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マリーと、チョコレートと、クッキーと


『いちばん大事なお客様には、お庭の景色が良く見える場所に座っていただきましょう』

『人数が多いお茶会では、家格で席順を決めるの。派閥も意識したほうが良いわね。逆に、絶対に近くにしてはいけない人もいたりするわね。主催は席順を決めるだけでも、いろんなことを知っておいたほうが良いの』


 今日の席順はマリーが決めた。ドアを背にして庭を向いている席に、男性二人が座る。マリーとアリシアは二人の視界の邪魔にはなるが、視界すべてを遮るわけではない。花を愛でるには、そちら側の席のほうが良いだろうと考えてのことだ。


 紅茶と、まず最初にテーブルに並べられたのは、ハルトがお土産に持ってきてくれたチョコレートだった。

 よほど好きなのか、チョコレートトリュフが乗った皿が目の前を通過する毎に、マリーの視線は釘付けになっている。

 ハルトが皿を、マリーへと差し出した。


「マリー。食べて」

「えっ……」


 マリーは困り顔をアリシアに向けた。客を差し置いて、主催が一番に手を付けるというのは、行儀が悪いとされてはいる。だけど今日は、ほぼ身内だけのお茶会である。しかも、お土産を持ってきた本人が、マリーに食べてほしいとねだっているのだ。


 皿の上には、親指と人差指でつまめるほどの大きさのチョコレートが色々と並んでいた。


「味も少しずつ違ってて、いろいろ教えてもらったんだけど……、何が何だったかな。ああ、メモに残しておくべきだったなぁ」

「どれも可愛らしいですわ! この丸いのも。四角いのも。それと……」


 マリーがふと、そのうちの一つに視線を落としたまま止まった。

 それだけでハルトは満足したように笑った。


「うん。すみれの花の砂糖漬けを乗せたのを作ってもらったんだ」

「わあ……!」


 今日のお茶会のテーマは『すみれ』としていた。

 お茶会にテーマが決められているときは、それにちなんだ装いをすることが好ましいとされている。

 だから、今日のテーブルに飾られたのは、みずみずしく咲き誇るバラのような艶やかな花ではなく、すみれの花。

 茶器は白い磁器にすみれの花の絵付けで、アリシアのお気に入りのものある。

 マリーはすみれを思い起こさせる淡い紫色のデイドレスを着ている。自分の手持ちのドレスにはすみれをイメージさせるものがないと淋しげに言うものだから、アリシアが以前に着ていたものを貸すことにしたのだ。

 アリシアのドレスは、深みのある紫。これもまた、すみれを想起させる色だ。

 ルーカスはポケットチーフに淡い紫色を。ハルトは紫水晶のカフスをつけている。全身にすみれ色を纏うのではなく、ポイントに使っているあたりが粋だ、さすがお茶会慣れしている人はお洒落だなぁとアリシアは思ったのだ。


 主催とは、客に楽しんでもらうよう気を配らなければいけない、と言いすぎただろうか、とアリシアはほんのちょっとだけ反省した。

「ハルト様の言葉に甘えさせていただいたら?」

 アリシアの言葉にほっとしたのか、マリーはぱあっと笑顔を閃かせた。


 そっとつまみあげたのは、ハルトが勧めた、すみれの砂糖漬けが乗った生チョコレートだっ。


「ん~~~!」


 両方の頬を押さえて小さく震えているマリーは、令嬢だとか、お茶会だとか、品格などすっ飛ばして、ただただ、可愛らしく、とても少女らしい表情をしている。


「美味しい?」

 ハルト問われたが、まだ口の中にチョコレートが残っているのか、マリーはこくこくと頷くばかりである。ハルトは、そんなマリーの様子にご満悦のようだった。


 アリシアは、ちらりとルーカスに視線をやる。

 ルーカスは柔らかく微笑んでいた。

 マリーとハルトは何度も手紙を交わしていたが、直接であったことはなかったらしい。マリーは辺境の領地にいたのだから、王都にいるハルトと出会う機会がなかったというのは、仕方のないことだ。

