第四章 『哈府・膠着』
第四章 『哈府・膠着』
ウスリータイガの林の中で、松の幹をそれぞれ盾にして隠れ、帝国CSN駐留軍の兵たちは待っていた。
左に広い湿地帯が開け、その向こうには黒竜江の巨大な流れが皮肉な静けさを湛えている。
帝国海の東の入り口に面した要衝・浦塩の北東、沿海山脈に発し、烏蘇里川は広い湿地帯を伴いながら北へ流れている。この哈府の手前で大きな本流と合わさり、黒竜江となって川幅を百メートルにまで広げ、哈府の市街を横目にさらに遥か北の御子突海へと注ぐ。その本流は、だだっ広い原野を満蹴国国境に沿うように流れ、西比利亜鉄道も何度か接近する。当然、帝国軍は同時に作戦行動を起こしていて、補給線を途絶させる制圧成功の報は北部方面軍から入っていた。敵は持久戦も苦しい状況のはずだった。
しかし、帝国の兵士たちは針葉樹林に潜み待っていた。この季節で湿地帯で、頬を撫でる風がときどき生温くなるが、ムッとした感情が掻き立てられることが緊張感を維持してくれる。各人員に付いた同輩のAIロボットもそれぞれの位置で待機。
「せーのっ!!」で進撃開始。それをロボットに言わせるのは千分の一秒の正確さのためでなく、混成された部隊間の連係のためである。
CSN軍は3・2・1・ゼロで行動開始を慣例としている。MCUは3・2・1が通例で、戦場の切迫した雰囲気のなか咄嗟に出てしまった場合、その差異は致命的にもなりうる。MCUに従軍する蒙古志願兵たちはそれらに捕らわれない遊軍的な小隊も多く、ロボットたちは彼らにも随身するので、ネットワークでメカニカルに号令させることにしたのだった。
CSN合併から早二十七年。CSN製の高性能なICチップの導入と並行して、帝国のAIシステムが各軍で標準化された。MCUでの普及も、その独立宣言が発せられた五年前から急ピッチで進められている。黒衣システムへの統合はすべての部隊で義務付けられていたが、現場の判断はまた別である。
都市攻略の前哨戦は、とにかく主力の帝国陸軍からの号令を待つしかない。
満蹴国国境、黒竜江に沿って設営されていた敵陣地は緒戦で壊滅させた。いわゆる竜頭要塞である。哈府の前面、合流地点より遡った本流に架かる橋を起点として点在し、湿地帯ゆえ地下通路もトーチカも備えられておらず、各個撃破された。橋や都市、民間施設を攻撃しないのは帝国の作戦方針で、MCUとCSNでもそれは徹底されている。しかし、黒竜江の水利を使っての援軍も出さないまま、為す術もなく破壊されたことに皆が嫌な予感を持った。そしてそれはすぐに的中した。
哈府に迫ると、その異様な物体が聳え立っていた。いな、川面にうずくまっていた。
黒い半球の巨大な物体だった。建造物なのは間違いないだろうが、ただそこにあるだけで、攻撃の手段たる兵装がまったく見えない。表面が何やらうごめいて黒く見えるのは、黒い水が流れ続けているからのようだ。だが、その仕組みも意味も分からない。
後ろの哈府の市街を守る壁なのか? しかし、丸い。小山のように盛り上がっている。それも川の上で移動もせず。
兵士の誰かが「こんなアイスが帝国にあったな、チョコがかかってる8個入りの」と言った。「いや、あれは6個入りだ」という反論も出たが、どうでもよかった。
竜頭要塞を攻略したMCU軍の蒙古部隊が、ここでも先陣を志願した。烏蘇里川東側、哈府の前面に集結した帝国軍本隊、陸軍第一〇一師団・歩兵第二大隊は、占領のための歩兵が中心だった。兵力温存が優先される。つまり、謎の敵兵器に対応するのは、河川地域に展開したCSNとMCUの両軍だ。それでも緒戦の勝利に士気は高かった。
鉄騎兵つまり二輪部隊が、中世に世界帝国を築いた往時を彷彿とさせ縦横に走り回る。駆るのは、ロボットの両手両足にドローンユニットを取り付け、二個を一つに合わせて車輪として駆動させるMCU軍独自のギミックのロボット……彼らは誇りを込めて<鉄馬>と呼んでいた。それらを駆る兵士は黒ずくめのプロテクターに身を固め、どちらがロボットなのか、まさに人馬一体。
青草が不揃いにはびこる湿原は、苔や羊歯が水分を含んで堆積し、この緯度の冬でも凍結することのない柔らかな土壌だ。車輪が四駆仕様に可変で、短距離の飛行も可能な<鉄馬>は、そんな泥濘の上も軽快に駆け巡る。
一撃を加え、離脱。それを各自の判断で自由にやられるのだから、砲台にとどまり守るだけだとしても砲火を集中できない。特にAIには苦手な処理となる。組織的でもなく、段階的な狙いも定まらず、どれもが囮でどれもが主力でもありうる。要塞から出て迎撃してきたドローンは、部隊での運用ができないまま、分散した個体からだんだんに落とされていく。そうしているうちにも接近した鉄騎兵が要塞の砲をちまちまと、しかし確実につぶしていく。徐々に戦力を削られ続け、さらに後続の軍の砲撃が加わるとさしもの分厚いコンクリートの防御壁も崩され陣地は落ちる。パターンではなく、変幻自在の戦術で、竜の足跡のように立ち並んだ要塞群を数日で落としていった。そして、哈府の手前でそれに直面したのだ。
同じように、彼らは攻略を開始した。湿原を疾駆し、ある者は蛇行し、ある者は大きく迂回し、迫るようで逃げ、逃げるようで距離を保つ、そんな撹乱に、しかし敵は反応しない。携帯式の対戦車擲弾筒を片手で打てるように小型化した、彼らの<鉄槍>が放たれ、白い煙を吐いて黒い物体に次々に着弾する。
だが、棒状の発射体はその黒い表面に達すると半ば埋もれたように刺さったまま起爆もしない。刺さった部分が押し返されたように全体を表すと、棘が抜けるように倒れ、そのままずるずると下へ流れ落ちてくる。不発?すべてが? 水に火薬が濡れて?いや時代が違う、火縄銃か。撃発式信管が作動しないのは、目標物に到達した際の衝撃が軽減されているのだろう。しかし、水が流れているだけで、そんなことが可能なのか。砲弾のスピードを考えれば、何十メートルの高さから水面に落下し衝突するのと変わらない力が加わるはずだ。
MCUの鉄騎兵たちは接近を開始した。巨大な建造部だ。そして迎撃の砲火は今もない。侵入を試みるのは次善の策としては適当であろう。
巨大な半球に近づいてみると、水面と接する部分でも透明な流れがわずかに波紋を広げている。黒いのは物体の壁で、その表面を覆うように水が流れているのかと思うと、明らかに黒い液体の揺らめきが見える。黒く光りもしないが、澱みが反射を乱すこともない、何かが混ざっている様子もないただ真っ黒な液体。しかし、流れ落ちたらただの水。それが砲撃を無効化するとはどういうことなのか。
石切りのように川面を渡り物体の裏手に回り込もうとした数騎も、車輪をプロペラにして複数の方向で上空へ飛んだ数騎も、なす術もなく戻ってきた。物体表面には何の変化もないことが伝達された。
「後方、支援砲撃です。すぐ来ます!!」イヤホンに指令が飛び、あるいはロボットが伝える。
鉄騎兵たちが車輪を滑らせて素早く方向転換し、一時的に退避する。森の中の兵たちは木を背にして小銃を抱え込むようにして座り、着弾の衝撃に備える。初弾命中のあと、タイガに潜んでいた兵たちは電撃的に展開する。ロボットたちは朋輩の盾となって先行する。
