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「このまま私と婚約してしまうと、リリーがとても苦労することになってしまうわ。だから、もう少し待ってくれる?」
「苦労?私、平気よ?貧乏生活になったって、修道院に行くつもりだったんだもん。畑仕事だって頑張って見せるわ。
「畑仕事……ふふ、ありがとう。でも、そういう苦労じゃないのよ。しかも、そんじょそこらの苦労じゃないのよね。だから、何としても親に跡継ぎは弟にと認めさせるわ。私は家を出るの。それが決まったら、婚約しましょう」
ああそうか。
もし、家を継ぐことになれば、婚約者といつ結婚するのかと、そして結婚したら、いつ世継ぎが生まれるのかと……。
私とエミリーの間に男女の関係はないから、当然子供が生まれることもない。
確かに、家を継ぐ立場では色々と問題もあるかもしれないわね。
「大丈夫なの?簡単に認めてもらえる?」
よほどのことがない限り、どの家も長男が家督を継ぐ。あまり長男以外が継ぐと言う例外が増えて行けば、家督争いが頻繁に起こるようになる危険がある。だから、長男があまりにも資質がかける場合……犯罪を犯したり日常生活が困難なくらいの病に冒されているなど。本当に長男から次男に家督が移るのはまれなことなのだ。
「ふふ、大丈夫よ。前にも言ったでしょう?親は、結婚したら私の心が女だと言うのが直るんじゃないかと信じてるって。だから、弟が家を継ぐなら結婚するとか言えば折れるはずよ。それが駄目なら、そうねぇ、男らしく武勲を立てて、陛下から褒美を賜るわ。褒美の内容はもちろん、跡継ぎは弟に譲ることを許してほしいって願い出るの」
「男らしく武勲を?」
「ふふふ、そうよ。私、やる時はやる女よ!あ、男よ!あら?こういう場合はなんていえばいいのかしら?とにかく、リリー、必ず説得してみせるから、説得したらすぐに婚約しましょう」
うんと頷く。
エミリーと婚約できるなんて。
信じられない。
嬉しい。
婚約者として、頻繁に会うことができるようになるなんて。夢のよう。
「楽しみ」
「ふふ、そうね。でも、今日は今日でお茶会を楽しみましょう」
エミリーがカップを手に取った。
「あ」
私のカップに手をのばそうとすると、スカートの上のハンカチに目がとまる。
そうだ、エミリーが涙をぬぐってくれたハンカチ。
「エミリーは女性の習い事にあこがれるって言ったでしょう?」
エミリーのハンカチを拾い上げて、手渡す。
「今から、このハンカチに刺繍をしてみない?」
「え?今から?私が?刺繍を?でも、裁縫道具なんて持ってないわよ?」
ポケットから、仕立屋に作ってもらった裁縫セットを取り出す。小指2本分の小さな裁縫セット。
それからオレンジ色の刺繍糸。あまりたくさんの糸は持っていけないと思った時に、すぐに選んだ色がオレンジだ。
エミリーの髪の色。




