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ルーカスは、アリシアの愚痴を聞く


「アリシア姉さま。ハルト様とお庭を歩いて来てもいいですか?」


 ちょうど会話が途切れたタイミングで、メイドがお茶のおかわりを尋ねてくれた時だ。マリーが、ハルトと庭を散策したいと言い出した。

 本来のお茶会ならば、主催が客を残して席を立つのは非常識だ。しかし今日はあくまでも『お茶会の練習』であり、ルーカスはマリーとハルトを会わせるために連れてきている。二人で庭に行きたい、というのは、今日のお茶会においては悪くはない、とは思う。しかし……。


「ルーカス。マリーと庭に行ってきてもいいかな?」


 返答に詰まって、ルーカスに視線をやったアリシアの意図を瞬時に理解して、ハルトが尋ねた。

 護衛がついているとはいえ、まだ婚約関係にない男女が二人になるのは醜聞的には良いことではない。ここはまず、保護者の許可が必要だ、ということをハルトは理解している。

 これについては、指導役のアリシアの手落ちでもある。マリーにもう少し丁寧に教えておけばよかった、と心の中で反省した。


「かまわないよ。行っておいで」


 ルーカスの言葉に二人揃って笑顔になり、顔を見合わせて頷き合う。

 ハルトが立ち上がって、マリーに向かって手を差し出した。


「行こう、マリー」

「はい!」


 ルッツ邸のサンルームは、ガラス扉から庭へ直接出られる構造になっている。テーブルについたままでは見えないが、立ち上がってガラス扉のそばまで行けば、庭の様子は見渡すことができる。


「果実水を用意させておくから、暑くなったら近くにいる誰かに言ってね。四阿を使ってもかまわないわ。それと、庭師の注意はちゃんと聞いてね」


「はぁい」

「行ってきます」


 二人を見送って、アリシアは小さく息を吐いた。


「実は、庭の奥にウィステリアが咲いてるのです。ちょうど満開で見頃なのは良いのですが……」

「何か問題が?」

「このお天気ですから、蜂がですね、一生懸命仕事をしてると思うんです。ですから……えっと……」

「そうか、蜂か」

「あ。でも、庭師には、ちいさなお客様がいらっしゃるかもしれないことは言ってありますから! 多分、うちの庭師が気をつけて見てくれると思いますので!」


 慌てるアリシアを落ち着かせるように、ルーカスはおっとりと微笑んだ。


「マリーは……好奇心が強すぎて危ういところはあるが、物の道理は理解している、と思う。ハルト様はもともと慎重なところがあるから、心配しなくても大丈夫だ」


 ハルトヴィン第三王子は、今年王立学院に入学したばかりだったはずだ。身長はまだまだ成長過程のようだが、落ち着きはらった物腰といい、会話のスマートさといい、実際の年齢より上に見える。

 蜂のいるところに手を突っ込むような、軽率な行動はしないだろう。


「それなら良いのですが。ああ、バラも咲き始めているんですよ。散策するにはちょうど良いかと思います」

「バラか。もうそんな季節なのだな」


 アリシアは、マリーが、ルーカスがいつも仕事で忙しそうにしていると話していたことを思い出した。


「国立公園のバラ園も、そろそろ見頃なのではないでしょうか。女性ならばきっと喜ばれると思いますよ」

「そのような相手はいないが……。そうだな、マリーが王都に来てからあまり相手してやれてないから、買い物ついでに連れて行ってやるのも悪くないかもしれないな」

「も、申し訳ありません。てっきり……」


 確かルーカスはアリシアより三つほど年上だったはずだ。辺境伯の次男ではあるが、王太子の片腕として働いているルーカスは、女性たちの人気が高い。夜会などでは王太子のそばに居ることが多いが、そつのない対応や物腰の柔らかく、所作も美しい。なので、そのような人がまさか、まだ婚約者がいないなどとは欠片も思っていなかったのだ。


