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恋愛脳プリンセスが茶をシバいて悪もシバく話

「ハリー公子はわたくしのことが好きだと思うの」


 お砂糖どっさりハチミツたっぷりで元の味が何も分からないほど甘い紅茶を飲みながら、王女スザンナは何てことない顔で言った。

 彼女のティータイムという名の拷問に連日招待されている麗しい客人──もとい護衛騎士の一人であるフィンは、握り潰す勢いで絞ったレモンと共にゲロ甘紅茶を腹へ流し込みつつ、「はい?」と死にそうな声で相槌を打つ。


「この前出席したパーティーでね、ハリー公子にダンスに誘われたの。きっと彼、わたくしのこと好きなんだわ」

「公爵家の御子息ですし、王女殿下にダンスを申し込むのは当然の礼儀では」

「嫌だわフィン。わたくしが殿方に人気だからって妬いてるの? ふふ、これが世に言う三角関係というやつかしら。困ったわね」

「俺も困ってますね。話が通じなくて」


 結局スザンナは護衛騎士の無礼な物言いを悋気ゆえと見なし笑った。いつもの流れなのでフィンも適当に流しておく。


「それでねフィン。この紅茶はお近付きの印にと、ハリー公子から頂いたものなの」

「そうだったんですか」


 へえ、とフィンはティーカップを見詰める。レモンによって水色の薄くなった自分の紅茶と、ハチミツによって黒ずんだスザンナのものを見比べる。

 どちらもイかれた味しかしないので、フィンには茶葉の産地など見当もつかなかった。


「どこの茶葉ですか?」

「南部で摘まれたものと伺ったわ」


 曰く、王国南部に広がる雄大な山脈の、非常に標高の高いところで栽培されている高価なものらしい。

 そんな高位貴族御用達の紅茶を──何とも冒涜的な飲み方で楽しむスザンナに、フィンは物言いたげな目を向けてしまう。

 しかし、やはりスザンナは構うことなく話を続けた。


「少し前に、公爵が茶園のオーナーになったそうなのよ。経営難を助ける形でね」

「ああ……。……え、厳しかったんですか? 高価なお茶ですし、貴族が定期購入してそうな印象ですけど」

「ええ。よんどころない事情があったのよ。おかわりはいかが?」

「いえ結構です」


 やっと空にしたティーカップにまた紅茶を注がれてはたまらない。フィンはおかわりを注ごうとする王女の動きを速やかに制止した。

 特に残念がる素振りも見せずに、スザンナは暖かな日差しが降り注ぐテラスの外──美しい薔薇園へと視線を遣る。


「ハリー公子にね、この茶葉は他のご令嬢にも差し上げたのかと聞いてみたの。そしたら『いえ、殿下のために特別にブレンドしたものです』と頬を赤らめてね? それはそれは可愛らしかったわ」

「はあ」

「幼い頃のおまえには敵わないけれどね」

「今年で二十三の公子と五歳の少年を同列に並べるのは如何なものかと」

「可愛かったのは否定しないの?」

「しませんよ俺ガキの頃は可愛かったんで」


 真顔で堂々と答えたフィンに、スザンナはくすくすと鈴を転がすように笑った。


「なら、おまえの時間が巻き戻るように流れ星にでも願おうかしら」

「殿下を守れなくなるので止めてください」

「まあ、真面目なこと。おまえのそういうところはきっと神父様譲りね」


 フィンが孤児だった頃の育て親は、確かに真面目な人だった。彼はいくらフィンの口や態度や足癖が悪かろうが、人としての道理に背かない限り、頭ごなしに叱ることはしなかった。

 無論、孤児院への慰問に来た幼い王女に「このチビ誰?」と失言してしまったときは、さすがに後頭部を引っ叩かれたものだが。


「そろそろ孤児院のバザーが開かれる時期ね。おまえも手伝いに行くのでしょう?」


 フィンが神父のことを思い出していると、それを見透かしたようにスザンナがやわらかな声音で言う。


「半日だけ休暇を頂く予定です」

「あら、子爵夫人が残念がるわ。夕食もご一緒してきなさい」

「義母上ですか。……そうですね。近頃お会いできてませんでした」

「ね? 大丈夫よ、おまえの仕事は今日で一区切り付くのだから」

「はい? 何ですか? クビですか?」


 ガタッと立ち上がってしまったフィンを一瞥し、スザンナはやれやれと白々しく肩をすくめた。


「一区切りと言ったでしょう? ──フィン」


 声のトーンが変わる。

 フィンは息を呑む間もなく姿勢を伸ばし、その場に直立した。

 冷めた紅茶を覗き込んだ紫陽花の瞳が、ゆっくりと彼を射抜く。


「茶園の元オーナーを呼んで尋ねたの。経営は順調に見えたが何かあったのかと」




 元オーナーは困った顔で頭を掻いた。


『ここ一年ほど、茶園で育てているものとよく似た茶が……とても安い値段で巷に出回っていたんです。実際に買ってみましたが、香りは薄くとも味はウチのとそっくりでして。しかも貴族御用達なんて煽り文句まで……!』

