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男爵令嬢の背中を押した私、婚約者の手で「ほのぼの」公開処刑される

作者: ロクロウ

「待て、エリス・ランドール! 君に話があるッ!」


 天井の高い大広間に、アルフレッド王子のよく通る声が響き渡った。

 ここは貴族の子弟が通う王立学院。そこに通う私、エリス・ランドールは公爵家の一人娘にして、彼の婚約者であった。


 そのまま立ち去ってしまいたい気持ちを堪えて、私は声のした方へと振り返る。アルフレッド様が人波を搔き分けて、こちらへと静かに歩み寄ってきていた。


 周囲に居合わせた女生徒たちが、はっと息を呑む。

 王子としての品格や威圧感だけがそうさせるのではない。彼は王国随一の美男子でもあった。彫刻を思わせる整った顔立ちと、雪のように燦めく銀の髪。エメラルドの瞳が私を睨めつけ、口元は真一文字に結ばれている。


 王子と私の間に流れるただならぬ雰囲気に、人々の好奇の視線が集まった。彼ら彼女らのどよめく声が、嫌が応にも私の耳に入る。


「お待ちください、兄上!」


「アルフレッド殿下!」


 やや遅れて、王子の後を追うように二人の男女が姿を現した。

 一人はアルフレッド様の弟君、イーサン王子だった。兄に遅れてやってきた彼は、周囲をぐるりと見回した後、正面に立つ私へと哀れみの籠もった視線を向けてきた。

 そして、もう一人……。


「シーラ。あなた……」


「エリス様」


 ゆっくりと近付いてきたシーラ・メイベルン男爵令嬢が、アルフレッド様の隣に並んで立った。その頬には()()()がくっきりと残っていたが、対して目には決意の火がありありと灯っている。


「まさか」と思いよくよく目をこらして見れば、アルフレッド様の手には私がシーラに寄越した()()()()が握り込まれていた。


 ……失敗だった。いくら冷静さを欠いていたからといって、やはりあんな物を書いて残すべきではなかった。魔が差した。今はそうとしか言えない。


 シーラとイーサン様のことをあえて無視するように、私はアルフレッド様へと顔を向けた。


「私に何か御用ですか、アルフレッド殿下」


 この後に起こるであろう"公開処刑"に備え、手にした扇で口元を隠す。唇が震えそうになっているのは、自分でも分かった。


 つとめて冷静に、私はアルフレッド様を見据える。

 彼との婚約が決まってから、もう十年は経つ。その間、彼は私に一度として微笑みかけてくれたことはなかった。私がどんなに情熱的に愛を囁いたところで、彼は何も答えてはくれない。()()()()()()()()()()、そこから彼の体温を感じることは難しかった。


『王子に愛されない可哀想な婚約者』というレッテルを張られ、陰口ばかり叩かれてきた。そのことで私の心がどんな傷付いたか、アルフレッド様はきっと知らない。


 近頃の私は、無愛想なアルフレッド様にお似合いの冷たい女を演じている。周囲の者たちはそんな私のことを『氷の女王』なんて呼んで恐れているらしい。


 私の変わり様を見て何か感じてくださればと、幼稚な期待をしていたのかもしれない。結果だけ見れば、その期待は実を結んだわけだ。

 おそらくは、最悪な形で。


「何の用か、とは随分な言い様だな。婚約者である俺に対して」


 いつも通りの無表情でアルフレッド様が口を開く。はっきりと口には出さずとも、彼が私のことを疎ましく思っているというのは、その態度で分かっていた。

 滲み出る自虐心を悟られないように、私は「ふふふっ」とわざとらしく誤魔化した。


「婚約者、ですか。殿下がその事をまだお忘れでなかったとは、私少々驚きましたわ」


「なんだと? それはどういう意味だ」


「……殿下。私、少々先を急いでおりますの。特に御用がないようでしたら、このまま失礼させていただきますわ」


「待て、エリス! 俺がなぜ君を呼び止めたのか、君自身もう気付いているのではないか?」


 核心を突かれる前に話を打ち切ろうとした私を、アルフレッド様が引き留めに掛かる。


「とても大事な話だ。今すぐ確認せねばならないほどに」


「……はて、何のことでしょうか」


「とぼけないでくれ。ここ最近の()()()()()()()()()()()()()()、すべて聞かせてもらった。君がどう考えているのかも含めて」


「……っ」


 シーラ、やはり全部喋ったのね!

