第三章 『離宮・療養所・カジノ』
第三章 『離宮・療養所・カジノ』
帝国を象徴する霊峰、富士。その威容を南アルプスを隔ててはるかに望む古都・駿府。ここは古えのサムライの時代、外交の中心であった。ただし、国内に群雄が割拠した戦国の世の話で、諸外国に開かれた真の窓口は西の九州は長崎にあった。
サムライの世は、闘争と裏切りを武力で競い合う封建制の時代である。サムライの王は、臣従した武将たちを抑圧、統制、操縦するための権謀術数を、ここ駿府を舞台として巡らせた。内政の中心・江戸、経済の中心・大坂よりも、駿府の動静に各地方で領地を治める家来たちは神経を使った。
いまや、それらの機能は帝都に集中し、この地には王族の離宮があるのみと対外的には伝えられている。
山懐に、いくつかの建物が散在している。それらは臣民の生活道路とは距離があって、車が通れる道は最も低い位置にある詰所までしか連絡していない。王族がこの地を訪れるのは避暑のためだが、伝統的に自然に親しまれることを好み山歩きなどをなさるゆえ、環境に手を加えるのは最低限に止め置かれていた。当然、警備の都合もあった。観光地であるが、富士の高嶺が近くにあるのに大荷物でウロウロしている輩や、木陰に隠れ建物も見えないのに半ズボンを下ろしながらでもなく車を止めて草むらに入る者がいれば、離宮関係、地元警察よりも一早く、地元民が好奇の目で見てくるのだった。
低い山々を背になだらかな斜面に町は広がっていて、山並みの端が海へ突出することによって二つの湾が形成され、一方が砂浜に温泉が出る側で湧湾、もう一方は漁業基地で勇湾。
サムライたちの天下国家に関わる要衝となるよりもずっと前から、この地では鯨漁が盛んであった。そのつながりで賭場も立ち、その筋の者も含め人が集まった。現在もカジノ付きの大きなホテルが建っている由縁である。それは湧湾側にあり、戦時ゆえ傷病兵を臨時に受け入れる病院として駿府でも全国各地と変わりなくホテルの施設が割り当てられていた。にもかかわらず、カジノは開いたままだった。博打場とは、一般社会とは別の秩序をもった世界である。賭けの前に人は平等で、カネを使う者に区別はないというルールの問題よりももっと古く、人間存在や物を所有する行為は一時的で、その正の面を春に例えたとしても、負の面が必ずある。その両面の移り変わりを前提としているから、外部から来るものは拒まれないし、なにものをも受け入れる開かれた場なのだ。
なんとロボットまでが、修理ではなく、傷病者扱いで駿府に戻されていた。
帝国特有の二足歩行ロボットが、戦場でトラウマを負ったような行動をした。暴走ではない。敵味方の区別はついていて、バディを無視したり、フレンドリーファイアはない。ただ、遅かった。AIシステムのエラーは、処理速度に異常はなく戻り値は正常に返しているので否定される。味方の兵の盾になるアクションなどに遅延はない。ただ、そこまでであった。そのあとの行動が遅い。攻撃してきた敵が味方の支援攻撃によって排除されても、そのまま立ち尽くしてしまう。緊急の事態には適応しようとするが、その一番目の解が出たら、それ以外が停滞してしまうようなのだ。それでも人間の反射神経よりははるかに速いが、人間と同程度では困る。
負傷者もロボットも治療や改良のためにここにいると、現地の臣民たちは聞かされていたし、そう信じていた。忠誠心から口を噤んでいるわけではなく、人々は離宮に統帥システムを開発した軍の研究施設があることは知らなかったのである。もともと漁師町で、あまり小さいことは気にしない土地柄ではあったが。
ASYL BAY PALACEは、そういうわけで、地元の客やこんな時でもギャンブルをやりたい連中や、戦争で帰れなくなったセレブの外人や、そうでない外人やらで、盛況なのだった。魯西那人までもが普通に過ごしていた。