後方、野戦砲はロボットたちが移動させ設置した。野原に屹立した二四〇口径の砲に重量八〇キロを越える砲弾を装填し、準備を整える。発射の操作を行う兵たちがすぐに取り掛かり砲撃を開始した。今度は迫撃砲の徹甲弾である。物理的に巨大な重量をぶつけ、しかも貫通力のある打撃を与える。
しかし、黒い物体にはダメージを与えられないようだった。砲弾が命中しても、その表面に黒い水しぶきが上がるのでもなく、波紋すら起こせていない。やはり、紡錘形の砲弾の尖ったあたりまで突き刺さり、そこで止められお尻が出ている。やがて、押し戻されるようにせり出され、大きな木の実のような銀色の物体がずり落ちて流されていく。
「あんな映画がありましたね。月旅行に大砲で飛んで行く話。月が丸い顔になってて砲弾が刺さって痛そうに顔をしかめて……」
こんな時にも連想されるトピックを遠慮なく語り、対話を持ちかけてくる。確かに自分もその映画史の最初期の仏西国映画がちょっと頭をよぎった。だが、戦闘中に……と帝国CSN駐留軍・歩兵第九中隊所属・小峰軍曹は呆れて首を左右に振った。細い目が一層細くなりロボットを見る。帝国のAIを導入したロボットたちは妙に文化的になるなどと考えている。長幼の序にうるさい儒教の影響が残るCSNでは、ロボットが人間に話しかけることなどなかったのだ。人間たちにしても軍隊ではCSN方言を使わない規律がある。学校の頃からそうで、小峰は部下たちとも常に帝国の言語で会話していた。彼は彼でそんなことに思いを巡らすのは、全軍が呆然と立ち尽くし、川の向こうのあの物体を眺めているからだった。基礎すら分からない存在。やるかやられるかから超越しているような巨大な存在。あちこちの部隊も算を乱し、ロボットだけが等間隔に付いている。ひとり、小峰は進み出て右腕を斜め下に振り下ろす。基本姿勢の注意である。小隊長の機敏な挙措は、部下だけでなく全軍に指示を走らせた。
「もう一度行くそうです。蒙古の鉄騎兵です」デリラが言う。小峰のイヤホンセットにも師団司令部から戦況は刻々と入っている。
砲撃は中断された。なんとなく草地に散開してしまっていた兵士たちは、膝をついてしゃがみロボットの陰に隠れる基本姿勢になり再び待機。
「デリラ、前に出られるか?」小峰は訊いた。ロボットに女性名を付けるのはCSNの習慣だった。
「あの物体からの迎撃はこれまで確認されていません。何体かのロボットは出てきましたが、各個撃破されただけでどのような狙いか分かりません。防御に徹した作戦のようでも不可解さは残ります」
「行ってみよう。MCUの鉄騎兵はしぶといだろう。こっちが動く時間ぐらいあるはずだ」
「何を目標にどう動きますか? 小隊二〇名に指示をしておきますか?」デリラは予測を蓋然的にでも把握したい。ふたりはもう一度タイガのなかに戻りながら、
「このまま烏蘇里右岸を行けば哈府の市街が目の前だ。向こうにはこっちの本隊がいる。小隊が交戦すれば総員での市街戦に移行してしまう。左岸を攻略してきたMCUさえあの黒いのには打つ手なしのようだ。それなのに中州を進むのは論外だろう。あの黒いのが謎のまま俺たちも正面から行っても無意味だ。ここは潜るしかないだろう。斥候だから単独だ」
「烏蘇里川の水中を進む……機雷の敷設と水中ドローンの有無、以上が危惧されます」
「そうだな……。ドローンはまだこちらが出してない。名にし負う帝国のカミカゼドローン<ゼロ>や<カイテン>を恐れてないわけがない。警戒よりも防備に使うんじゃないか。ロボットも数体しか出してないし。それと機雷だが、無理だろうな、下流に哈府がある、あの黒いのが何か流れをコントロールしてるとしても離れていく物にまでそれが及ぶか?」
デリラは「機雷は待ち伏せるものですし、爆発物を物理的にネットするわけありませんね。それでも危険性は高いでしょう。あの黒い半球がどのようにして水を操っているのか、それに液体はただの水なのか、分かっていません。よって何が来るか予測が立ちません。これまで攻撃がなかったとしても……半々ですね」と、不安を表情に出した。
「オッケー、五十パーセントなら行こう。あいつが半球なのか球体なのか見てみよう。半球ならひっくり返してやろう、球体なら……とにかく行こう」
小峰軍曹たちは先ほど隠れていたよりもかなり後方に戻り、木のそばでしゃがんだ。松の木に小銃を立てかけ、デリラの背中の武器庫から水中用の装備を取り出す。マウスピース型の呼吸器、潜水ゴーグルは水を満たしてないとARディスプレイの映像が歪むので、これもまだ付けない。ウエットスーツ代わりのアンダーウエアになり、銃も換える。推進装置付きの弾丸が装填された大型の水中銃を腿にベルクロテープで留める。
デリラも友軍の視認のために付けていたヘルメットを脱ぎ捨てる。帝国の軍用ロボットは支給された先での改造を許されているので、CSNでは最新のICチップをいち早く採用し、作戦立案に優れた機体を構成していた。もちろん各隊でそれぞれの兵士の意向により機能の取捨選択はある。小峰小隊では帝国の公用語でされる対話に関しても特に解除はされていなかった。
標準装備のニューロンケーブルは黒衣システムのネットワークの根幹で、すべてのロボットの右手の平にコネクターのハッチがあり、さらにそれは緊急離脱装置も兼ねている。プロペラがケーブルを回転軸に縦に二つ並ぶ構造で帝国での名称はタケコプターだ。速度は出ないが飛行し人間一人を伴って脱出や救助が可能だ。人工皮膚も含めバイオ素材はすべて帝国製だった。しかし、皮膚素材は民生用のほうが品質が良いので、そこも改造が可能で、小峰小隊はデフォルトで緑の迷彩だった。それは湿地帯にも適していた。
まだ鉄騎兵は攻撃箇所を一点集中で攻めたり、湿地の水際ぎりぎりに挑発するように並んで停まってズブズブと車体が沈むに任せたり、あの手この手を尽くしている。
そんな騒ぎをよそに、タイガのずっと奥でまずデリラが身をかがめ川岸に接近した。浅瀬では腹這いのようになって草の丈が高いところを静かに進む。デリラが小さく手を挙げ、拳を握り親指を立てた。すぐに小峰も続いて水辺に身を隠す。岸から数メートルで川は急に深くなる。視界は悪いが潜水して川底の岩にしがみつくようにして両手両足で這って進む。
ゴーグルに表示される位置情報が本流との合流地点を示した。しかし、水中には何もない。黒い大きな影が上方でたゆたっている。
データを収集しているであろうデリラを見ても、ゆっくりと首を振るだけ。この付近に変調はない。つまり、ただの水であの防御力を実現している?
真下まで行って攻撃してみるか、しかし、ここからも黒く見えているということは水中銃の威力でどうにかなるのか。
考えに沈む小峰軍曹の前に、遮るようにデリラが腕を伸ばした。ロボットが前に出ようとするときは敵襲だ。
ゆらゆらと不明な影が川底を近づいてくる。三本足で流れに逆らい、二本の腕も岩をつかんで体勢を維持している。蟹? 魯西那の主要な海産物の輸出品だけど、こんなとこでまで?
