仮面舞踏会で求婚されたけど、わたくしはあなたが嫌いな悪役令嬢でしてよ?
毎年新入生を迎える時期になると、学園では舞踏会が開かれた。きらびやかなシャンデリアのある会場で新入生を祝う。
それが舞踏会の本来の目的であった──
「セレス、君は何を着ても可愛いね」
男は白いマントを翻し、甘い声で囁く。
さらさらの金髪に、海のような青い瞳。笑った時に見える白い歯は、まさに理想の王子様を絵に描いたよう。
彼はこの国の皇太子であり、とある令嬢の婚約者でもある。
「ユージン殿下だって素敵ですわ」
そんな彼の隣には、幼さの残る顔立ちをした可憐な少女がいた。彼と腕を組み、甘くとろける眼差しを男に向けている。
少し癖っ毛の黒髪には、かわいらしい兎のピン留めがついていた。
黄色のドレスに、黒いブーツ。対照的な色合いではあったが、かわいらしい彼女には似合っていた。
そして、どちらもが仮面を被っている。
「……セレス、今日は君との婚約を発表する予定なんだ」
「え? でも殿下には、ミリア様という婚約者がいるじゃありませんか」
私では遠く及ばない貴族の鑑のような人だと、セレスは申し訳なさげに言う。けれど口ほど困惑した様子はなかった。頬を赤らめ、ユージンの手を握るぐらいには嬉しがっている。
セレスはため息をつき顔をあげた。自身よりも頭二人分ほど高い背の彼を振り向かせようと、袖を軽く引っ張る。
彼女を見下ろすユージンの眉間にはシワが寄っていた。
「いいや! 彼女は取り巻きであるカロリーヌ嬢と一緒になって、君を苛めていたじゃないか。上履きを隠されたんだろう? あの女の取り巻きに囲まれて泣かされたのだろう!?」
「は、はい。とても怖かったです。きっとミリア様は、平民である私が学園に通う事を良しとしなかったんだと思います」
学園へ特待生として入学したセレスを待っていたのは地獄だった。口にするのもおぞましい数々の嫌がらせに耐えたのだと、セレスは泣きながら彼の胸に顔を埋める。
「ミリア様にとって地位は重要なんだと思います。でも私は……」
潤んだ瞳でユージンを見上げた。
「学園の教えである、貴族も平民も関係ない。平等に暮らすのが生徒としての勤めであるという事を、私は胸に刻んでいたんです! それなのに……ううっ!」
「セレス! 今までよく耐えたね。もう大丈夫。この舞踏会で、僕はあの女との婚約破棄を言い渡すから。顔がよくてもプライドだけ高い女なんて王妃に相応しくない!」
ミリアという者のことを怒涛しながら吐き捨てる。仮面越しでもわかるほど瞳に怒りを乗せ、唇をかみしめた。
「学業や貴族としての礼儀作法があっても、あんな性格ブスを僕は許せない。いいや、嫌悪感すら抱くレベルだ!」
「だ、駄目です殿下! ここには今、学園の先輩方や、貴族の方々がお越しくださっている舞踏会なんですから……」
「ふっ、だからこそさ。ここに集まった人たちへ、ミリアの非道な行いを知ってもらうんだ」
「殿下……」
「そうなれば婚約破棄は時間の問題だ。目撃者がたくさんいるのだからね。そうしたらセレス……」
セレスの腰をぐいっと寄せ、彼女の頬に伝う涙を拭う。
「君と正式な婚約発表をするよ」
だから泣かないでおくれと、彼女に優しく語った。
セレスはユージンへと身を寄せる。嬉しい、愛していますユージン殿下。声に喜びを乗せ、頬を赤らめた。
けれどそんな彼女の口角は不気味なつり上がりを見せていた。
ユージンはそれに気づかぬまま、ミリアという者への悪口を連呼する。
「子供の頃からそうだった。あいつは常に僕を見下していた。妃になる事に執着し、何かにつけては王族としての態度が~! などと、言っていたんだ。身にまとうものは真っ赤なのばかり。派手好きな女だ」
