第一章 『女王、王宮におかせられ戦争方針を賜る』
目次
第一章 『女王、王宮におかせられ戦争方針を賜る』
第二章 『帝国議会は戦時においても議論を続ける』
第三章 『離宮・療養所・カジノ』
第四章 『哈府・膠着』
第五章 『勇魚取り』
第六章 『浦塩・陥落』
第七章 『舟宿』
第八章 『樺太・占領』
第九章 『女王、打ち合わせで本質を語る』
第十章 『女王、総選挙後に未来を宣う』
第十一章 『古いゲーム』
第十二章 『バトルフィールド』
第十三章 『与党は拡大方針を既定路線とするも論戦は続く』
第十四章 『磯釣り』
第十五章 『帝国軍人工知能研究所』
第十六章 『勝者と敗者』
第十七章 『浦塩の支配者』
第十八章 『女王、虐殺の事実を知ろしめす』
第十九章 『上級の流儀』
第二十章 『女王、憤怒す』
第二十一章 『帝国議会は勝利とは何かを議論する』
第二十二章 『ドラゴンライダー』
第二十三章 『荘厳な儀式』
第二十四章 『櫻威、出撃す』
第二十五章 『女王、戦争を放棄す』
第一章 『女王、王宮におかせられ戦争方針を賜る』
統帥権は、あらゆる事項に優先する。なにものにも妨げられないし、何事であれ干渉は可能である。されど、戦場の指揮や方針が逐一上奏され、勅命を待たなければならないとしたら、戦略も戦術も何もない。すべての命令は王に発するが、下々の俗事に煩わせることは避けられるべきであるように、高度の判断が介入するまでは、万事は現場に任されている。
逆に言えば、いついかなるときも王の統帥権は一挙に発揮される。そのようなシステムが構築されている。
そのために、先王は戦場の命令系統の予期せぬ過大な負荷に耐えられず、命を落としたのだが……。
しかし、若き女王はただちに王位を襲い、継戦の意志を宣旨に発した。
本日も、帝都の王宮から、統帥本部の発表が為される。
軍人ふたり、帝国議会との連絡官の女ひとりがそれぞれ直立不動で待っている宮廷内の映像が配信で流れ始める。大きなテラス窓のある夏の陽がいっぱいに差し込む明るい部屋で、ガラス越しに見える前栽は雑然として、職人の手が入ってるとはなかなか気付かないであろう。当初、王の会見、発表は、重厚な机に座して行うよう執務の間が使用された。戦争の推移を正確に冷静に伝えるには、厳粛で静謐な空気で行うのが是とされた。しかし、先王の戦死は、帝国臣民に衝撃を与えた。臣民に愛されたその人柄ゆえに、復讐の激しい熱気が瀰漫し、過剰な狂騒の気運が軍部や政府を煽るまでになることも憂慮された。女王は、帝国真宗の祭壇の間でもなく、また石庭を望むある意味で無機質な畳の間でもなく、例の先王が使った執務室でもなく、明るく、部屋の調度といったものは軍が持ち込んだディスプレイ類の装置以外何もない、その彼らが待機する場であった簡素なこの部屋を選んだ。
さらに、先王の死を崩御と呼ぶことも、散華と称揚することも禁じた。
画面に、女王が簡易軍服に似せて仕立て直された、いつもの軽装で現れた。統帥権の発現たる黒衣システム用のボディスーツは、金属が完全に排除された仕様で、体の前で胴を覆う左右の身ごろを合わせ紐を蝶結びで止める、一見伝統武道の道着にも見える形状だった。ズボンも同様である。それが、女王の指示で、戦闘や伝統を連想させるより、普段着ともとれる襟付きのシャツと膝丈のスカートに変更された。
軍人ふたりは、台車に載せためいめいの装置に付いた。有望なる青年将校である彼らの軍装は礼服である。連絡官の鶴林元子は、タブレットで映像をチェックしている。彼女は、地味な色と官僚によくあるスタイルのため目立たないが上質なスーツを纏っていた。
「親愛なる帝国臣民のみなさん、こんにちは。昨日の戦果について、またそのほかのお伝えすべき出来事を統帥本部を代表し、わたくしから発表します。えー、その前に、魯西那国は本日もやはり我が帝国に停戦、撤退を通告してきています。では、いつものように、アレ行ってみましょう。
せーのっ! 『バカめ』!」
女王は、澄ました顔でさらに、