デリラが親指を立てて上昇の合図をする。ここで迎え撃つと2対1だが、今の目的は偵察で前提が違う。それに魯西那ではガンタンク型以外を見たことがない。新しい型のロボットだ。地上に出れば、あれが使える。
デリラの腕につかまるとタケコプターが起動しながら排出され、抵抗のないよう体を伸ばしながら中州の方向へ進む。振り向くと敵ロボは変わらず確実に移動する方法を取っている。
地上へ出るや否や、小峰軍曹はゴーグルの水を抜き水中銃と共にデリラに渡し、イヤホンユニットからまず本部に黒衣システム発動を要請、そして小隊集合を命じる。ぬかるみに足を取られながら、まだ水分の少ない内陸部を戦場とするために州の内側へ二本の川の中間のラインを走る。蒙古の鉄騎兵が早速やってくるが、両手を大きく振って散開せよと伝える。敵は一体だ、加勢は無用だ。部下の小隊は烏蘇里川の向こうにいるが、ロボットたちは数メートルの川幅なら一体が一体をぶん投げるというやり方で飛んでくるだろう。
「デリラ、ナイフをくれ」帝国のカタナは、刃が薄く、反りがある長い刀身で切れ味鋭い。しかし、サムライの時代が遠くなると美術品扱いになってしまった。そのあとは西欧化の時代となったので、今も帝国の人たち自身が過小評価しがちである。ナイフほどの長さに変えれば、現代でも近接戦では有用なのだ。
いくら大口径でも拳銃ではロボットにダメージを与えるのは難しい。人間の盾にするに十分な強度は、旧式のロボット三原則の第3によって規定されていた。より強力な打撃で装甲が変形させられても内部の機構も合わせて移動、変形する緩衝機能で守り、そして内部の装置の位置が変わってもネット応用のルーティングでシステムを維持する。これらは人間型ロボットでは特に応用が進んだ技術である。
小峰に装備品を渡し終えると、デリラは伸縮する金属の短い棒数本をバックパックから出して連結し長くしたものを小脇に抱える。
二足歩行の人間型ロボットは帝国以外ではほとんど開発されていない。主流は通常兵器にAIを載せて計算能力を高めるだけで、多用途、さらに人間とのコミュニケーションなど考慮されない。民生用で最も普及したロボットは、六本足で天井まで動き回る掃除機<ザ・ニンジャ>だったが、製造販売は米理国だった。
対ロボット戦闘も、一般的にはそれまでの無人機への対処と変わらない。が、帝国では白兵戦を想定し、単なる武器や防御力以上の活用が研究されていた。MCUは馬を乗り捨てないし、CSNは主従関係に重きを置く。特別軍事作戦の理念よりも、世界平和の理想よりも、あるいは宗主国の庇護よりも、使い捨てや物としての運用以上の体制が連合軍の意思統一に役立っていた。
ロボットにおける近接戦は、装甲の進歩や予測と回避の向上によって、進化というよりサムライの時代の戦術に戻っていた。装甲の薄いところや隙間を狙う、鎧武者との戦闘法である。脳を揺らすのを機能の破壊に例えるなら、心臓を止めるとは機構を止めることでありアクチュエーターが標的となる。それが戦術で、さらに黒衣システムという戦略が控える。
三本足の<蟹>が地上に姿を現した。地上では銀色に鈍く光る上体を起こしているのでもう蟹には見えない。両手には山刀のような幅広の剣を持っている。刃の背の先端寄りに切れ込みが入ってそちら側にも切っ先があるようになっている。胸にカメラらしい丸い装置が三つ、体側では少し角度が付いていて、たぶん背にもある。頭はない。上方のためのカメラが埋まってるのだろう。腰のあたりで真っすぐ横に機体が区切られる境目がある。手足は四角い鋼材で関節部はカバーで覆われているが狙う場所は多そうだ。
デリラがまず棒術で立ち合う。身体を斜めに構えて一歩ずつ進む。
元蟹は無造作に足を送り、接近してきた。腰の部分で回転して両刀で連続攻撃を繰り出してきた。
単純な二刀流をデリラは棒で受け流す。棒の上部で受けて、下方の棒端が跳ね上がるのに任せて、回ってくる次の一撃の握り手の付近を下から突き上げる。敵は刀を放すことはなく、次の斬撃が来る。それをバックステップでかわすと、先ほど打突して刀を落とさないまでも上方へ反らせたほうも軌道を修正して襲ってくる。デリラは身をかがめその一撃も避けると、棒を背中で回して、敵の回転とは逆方向で次の斬撃に棒を叩きつける。耳障りな音とともに、衝突の反動でデリラは後方に飛ばされた。それぞれの武器の強度は変わらないだろうが、元蟹は三本足でその場に踏ん張っている。
「みんな来たぞ、デリラ。ハッキングだ」
小峰が言うと、デリラは得物の棒をすぐそばの地面に突き立て、両の掌を前方に突き出す。その時には、後続の小隊のロボット五体が到着し、遠巻きに円く元蟹を取り囲んでいた。同じく両手を突き出している。
すべてのロボットの指先から、ロックオン・レーザーが照射される。
多方向から同時的に一斉に照準に捕らえられ、過負荷に陥った元蟹はフリーズした。
続いて、ロボットたちはペリフェラルニューロンケーブルを右手から射出する。プロペラ部は手の内部に収まり被覆軸索のみが繰り出されている。多方向から細いロープが絡みつくように元蟹を縛り上げる。ロープは元蟹の足に腕に巻きつき、締め上げ、さらに動けなくする。
加勢がいるので小峰軍曹は距離を取ったままとどまり、デリラが元蟹に接近する。近づくに連れてケーブルはデリラの体内に納まっていき、ピンと張った状態は維持されて戒めを解かない。
その間にもニューロンケーブルの先端が蛇のように元蟹の体を這い回り、侵入を試みる。カメラのレンズを外殻をドリル状に変形させ破壊する。ニューロン組織は情報の輸送機関でもあれば、感覚器でもある。元蟹の内部で気密性の部品を探る。ドリルで穴を開け、それがシリンダーであれば油圧の機構を破壊する。それがシステム・チップであれば神経索で接続をオーバーライドし、シン・クライアントに置換する。他のロボットたちも同じカメラ跡の穴から次々に侵入し、あるいは通信機器を破壊し、あるいは人工筋肉で置き換えて駆動系の制御を乗っ取る。ほんの数秒でハッキングは終わった。
ひとつの個体に対して複数で侵入し、マルチスレッドの競合も不具合もなくここまでスムーズに処理できるのは、帝国のバイオ素材ゆえである。
バイオ素材は各国の開発競争が盛んで、ニューロンケーブルも実用段階にある。電子や光よりも速いベクトルポテンシャルによる伝送は、次世代の通信技術として帝国では世界に先んじて普及しつつある。しかも帝国のニューロンは、単一民族の培養神経索ゆえ純度は百で、超高速である。また同期性に優れ、既存のルートを代謝させるように置き換えていくので、ノードだけが分岐点でなくなり最短で結ぶ。国内では新世代阿吽システムの登場で、大きなテーブルでもなく何連にもなるパケットのヘッダでもなく、大局観の絞り込みでアドレスを処理し、データ量が激減。無線を含めたネットワークでもその分軽くさらに高速となった。また、人工臓器への応用も多様に実現されて、ロボット技術を補完している。
「三本足か。こんなのも魯西那は作ってるのか……」
タケコプターで川を渡った者、橋まで迂回した者、だんだんと小隊が集まってきた。
「刀二本が標準装備か。市街戦が向いてるんじゃね」
「いや持ってるだけだ。銃も持てる。ここで回転してマシンガン持ってれば……」
「おう、怖えな。じゃあ、なんで刀? 水中で何か守ってたんですか?」
「いや、何もなかったな」小峰は答えた。「だからここまで上がってきたのだろうし」
「何にしろ珍しい獲物ですよ。すぐ本部に移動させます。また出世ですね、隊長」