そこまで言いきってセレスを抱きしめた。
周囲の者たちがそんな二人を横目に見ながらひそひそ話を始めた頃──
舞踏会場の扉が豪快に開く。
刹那、会場が一気にざわついた。
扉の向こうから現れたのは二人の男女。
男は皇太子であるユージンよりも威厳に満ち、背も高かった。宵闇のごとき黒髪は腰まで伸び、ポニーテールにしている。髪色と同色の瞳は切れ長で、目鼻立ちともに端麗さが際立っていた。
男は真っ黒なタキシードを着て、白い仮面を被っている。
そして男に手を握られて優雅に登場したのは、輝くほどの銀髪美女だった。
銀の髪を後ろでアップにし、薔薇のティアラをつけている。雪のように白い頬に映えるのはベージュの口紅だ。その唇が微笑めば、艶めかしさが増え、何とも言えない色気を醸し出す。
見目麗しく、かつ、神秘的な姿を隠すのは真っ赤な仮面だ。仮面は、月のごとく美しい金色の瞳をさらに強く見せている。
そして彼女の神秘的さに拍車をかけているのが水色のドレスだ。ふわりとしたスカートに、大人っぽさを兼ね備えたレースの袖口。胸元にあるバラの刺繍が、より落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
男が笑めば他の女性たちが黄色い声をあげた。女がしなを作れば、男たちは見惚れて声すら出なくなる。
そんな二人を中心に、会場全体が色気づいていった。
突然現れた二人によって、会場の注目は一気にセレスたちから離れた。
それが面白くないのか、セレスは親指の爪を噛んでいる。瞳は怒りに支配されていた。
隣にいるユージンに目をやれば、彼は女の美しさに夢中になっている。
(……まずい! この屑、あの女の虜になり始めてる! これだから惚れっぽい男は嫌なのよ! あんたは地位ぐらいしかいいところないんだから、その自覚持ちなさいよね!)
誰も今の自分を見ていない。それを好機と思ったのか、セレスの表情は一気に豹変した。醜く歪んだ笑みと、増悪を含む眼差し。どれをとっても、今までの可憐な姿からは想像もつかないほどだ。
「ユージン殿下!」
セレスは話題を自分たちへ戻そうと、大声を出す。その大きさたるや、騒がしかった会場が一瞬で静まりかえるぐらいには注目を浴びた。
(よしっ! 皆の視線が私の方に戻ってきたわ。でも……)
ユージンを見上げる。
彼はセレスの大声に驚き、両目を丸くしていた。
「ユージン殿下、早く婚約破棄をなさってください。私、ミリア様と殿下が婚約したままでいるのは耐えられません」
ガタガタと、怖がるフリをする。彼の腕に自らの胸を押しつけ、歓心をかった。
ユージンは顔を赤く染め、軽く咳払いをする。
「そ、そうだったな。すまない」
セレスの頭を撫で、姿勢よく背筋を伸ばした。大きく息を吸い、さらさらとした金髪を靡かせる。
「──皆の者、聞いてくれ。僕……いいや。私ことユージンはただ今をもって、公爵令嬢であるミリア嬢との婚約を破棄する。そして……」
セレスをぐいっと、抱き寄せた。
「この女性、セレス・ウェーゼルト嬢を、新たなる婚約者とする事をここに誓う! そして彼女とともに、隣国と和平交渉を行う事を宣言する!」
彼の声が会場全体に轟く。
祝福としての拍手もあれば、当然のごとく非難の声もあげられた。
(やったわ! 遂に私はこの国の妃になったのよ! 私は乙女ゲームの世界のヒロインなんだから。それなのに他の攻略対象とか……何で私が貧乏人の相手しなくちゃいけないわけ!? 私はヒロインなのよ! ヒロインってのは贅沢な暮らしができて当然なのよ。他の攻略対象なんてゴミ同然だわ)
