうが都合が良い。グレーテよりもアリシアのほうが年齢が近いし、上手く行けばアリシアの友人たちのお茶会に参加させてもらえるかもしれない。
――そう、簡単にうまくいくかどうかはわからないが。
イルゼも、次兄のルーカスが居る王都のタウンハウスならば、娘を送り出すのは不安も少ないだろう。どちらにせよ、学院に合格すればタウンハウスから通うことになる。王都で過ごすのが少し早く始まるだけ、と言えなくもない。
しかも昼間は、イルゼの従姉妹のグレーテが面倒を見てくれる。家庭教師も探してくれると言うし。サロンは王宮で働く文官が多いが、グレーテの夫の教え子たちの意見交換の場になっていて、人の出入りは多いが、危険な場所というわけではない。
「マリー。ちゃんと、いい子にできる?」
イルゼがマリーの顔を覗き込むようにして尋ねた。
「もちろん、できるわ!」
「淑女としてのマナーの勉強もしないといけないけれども、それもちゃんとできる?」
「……がんばるわ」
できると即答しないあたりが正直で、マリーらしくも思える。
当然のことながら、イルゼはマリーの文通相手が誰なのかを知っている。
まだ婚約にまでは至っては居ないが、相手はこの国の第三王子ハルトヴィン殿下である。このまま婚約ともなれば、ハルトヴィンが臣籍降下するとしても、いったんはアンヌマリーは王子妃として王族に入らなければいけない。なので、王太子妃教育ほどではないにしても、ある程度の教育が今後必要になる可能性があるのだ。
王都に慣れさせるのも、ハルトヴィンに会わせるにも、王都で過ごす時間が長いほうが都合が良いだろう。
「今夜にでもお父様に相談してみましょうね。それで許可がおりたら、ルーカスを説得しましょう」
「嬉しい! とても楽しみだわ」
アンヌマリーは笑顔を閃かせた。
グレーテ・ハインツは、即座にやることを頭の中に羅列していた。
オリヴィア・ルッツ。元クルーゲ侯爵令嬢のことを思い出せたのは偶然だったが、幸いだった。
アリシア・ルッツ本人に迷惑をかけるつもりはないが、面白い手を思いついた、と。
「ルーカスもねぇ。いい話を持って帰ってきてくれればいいのだけれども。あの子、本当に仕事以外に興味がないのよねぇ……」
イルゼの独り言に、グレーテはこっそりと微笑む。
普通の女性に興味がないというのならば。
ハインツの教え子たちが手に入れそこねた花を、ルーカスに見せたら、どうなるのだろう。
まずは王都へ戻ったらアリシア・ルッツに会ってみようと思った。会えばきっと、いろんなことがわかるはずだから。
今、一番の楽しみは、来週に控えたエリックとクラーラの結婚式であることは間違いないのだが。
きっとこれは楽しいことになる、と、すました顔で冷めかけた紅茶で喉を潤しながら、グレーテは考えていた。
グレーテ・ハインツ子爵夫人は、マリーの兄、エリックの結婚式のために来ているんですが、ついでに大好きな従姉妹に会うためにカレンブルグへ長期滞在してます。グレーテおばさまは、マリーとも仲良しです。
マリーはクラーラとも仲良いんですが、エリック兄様が超愛妻家で、なかなか割り込む隙がありません。なので、エリック兄様のことは前よりほんのちょっぴり嫌いになったりしていますが、クラーラ姉さまは超大好きだったりします。エリック兄様、ちょっと不憫です。




