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胸が苦しい。
私はエミリーが女だとか男だとかそんなことどうでもよくて、ただ、一緒にいられる時間がとても好きで、幸せで。
ずっと一緒にいたかった。
思わず大きな声を出してしまった私に、お父様とお兄様の目が向いた。
「も、盲目になっているわけでは……ないと、思うんです……」
何か発しなければと、適当な言葉を口にする。
「では、弱みでも握られているのか?それはまた問題だな」
お父様がうーんと眉根を寄せる。
え?弱みを?それも違う、違うけれど……。もし、心が女であるということが誰かにバレて、それで脅されたりということはこれから先も無いわけではない……のかな?
いや、でも脅すなら皇太子の地位を捨てさせて得をする人なんて第二王子しか……。
「まぁ、とにかくだ。殿下が何も思い出さないのであれば、それはそれで構わない」
お父様が衝撃的なことを口にした。
「……というのが、陛下との話し合いで出た。いつか記憶が戻るかもしれないと期待して、色々なことを後回しにすべきではないと。むしろ、記憶はこのまま戻らないということを前提で色々なことをすすめるべきなのではないかと」
記憶が……戻らない。
そうかもしれないと思っていたけれど。エミリーは消えてなくなってしまったんだと思ったけれど。こうして人の口から言葉を聞くと、心が酷く締め付けられる。
「そこでだ。ろくでもない自称婚約者があらわれる前に、婚約をしていただくかということになった」
お父様の言葉に、お兄様が椅子から立ち上がった。
「まさか、それが、ローレル嬢!」
「ああ、そうだ。最有力候補だ」
ローレル様が、シェミリオール殿下の婚約者に?
うそ……。
お兄様が、ふらりと腰を下ろす。
「それで、ローレル嬢の調査を……なるほど……。私も、ローレル嬢であれば……皇太子妃として相応しいと……」
お兄様の口調はとてもふさわしいと思って喜んでいるようには聞こえない。
「リリーは、それでいいのか?」
お兄様が私の顔を見た。
「わ、私……」
ローレル様が、シェミリオール殿下と婚約する……?
2人とも大好きで。大好きな人たちが仲が良くて、それで……。3人でお茶したりできて……。
可愛いお菓子を3人で食べたり……。
それはそれで、とても幸せな時間のような気がする。
でも、だけど。
シェミリオール殿下が、エミリーのその姿でローレル様の肩を優しく引き寄せ、口づけする姿を想像して苦しくなる。
私の顔色が変わったのを見て、お兄様が口を開いた。
「父上、せっかくできたリリーの友達ですよ。もし、皇太子妃になってしまえば、なかなか会うことができなくなってしまいます。こんなにリリーも辛そうな顔をしているじゃないですか。それに、ローレル嬢の気持ちも無視するつもりですか?」
「いや、ローレル嬢は、ロイホール公爵邸で開かれているパーティーにオレンジ色のドレスを着て参加していたという情報も得ている」
「それが何か?」
「いや、オレンジ色のドレスは、皇太子の髪色に合わせたドレスだろう?皇太子妃になりたい女性がこぞって着ているドレスの色だ。まぁ、あまりにその数が多すぎて、ブーケ・ド・コサージュの花の色から女性を特定するのが難しくなっているのだがな……。まぁつまり、ローレル嬢としても、オレンジ色のドレスを着ていたということは、皇太子妃になるつもりがまるっきり無いということではないだろう」
お兄様がはっとして口を閉じる。
「まぁ、うちは公爵だからな。私も宰相の地位にある。いくらローレル嬢が皇太子妃……のちに王妃になろうが、リリーが全く会えなくなるようなことはない。むしろ……」
お父様が私の顔を見る。
「もし、リリーが結婚せず、働きたいというのであれば、ローレル嬢の相談役だとか、生まれてくる子供のマナー教師など公爵令嬢であり、皇太子妃と親しいからこそできる仕事も見つかるかもしれない」
ローレル様とシェミリオール殿下のお子様の教育係……。
唇をぐっと噛みしめる。
「もし、記憶を取り戻したとしても……シェミリオール殿下であれば納得してくれるであろう。こうするのが国のためであったと……」
国のため。
そうだ。男として生きられるのであれば、その方がシェミリオール殿下も楽になるかもしれない。国のためにお世継ぎが生まれることは良いことだろう。
「殿下の思い人にまだ情報が行き届いていない可能性もあるが、1カ月もあれば殿下と会える場所にいる人間の耳には間違いなく届くであろう。貴族令嬢でなくとも、接触がありそうな者……城や屋敷で働く者たちの耳にも。その間に、名乗り出なければ殿下には候補者……ああ、今だと最有力候補はローレル嬢だな……と、婚約してもらうことになろう」
お父様の言葉に、お兄様が小さく息を吐きだす。
「……名乗り出ないということは、皇太子妃になりたくないということでしょうね。殿下がその地位を捨てて一緒になろうとしていたというのであれば、その女性は……皇太子妃の地位を求めていない……。女性側も、このまま知られずに生きていった方がきっと幸せでしょう」
ずきりずきりと心臓が痛む。