「また魯西那を支援する国際連合軍も同様に、我が帝国に支配地域を放棄し撤退するよう通告してきました。はい、もうひとつ、いつもの。
せーのっ! 虫のいい話だぜ!」
ごくあっさりと女王は宣った。軽装、無造作にまとめた黒髪、戦闘のあとゆえ、化粧っ気はなくとも上気したままのほんのりと赤い頬。かつてコア女性層のファッションリーダー、ロールモデルであった頃は、あまり臣民の前で言葉を発する機会もなく、愁いを帯びたような大きな濡れた瞳と華奢な姿から、典型的なお嬢様として人気があった。それが、いざ王位に就き、戦争指導を直接行う段になると、その才気煥発ぶりで全帝国臣民にまで支持は広がっていた。
勇ましい反駁を喜んで唱和するのは臣民であって、女王のうしろに居並ぶ特に軍人たちは表情も変えず微動だにしない。それが、ある種の軽みになって、文句を向けられる敵国はともかく、帝国臣民は発奮しすぎるのでもなく景気がいいという気分にとどまるのだった。
「では、タチバナ!」
「はッ!」すばやく敬礼し、大本営所属、橘広樹陸軍大佐は、プロジェクション装置を作動させる。長身で、軍服の上からでもよく鍛えられているのがわかる痩躯。綺麗に刈り揃えられた短髪。浅黒い肌の無骨な顔立ち。元からの女王のファンの間ではちょっとした噂になっていたのだが、そんなことは彼は屁とも思っていなかった。
橘大佐は無駄のない動きで装置を離れると女王の隣に進み出る。
女王の目の前の空間に半透明の地図が浮かび上がり、配信の画面上にもそのとおりに表示された。映像の同期は、山之内晋作拡張軍部・連関部長が取っている。
地図は、帝国本土の列島を中央に映し出し、その北の帝国海、それを内海にして沿うように大陸から伸びた智星半島、そしてさらに北の満蹴国。国境と、主要都市、幹線道路、鉄道網が表示されている。帝都を中心に陽光の赤い帯が放射状に回転しながらそれら領域を覆い、帝国の現行の勢力を誇示し始めた。加えて、国境の外へ、大まかな軍の進行方向が簡易的な矢印のアニメーションで描かれる。赤く、太い矢印が、先へ先へ押し寄せていくイメージで繰り返し表示される。
一方、帝国列島の九道州のうち北海道から、帝国海を内海と見立てるには大陸から突き出た半島と対となって東側の縁に沿う形になる間宮群島は、帝国の都市と同じ色で表示され、矢印はない。陽光を模した赤と白の帯が代わる代わる領土を染めるのが、海を隔てて途切れながら島々に渡るので、一体感を感じさせずにはいない。北東方面の軍は、すでに大きな都市を陥落させ、順調に進撃が続いているのだ。
地図全体を眺め渡した女王は、説明を始めた。
「御覧のように、一部を除き作戦は遅滞なく遂行されています。占領した都市には、CSN、MCUと同様の地位と待遇が適用されます」
地図上の二つの都市に、大きく青く同心円が収斂するようなグラデーションの光が灯った。半島の行政府・京丞と満蹴国の首都・真京である。その近くに、都市名ではなくそれぞれの略称が、青い色でゆっくりと点滅しながら表示された。そして、進み出た橘大佐は、帝国の領域外の二つの都市を指差した。その時には、赤い陽光を模したアニメーションは消えて、ワイヤーフレームだけがモノクロに表示されている。まるで地域の区別がないかのように。
「もちろん、敵軍を撃退したといっても、部隊を離れゲリラと化した残党は反抗を続けています。しかし、そのような小さな規模の遊軍的な目標ほど、我が帝国が誇る黒衣システムの格好の獲物と言っていいでしょう。肝心のシステムはあれからまだ五〇パーセントの出力に抑えていますが……。もちろん、占領軍が通常の掃討作戦を実施すれば、時間はかかってもある程度の被害で制圧できるのですが……」
統帥システム『黒衣』の設計開発及び調査改良の責任者、山之内部長は話を聞いておらず、そんなことより我慢できずに猫背気味に戻っている。さらに長い髪が鬱陶しくて、のべつかき上げる神経質な様子が、巷ではちょっとした騒ぎを別の意味で起こしていた。が、怪しさが軍事システムに近づく者への牽制になり、システム自体に不可解なイメージをもたらすなら、機密はより厚くなる。それもこれも計算のうちと、彼は考えていた。