『あら。もしやそれで売上を取られてしまったの?』

『ええ。お客様の中にも味が同じならと、段々と安いものを選ぶ方が増えてしまいまして。ああいや! 王家の方々は変わらずご贔屓にしてくださってありがたい限りだったんですが』

『いくら王家が客と言えども、全体の売上が下がってしまえば厳しいものね』

『はい……。我々も一応、価格調整を行ったり、例の紅茶の品質があまり良くないことを説明してみたのですが……』


 彼の説明は「本来なら安く売れるものを高く売りつけるための詭弁」と批難され、値切りを要求されてしまうことさえあったらしい。

 以降もオーナーが売上を回復することができずにいると、顧客の一人である公爵が助け舟を出してくれたそうだ。

 公爵は多額の資金援助を行った上で、商業ギルドの方で安価な茶葉についての調査を依頼し、件の品を売り歩いていた商人を捕まえたとか。


『そいつ、労働者に扮して私の茶園から苗木をいくつか盗んだようで。それをどこぞで育てては安価で売り捌いていたそうなんです』


 元オーナーは憤慨した様子で語った後、ほっとした笑顔を浮かべる。


『巷に出回った偽の茶葉は、公爵様が回収してくださいました。私はオーナーを降りましたが、茶園のノウハウを教えてほしいとのことで、今も公爵様の元でお手伝いを──』




 スザンナは手元にあるティーカップの縁に、細い指先を滑らせた。


「例の紅茶はね、香りが殆どしないそうなの。ちょうどこのお茶みたいにね」


 フィンは神妙な顔で思った。味も香りも何も分かりませんでしたと。


「知ってるかしら、フィン。茶の樹はよく日に当てないといけないのですって。昼の暖かな日差しと夜の冷気が、瑞々しい果実のように華やかな香りを生み出すのよ」


 夜間、急激に冷え込むことで生じた霧が茶葉を湿らせ、強い日差しがそれを乾かして──この寒暖差の繰り返しが、とても香り高く味わい深い紅茶が作られる大きな要因だという。