 マリーは、文通相手に会いたくて、王都へ来たと話していた。何度も兄に訴えたが、会わせてもらえないと愚痴っていた。その理由も今ならばわかる。相手が王族なのだから、ただのお茶会だとしても、どうしても正式な面会や会席になってしまう。しかし、まだ婚約者が居ない第三王子に正式な面会を求めた場合、一気にマリーが『婚約者候補』に祭り上げられてしまう可能性が高い。しかも王宮で出会いを準備した場合、王宮で働く者にはあっという間に知れ渡ってしまうだろう。となると、本人の意志とは関係なく、まわりはその縁を自分の利にすべく、勝手に踊り始めてしまう。簡単に予想がついてしまうから、ハルトとマリーの出会いは慎重にタイミングを図っていたのではないか、とアリシアは考えた。

 そこへたまたま、アリシアが、マリーのお茶会の作法の勉強の応用として、身内だけのお茶会を開催したい、と誘いをかけたのだ。

 それに便乗して、ルーカスはハルトとマリーを出会わせることにした。

 ルーカスは、何も嘘はついていない。マリーと仲良くしたいという自分の友人をひとり同行させたいが良いだろうか、と尋ねただけだ。事実、ハルトがマリーと会いたいと思っていたのならば、それは嘘にはならない。ルーカスとハルトが『友人』なのかどうか、というところが引っかかるものの、二人の様子からは、先輩と後輩のような空気を感じる。そういえばルーカスは、王太子の側近ではなかっただろうか。ということは、ただの顔見知り以上の関係だとしてもおかしくはない。

 これらはただの推測ではあるけれども、大きくは間違ってないはずだ、とアリシアは考えていた。


 次々に運ばれてくる菓子のなかに、クッキーがあった。

「ハルト様、こちらはいかがですか? マリーが作ったのですよ」


 アリシアの勧めにハルトが目を輝かせる。


「作ったけど! でも、最初から最後まで全部じゃないの。作り方は料理長さんに教えてもらって……」


 慌てて言い訳をするマリーが可愛らしい。もともと嘘をつくのが下手なのだろう、とアリシアは思った。気の置けない顔ぶれでのお茶会だから許されるが、これから先、貴族的な意味で『取り繕うこと』を覚えねばならない。頭の良いマリーのことだから上手くやれるだろうが、こんなに可愛いマリーが貴族的に表情を消してしまうのは惜しい気がしてしまう。表情の隠し方や立ち回りをうまく使い分けることを教えなければ、とアリシアは密かに思った。


「オーブンの癖があって、焼きむらがあってはいけないからと、焼くのはうちの料理長にやってもらったんです。でも、マリーはそれ以外は全部やったのよね。いちばん大事なお仕事もしたでしょう? 焼き上がったクッキーを一番最初に毒見するという、大事なお仕事を」

「!! アリシア姉さまのいじわる。姉さまだって一緒に味見したわ!」


 口を尖らせたマリーに、思わず微笑んでしまう。


「ねえ、ルーカス。マリーは君の妹だよね?」

「年は離れていますが、私の妹ですよ」

「どうしてだろうなぁ。なんだか、アリシア嬢とマリーのほうが姉妹っぽい気がするんだけど」


 ハルトの言葉に、ルーカスは苦々しく笑っている。


「ルーカス様、お気を悪くされたのならば申し訳ありません」

「姉さまは悪くないのよ、兄様!」


 そんなところも姉妹っぽいんだよなぁ、とハルトは笑っている。


「そういう意味ではありません。私ではこのような事はできなかったな、と思っただけです。たまたまハインツ子爵夫人に出会った時に、マリーがこちらへ来ている事や、私が仕事の時、マリーが屋敷に一人になってしまうのでどうしたらいいか相談させてもらったのです。ハインツ邸はいつでも誰かしら居るから、マリーの気が向いたら遊びに越させてもかまわないと言っていただけたので、お言葉に甘えていたのですが。ハインツ子爵夫人にも、アリシア嬢にも良くしてもらって。兄としての立場が危うくなってしまいました」