ユージン一人に絞ってよかったと、安堵のため息をつく。
頬を赤らめながら彼の胸の中でほくそ笑んだ。醜悪かつ、極悪な気持ちを胸にしまいながらざまあみろと、ここにはいないミリアへ勝利宣言をする。
「……ちょっと、お待ちくださいませ」
その時、仮面の美女が口を挟む。深紅の扇子を広げて口を隠し、美しいまでに目を細めていた。
これには強気なユージンも、勝利を目前にしたセレスすらもたじろぐ。
「ユージン殿下、一つ聞いてよろしいかしら?」
「な、何だ?」
たじろぎながら数歩後退する彼をよそに、美女はじり寄っていった。
「あなたの言う女性は、ここにいらっしゃるでしょうか?」
「え? い、いや……」
「いないとおっしゃるのですか?」
「あ、ああ……」
「……そう、ですか。ではその女性の承諾もなしに、このような発言をなさると?」
美女の瞳に影が落とされ、憂いたものへと変わる。長い睫毛がふるりと震え、儚げな印象を与えた。
同時に、大人の女性としての色気が表れていた。
扇子によって隠された口を想像するだけでも、さぞ美しかろう。憂いを帯びた瞳は男の欲を掻き立てているらしく……彼の視線は完全に女性へ釘づけ状態だ。
「……な、何て美しい女性なんだ」
ユージンは完全に美女の虜になってしまう。女性のちょっとした仕草はもちろん、ドレスを着ていても申し分ないほどのプロポーション。
セレスが言ったように、ユージンというどうしようもない屑男を魅了するには、充分すぎるほどの素材である。
その証拠に、彼の意識は既に女性へと向けられていた。側でセレスが何度も話しかけてはいるものの、全く耳を貸そうとはしない。
「いくら皇太子だからと言って、それはあまりにも勝手ではありませんこと?」
「そ、それは……で、でも」
女性が彼に顔を近づければ、ユージンはごくりと唾を飲んだ。
(はあ!? ち、ちょっと、何なのよこの女! ってか、あんたもこんな女の色香に惑わされてんじゃないわよ!)
セレスは、でも、だってを繰り返すユージンに怒りを覚える。目の前に迫る女性をキッと睨み、頼りにならない男から手を離した。
セレスは女性の前に立ち、火花を散らす。
「……あら? わたくしに何か用かしら?」
女性は扇子を閉じ、セレスの顎に先端を当てた。思いの外に力強く、セレスは抵抗すらできずにいる。
「わたくしが申しあげているのは、順序を踏めという事です。ここにいもしない人の名を出し、本人が反抗すらできない状態を作るなんて……」
知らない間に婚約破棄されていたなどと、本人が知ったらどうなるか。それを考えての発言かと、問う。
セレスは彼女の迫力に蹴落とされ、嘘に近い涙を流してユージンの後ろに隠れた。
(そんなの知ったこっちゃないわよ! さっきこの屑が言ってたように、証人がたくさんいるんだからそれでいいじゃない!)
セレスは再び爪を噛む。
そもそもこの女は何者なのか、それすらわからないままだ。セレスの怒りと焦りは徐々に強くなっていく。
そんな時、ユージンが女性の前へと進んだ。そして……
「……惚れた」
とんでもない一言を放つ。これには会場にいた人々も、セレスですらすっとんきょうな声を出した。
女性は一瞬だけ目を丸くし、すぐ様鼻で嗤う。
「君のような美しさと、高貴な佇まいの女性はそうはいない。何より、とても色っぽい」
女性をくどくユージン。彼女の手を取り、結婚してくれとも言った。
「……ゆ、ユージン殿下? あ、あの、私は……」
セレスは突然のことに戸惑う。
(ちょっと何言ってんのよ、この男は!? 前から惚れっぽい奴だとは思ってたけど、まさかここまでだったなんて!)