建物の一階にカジノが設けられているのは、世界共通である。客が入りやすく集まりやすいよう、入場は無料。入ってすぐの目につくところには、定番のスロットマシンではなく、帝国の特徴としてパチンコとパチスロの台が並んでいた。前者はスマートボールやその後継のピンボールを縦型にして小型化したような国産のゲームで、後者は名前のようにほとんどスロットマシンと同じである。その昔は、パチンコだけを狭い建物に大量に押し込んだような専門の店舗があったらしい。その付属のように、パチスロも区画を切って併設されたようだ。が、ゲームの機械音や動作音とは比較にならない大音量の音楽が店内に常時流され、騒音があふれる環境は客を限定した。万人向けのカジノは、ゲームは当時のまま、マシン列の並びはゆったりと、好事家のためにイヤホン貸し出しサービスも加えて運営している。
やはり入口から近いエリアにある花闘はCSNのカードゲームである。その由来は帝国の遊戯・花札で、ルールも近い。これはディーラーを交えない客同士の勝負もできるため、盛り上がるのだが揉めやすい。そんな時にはロボットの出番である。タキシード着用で二足歩行で二メートル超のディーラーと同じ型式で表情の固定されたモデルの個体が優雅にやってきて、あらゆる言語で啖呵を切り、最終的には賭金没収の強制手段に出るのだった。
ブックメーカーのコーナーは、いろいろな種目の競技や試合を生中継で壁いっぱいのモニターに表示していて、そのすべてに賭けることもできるし、見物だけの客も居座っていられる。賭けの対象はノーマルに、一対一で戦う格闘技、高校野球やプロ野球、エウロバのサッカーリーグ。米理国のバスケットボールの新人王は仏西国ののっぽかなど、多種多様。当地の観光客向け鯨取り漁も賭けの対象である。景品はクジラ肉の料理。帝国でしか味わえない絶滅危惧種の貴重な肉だが、その権利までも取引される。しかし、地元民にあまり人気がないのは、魚のように調理する帝国風が珍しいだけで牛肉と大して変わらないからという話もある。
戦争の行方でも、賭けは成立する。オッズは当然、帝国の勝ちが低くなる。表向きは帝国のカジノはすべて公営ギャンブルであるから、胴元は国が持つ。細かいところでは、敵の逃げた将軍がいつ見つかるか? 三日以内が優勢でデッド・オア・アライブでデッド。まだ落ちていない都市が落ちるかどうか? ロボットがトラウマを負ってしまうような激戦はどちらに分があるのか、場内その辺を歩いているガイド・ロボットに訊いてみても、AIは予想はやらない。データの蓄積から統計的に近似値を並べてくれる。ランダムな値を出す処理では右剰余と左剰余で結果を変えられるように、国内には入ってないと思われる現地の人に電話で聞いた新情報をインプットしてみても、魯西那のどこの都市からなのか、きょうの情報を昨日のより先に聞かせる順番の違いでも答えが変わってくる。二度尋ねて二度同じ答えだと、間違っていると確信してしまうのも人間だった。
カジノと言えば、ルーレット。ここでは、ディーラーロボが小さな球を器用に指でつまんで円盤へ投げ入れる。ロボットが付いている台は、チップ一枚が壱圓の最低のレートだ。テーブルには数人が集まっていて、緑のマットに区切られた数字目がけて賭けていく。赤か黒かには、ロボットが外周に数字の並んだ回転する円盤へ球をほうる前からすでにチップが積まれていた。そこにまた一枚、ロボットが球を放しベットを締め切るベルが鳴らす寸前まで待っていた男が、赤にチップを置いた。
「やめたいんだよ、ほんとは」
と、つぶやくが、目はグルグルとボールの動きを追っている。
「当たるのは当たるんだけどな、やめたいんだけどな」
安いレートのテーブルに詰めているなかには地元の人も多く、ぶつぶつ言ってても、しかし聞いてない。
球は黒に入った。