 私がちらりと流し目を送ると、彼女はそれを肯定するかのように俯いてしまった。そんな彼女を気遣うように、イーサン様がシーラの両肩に優しく手を添える。


 大広間に集う人々は、固唾を呑んで私たちのやり取りを見守っている。

 私がアルフレッド様の問いに肯定も否定もできずにいると、彼は大きく息を吐いて肩を落とした。


「……その反応。まさかと思ったが、この手紙も君が書いた物で間違いないのだな。ならば、婚約者である君との関係についても、今一度真剣に考えねばなるまい」


 アルフレッド様はその目線を私から外すと、傍らに立つシーラへと向けた。私の胸の中で、焼き付くような熱情が渦を巻く。


「シーラ嬢、さっきの話を皆に聞かせてやってくれ」


「はい、殿下」


 両王子に促されるようにして、シーラが前へと進み出た。


「実は私、さっき……あそこの階段の踊り場で、エリス様に()()()()()()()――」


「お黙りなさい、シーラ!」


 焦りと恥ずかしさを隠しきれず、私は大きな声を上げて彼女の言葉を遮ろうとした。

「そんな、エリス様が」と大げさに驚く声と、「エリス様ならやりかねない」と訳知り顔で頷く声が混じった。人々のざわめきは一層大きくなり、波紋のように混乱が広がっていく。


「みなさん、聞いてくださいっ!」


 しかし、シーラは話を止めようとはしなかった。

 信じられないほど芯の強くなった彼女の姿勢に、私は圧倒されてしまう。シーラをこうまで強い人間に成長させてしまったのは、他でもない私自身だった。


 真剣な面持ちのアルフレッド様が、ごくりと喉を鳴らす。

 一歩後ろに立つイーサン様が、小さく頷くのが見えた。

 そして、シーラから決定的な一言が繰り出された――。





「エリス様は……。イーサン様への()()()()()()()()()()()()()そっと押してくださったのです!!」





「言っちゃダメえええええぇぇぇぇ!!!!」


 私は膝からその場に崩れ落ちた。


 女子たちからは次々と黄色い声が上がり、男子たちからは悲嘆の声が上がった。ほとんどの女子は恋愛話が好きだし、ほとんどの男子はシーラが好きだったのだ。


「まさか、君が陰でイーサンとシーラ嬢の仲を取り持っていたとは……。俄には信じられなかった」


「いいえ、すべて真実です。アルフレッド殿下。エリス様の存在なくして、私たち二人の愛が実ることはありませんでした。まさに愛の女神! 愛の伝道師!」


「やめてぇ……」


 そう、ここ数日。私はずっと()()()()()シーラの恋愛相談に乗っていたのだ。


 学院に入学して以降、私は物静かで冷たい雰囲気の女性を演じ続けていた。その方が、いつも無愛想なアルフレッド様がシンパシーを感じてくれるかもと考えたからである。

 昔から「アルフレッド様好き好き」と押して押して押し続けても反応が薄かったので、今度は引いて引いて引き続ける作戦に切り替えたのだ。


 しかし慣れないことをしているものだから、キャラ作りの徒労感がハンパない。かといって『氷の女王』なる謎の称号を得てしまった以上、今さら大胆なキャラ変もできない。

 そんな苦悩の日々の中、私が唯一自然体で接することのできる相手が、このシーラであった。


 彼女は本当に良い子で、『王子に愛されない可哀想な婚約者』である私の話をいつも真剣に聞いてくれた。時に口頭で()()()()()、私はアルフレッド様への届かぬ想いをシーラに愚痴り続けた。


 そんなある日、シーラから「実は前々からイーサン殿下をお慕いしている」という打ち明け話を聞かされたのである。散々私の悩みを聞いてくれたシーラのためだ、私としても動かないわけにはいかなかった。