彼が話に反応しないのを見ると、鶴林連絡官は、先ほどの女王の発言に注意を促すジェスチャーを送った。コンコン、とタブレットを叩く。その行為が電子機器開発と機械語記録の拡張軍部の者には気に入らない。
ともかく、山之内部長と鶴林連絡官の間の険悪さは、ふつうの臣民と同じような彼女の反応に彼の官僚嫌いが合わさって、行き違いは大きくなっていた。特に、彼女が内務省出向の内閣官房付きとあっては、機密費という言い方から内容の杜撰さ雑多さに曖昧さまでが気に入らない。秘密にしなければならないのではなく、口外できないだけではないのか。彼の神経質さでも、部品の小さい顔ではなかなか表情に出なくても周囲にまで伝わってしまっていた。
女王は、かぶりを振って、
「そうですね。犠牲者の予測をある程度の……などと言うべきではありませんでした。
この戦争には勝ちます。皆で勝ちましょう。この戦争は拡張戦争です。拡張軍部が創り出した帝国独自のAIシステムが初めて本格的に導入されたという技術面の話だけではありません。
我が帝国が目指す、理想の世界の拡大。そう、拡張世界のための戦いでもあります。
敵にはもちろん勝つ。そして、現在の差別や格差がまかり通る奇妙な世界を我が帝国が改良する。
その実行の過程において、理想は何度も考え直されなければなりません。それを我らは躊躇してはならないのです。試行錯誤の繰り返しで、思想は磨かれ、研ぎ澄まされていく。そこを怠ってはいけません。安易に戦果を誇ったり、そのための犠牲を軽んじたり……。今の段階としては、現場では仕方のない事態もありうるでしょうが、あんな言い方をわたくしがするべきではありませんでした。
理想の世界、それは遠く浄土への橋渡しとなるような、少しでもそこに近づけるような、そしてそれを現出させるような……。
まずは速やかに、これら我が帝国の領土に、自由でそして平等な王道楽土の建設を目指します」
女王は、片手を上げ、掌を地図の中心から全体へ向けるように横に薙いだ。
その瞬間、地図は色を変え、実際の地形の衛星画像が半透明に美しく映し出された。
「いまだ制圧できていない方面の作戦でも、黒衣システムは犠牲者を少なくするはずです。わたくしの体調を懸念してくれるのはうれしく思いますが、なるべく早く出力全開での戦闘に移りたいと思っています」
山之内部長、橘大佐、それぞれ元の位置に戻り、直立不動であった。
「ところで、我が父の斂葬を国葬にて行いたいと、皆が申し出てくれておるようです。帝国議会でも、臣民の意を受けて重要議題としてさっそく諮られているようで大変ありがたく思っています。しかし、父王の死は、戦死であります。ほかの、戦場で倒れた兵士たちと同じです。戦地は違えど、あなたがたの家族、あなたがたの愛する人、残念ながらたくさんの人が犠牲となっています。そのなかには、まだ帰ってくることのできない者もいるでしょう。彼らは英霊となって、我が帝国を守ってくれているのだから……と言われても、釈然としないのが人情というもの。
我が帝国真宗は、浄土へ渡る者を区別しません。浄土は完全なる世界であり、世界自体に改良の余地も無ければ、何ら制限などなく、むしろ不完全なる現世のために神仏の立場から逆行し、菩薩となって現世に舞い戻り、苦しむ人々を救済し、あるいは身代わりに苦を受けていると言います。
我が父ならば、浄土へ行って果たして何をしたでしょうか? 浄土へ行くことは、すべての臣民に保証されていて、わざわざ送り出す必要はありません。そして、父ならば、やはり我が帝国の行く末を案じ、なれるものならば菩薩となってでも帝国の改良発展に尽くすことでしょう。
よって、我が父の弔いは不要とします。王はいつも、あなたがたのそばにいます。
だからと言って、我が臣民たち、あなたがたにも葬儀は要らぬ、してはならないなどということはありません。
むしろ、帝国真宗の形式にこだわらず、めいめいおこなってください。
帝国真宗の祖・真鸞上人は、弟子から「自分の母がほかの宗派のやり方で墓参りをしていたのでやめさせました」と言われて、「それで母の心が安らぐのなら、形などどうでもいいからやらせておきなさい」とおっしゃったそうです。