「まだ三敗だからまだ勝ってるんだけどな。まだ浮いてるからな」言い訳のような落ち込んだ様子はないが、ロボットが球をひろうのをジトッと見つめている。中年太りだが背は高くどんな模様なのかよくわからない地味なシャツを着て、顔の造作のすべてが重力に負けたように下に引っ張られていて弱気に見えるが、ずっとロボットから目を離さないほどの執念が弱々しくでも発している。彼は地元の漁師で天池という。延縄漁の漁船はまだ持っている。が、同じテーブルの人たちには無視されている。
天池の立っている場所から二人分ほどの間を空けて、小柄な老人がテーブルの端の木枠に置いた数枚のチップを両肘の間において、重ねた両手に顎を乗せ、これもロボットを見つめている。小柄な上に猫背で頭には白髪がちょぼちょぼとして、身なりはみすぼらしい。
「お父さん、またやってる」
近づいてきた娘は、と言ってもオバサンで、大きな頭に密度の高そうに生えた多めの髪があっちに巻いたりこっちに流れたりとうねっている。山川美輪は大きな顔が福々しくて、父親の山川好三には似ていなかった。彼女は普段着でもカジノのもっと高額なエリアにそのまま入れるほどにはきちんとした服を着ていた。
「まだ行くとこあるんだから、さ、行くわよ」
父はカクテルメイドロボに一瞥をくれた。そのマニアックな衣装ではなく、無料のドリンク類を見たのだ。しかし娘にせかされると数枚しかないコインはチップに残さず、清算に向かった。
親子が去ったのとは逆の方向、奥まったエリアには高額チップ専用の部屋があった。いくつかある扉の前には人間の係員が立っていて、客のチェックをしている。部屋ごとに賭金の大きさが違い、宿泊するルームナンバーがどこかのカメラで認証され、あるいはカジノツアーの客は許可証の提示を求められ、入場だけの客はクレジットや現ナマが確認される。もちろんカジュアルな服装では入れない。正装までは不要だがビーチサンダルは素材として深い絨毯との摩擦が大きくなり、歩行は困難だ。
このエリアで行われるゲームは、世界のカジノと同じく主にポーカーであった。
しかし、ここにも帝国独自のダイスを使ったゲームがあった。チンチロリンである。
これは、三つの小さなサイコロをどんぶり鉢に放るだけの、なんとも小ぢんまりとした博打だった。だいたい数人が頭を突き合わせるようにしてどんぶりの周りに集まってやるもので、賭場で本チャンの勝負をして負けて残った小銭でもまだ張れるような、しょぼいゲームだった。ただ、ルールとして、倍取りが最初から目の中にある。勝ったからダブルアップではなく、一投目から倍取りも倍付けも出る。それどころか1が三つのピンゾロで、取り分三倍だ。親ならば全員から取る。これは少額だから成り立つルールなのだが、それもドカンと張ってやってしまおうということで、頭がぶつかりそうなくらいに参加者同士どんぶり鉢に覆いかぶさって白熱する、当カジノで一番人気のゲームとなっていた。
小さな丸テーブルの真ん中にどんぶりを置くだけだから、たくさん設置できる。よって賭金のレートもまちまちである。でも、まるでタバコを吸える場所を見つけた共犯者のような親密な距離感で、各テーブルは盛り上がっていた。いや、タバコも酒もやらず、ポケットからお菓子のグミを途切れることなく口に放り込みながら、同じようにサイコロをつまんでは投げて賭け続ける太った外国人もいる。その大きな図体の斜め後ろにずれた位置では、若作りだがスーツの着こなしが妙に決まっている男が英語で通訳していた。この男、いつ頃からか上客に取り入ってはギャンブルのアドバイス付きのガイドで稼いでいるが、年齢不詳で噂では大陸浪人をやって危ない橋も渡ってきたらしい。自分ではあまり賭けをしないのは目立たぬように気を付けているからだった。アドバイスも、客同士の勝負ではカモを狙わせ大勝ちさせるだけの腕はあって、儲けはそれなりに凹む客はそれほどでもなく勝負のパランスをとる弁も立って、テラ銭以上に胴に回す算段も上手かった。人間のディーラー、人間の黒服には、公営ギャンブルと言いながらその筋の怖そうな団体から差し向けられた人たちもいたので、重要な立振る舞いだった。モップ工場の社長だという近頃捕まえたデブの魯西那人を、サイコロを拳の中に入れて親指と人差し指の隙間から息を吹き込めなどという呪いまがいから、親になったときはステイして親で居続けろという基本戦術まで、あらゆる口八丁で逃すまいとしていた。