「その手の事情には疎くて。失礼いたしました」

「それよりも、アリシア嬢、君は大丈夫なのかな? 私の心配をしてくれるのは良いが、君も……」

「大丈夫です! 婚約者も、お付き合いしている方もいませんから!」

「胸を張って言うことではないとは思うが……。言いたくないことを言わせてしまったね、申し訳ない」

「大丈夫です。そのあたりのことはもう気にしてません」


 気にする時期はとっくに過ぎてしまっている、というのが本当のところである。

 女性であれば、学院卒業すぐに結婚して家庭に入る者も多い。特に貴族令嬢はその傾向が強い。

 平民や、貴族でも下級の、次女や三女ともなると、結婚させようにも持参金を用意することができず、政略結婚の駒にも使えず、それならばと自立して王宮や上級貴族の屋敷で侍女として働くものも居る。

 しかし、卒業して仕事を始める者はたいてい、在学中に就職先を決めている。

 アリシアはいろいろやらかして、結婚もしそこなって、仕事に就くのも失敗したのだ。


「以前、王宮での夜会に、一緒に来られてた方がいた気がするのだが、気の所為だったかな?」

「あー……」


 ほんのちょっぴり苦い思い出だ。


「言いたくなければ、答えなくてもかまわないよ」

「いえ。あのですね。あの頃は婚活をしてたんです。色んな方からお相手を紹介していただいて、会ってお話をして。これは話が進みそうだな、と思った途端、なぜか先方からお断りされてしまって。婚約までは至っていないので、私がなにかやらかしたのかもしれませんし、結婚する相手にはふさわしくないと判断されたのでしょう。それは仕方ないと思ってます。ですが、そういうことが二年ほどのうちに五度ほどありまして」

「五度……?」

「一番最近では、学院の夏の休暇に領地に戻っていた間に、お相手の方が別の方と結婚なさっていましたねぇ……。こちらへ帰ってきた時には『結婚します』という手紙と『結婚しました』という手紙が、こう、重なってまして……」

「それはなんとも……」


 どう慰めればいいのかわからず、ルーカスは手元に視線を落とす。


「あの。私は全然……というと嘘になりますけど、あまり気にはしてなくて。本当は家を継ぐ弟のために有利なつながりが欲しかったのですけれども、そういう理由で結婚を焦っていたのがいけなかったのだと思いますし。今では両親も、お前の好きにしろと言うものですから。今年の王宮官吏試験を受けてみようかなと思っていまして」

「……は?」


 婚活を諦めて、唐突に王宮官吏試験とは。しかも官吏試験は生半可な気持ちで受かるものではない。王宮で勤めるのだから、身分が保証されているだけでなく、能力がなければ合格できる試験ではない。


「去年のうちに決めてしまえばよかったんですけど。ちょうど試験の期間に、ルッツ領の方にお客様がありまして。うちの領地はすっごく田舎で、本当に田舎で、畑しかないようなところなんですけれども。レーベンブルグ国から、うちの農業研究所へ視察が来られまして」


 隣国のレーベンブルグから、農業に関する視察があったことは、ルーカスの記憶にもあった。


「あまりにも面白いお話を聞かせていただけたりしたものですから、通訳に視察団について回ってしまいまして」

「……は?」

「通訳の方はもちろんおられたんですけど、使節団の方が五人に通訳一人というのは、いろいろと不都合があるでしょうから、と、無理を言って同行させていただきまして」


 その時、ふと思い出したのだ。

 誰が話していたのかはすっかり忘れたが。夜会に一緒に来て、連れの女性が自分の知らない偉い貴族たちと対等に話しているのを見て、すっかり自信をなくしてしまった、と、連れと話していた者がいなかっただろうか。

 一緒に出かけても、美術館に展示されていた神聖教国の展示書物の文字をガラス越しに読むことにすっかり夢中になってしまうような相手と恋愛をするのは難しい、ましてや結婚などは無理だと身を引いた、という話を聞いたことがなかっただろうか。

 『そのようなことがあるのか?』と聞き流したが、あれが事実だったとしたら?