「あら。それは困るわ。兄様は私の兄様よ。そこは胸を張っていただかないと」


 ルーカスはマリーの言葉に自信を取り戻したようだった。

 それに、アリシアにはちゃんとわかっているのだ。今日のお茶会のために、マリーがどれだけ心を割いていたか。兄に楽しんでもらうためにはどうすればいいかを考えていたか。

 最終的には『マリーの兄様は、マリーが大好きなはずだから、マリーが心を込めて準備したらそれだけで喜んでくれるはず』と言った。どうやらそれは間違いではなかったようで、アリシアも胸を撫で下ろした。


「そういえば……思い出した」

「どうかされましたか、ルーカス様」


 問題があっただろうか、と、アリシアはルーカスに顔を向ける。

 ルーカスは手元のクッキーに視線を落としていた。


「花の型抜きのが好きなのは、昔も今も変わらないんだな、と思って。花の中心に、さくらんぼのシロップ漬けの欠片やジャムが乗せてある、これはマリーが作ったものだろう?」

「えっ?」


 マリーが目を丸くしてルーカスを見つめている。

 確かにそれは、クッキーの型抜きをしている時に、マリーがこんなふうにしたいと言い出して作ったものだった。


「学生の頃、長期休暇の時にマリーが作ってくれたクッキーが、こんな感じだった」

「そうか、ルーカスはマリーの手作りクッキーを食べたことがあるのか。兄妹なんだから当然か」

「年が少し離れていますからね。一緒に遊んだというような記憶はあまりないのですが。タルトを焼いたからお茶にしませんか、って、恐る恐る訪ねて来たりしていましたね」

「焼き立てのタルト! それは羨ましいな。ねえ、ルーカス。マリーの小さな頃の話を聞かせてほしいな」

「生まれたてのふにゃふにゃした頃の話がよろしいか? それとも、小さくて上の兄様の視界に入らなくて、無視されたと泣いたのを兄弟二人がかりで謝ってなだめた話がよろしいですか?」

「そういう恥ずかしい話はだめ!」


 マリーが頬を膨らませたので、ルーカスはそこで話を止めた。

 兄でないと知らない可愛いマリーの話は、アリシアももう少し詳しく聞きたかったが、ここでマリーの機嫌を損ねるわけにはいかない。しかし、いつか機会があれば教えてもらおう、と密かに心に決めた。

 アリシアだって、マリーのことが大好きになってしまったのだから。マリーの話はいくらでも聞きたいのは、仕方ない。


 ハルトの形の良い指先が、マリーが作ったクッキーを取り、口に運んだ。

「うん。美味しい」

「ありがとうございます」


 マリーは嬉しそうに微笑む。


「マリーは来年、王都学院に入る予定だよね。ルーカスも居るし、タウンハウスから通う予定なのかな?」

「はい。その予定です」

「ということは、入学試験もあるし、しばらくは王都に滞在することになるよね。ねえ、マリー。次はタルトを食べてみたい、って言ってもいい?」


 ハルトの言葉に、マリーは笑顔を閃かせた。


「えっと……」


 マリーはアリシアとルーカスの表情を交互に伺った。何しろ今回は、アリシアの屋敷で、アリシアの屋敷の使用人に教わりながらお茶会の準備をしたのだ。次の機会をアリシアが手伝っても良いのか、カレンブルグの王都のタウンハウスで行うのか。その時にタルトが出せるのか。アリシアには答えようがない。


 ルーカスがほんの少し困った顔で、助けを求めるようにアリシアに視線を送った。

 どうやら、次の機会があれば、アリシアが手助けしても良さそうだ。

 頷いて返したアリシアを見て、マリーはほっとしたように笑った。


「練習しておきます。アリシア姉さまに教えてもら……って、良いのよね?」

「ええ。そのためには私もタルトを作る練習しておかないと」


 姉妹のように微笑みを交わす二人には気づかなかったが。

 ハルトはルーカスを見て、何やら思惑ありげに微笑んでいて、ルーカスはそれを苦笑で受けとめていた。


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