「おやめなさい」静かな口調の魯西那語だった。そう諭したのは、白皙、長身、がっしりとした体躯をタキシードに包んだ紳士。顔に刻まれたしわは年齢を感じさせるが若々しい笑顔が完全にそれを打ち消している。バロン、という身分を彼の自己申告のみで皆が信じたくらいの気品があった。しかし、忠告された小柄な老人は、鷲鼻が風切り音を立てるくらい激しくかぶりを振って、
「まだカネはたくさんある。やれるんだ」
彼には職業倫理を説かれても納得できない理由があったが、ともかく全財産の入った小さなカバンを固く抱きしめ、頑なに言った。
バロンはやさしく、
「わたしは構いませんが…。あなたのお金だし、あなたのチップだ。でも同じチップでも新しいゲームと思って挑まないと勝てませんよ。切り替えないまま、さっきの続きをやればまた必ず負ける。執着するのは勝負ではなくカネであるべきです。それならばそのカバンが軽くなっていけば、マズイなあと気付く。カネはどうでもいいという姿勢では同じように負け続けるだけ。それじゃロボットですよ」
カバンの重みを確かめるように抱え直し、ドミトリー・クズネツォフは鷲鼻の上の小さな瞳の黒目がさらに収縮したようになって顔を曇らせた。そして、すぐに反発とも承服とも違う意志のある目になって、
「ありがとう、わしはロボットが嫌いだったんだ。きょうは勝ち目の流れではないということかな」
「まあ、とりあえずゲームでもやってみませんか。せっかく帝国に来たんですからビデオゲームのほうもいいでしょう。帝国のテレホビーゲームは一時は世界を席巻しましたからね。ここにはその頃のレトロゲームから、当時の勢いのまま作られたアーケードゲームまで揃ってるんですよ。きっと懐かしいものも見たことのない驚くようなものもありますよ」
「わしが子供の頃、テトリスが世界中で流行ったな」
「そうですね。テトリスもありますよ、幻のメガドライブ版が……、ああ、この部屋にもあった、あのアップライト筐体です」
バロンは、部屋の壁沿いに並んでいるモニターを備えた縦に細長い機械のほうを示した。液晶ではなく丸みを帯びた画面が向き合うと胸の辺りにあって、その下の出っ張りには、丸いボタンが三つ並び丸い頭の付いたレバーが突き出ている。モニターの上にゲームタイトル。ゲームで操作するブロックを模した字体で、帝国仕様のカタカナだけでなくアルファベットもあるので外人でもわかる。全体は縦の直方体でモニターから上は斜めに切り欠いたように細くなって、カラフルなイラストで彩られている。
「あんな派手なパッケージじゃなかったと思うが。魯西那で出たカセットは」
「あれはアーケード版でゲームセンターの中で目立たないといけませんからね。ここではチップで遊べるがコインを入れさせなきゃならない。でも、帝国の意匠はなんにせよ独特ですよ。美意識が違うんでしょうね」
「まあね、こんな陶器一個でやるギャンブルを生み出すのは変だよね」
「それでみんなが熱くなるんだから本当に変ですよ」
「へっ」と、老人は鼻で笑った。そして言われたとおりテーブルを離れると、魯西那人のデブが熱くなっているテーブルのほうではなく、出口へとバロンと共に向かった。
博物館という規模ではないが、資料としては十分なたくさんのゲーム機がカジノあちらこちらに置かれている。もちろん稼働した状態である。
まとまった量の機械は資料室にゲームメーカーごとなどのテーマで集められている。家庭用のテレホビーマシンの部屋の一角は、帝国の一般家庭の子供部屋や居間を再現していた。中で単にプレイすることもできれば、部屋の調度も含め販売されていた。
ゲームの部屋だから、座ってあるいは立って画面に向かっているだけかというと、そこは帝国である。体感ゲームというジャンルがある。