 それがすべて、いま、ルーカスの目の前のアリシアのことだったとしたら?


 可能性は、なくはない。

 ハインツ邸の図書室に通うことを許されるのは、学年でも上位の成績を収めている者。国の未来を託されるべき才能を持つ者。

 ハインツ師に見込まれた教え子が、年齢の差に関わらず、集まっては知識を高め合ったり、意見を交換したりする。そういう目的で開かれているのが、ハインツ邸の図書室とサロンだ。

 

 ハインツ子爵夫人は、ルーカスたちの母親の従兄弟にあたる。しかし年が一つしか違わないので、姉妹のように育ったと聞いている。

 長男の結婚が先日行われ、今は兄嫁が家の中を取り仕切るための引き継ぎを母から受けている。辺境伯夫人の仕事は多岐にわたるので、短期間で投げ渡せるものではない。

 結婚式まではアンヌマリーも、ドレスの仕立てやら何やらで忙しくしていたのだが、今は家族みんな、新婚の二人に構いっきりで、マリーは二の次になってしまっていた。

 なので、すっかり退屈になってしまったマリーが、手紙のやり取りをしているハルトに会いたいと王都に出てきたのは、ある程度仕方ないと思っていた。来年から王都学院に通うのだから、王都に来るのが一年前倒しになったと思えば、それでよかった。

 ルーカスが不在の昼間は、ハインツ子爵夫人が預かると言ってくれた。ルーカスたちの母と今も仲が良く、男の子しか居ないという子爵夫人はマリーのことをよくかわいがってくれていたし、ルーカスもハインツ子爵夫人になら安心してマリーのことを任せることができた。


 ルーカスたちと、ハインツ子爵夫人との関係は、たまたまのものだ。

 しかし、どういう意図があったのか。ハインツ子爵夫人はマリーにアリシアを紹介した。


「王宮官吏試験に受からなかったら、どこかの家庭教師に雇ってもらおうかなとか、外国との交易の書類の翻訳ができないかなとか、色々考えてまして。幸い、周辺三国に帝国語、神聖教国語の読み書きはできますし」

「周辺三国に、帝国語に、神聖教国まで?」

「はい。読み書きと日常会話なら、です。専門的な用語は全然だめですし。会話も一応できますが、話をする相手が居ないものですから、発音に少々不安があります」


 なんでもないことのように言うが、周辺外国の言葉、しかも五カ国の言葉を使える者はそう多くはない。王宮官吏だろうと家庭教師だろうと、どこでも需要は見込めそうだ。

 外国からの視察団に通訳としてついて回ったというのも、冗談ではなさそうだ。使節団が来ていたことは聞いていても、地方伯爵の令嬢が通訳代わりについて回っていたという話までは、ルーカスのところへは届いていない、これは調べてみる必要がありそうだ。


「どうやら私は結婚には向いてないようですし。でも、王宮官吏になれれば、ルッツ領のためにも、伯爵位を継ぐ弟のためにも、なにか役に立てるんじゃないかと……」


 アリシアの言葉に驚きが勝ってしまって、ルーカスは何も言えなくなっていた。

 この少女は、どれだけ自分を驚かせる気なのだ。きっと本人に自覚はないだろうけれども。


「……どうかされましたか、ルーカス様?」

「ええと、お茶のおかわりをいただいても良いかな?」

「ええ。お待ち下さい」


 アリシアがにっこりと微笑んだ。


『きっと……ううん、絶対、兄様はアリシア姉さまのことが好きになると思うわ。だって私、すっっっ……っごくアリシア姉さまのこと、大好きになってしまったんですもの』


 マリーの言葉を思い出しながら、ルーカスは、このあと自分がやるべきことについて考え始めていた。



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