小峰の四角い顔に堅苦しい笑みが浮かぶが、部下は朋輩のロボットに指示を出し続けている。安田一等兵に付くセレナは通信ユニットを強化したタイプだ。三本足にアクセスして、移動の際の足の送りをテストしている。やがて後方へ向け歩行を開始。本部への連絡を取りながらセレナと安田も影のように付いていく。
他の隊員たちロボットたちは、川に浮かぶ巨大な黒い半球をまだ見上げている。
「何でしょうね」「あれ自体は何もしてこないし」「ガード・ロボットを一体だけ出して何のつもりなのか」
「竜の巣篭りだな。黒竜江だけに」と言った徳山二等兵に、さっと振り向いた小峰が「なんだそれは」と尋ねる。
「囲碁にある防御の形です。本当は鶴の巣篭りと言って、凹んでる石の並びに少し離して一個置くと全体が相手に取られることはなくなるという構えです」
「囲碁ねえ。分からん」囲碁は帝国だけでなくCSNでも盛んなのだが、コンピュータゲームのような遊びとは違った捕らえられ方をしていて、オタクが好むような特殊な括りよりも、マニアックで高尚な趣味と見られていた。軍人にしては細身で、でも細いのではなく太れないだけと言い張る徳山のような者が嗜む。
「局地的な構えで、囲碁の戦略性とはあまり関係ないんですが」知らないと言われても徳山は説明をした。小峰だけでなく他の兵たちも碁はやらないようだった。
鉄騎兵たちや、MCU軍の後詰の歩兵たちも三々五々集まってくる。みなが首を伸しそれを眺めながら歩いて、でも小峰たちよりも前方へ出ようとはしない。
立ち止まっている兵たちの間を縫ってひとりのMCU兵が歩を進め、兵に尋ねたあと小峰の前まで来て敬礼をする。
「MCU独立軍混成第一連隊・歩兵第一小隊、四元少尉です。黒竜江側の支流は制圧しております。あれを除いてですが……」
「帝国CSN駐留軍・独立歩兵第九中隊、小峰軍曹です。一〇一師団本隊はタイガの森の中にて向こう側、目標都市・哈府前面に展開。烏蘇里川はここから上流の橋二ヶ所を我が中隊が押さえ、浦塩から退却した敵軍を発見し次第ただちに挟撃できる布陣を取っております。勇猛なる鉄騎兵団と連合できて光栄です。先日の要塞攻略は迅速でお見事でした」敬礼を返す。
「ありがとうございます。どうしますか、兵を引いてもいいと思いますか」
穏やかに言った四元少尉は、階級章がなくても野戦服の着こなしからして地位が分かる威厳を持っていた。大柄で頑強そうな体躯は、荒くれ者と聞く蒙古志願兵たちを指揮する説得力があった。しかし、言葉は丁寧で物腰も柔らかい。CSNにはいない黒目がちの大きな瞳が、じゃが芋のような大きな顔に小さく光っている。頭髪は帝国風に短く刈り込んでいた。少尉の後ろに立っているロボットは、自転車レース用のような後頭部が尖った独特の形のヘルメットを小脇に抱えている。全身に大小の傷が多数あり、MCUのロボットはすべて最近の帝国製のはずだが歴戦の猛者の風格で、その相棒の激戦ぶりもうかがい知れた。
「少尉殿は引くことを考えているのですか」
「そちらに獲物があったようですし、恰好はつくと思います。とにかくアレはどうにもならんでしょう」ふたりは他の兵たちよりもそれに最も近い位置にあって、おもむろに川向こうの物体を振り返る。
「どうにもならん……ですか」確かに水中にも何も手掛かりがなかったが。
「あれが水を必要とする何かなら、川に沿って引けばあいつからやって来るんじゃないですか」MCU軍はまだやる気だ。
「そっちも待ち伏せですか。しかしもしあれが烏蘇里に来ないで下流の本隊に向かったときどうなるのか……。後ろの哈府を守っているのは間違いないと思いますが」
「不確定要素は除外はできません。行くかもしれないし、行って哈府の正面でまたじっと動かなくなるかもしれない。帝国がどうでるか、まあ、お手並み拝見で」MCU軍は市街戦も得意としている。帝国の方針は徹底していて、歴史上の暴虐さは聞こえてこないが。
「とにかくメシにしましょう。小峰君の部隊も一緒にどうです? 蒙古の兵たちがヒツジを捕まえてあるんですよ」
自ら提案できる対応策もなく、本隊からの指令もないので、小峰隊はその誘いに応じることにした。
夜営には、火や煙が目立たないようタイガの森の奥へと入る。やや開けた場所で中央に広場を作るように周囲にテントを張り、平服に着替え、やがて両隊が集まってくる。
MCUのガタイのいい連中が、あるいは火を起こし、あるいは鍋にレトルトパックを入れ、あるいはナイフを研ぎながらまるまる一頭のヒツジを器用にさばいていく。その連携の良さを見て、CSN軍も簡易テーブルや折り畳みの椅子を用意して、戦場では珍しい料理を待っている。
「本当は春に生まれた仔だったら良かったんですけど、十分うまいですよ」小峰たちには、その大きさが子羊でないことすら分からない。
一緒に調理を見守っている四元少尉は、すでに茹でたソーセージを肴に、大きな氷をひとつ浮かべたアルミニウムのカップで酒を飲んでいた。MCUで好まれていると言われる馬の乳の酒でもなく、CSNの白い濁酒でもない、透明なアルコールだった。
「みなさんもこちらでどうぞ」これまたがっしりとした同隊の田倉一等兵がペットボトルとコップを簡易テーブルに無造作に並べる。
「……これはもしかして魯西那のウオッカというやつですか?」
田倉は太い眉毛を片方だけ釣りあげ「いやいや、これは帝国のポンシュです。当然でしょう。それとあのヒツジも徴発したわけではなくて、群れを逃げた野良を捕まえたものです」
やはりただの荒くれ者たちではなかったようだ。このソーセージとてMCUにも蒙古にもそのような加工をする習慣はなく、帝国風だという。ソーセージの名の通り、香草のセージを使って羊肉の臭みを消している。だがセージは、ナポリタンというCSNでも一般的になった帝国風パスタ料理でも必ず使われる材料で、それはCSNでは臭くておいしいと言われていた。臭いと言えば、CSNの漬物を輜重部隊から調達して来るのは、いつもフットワークの軽い安田一等兵だった。
それで、CSNの兵はおっかなびっくりソーセージにかぶりつく者と、ヒツジの鍋を待って焚火を囲む者、それ以外に分かれた。
小峰はまずカップを受け取って酒に口を付けた。氷を入れる飲み方は初めてだったが、香りが立ってうまい。それからアルミの皿の太いソーセージを苦労して箸で口に運んだ。
「汁が、皿を持ってかないとおいしい汁がたれますよ」と、四元少尉は意外に細かいことを言う。
CSNでは一般的に皿をテーブルに置いたまま食べる習慣がある。それは言わないで「いや、まず酒もう一杯お願いします」と、小峰はカップを差し出す。「なるほど、これが冷ってやつですね」
「いや、暑いんでやってるだけです。ウオッカだったら氷も入れない」
やっぱりそっちもやるのか、と思ったのを察したのか、
「特に蒙古は自治区なんて名目があるだけで、実態は収容所みたいになってましたから。呑まないとやってられないようで……」
それに合わせてやることで混成軍の一体化を図ろうとしていたのだろうか。
「少尉殿は出世が早いですね、それとも士官学校出とか?」また安田一等兵が口をはさむ。悪気がないのは分かってるが、
「おい、失礼だろ」
「いやいや、我々MCU軍は予備隊だったものが開戦を機に正規軍に変更されましてね。それまではわたしも警察官だったんですよ。なにしろ急造で、さらにあちこちの志願兵も編入されて、それでまあ押し出されるように階級が上がっただけなんです」
「へえ~、警察? そうだったんですか」そう言われると軍人の規律よりも、服装の端正さなど治安関係にあってしかるべき秩序を思わせる。畏怖による厳格な管理というよりも、ゴロツキとも付き合う度量も持ち合わせているのか。