『ダンス・ダンス・バトルシップ』は、後継の新作が何年も出続けている人気シリーズの、開戦後の派生作品。海戦ゲーム、水雷戦ゲームなどと呼ばれるボードゲームと、リズムゲームを融合させたゲーム性。踊れば魚雷を避けられるという根性主義のフィジカル要素がウケている。
『スペース・ハリアーFPS』では、大砲のように大きな銃型コントローラーを抱えた人間がクレーンのような装置に吊られてジタバタしている。
『ハングオン・オブ・カネダ』『ハングオン・オブ・テツオ』などの同型機は、実寸大のバイクのレプリカ模型自体がコントローラーで、それに実際にまたがって操作する。なぜそんなことをするのか、帝国以外の人には理解しがたいだろう。また、このシリーズには『スぺハリFPS』のギミックが追加されたバージョンもある。
『テトリス』は、パソコン版、モノクロの携帯ゲーム機版、アーケード版のほかに、例のメガドラ版も一緒に並んでいる。違うマシンなのに時代順に並べているのは、魯西那の歴史観への皮肉ではなく、比較のためだけだった。
しかし、一人の男が向かっているモニターにはゲーム画面ではなく、あるホームページが映し出されていた。男は操作もしない、画面を叩きもしないで注意深く見守っている。
するとそこへ、Tシャツにハーフパンツの軽装のメガネの男がやってきた。斜めに掛けたカバンは口が開いてタブレットやモバイルノートがいくつも詰め込まれていて、耳に当てたスマートフォンで指示を受けているようで、ゲーム機の前につくねんと立っている男を認めるとそのまま近寄ってきた。
「はいちょっとごめんなさい。おたくはどういうふうにゲーム始めたんですか。チップですか、コインを入れたんですか」
スマホをマシン類の隙間に突っ込んで、重そうにカバンを床に置いた。タブレットを一枚取り出して重心が変わって倒れそうなカバンを置き直す。タブはすぐに立ち上がって電波状況をモニタリングするグラフや処理のログなどのウインドウが開いて行く。
まだ作業は始まってないが、ゲームをしていた男は、
「これハッキングされてるのかな」
「そんな大したことじゃないです。繋がってるだけ、外と……」
メガネの真ん中のところを中指でくいッと上げながら、モニタ画面から目を離さずに修理の男は即答した。
「攻撃されてるでしょ。何か仕込んでないと操作はできないよね」
「いや、これオリジナル・プログラムなんで。セガだからネット対戦できるしブラウザも入ってるんで……」
「昔のブラウザがハックされたのか」
「いや、昔のスクリプトなんて非力で貧弱なんで。グロ画像を貼り続けるようなバカしかわざわざ狙わないし……」
「じゃあ、ダークウェブとかに誘導してるとか」
「そんな深いとこにはこっちの……」と、タブレットの画面を見せて「このブラウザのシークレットモードでも広告だらけになって面倒くさいから、昔のじゃ重くて行けないね」
「それはブラウザにもよるしタブレットのスペックによるけどね」
自分の趣味のものを貶されると自分がそうされたように受け取るオタク独特のムーブで修理の男は、
「行けるから、面倒くさいだけで行けるけど、こいつはただの悪質な奴でまあ裏サイトというか洗脳系というか」
「サイトの内容が? じゃあブラウザが開いてるだけなん? それならマシンは大丈夫でさっきのチップもカウントされてるのかな」
「たぶん残ってると思います。前にあった時コインのクレジットも残ってたんで。魯西那はちょいちょいこういうのあるんで……」
「え? 魯西那がやってんの? じゃあマズイでしょ、やり返さないと」
「お客さん……」修理の男の、部外者ともニワカとも聞こえる言い方にゲームの男も反応した。オタクの同族嫌悪が、魯西那が介在することで互いを向いてないベクトルになって、矢印がチクチクとあらぬ方向から両者に刺さった。
「やってみていい? 洗脳系なら書き込みでやり返せばいいじゃん」