「……高地にあるあの茶園だからこその品質、ってことですか?」

「そうね。苗木を()()()()商人は、そんなことも知らずに言われるがまま育てるしかなかった」


 そして、とスザンナは口角を上げる。



「──哀れな商人は、()()()()()()()()()()()に捕らえられてしまったの。とんだ茶番よね」



 お茶だけに──とでも言おうとしたのか、スザンナは妙な間を置きつつ呼び鈴を鳴らした。

 するとすぐさま侍女がテラスへやって来て、何やら耳打ちをする。


「そう、終わったのね。ご苦労さま」


 足音一つ鳴らさずに立ち去る侍女を見送り、スザンナは小首をかしげた。


「フィン、わたくしがここ数日ずっとおまえを侍らせて自室でゴロゴロしていたのは、別に公務が面倒臭くてサボっていたわけではないのよ」

「え! 違ったんですか!?」


 心底驚いてしまったフィンに、そこでようやくスザンナの表情が年相応のものになる。むすっと唇を尖らせたスザンナは、もったいぶる必要はなくなったとばかりに口を切った。


「わたくしは今、表向きは毒に倒れたということになっているの。ハリー公子から贈られた紅茶を飲んだ直後にね」

「え? 聞いてないんですけど」

「言ってないもの。でも何も言わずに面会謝絶なんてしたら、おまえはわたくしのことを心配して寝室の扉を破壊しかねないじゃない」

「まあ、はい」

「それに──例え演技であっても、わたくしが血を吐いて倒れる姿を見たら、おまえはハリー公子をその場で斬り殺していたのではなくって?」


 フィンは沈黙する。

 そして、「まあ、はい」と同じ返答を繰り返した。


「……そんな演技したんですか?」

「三日前にね」

「本当に血を?」

「血糊に決まっているじゃない」


 スザンナはちらりと彼を見上げると、安心させるように微笑む。


「不幸の末、公爵家に茶園を明け渡すことになった元オーナーが、逆恨みで王女への献上品に毒を仕込んだ──。これがハリー公子の言い分よ」

「……公子、殿下のこと全然好きじゃないのでは?」

「あらそう? 七面倒な仕込みをして逃げ道も作っておいて、わたくしに毒入りのお茶を持ってきたのよ? レディに会うための準備期間としては十分すぎるわ」

「は? 俺も殿下にご挨拶へ向かうときは日が昇る前から身だしなみを整えてますが?」

「もう少しゆっくり寝ていいのよフィン」


 護衛騎士が無駄な早起きをしていると知ったスザンナは労るように声を掛けつつ、おもむろに立ち上がって軽く伸びをした。


「公爵が言い逃れできないように、茶葉を売った商人を早めに保護しておいたの。可哀想に、公爵邸の地下牢で震えていたそうよ」

「まだ殺されてなかったんですね」

「ええ、運が良かったとしか言えないけれど。それから、苗木を盗んでこいと脅された労働者も見付けたわ。彼も罪が露見するのを恐れて、遠くに逃げていたようね」


 毒殺未遂の容疑者に仕立て上げられてしまった茶園の元オーナーに関しても、スザンナの指示で既に身柄を保護してある。

 つまるところ、一連の出来事は全て公爵家による自作自演(マッチポンプ)であり──スザンナ王女、ひいては王権を狙った犯行だったとフィンは理解した。

 そして、彼の主人であるスザンナはその企みを見抜き、今こうして優雅に茶を啜りながら全てが終わるのを待っていたというわけだ。


「……王妃陛下の仇討ちですか?」


 フィンが静かに問えば、王女の頤が少しばかり下がる。


「そうね」


 スザンナの母である王妃は、十五年前に馬車の横転事故で亡くなったとされている。

 しかし調査の末、王妃の乗った馬車の車輪が外れやすくなっていたことが明らかとなり、前代未聞の殺人事件と騒がれた。


 そしてその容疑者として挙がったのが、事件当日に王妃をティーパーティーに招待した公爵家だった。


 帰り際に馬車の細工をしたのではないかと、国王を始め多くの貴族たちが指摘したが、残念ながら確固たる証拠は見つからず──真相は闇の中に消えてしまった。


「前回より少し粗が目立ったわね。公爵も歳を取ったということかしら」


 スザンナはフィンの方を振り向くことなく、芝居がかった仕草でかぶりを振った。

 その細い肩をじっと見詰め、フィンは抑揚のない声で続ける。


「……。公爵の身内を王妃に据えるため、十五年前は恐れ多くも王妃陛下を害したんでしょうが……今回は何故、殿下を?」


 ゆるやかに波打つ象牙色の長い髪が、ふわりと揺れた。


「仕込まれた毒は、即座に人を殺せるようなものではなかったわ。ただ、後遺症で目や耳に異常を来す可能性が高いそうよ。……大方、その後遺症を公爵家が治療して、わたくしとハリー公子の結婚を取り付けようとしたのではないかしら」


 後遺症を完治できようができまいが、「苦しむ王女のために奔走した公子」と周囲に印象づけること。女王となるスザンナの婿には、ハリーが相応しいと知らしめること──それが公爵の狙いだろう。

 実際、毒に倒れたフリをしたスザンナに、公子はひどく狼狽して見せたという。


「『殿下、殿下! そんな、一体誰がこんなことを、まさか僕が渡した紅茶に毒が……!?』って、あまりの役者っぷりに焦ってわたくしすぐに苦しむフリをやめて気絶したわ」


 毒殺現場で壮絶な演技バトルが繰り広げられ、スザンナがあっさり敗北していたことはさておき。

 ハリー公子が公衆の面前でも白々しいほどにスザンナへの好意を露わにしていたのは、その後の毒殺未遂に備えて警戒心を緩めようとしていたのだろう。


「舐められたものね。お母様を殺した男の息子なんて、愛するわけがないでしょうに」


 フィンの喉元まで出かかった言葉は、スザンナの口から忌々しげに吐き出された。

 今の今まで、穏やかな笑顔で覆い隠していた憎悪が、じわりと滲みだした瞬間だった。しかし、彼女はそのおどろおどろしい感情を垂れ流しにすることはなく、ふとため息をついてフィンを振り返る。


「……さ、フィン。醜い罪人の最期を見に行かなくちゃね。エスコートしてくれる?」


 おもむろに差し出されたほっそりとした手を、フィンは当然のように掬い上げ、唇を寄せた。そうして彼女の要望通りにしようとしたなら、「あ」とわざとらしい声が上がる。

 何かと顔を上げてみれば、スザンナが悪戯めいた笑顔でこちらを見ていた。


「わたくし、公爵のシナリオ自体は良いなと思ったのよ」

「何ですか急に?」

「毒に倒れた姫を献身的に支えた殿方が、愛を得て王配になるというロマンチックなお話のことよ。──ねぇフィン、毒に苦しむわたくしの傍にいてくれたのは誰だったかしら」


 フィンはあらゆる動きを停止させたまま、ここ数日の記憶を振り返る。一歩も外に出ようとしない王女の部屋を守り続け、たびたびゲロ甘紅茶を振舞われ、誰々がわたくしを好きだと思うだの何だのと恋バナに付き合わされていたのは、他でもない。


「俺ですね。……え、俺ですか?」

「そうよフィン。おまえがわたくしの夫になるの」


 ぽかんとするフィンの頬に軽いキスを贈り、スザンナはにこりと微笑んだ。


「……俺、元は孤児ですよ」

「今はわたくしの騎士で、子爵家の養子じゃない」

「俺の同僚も子爵家の次男です」

「ふふ、慌てているの? 珍しいわね」

「いや慌てますよ。殿下の御身を守るために騎士になったのは事実ですが、それはあくまで騎士としてです。俺を王配にしたところで何の利が──」

「あら! 何を言うの、おまえじゃないとダメよ」


 何故。フィンが言外に問えば、その王女は幼い頃に見たものと同じ、屈託のない笑みで告げる。


「おまえ、わたくしのこと大好きでしょう? フィン」


 当然のことを確かめるような問いかけに、フィンが否定を口にすることはなかった。



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