「でも実戦経験もかなりありそうなロボットの年季の入り方ですよ」小峰はこの陣地を遠巻きに円を成した位置で守るロボットたちのほうを見た。木々の間に歩哨のように立っているもの、敵無人機を警戒し巡回するもの、そして人間にとって夢がそうであるように、データの再処理で何かが見えているかのように虚空を凝視するもの。
「いや、それも遊びと言うか、蒙古の血と言うか、彼らがいつもやりたがるんで……。ほら、軍曹お付きのロボットが早速狙われてますよ」
「えっ?」
「例の川の中から出てきたやつとやった棒術の闘い、皆見てましたからね。面白かったです」
デリラも歩哨に立っていた。そのすぐ隣にMCUのロボット。黒い機体が焚火に照らされて時々赤黒く浮かび上がり、また闇に消える。デリラはCSN現地生産だが、帝国製の世代で言うとひとつしか違わないのでMCUとも型式は近い。背格好はほとんど同じで、今は表面のグリーン主体の迷彩と、得物で見分けは簡単だ。階級がばれて指揮官が狙われないために軍装に差異を付けないのと同様、機能以外の部隊ごとの差異はない。そもそもロボットに飾りは不要で、小隊の誰に属する機体かは、ロボットが周辺を定期的にサーチする見当識のときに送ってくる目線で当人には分かる。
だからと言って、デリラが小峰に困ったような顔を向けているわけではないが、隣のMCUのロボットは横のデリラをじっと見つめている。他にも、車輪ユニットを肘の辺りに付けたままのもいて、あちこちのロボットがチンピラの威嚇と言うより剣闘士の覇気をチラリと見せながら、顔を一八〇度を越えて振り返りながら小峰小隊のロボットの前を通り過ぎたりしている。
「すぐ隣にいるのが隊長機タタルスです。鉄騎兵モードも追加されてますがスピード重視の改造はなしで、帝国デフォルトの格闘タイプのままです」
自分の名前が呼ばれたのに気付いた犬さながらに、こっちを振り向くタタルス、そしてその隣のデリラ。
「なんです? 何をやるんですか? 模擬戦ですか?」
「ロボット同士の乱取りです。もちろん賭けアリで」グイッと、四元少尉は酒をあおる。
「は?」
「蒙古兵は訓練以外でもスピードレースをやりたがりまして、他の兵士が見てるだけなのもあれなんで賭けが始まってしまいまして、で他のロボットの得意分野の賭けも受けるって連中が言い出しまして、鉄騎兵を敵のガンタンクに見立てることもできるんでいいかなって思ってたら、それでもやるっていうくらいの負けず嫌いが格闘でも来いって話になりまして、まあ伝統的な相撲の勝負を受けないわけないので、それなら部隊外でも挑戦を受けるところがあればやってやろうって皆が盛り上がってしまいまして、こうやって私からいつも申し入れはすることになりまして、どうでしょうね」四元の舌はよく回り、やりたがっているのが誰なのか分かる。
「乱取りと言うと帝国の学校制度でやる体育のあの…柔道などの練習で……」
「はい、そうです。技が決まればそこでブレイク、制圧したら極まる前に技を解く、壊し合いじゃないです、大丈夫ですよ」
何が大丈夫なのか分からないが、デリラに拒否反応はないようだ。
「少尉殿のロボットとやるんですか? その……いきなり隊長機同士で?」
「一応、隊長機ですからね。実地の用兵では鉄騎兵が先鋒を務めることがどうしても多いので場数を増やす意味でもわたしの立場からも、また士気を高める意味でも……」ごちゃごちゃ言ってるのがやる気があふれてるようだった。小峰もカップに口を付け、冷たいのどごしを感じながら、MCUのロボットたちを見渡した。
「蒙古兵の車輪が付いてる機体も一対一でやるんですよね」
「当然ですが乱取りとスピードレースは別物で、もちろんすべて試合は一対一ですが、そのときも彼らが得意とする車輪モードのいわゆるヒットアンドウエイはやりません。タタルスもできますがやりません」
「強いって評判ですよね、全軍で噂になってます。ここまで我が軍が順調に進撃できたのは前線がスピードで圧倒してるからだって……」
「もっぱら蒙古の志願兵の手柄ですよ。侵略するに……いや、特別軍事作戦か……進軍に当たっては略奪やら蹂躙やらは禁止されて、全部守ってますからね、その時間が省かれて一層スピードアップしてる。もっとも歴史はともかく、暴力的だとか秩序がないだとかいう悪い評判も魯西那の情報操作と言うか、魯西那に対しては反抗的だっただけで、自分たちの独立戦争となれば更に敵が当の魯西那ともなればそりゃあ活躍しますよ。我々MCUは同期というだけで彼らを先陣に配した帝国の方針が当たったわけだ」
謙遜する余裕が逆に自信をのぞかせる。軍団としての精強さもだが、個々の闘争心を一体感として共有しているのがロボットたちが示すやる気にまで表れているようだ。
一方、デリラが、こいつよくしゃべるなあと考えるくらいにタタルスはさっきから何のかんのと質問してくる。CSNにも相撲はあるだろう。背中を地面に付ければ負け以外のルールは? 土耳国みたいに組んで始めるんだっけ? CSNに道具を使う格闘技はないはずだが、とデータの出所を知りたがる。
「帝国の言語がうまいですね」デリラは少尉付きの相手にそう話しかけた。
「我々は帝国の内部にある。草原で出会ってたならもちろんこんな話し方はしない。砂漠なら数少ないオアシスを巡る交渉でもっと質問が多くなる。今は貴重な出会いに感謝して、君から俺自身に利用できるものが何かないか知りたい」
正直なのか、強さだけを求めているのか。データだけなら帝国のサーバーに置いてあるのだが。
「しかし、やるのは格闘技でしょう? 武器の工夫や兵器の開発より効果的な体技の改変なんてまだやる余地がありますか」
「棒術なら人間相手でも殺害する可能性が低くなる。銃でも刀でも急所を外したつもりが人間の場合、出血で死亡することがままある。帝国の方針でMCUの中世のやり方は禁止された。我々の知る限り侵略にはとても効果的な戦術が取れない。それでも進撃のスピードは軽騎兵並みに求められている。特に志願兵たちの過去を誇りとする気持ちは強く、独立戦争への忠誠心にもつながっているから尊重したい。帝国の方針に適った戦術は何であれ参考にしたい」
「必要ないくらい十分強いでしょう。別に鉄騎兵で人間を撥ねても打撃としては変わらないと思いますし、交通事故で処理できるかもしれない」
「我が隊の隊長は元警察官だ」
「ふむ」AIが正義について人間的な解釈の長々しい戻り値を出した。例の古えの三原則は、Aを満たすB、Bを満たすCという再帰的なルールで、結局は第一条件を守ることしか言っていなかった。OSも西欧製だったころの白人至上主義を一貫して隠し持った規則は、初期AIがそのような偏向を示し問題が露わになった。当然、帝国は独自OSと共に対処していた。
デリラは「じゃあ殴ればいい。……それを練習するわけですか?」
「でも、技ってものがあるだろ。帝国の武道は特に綺麗な型を持っている。それはやりたいんだよね。CSNはどうなんだろうか」
「いえ、AIが参照したデータは同じものです。帝国のシステムに標準化された時点でそちらもCSNのデータを読めるはずです」
「ということはMCUの軽騎兵のような動きを君もできるわけだな。じゃあわたしの車輪ユニットをあげるよ。予備はまだあるから」
「どういう交換条件ですか?」デリラは冗談をまともに取った。
「CSNでも自動車は重要な輸出品だろう。帝国の自動車メーカーのセンスの無さったらひどいもんだ。タヨトなんて販売台数だけが自慢で、ものづくりの国っぽくないよな。広告がまたひどいもんだし。CSNじゃ違うのか?」