「エリス様は、私の恋路を本気で応援してくださいました。身分違いの恋だと諦めていた私を何度も励ましてくださったばかりか、様々な形でご助力くださったのです」


 シーラに応じるように、頬に朱が差したイーサン様が一歩前に出てくる。


「実は……僕も、前々からシーラのことが気になっていたんだ。だけど、僕は一国の王子でシーラは男爵令嬢。仮に結ばれたとしても、いずれは身分の壁に阻まれて別れを告げねばならなくなる。そんな不誠実なことはできないと、諦めていたんだ……」


 そこで、私の出番である。

 公爵令嬢でありアルフレッド様の婚約者でもある私の立場なら、二人を説得して仲を取り持つのはそう難しいことではなかった。

 元々両思いの二人である。その上秘密の逢瀬とくれば、その想いを抑えきれるはずもなく……。


 そしていよいよ今日、シーラはイーサン様への愛の告白を決心した!

 件の階段の踊り場で、「絶対に上手くいくわ」と()()()()()()()()()()()()()のは、そう他でもない私である!


「エリス様は私の恩人です。『シーラの恋は絶対に私が叶えてみせる。今日から私は、あなたとイーサン殿下を結ぶ赤い糸よ』と力強いお言葉をいただきました。『この世で最も尊いものは、生まれでも血筋でもない。恋する乙女の純真よ』とも仰ってくださったのです!」


「なんて素敵なお言葉!」

 と、女性たちの弾んだ声が否が応でも耳に入ってくる。


「兄上。エリスは、道ならぬ恋に苦しんでいた僕のことを厳しく叱責してくれたんだ。『イーサン様。あなた様はいずれ王弟殿下として、多くの民の願いを叶える御立場となります。そんな御方が、たった二人の男女の願いすら叶えられなくてどうします!』と。とても力強く訴えかけてくれた!」


「おおーっ」

 と、男性たちからの感嘆の声が漏れ、万雷の拍手まで聞こえてきた。


 や、やめてーーーーーっ!!!!

 私が勢い任せに放った恥ずかしい台詞を公開するのはやめてください!!!


 顔面から火を噴きそうなほどの辱めに、私は頭を抱えて地面に臥せってしまう。


「私がイーサン様とこうして結ばれたのも……すべて、エリス様のおかげです!」


「エリス。君には本当に感謝しているんだ。ありがとう!」


 シーラとイーサン様、頬を染めた二人が肩を寄せ合う。二人の仲睦まじい様子を見ながら、「弟に素敵な婚約者ができて本当に良かった」と無表情のアルフレッド様がぱちぱち拍手をしていた。


 いや、それは本当に喜ばしい。そして、兄であるアルフレッド様も公認の恋仲となれば、いくら身分の差があろうとも、周りの貴族たちは何も言えなくなるだろう。



 だけど、だけどね……。



「なんで、全部言っちゃうんですのシーラぁあああ!!!」


「ご、ごめんなさい、エリス様。だけど、アルフレッド殿下や皆様にも、エリス様がどんなに素敵な御方かを知ってほしくて……」


「私のキャラが……。必死に守ってきた『氷の女王』キャラが……」


 私は大きく項垂れた。まるで、動かぬ証拠を前に自らの悪事を認めた罪人のように。


 そう、シーラはとても良い子なのだ。

「自分は幸せになれたのだから、次はエリス様の番だ!」と恩返しのつもりで、すぐさまアルフレッド様に事の仔細を伝えてくれたに違いない。


 アルフレッド様はおそらく、かなり面食らったことだろう。なにせ『氷の女王』である私が、陰でそんな暑苦しいメッセージを乱発していたのである。根掘り葉掘り、シーラとイーサン様を質問攻めにしたのではないだろうか。


 繰り返しになるが、シーラはとても良い子である。

 私の素晴らしい貢献を()()()()()()()()過程で、意図してかポロリしてか、私のアルフレッド様への想いについても喋ってしまったに違いない。


 ……でなければ、私がシーラ宛に書いたあの手紙を、アルフレッド様が握りしめていることについての説明がつかない。


 いくら魔が差したとはいえ、やはりあんな物を残しておくべきではなかった。書いてるうちに筆が乗って冷静さを失って、アルフレッド様への想いを便箋十枚分も書き殴ってしまった、あんな怪文書など……。