「やめといたほうがいいですよ、かなり問題になったサイトなんで……。ブルーホエール・チャレンジっていう」
「ああ、あれか? そうだ、魯西那の、聞いたことある。このヘッダの鯨の画像がブルーじゃないから、ここの鯨漁のこと批判してるのかと思った」
ブルーホエールは、帝国では白長須鯨と呼ばれる。
「危ないですよ。それに書き込みってソフトキーボードをジョイスティックで操作してやるんですか? スマホ繋げるのはお勧めできませんよ」
「本体だけでやりますよ。対戦格闘みたいなもんだ。やってやりますよ、帝国万歳ですよ」オタクのしつこさが発揮された。
「……それじゃあ一応、強制終了のやり方だけ……」面倒くさそうにボタンとレバーを押す手順を確認すると、斜めに傾いたようにカバンを肩にかけながら修理の男は去って行った。
ブルーホエール・チャレンジのホームページの入口は、ホラー系オカルト系の情報サイトである。しかし、実態はいわゆる自殺コミュニティで、サイトの管理人から五〇日間に及ぶ課題が閲覧者に出される。課題をこなし、証拠の画像をSNSにアップロードするよう要求される。失敗すれば酷評され、しかも、クリアしても賞賛ではなく罵倒が返される。見限ってしまえば終わりだが、それでも繋がりを求めて課題をやり続ける自虐的な者は、さらに過激で自傷を伴うような苛酷な条件を飲まなければならなくなる。最終的には自殺をそそのかされる。
数年前から世界中で流行し、その犠牲者は若年層を中心に数百人とも言われている。
オタクなので胡散臭いことにはアンテナを張ってる。噂は知ってた。まだやってるのか。
スマホで検索してみると、いろんな言語で出てくる出てくる。
オタクなりの変な正義感が熾火から燃え出した。残り火があるところを知らないとなかなか火は付かないから少々の火の粉が飛んできても何も起きないが、火種は消えることはないという、執念深さではどんな厄介なサイトにも負けないやつだ。
連鎖狙いやコンボでガチャガチャやる感じで、入力フォームに文章を打ち込む。こういう時は英語で、魯西那人に呼びかけるときは「ミーシャ」とネットのレスバで習い知ってる。
「おい、ミーシャ。こちらは帝国からだ。ゲームやろうぜ」
自動返信ぐらい組んどけよ。カモを誘ってんだろうによ。
「おい、ミーシャ。返信が遅い。自分もプログラミング向上にチャレンジしろよ」
悪いやつ相手なら悪口はいくらでも湧いてくるのは、ネットあるある。
「SNSに場所を移動したか? でも、おまえはオシャレじゃないから何もできないだろ」
ブーメランだったが。男は堀田という名の東京からレトロゲームを探して旅行に来たサラリーマン。メガネをかけていないこと以外、一般のオタクともさっきの修理の男とも変わるところなし。
「来いよ。ロシアン・ルーレットやろうぜ。来いよ。おまえの国のゲームだろ。なんだよ、他人にはやらせといて自分は尻込みかよ、ホモ野郎、来いよ。ゲームやろうぜ、戦争やってんだから銃はあるよ。おまえの銃でもいいんだよ。来いよ。なんだ銃持ってねえのかよ、やっぱりオカマ野郎か。おまえの生きづらさは他人に不幸をなすりつけてもいいような特別なものじゃねえよ。来いよ。ネットの陰に隠れてないで来いよ。遊ぼうぜゲーム好きなんだろ来いよ」
ベトナム戦争では、それ以前の戦争とは比較にならぬほど銃弾の使用量が増えたという。敵はゲリラで、ブッシュに潜んでいた。敵がいるかいないか分らぬジャングルの鬱蒼とした草むらにめくら撃ちで撃ちまくったためだ。
さながらネット炎上とは、巨大ではないと分かっている敵を過剰な火力でもって殲滅しようとする米軍の心性ではなく、自らが貧弱なゲリラに過ぎないと分かっていながら、戦術だけは米軍の方法を採っているようだ。どこに隠れているかわからない敵に怯えて乱射しているのを圧倒的と勘違いしている。物量を誇るがDDoSの手間もなく自分から操られ乗っ取られる。
孤軍奮闘、堀田のボタンを押し続ける戦いは続いていた。