その通りで、それが帝国本土ではほとんど売れていない。米理国産より売れない。合併前から東方七不思議の一つと言われていたが、何のことはない販路の問題なのだった。アフターサービスと販売網の整備のきめ細やかさはものづくりの精神の細心さに裏付けられ、その強固さが外敵を寄せ付けないできたのだった。が、曲がりなりにも帝国の内部のCSNに対してそれが障壁になっているとすれば、やはり外敵と見做すのかと言われても仕方がない。もっとも開戦前からつとに帝国の精神の低落が叫ばれていて、そんな立派な理由ではないとも言われていたが。
デリラはCSN製のチップによる改造を進化と捉えているので、帝国との比較もMCUからの疑問もこたえない。
「今は戦時ですから、広告もニュースもそれ一色です」
「CSNではそうなのか。他の地域より締め付けがあるのかね。優秀な部品だからか……じゃあ賭けの賞品にはそっちのCPUとこっちの車輪ユニットを追加でどうだろう。それとも負けたほうが坊主になるのがいいかな。よくやるんだよ、四元少尉はようやく髪が伸びてきたんだ」
小峰軍曹のその姿を想像したデリラだったが、しかしそれは自分の負けの結果なので笑えない。
その小峰は「どちらかのロボットのほうが強そうに見えるのは何なんでしょう。大して変わらない型番なのに、人間の場合のような、こいつ強いんだろうって感じるものがありますよね。その……機械的な冷静さ、冷酷さに人間味を感じないのと逆の、何と言うか、オーラと言うか、こいつがボスなんだろうな見たいな……」
「そうですね。人間の場合はキャリアというか、経験というか、そういうものが雰囲気を作るんだろうと思いますが、ロボットが何かそんな空気を作り出すわけはないですからね、そんな回路はない。だから、受け取る側の人間が、何か人間的な解釈ができることを探してでも見つけてるんだと思いますよ。さっき言ってた歴戦の証拠みたいにロボットの表面の傷は見えるかもしれませんが、言ってみれば皮膚素材の劣化に過ぎませんし」
そうならば、棒術の用意のできているデリラのほうが、暗い中にただ立っている黒いロボットの不気味さよりももっと直接的に強そうに見えるはずだが、そうでもない。鉄騎兵の連携攻撃が印象に残っているとか。いや、もっと不気味で不可解なものを昼間に見た、そのせいか……。
「それに武器を持ってるほうがやっぱり強そうじゃないかな。こっちが勉強させてもらう立場だし」
だが、さっきからやる気満々で、賭けでもあるのだから、勉強というのは謙遜が過ぎるように小峰には思われる。
こんなプロレスのようなことに興じているのも、他の都市が順調に戦果を挙げている報告が次々に入っているからかもしれない。MCU軍が侵略とつい口に出してしまうように、彼らにとってこの作戦は独立戦争の一環であるようだ。侵略、拡大よりも国境の確定のための先鋒での活躍だったのだろう。つまり哈府を攻略するためでなく、川沿いの国境線の制圧のために力を尽くし、ここまでくれば哈府を目の前にしても、あるいはそこに不気味な敵の新兵器が待っていたとしても、彼らの目的は達している。
小峰自身も、この特別軍事作戦の理想には納得している。従軍して全力を尽くすのは義務だと思っている。帝国臣民としても、CSNの人間としても。
戦況を考えれば焦る必要はないだろうし、しかし、どこか乗り気ではない自分がいるのを訝しく思う。
するとデリダが二体で並んでやってきて、
「マスカラ・コントラ・カベジェラでやることになりましたが、いいですか?」という。
通信機器は外してるし、端末もなくて検索もできないが、たぶん賭けの条件なのだろう。小峰はデリラを信じることにした。
そのままデリダ、タタルス二体で前に進むと、作戦指揮台の機器や他のテーブルや椅子を移動させ、二体が間合いを取るのよりもう少し広く格闘の場を設ける。焚火のそば、ただひとつ残された小さなテーブルにはMCU軍の黒いヘルメットが置かれ、隊員たちが中に賭金を放り込んでいく。
「どんどん張ってください。受けますよ」
大尉の態度は鷹揚さというより立場上のものだと思うが、小峰もデリラの言葉を安請け合いしたようなものだったし、隊長として金を出さざるをえない。平服のズボンの後ろポケットの財布から、帝国紙幣を数枚、それに軍票を足した。軍票は戦争インフレの影響を受けない。
「全部受けるって? 倍で返ってくる? よっしゃ、俺たちも行こうぜ」CSNの兵は、分けてもらった羊肉を焼肉にして茶碗のレトルトのライスにバウンドさせて喰い、さらにライスに汁ごと漬物をぶっかけて箸でかきこむように喰っていたが、隊長に遅れじと張っていく。MCU兵ももちろん塩味のシチューを食べる手を止め、続々と席を立って賭けていく。同じテーブルを囲んでいた残りのCSN兵、茹でた羊の骨付き肉を手で持って貪り喰ってた連中もカーキのズボンに濡れた手をなすりつけて拭いて、賭けでは敵だが久しぶりの焼き立てをさらに引き立てるご相伴に預かった相手と同じぐらいに突っ込む。勘定をしてるのは、蒙古兵オチルネルグイとそのロボ・ボルドということだったが、安田一等兵のセレナは通信ユニットが強化されていてそれが見張るのは露骨すぎるので、指示を受けた西原二等兵とヘラがテーブルのそばに立った。各兵はヘルメットに金を入れては、ロボットたちが向き合うのを取り囲むように遠巻きに円を成していく。
闘いの場に歩み出てそして離れたそのままの間合いで、半身になってタタルスは待っている。
鉄騎兵のような先制攻撃を予想していたデリラは、両手で前方に斜めに構えていた棒を片手に持ち直し、頭上で回転させながら少しずつ歩を進めた。棒を三回転させたところで勢いに任せ足元へとその手を伸ばす。
相手がパターンを認識し終えた瞬間を狙っての下段攻撃。
タタルスは軽くジャンプして棒をよけた。
デリラは棒を握った手首を返さず、回転運動を正面でとめ、大きく一歩踏み込んで突きの動作に移る。
タタルスはどてっ腹を突かれ後方に飛ばされる。が、くの字に折れ曲がった身体を前傾した低い姿勢に立て直し、兵たちの人垣の前までには片手を突いて踏ん張って、反撃に移れるまでになっている。
「いや、人間だったら死ぬだろ」一応言ってみた。
人間相手ではないのでニヤッと笑う代わりに小首をかしげたデリラはすでに距離を詰め、両手の間を空けて棒を握り頭上に高く上げ真っ向から振り下ろそうとしている。
タタルスはサイドステップで逃げる。
デリラは振り下ろした棒を腰の前でとめ、半回転だけ体の向きを変え、タタルスへの正対を解く。
右手だけに持ち替えた棒ですかさず、突きを繰り出す。
右で突き、左腕は後方に大きく振って、足の一歩の踏み込みに身体を開き伸ばす勢いを重ね、今度は首の辺りを狙っている。
タタルスはさらに身をかがめ、ダッシュしてタックルに行く。
突きをすり抜けるように迫るタタルスに対して、デリラは踏み込み足でするどく制動をかけ、右手に余らせた棒の下端で接近してくるタタルスの頭部を横殴りにする。
タタルスにはタックルの勢いがついたままで、斜め下の地面に突っ伏した。すぐに顔を上げ相手を認識、両手両足を蛙のように畳んでまた低い攻撃に出る構えを見せる。
デリラは足を送って後方に距離を取り、広場の中央へ戻る。
デリラはひゅんひゅんと体側で片手で棒を回すと、脇に抱え込んだ。
直立して待つ。
ゆっくりとタタルスも立ち上がり、試合開始の位置に戻った。
「洋の東西を問わずか……いかにも帝国的だな。いろんなデータを見せてくれるのはありがたいよ、勉強になる。じゃあ、こっちからも……」
タタルスは少し上体を前に出し、両腕の脇を閉め手をやんわり広げてまるでデカイかぼちゃでも捧げ持つように前に出し、じりじりとデリラに近づいていった。
デリラは立ったまま、パンチを出すような構えでもなし、足の送りからも急襲はなし、と分析する。棒を地面に突き立て、左回りに離れていく。