ただ一度「帝国万歳」と言ったなら、それだけで浄土の門は開くのです。いいえ、一度そう心の中でつぶやいたなら、ただ一度思いさえしたなら、それでいい。そのやさしさが浄土です。
どうか、ひとりひとりの気持ちを大切に暮らしてください。心安らかに、そして、できれば愉快に生活を楽しんでください。そうでないと、戦争になんか勝てません。そのような全体の雰囲気を、士気と言いますからね。戦場に良い風も吹きません。
豆腐が五円安くなった。それも大切なことです。自粛を求める一部の意見もありますが、もったいないの精神があれば我が臣民は普段から行っていることでしょう。であるなら、もったいぶったような吝嗇はいりません。帝国議会は党派を超えて、みなさんの暮らしのために腐心しています」
鶴林連絡官は、動こうとしてやめた。
「パンがなければケーキを食べればいい。わたくしも言ってみたいですね。
世間知らず、非常識。
でも、それとは違う、奇妙な常識というものが今の世界にもあります。
我が帝国は先の大戦で忘れえぬ苦しい思いを味わわされました。ひどい敗戦でした。
取引きされ、餌にされ、代理戦争に使われ、挙句、奇妙な爆弾の実験場にされ、奇妙な果実の苅場になった。虫けらのように一度に大量に殺された。
そんなことまでが法だった世界からは変わった、と彼らは言うかもしれません。彼らにすれば、特権はなくなり、取り分は減り、充分変わったのかもしれません。
しかし、まだまだです。
奇妙な常識がイデオロギーと呼ばれなくなっただけで、形を変えてインターネットにはびこっています。一方で帝国の理想を腐し、対案を要求する割りに、敵ではないような言い方ですり寄って降伏しろとこちらを挫く。一旦、標的となったら見境なく炎上させ、しかし相手を一緒に攻撃しないと分かった途端、さっきまでの味方が寝返って、こっちを標的に衆を頼んで襲ってくる。簡単に倒せないとなるとまた立場を変えて、とにかく行動の邪魔をする。
散漫で、依怙地で、集団的でないようでいて孤独の影に怯えたように徒党を組む。にわかに集まり、唐突に散る。
我々は思想の戦争にも勝たねばなりません。我が帝国はこの拡張戦争に必ず勝利する。
敵の陣営には、支援はしても参戦はしない国もあります。過去を反省しているのか……。いや、忌々しくも奇妙な爆弾に準ずる強烈で効率的な兵器を我が軍に向け使用しています。彼らにとっては結果のためなら……」
鶴林よりも先に、橘大佐が「陛下」と声を上げた。
「……なるほど、参戦していない国をあまり俎上に上げては、戦争以外の交渉に影響してしまうかもしれませんね……」
女王は、息を整えた。
「ほかにも奇妙な常識はあります。
なぜ帝国の二足歩行ロボットは奇妙な存在と言われるのでしょう?
足なんて飾りだ。移動手段として効率が悪い。
しかし、ロボットはしゃべるし、人間に歩調を合わせ、生活をともに送る。人間の似姿になるのは当然と考えられますが、どうやら戦場において、ロボットが人間を狙わないのは、帝国の独自基準のプログラムのようですね。
何をかいわんやということでしょうか。
ロボットに関しても、山之内には何か考えがあるかもしれませんが……」
山之内部長は、耳にかけるように二度三度髪をかき上げ、右の拳を左肩あたりに挙げて、ほかの軍ではやらないような忠誠の意を表した。
女王は小首をかしげ、話を続けた。
「ロボットも含め、自由平等、五族協和の世界を目指す、ということでいいですか?
では、そのような理想の世界に造り変えてみせましょう。
我が帝国は、勝ちます。
それでは最後に、本日の戦死者の氏名をお伝えします。すでに軍から何らかの通知があったとしても、正しい情報は黒衣システムを経たこの発表にありますから、どうか正確で冷静な情報の把握に努めてください。
では、帝国陸軍、哈府方面、……」
帝国の領土の映像の上に、帝国軍部隊名、氏名の並びが上へとスクロールして表示されていく。
部屋のすべての人間が、姿勢を正し、立ち尽くしていた。