「エリス……」


 アルフレッド様が跪いて、私の手をそっと握る。驚いて顔を上げれば、そこにはいつもよりほんの少しだけ口角の上がった、アルフレッド様の顔があった。


「シーラから受け取ったこの手紙を読んだとき、俺がどう思ったか分かるか?」


「……呆れたのでしょう。気味悪がったのでしょう。そうですよね。アルフレッド殿下は、私のことなんて眼中にないんですもの。お嫌いですものね」


 そう。アルフレッド様は私に対して何の感情も抱いていない。あんな怪文書を見せられたところで、困惑するだけだろう。


「さっき『婚約者の関係を考え直す』と仰ってましたね。ええ、大丈夫です。こんな気味の悪い女との婚約などさっさと解消して、早く別の素敵な方と――」


「いいや、違う! すべては誤解なんだ!」





「へ」と素っ頓狂な声を漏らした私の唇を、アルフレッド様の唇が塞いだ。





 あまりに突然な超展開に、身体が固まってしまう。シーラやイーサン様を含めた沢山の人たちが周りできゃーきゃー騒いでいたが、それら全ての雑音が右から左に抜けていってしまうほど、私の頭は真っ白になっていた。


 あまりにも長く感じられた接吻から解放された後、私が最初に発した言葉は「ほへぇ」だった。ずっと知りたいと願っていたアルフレッド様の体温は、全身が茹で上がるほどに熱かった。


「俺は初めて会ったときから、君のことが好きだった。好きで好きでどうしようもないくらい、心から愛していたんだ」


「嘘……。そんな嘘吐かないで。だって、殿下はいつも、私のことに無関心で――」


「嘘じゃない。本当に好きすぎて、嫌われたくなくて……、美しい君を前にすると、()()()()()()顔が固まってしまうんだ。上手く喋れなくなってしまうんだ」


 それからアルフレッド様は訥々と私に語って聞かせた。



 昔から今日に至るまで、彼がずっと私一人を愛してきたことを。

 幼い頃には、私から愛を囁かれるたびに、嬉しすぎて意識が飛びかかっていたことを。


 そんな私が急に『氷の女王』になってしまい、動揺を隠しきれなかったことを。

 そして、自分が愛を受け取るばかりで甘えていたのだと気付いたことを。

 私の気持ちがどこか別の男に向いてしまったのではないかと、気が気ではなかったことを。


 だけど、そんな現状を変えねばと焦るほど、考えすぎて動けなくなってしまったことを。

 そんな折に、シーラから私の本当の想いを聞かされて、居ても立ってもいられなくなったことを。



 居合わせた全員に聞かせるように、彼はよく通る声で語った。その表情はいつもとほとんど変わらないのに、この場にいる誰もが、彼の抱える恋情と後悔と羞恥と興奮とを肌で感じた。


 私の頬を熱いものが伝っていく。涙がどんどん溢れて止まらない。初めて彼と出会った日の私から、今この場で顔を覆っている私まで、全ての自分が声を上げて泣いているようだった。


「エリス、寂しい思いをさせてすまなかった。気付いてやれずにすまなかった」


「アルフレッド殿下……」



「もう一度言おう、エリス・ランドール。俺は君のことを愛している。婚約者だからじゃない、一人の女性として愛している」


「私はアルフレッド殿下を心からお慕いしております。昔も今も、ずっと貴方だけを……!」



 公衆の面前で愛を誓い合うなど、まるで公開処刑そのものだ。


 もちろん恥ずかしすぎて死にそうだったけれど、シーラたちの拍手と歓声に囲まれながら、私たちは永遠に変わらない愛を確かめ合った――。


読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 良き公開処刑ですね!エリス的には黒歴史になるかもしれませんがw 「氷の女王」の二つ名は無くなったのかな?
[良い点] 勢いがあって面白かったです! でもエリスはちょっとかわいそう… なので残念王子にはもう少しヤキモキさせたかったです笑
[気になる点] この残念王子め… もうちょっとフォローしようとする側近は居なかったんかい! [一言] どうせなら、ダメ押しで 「実は私も、陰口で心が参っていた時に温かいお言葉で助けて頂いて…」 「私も…
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