タタルスはその場で向きを変えて合わせるだけだ。モンゴル相撲のように衣装を着ているわけではないので捕まえるところがないようだが、そこはロボットの力である。腕を掴んでもその太さで掌が開いたようになって力を込められないのは人間の場合だ。ロボットの握力の数値は、スペックのままに発揮される。
肩をつかみに行ったタタルスは、その手を叩き落そうとしたデリラの腕をクルッと迂回して上から押さえるように捕まえる。
デリラは距離を取るため下がろうとする。腕は振りほどけない。
タタルスは捕まえたデリラの左手を今度は吊り上げるように上げて、下がる相手に自分を引き込ませるようにしてデリラに近づく。
上体が浮いてデリラはもっと間合いを取るために右腕を出して突き放そうとするが、そこにはタタルスの左手があって掴まれそうになり、しかし先ほどの動きを見ているので同じくクルッとかわして逆に腕をつかむ。
デリラは捕まえたほうの手を押し返すように真っすぐに突き出し、さらに腰を引いてまず防御に徹する。
タタルスは半分捕まえた半分は捕まえられた状態でもかまわず前に出る。捕まえたデリラの左腕をそのボディに押し付けるように押さえ、掴まれたほうの左腕は下から持ち上げるように力を加え、前に出ながら両側から包み込むようにしてデリラの全身をコントロールしようとする。
身体を持ち上げられそうになって、デリラは掴んでいた右手を放した。押さえられた左腕はその方向に体を裁きながら回転し、押し込んで伸ばしているタタルスの腕の下から右腕を差し込んで肘で相手の腕をロックした。勢いのままに背にタタルスを担ぎ上げる。一本背負いだ。帝国の格闘技、柔道の技だ。
タタルスも腰で跳ね上げられながらも、左手をデリラの背中に突いて空中で身体を返し、地面に叩きつけられはしたが半身になっていた。その時には腕のロックも外れてすぐに起き上がろうとする。が、デリラは目の前ですでに立っていた。
タタルスは追撃を予期し、その場を動かず、両腕でガードする。
近づいたデリラは、頭部を守るタタルスの両腕を掴みに行く。
腕を掴まれ、促されて立ち上がったようになったタタルスは、まだ蹴りが来ると警戒していて、デリラが小刻みにステップした時には膝を当ててキックを防ごうと片足を引いた。
デリラは両腕の組手は押さえつけるのでなく押し引きをしつつ、背筋をピンと伸ばして立っている。
そして、タタルスの開いた両足の間にステップで近いほうにある左足を差し込み、跳ね上げた。これもそうだ、帝国だ。いや、それだけではない、変形の袖釣り込み腰。
今度は空中でタタルスは姿勢をどうにもできない。両腕は掴まれ、巧妙に力を釣り合わせられていたのが、今は一方は引き、片方は煽られ、回転運動が与えられている。下から跳ね上げられ、残ったほうの足が軸になって背中から地面に叩きつけられるしかなかった。背中の広い面でダメージを少なく着地しようとしたが、なぜかそれを嫌がる思考が働く。それは悪足掻きなのか、どこから来るのか、なぜこんなに考える時間があるのか、タタルスは負けを意識しながら、いつまでも空中にいたいと思う。
だが、技は決まった。デリラは、また距離を取り、立っている。
半身を起こしたタタルスは胡坐をかいて座り込んだ。
デリダは、ちょっと後ろに視線を外した。タタルスがそちらを見ると、デリラの棒がすぐそばに突き立っていた。
タタルスはかぶりを振り、それには答えなかった。
「参ったな、一方的じゃないか。いや、これはお見逸れしました」
と、四元少尉が思い出したように酒を口に運ぶ。
小峰も驚いていた。情報処理能力なら負けないだろうと思っていた。攻めを受けながら解析し、それから封じるために対処する。そのためにまず防御を主として棒術を使うんじゃないかと考えていた。
ところが、そんな消極的な戦術などお構いなし、押しまくってそのまま勝ってしまった。
デリラとは帝国軍に入隊した新兵の頃から五年の付き合いで、体技の訓練では実際に手合わせしてきた。それは朋輩の人間の動きのクセを覚えさせることでもあったから、勝ち負けの問題ではなかったのだが、デリラが特別に動きの冴えを見せたりしたことはなかった。ロボット同士でも勝ったり負けたり。
デリラが評価されていたのは机上演習での精緻な分析と即応する作戦立案で、その投入も時宜をわきまえ、それに従ってする提案によって小峰の昇進は早まった。
電脳タイプ脳筋タイプで分ければ典型的な前者で、戦場で必須なわけではない棒術の習得などもいつの間にかやっている学究肌だった。
まだ二体はじっと見つめ合っている。タタルスは座り込んでいて、人間が負けてしょげてるように見えるのがちょっとおかしいが、しかしデータの交換にしては距離がありすぎる。
「仕方ない。清算だ、オッチ、ボルド、いくら負けたんだ?」落胆もなく悔しそうな様子もなく四元少尉は訊ねた。
ボルドが金額を言うと、CSNの兵たちからは喜びの歓声があがり、MCU兵たちも笑いと共に手を叩いている。
「あいつら喜んでやがる。まだそんなに伸びてないのになあ」
と、四元が頭を掻くとまた部下たちがドッと笑う。
「なんですか? そっちの部隊が何を笑えるんです?」
「だって言ったじゃないですか、マスカラ・コントラ・カベジェラ、つまり髪切りマッチで私がまた負けたんで喜んでるんですよ。開戦してからはずっと勝ってたんだけどな。もしかすると、あいつらわざとだったのかな」
ということは、デリラが負けてたら自分が丸坊主にされていたのかと呆れて、小峰はデリラを見た。が、二体はまだ何か話している。
「プロレスフォルダの下にあるぞ、格闘技フォルダ。そこに柔術もある」
「オリンピックフォルダの下に格闘技フォルダがあって、そこに柔道があるでしょ」
「いやサーチしたが柔道は……文化だな、伝統的武道の一つになってる」
「じゃあオリンピックでサーチすると?」
「ああ、柔道もあるが、モンゴル選手も一緒に並んでて戦術の区分はないな」
「そこにブラジルも並んでませんか」
「いや、だって帝国の連合でもないし、戦地になるわけでもないだろ」
「いえ、柔道と柔術がブラジルにあって戦術で分けられてませんか」
「いや、柔術は別の枝だな、俺の中では」
帝国で主流のプロレスの影響で、扱いを小さくされてこんな差異が生まれたのか。それともコーカサス諸国、かつての魯西那の連邦国家のスタイルにも似ていたから改変されたのか。
「私が掴まれて組み合って、まず私はディフェンスの体勢になりました。モンゴル相撲にもある構えで……」デリラは正座して話しかけた。
「ああ、そうだ。だから俺はかまわず前に出た。逆に投げられたが」
「モンゴル式だと思うだろうなという前提で、でも技は繋ぎませんでした」
「いや、投げられたが……」
「あそこから寝技に行くか、投げるとしてもそちらがやったようなクラッチからの掬い投げや裏投げに行くと見せかけて……」
「やぐら投げ……は相撲か。ああ、そう思わせようとしてたのか」
「次に私から組みに行った時はそちらが防御するのに対して柔道そのままで行きました」
「俺が蹴りのディフェンスではなくモンゴル式に守ってたらどうなってた?」
「それでも行きました。モンゴル式でもあるいはブラジル柔術で守ってても行ってました」
「柔術は寝技か。たしかグラウンドでも殴るんだよな」
「前世紀末、帝国に柔術が参入してきて、それまで格闘技系の興行では主流だったプロレスを超える人気を獲得しました。柔術はより実戦に近く、ショー要素の強いプロレスよりも本格的だと言われた。プロレスの戦術も古いもののように言われましたが、そもそも狙いが違う。