今しがた、セレスとユージンは婚約宣言をしたばかりだ。それなのに、舌の根も乾かぬうちにこれである。
セレスからすれば、彼の態度に怒りしか覚えない。
「……はあ。本気ですの? ユージン殿下……セレスさんといったかしら? 彼女と婚約宣言したばかりではなくて?」
「ん? ああ、確かにそうだね」
女性の手を握りながら、ユージンは蕩けた瞳と声で返事をする。
「でも大丈夫。セレスは愛人にする。そして、君こそ正妻に相応しい!」
「はあ!? ふざけないでよ! あんた、私の事好きだって言ってたでしょ!?」
彼の横暴かつ、身勝手すぎるやり方にセレスはキレてしまった。
普段の大人しくておしとやかな少女はなく、あるのは国の皇太子に食ってかかる乱暴女である。
ユージンは彼女の豹変ぶりに驚愕した。
「せ、セレス!? 君は何という乱暴な……」
「うっさい! あんたの手当たり次第かつ、浮気性な価値観に比べればまだマシよ!」
セレスは全ての計画がおじゃんになったと罵倒し、ユージンはそんな彼女の態度に驚くばかり。
当然のごとく、会場は騒々しくなった。
二人の本性を垣間見て噂をたてる者もいれば、幻滅してその場を去っていく人々もいる。
その中には、銀髪の美女も含まれていた。
それに気づいたユージンは彼女へと手を伸ばし、引き留める。
「……ああ、そうですわ。ユージン殿下、あなたの申し出、受けますわ」
「え?」
女性は踵を返し、ユージンの伸ばした手を叩き落とした。そして仮面を取り、アップにしていた髪をほどく。
すると不思議なことに、髪は立派な縦ロールへと変化していった。
「婚約して正妻になるという事ではなく、婚約破棄の話を。ですけれど」
女性はにっこりと微笑む。
するとユージンとセレスは顔を真っ青にし、絶望の色へと埋めていった。
セレスがわなわなと女性を指差し「み、ミリア様……」と、呟く。ユージンに至っては、言葉すら出ないといった様子だ。
「はい、わたくしはミリアですわ」
知り合いであり、かつ顔を何度も合わせている。そんな二人であっても、彼女の姿をまともに覚えようとはしなかったのだろう。
「所詮わたくしは、あなたたちにとってその程度の存在だったと言う事なのでしょうね?」
美しく笑み、真っ赤な扇子を広げて口を隠す。
「殿下、わたくしが赤いものをよく身につけていたのをご存知でしたでしょう? この扇子をヒントとして見せてあげていましたのに……」
心底残念だと悔しがった。
そうこうしているとミリアの隣にいる男が彼女の手を取る。そして二人は会場の扉へと歩き出した。
外へ後数歩というところで、ふと、ミリアは立ち止まる。
「そうそう、殿下。隣国との平和交渉は無理と思ってくださいませ」
扇子がパチンと音をたてて閉じられた。するとミリアの側を陣取っている男が仮面を外し、セレスとユージンを見やる。
ユージンはこの男の正体に射抜かれ、ハッとした。
「……っ!? まさか、隣国のカロル殿下!?」
ユージンは絶句してしまった。直後、王族の臣下たちがユージンを問い詰め始める。会場は一気に修羅場と化した。
「安心なさってください。わたくしは、これから楽しい生活を送る予定ですので。それでは失礼致しますわ──」
外交はわたしに一任してもらうと言わんばかりの言葉である。
閉められた扉の奥から、舞踏会の時よりも騒がしい声がひっきりなしに聞こえてきた。
カオスと化した会場に用はないと、彼女は男を伴って歩く。
「──それにしても、あなたの変装は完璧でしたわ。カロル殿下。いいえ……」
扇子を自身の口元へ当て、くすくすと微笑んだ。
「カロリーヌと、呼んだ方がよろしかったかしら?」
悪戯っ子のよう笑みを男へと向ける。彼はばつが悪そうに頬を掻いた。
「いや、それは……この国を知るために身分を隠し、女子生徒として潜入している時の名だ。今の俺はカロルだ」
照れくさげに、そっぽを向く。
ミリアは彼のかわいらしい一面を知り、微笑した。
「……ともかく。父上の言いつけ通りにこの国が、いいや。未来の王たる男が、手を組むだけの価値があるかどうかを見極められただけでもよしとするさ」
「……結果はどうでしたの?」
ミリアにとって、意味のない質問だった。なぜなら結果は目に見えているからだ。
案の定彼は首を横にふり、駄目だと、呆れながらのため息を溢している。
「あんなのが将来この国を背負うとなると、おそらく滅びるだろう。共倒れしてまでこの国……いや。未来の王と和平を組む必要性が見出だせない」
「……でしょうね」
わたくしもそう思いますわと言いかけた時、彼女の体はカロルによって強く抱きしめられた。
「──か、カロル様!?」
「ようやくだ!」
「え?」
ミリアは戸惑う。
彼が何を言いたいのか。それすらわからないからだ。そしてなぜ自分を抱きしめたのか。それが一番の謎だった。
「婚約破棄した今だからこそ、君に言える」
ミリアを抱く力が強くなる。
「──ミリア、君の事が好きだ! 結婚しよう!」
抱きしめられたミリアは目を見張った。けれど彼の甘く、気高い想いに涙する。
彼女は顔を赤らめながらゆっくりと頷く。そして二人は……
ゆっくりと口づけを交わしていった。