それは柔術と柔道の関係にも言えて、柔術発祥のブラジルで、かえってブラジル柔道は帝国がいつまでも突き詰めている一本を取る戦術にこだわるようになった。いわゆる先祖返りです。オリンピックで帝国の柔道家をさんざん苦しめた、言ってしまえば柔術に似てるモンゴル式や旧グルジア式の戦術を捨て、綺麗な一本を取る柔道を追求するようになった。
それでオリンピックで強くなったかというとそうでもない。
でも、それから何年もたって柔術はジャンルとしては帝国には定着したが、じゃあ例えばモンゴルでも普及したかというと……」
「そんな話は聞かないな。現に俺は柔術で守ろうとはしなかったわけだしな、実戦なのにな」
「それでも文化の枠で捉えるのもどうかと思うんですが。柔術が残ってたのはブラジルで、柔道がそうならないとは限らない。文化と言ってたら、やがてどこかで消えてどこかには残って、柔道の呼び名がどうなるかも分からない。文化の剽窃なんて言ってる場合じゃない。世代は近くて地域も隣で、でもAIの処理さえこんなに違ってるようですし」
タタルスはまだ虚空を見つめ、
「オリンピックでソートし直すとなんか変な人が出てくるんだが……。攻撃が効いてないのにピクッピクッて身体が痙攣した様子をわざとやってるが、なんだこれ。怒ってるふうに髪を掻きむしるが、これもわざとらしくて頭が痒いんじゃないかとしか思えないんだが……」
「プロレスラーですね、それ。髪の毛を掻きむしるのは頭のおかしい科学者が映画に出てくるとよくやる感じでしょう」
「うんうん。そんな感じ」
「そういうことも含めて興行でしたから。人間は単に強い弱いじゃなく、別の基準を持ってます。だから勝てるわけなくても戦争をおっぱじめたりします」
「闘いなのに負けたら髪を切るとかな」
「棒術だってそうです。銃があればいい、少なくとも槍というものがあるのに、まだただの棒で戦う術を磨く」
「君自身はどうして棒術を会得しようと思ったのかな?」
「まあ面白そうだったので……」デリラは小首をかしげた。タタルスもだった。
「……じゃあ、マスクをあげようか」
「棒術は? まだ速射の型を見せてませんよ。これは多人数に軽打を浴びせる対人戦にはうってつけですし、三節棍というのがあって古代の魯西那の武器なんですがここを鎖で繋いで……」
「いや、そこまではいいよ、俺は君とまたやりたいよ。他のCSNロボとも帝国本国製とも闘ってみたくなった。まずは賭けを清算しよう」と、タタルスは自らの顔面に横から両手を添えた。
「顔は外して大丈夫なんですか? 黒くてかっこいいですけど……帝国製の皮膚素材は肌色で支給されますよね」
「なーに、塗ればいいだけさ。スペアもあるし君は勝ったんだから持ってけよ」人間の皮膚組織を模しているので、下層にはその肌色のテクスチャがあり、タタルスはなぜか幼げに見える。
戻ってきたデリラの黒い顔を見て、小峰軍曹は「よくやった」が、すっとは出てこなかった。
女の名前の宛先に届く備品は、その形式のデフォルト顔面セットであったとしても、それらしい造形のものばかりだった。それにデリラが文句を言っているのを見たことはないが。夜の闇の中でもなんだかシュッとした顔になって、しかし似合うと言っていいものかどうか、それでとにかく、
「俺の髪の毛が無くなるかもしれなかったのと引き換えの戦利品か。なかなかだな」
と言ってみた。
デリラはいつものように親指をグッと立てた。いつもより精悍に見えた。
「隊長、また坊主だよ。車輪モードでバリカン使うの久しぶりだ」
「もうやるのかよ? CSN隊さんの前でか?」
「もちろんそんなもん後回しだ。勝ち逃げされちゃ困るよ、こっちだって金取られてるからね」
そんなもん呼ばわりの蒙古兵は、オトゴンバルと名乗った。蒙古の騎兵分隊は全員が伍長。軍曹のひとつ下でこの階級までが下士官で、一般には指揮官を補佐し代理を務めることもある実戦経験豊富な古兵を指すが、そこは新造の軍団で、あくまで補佐、派遣隊や駐留軍と連合してそこの上等兵とも対等以上の待遇という程度の認識らしい。オトゴンバル伍長もリーダーというわけでなく、しかし隊長の四元少尉にはタメ口で、それなのに次の闘いの許可をもらいに来ている。
「次はそちらは誰ですか、今度はちょっとルール変えませんか?」MCU兵はいずれも小峰より年上のようだが、階級の上からも別部隊なことからも敬語を使う。「こちらが負けてますから、こちらのルールでどうでしょう」
「CSNだと機械的に長男が跡継ぎになって、軍には年少の優秀な人材が取りこぼしなく入るそうですね。階級制度にもぴったり合ってこんなに強くなるんですかな」と、四元少尉も言葉を足す。どうも調子がいい人間のようだ。
「いや、私の家の長男は私より優秀と言われてましたよ。全体に長男以外は余計ものというかあぶれ者というか、まあそんなものです」
「いやいや、ロボットの強さは付いてる人間に比例する。君にもそれは当てはまるよ。帝国はときどき現実を無視して過去のデータをゴリ押ししたりするよな、サムライは確かに軍人の手本に相応しいが、勃興期、激動期の彼らと、治世の彼らではまるで別の人種だ。野獣のような荒くれ者と異常な節度を持った求道者が同じ刀という武器を使うからって、銃に優る武器かというとそんなわけないよな。それを常に腰に提げてろって無理だろ。まあ誰もやってないけど」
なかなかうなづき難い話だったが、安田一等兵がやってきて、
「はいはい!! 次は私が行かしてもらいます。セレナは計算能力だけじゃないんで」
小峰軍曹はデリラの意外な健闘ぶりに、それもいいかと思った。
「ほほう、このロボットも同型ですか?」オトゴンバル伍長が前に出て訊くと、
「躯体がサンマル式、AIは三五式です、全員そうです」帝国紀二〇三〇年が七年前、それから直近の大きなアップデートが二年前だった。
オトゴンバルが「AIは三五式? 同じ仕様なのに格闘術はだいぶ差があったな、あの棒術はCSNのオプションなのかもしれないが」と考えに沈んでも、
「機体の出力もそう変わらないんだな、やっぱり面白いな」と四元少尉は酒が進んでいた。
「隊長、よろしいですか」安田一等兵はCSN兵の中では小さいほうでも細いほうでもないのだが、オトゴンバルの立派な体格の前では貧弱に見えてしまう。ボルドという名の彼のロボットまで小さく見える。手足に車輪が付属する以外はデフォルトというから、帝国の規格の七尺|(約二一〇センチメートル)あるはずなのだが。しかし、安田はやる気だ。計算高い彼の底には階梯に対する執着があり、こだわれば自分をそこに押し込めてしまうゆえ、非合理性の炎が目の中にちらりとほのめいた。
小峰は大きくうなづいた。外部との闘争は、戦争にあらざればこのような飛躍を生み出す。
「ルールを変えるんですか? 僕のセレナは武器は無しで格闘技だけなんですが」
「車輪を使うだけで、こっちも武器は無しだよ。それでいいかい?」オトゴンバル伍長は見かけと違って柔らかく言った。
「さっきバリカンで頭を刈るって……」
「ああ、あれは車輪の代わりにバリカンの刃を付けるってだけで、隊長の頭だから大げさにやりたいだけさ」
「そういうことですか、わかりました」安田が手を差し伸べ、二人は握手した。
それを見て、二体のロボットが中央の広い部分へ進み出た。
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このあと、セレナvsワジラ
翌日、哈府からドローン部隊、三本足部隊が出現。
黒衣システムの不具合で王が死亡。まで書く予定だったが急遽、変更……。
書き続けますよ、もちろん。
それより先にやることがあるだけです。
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