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第四章 七尾 捌

 十二年前、母は怒っていた。何か叫んでいた。

 今、なんと叫んでいたのか分かった気がした。

 こう叫んでいたのだ。


『あたしの息子に手を出すな』


 と。


         *


「あ、さ、ぎ……朝霧ぃぃぃぃッ!!」


 残った左腕を斬り落とされた猫夜叉は、勇を見ていなかった。落ちる腕は地面に触れる間もなく霊子と化して消滅し、その手に握られていた古刀は、勇の足元に突き刺さる。

 勇は、一切の躊躇なくそれを引き抜いた。光剣と違い明確な重さがある古刀は、手にした瞬間、勇の霊力を吸って脈動する。


「それに、触るな! 人間!!」

「少し黙れ、妖怪」


 刀が脈動した感覚を疑問に思うでもなく無視し、勇は何事か喚いている妖魔に向かって刀身を逆袈裟に斬り上げた。斬撃、というには力のこもらない、いささか投げ遣りにも見える一振りだったが、しかし。


「――チィィィッ!」


 燃えた。

 斬撃の軌跡を辿るように、炎が迸る。それを厭って、猫夜叉は大きく距離をとった。


「……なるほど。ランには使えないわけだ」


 右手に収まった古刀を見て、勇はどこか抑揚に欠けた感嘆の声を漏らした。

 朝霧という刀はつまり、刀身に火気を封じ込めた呪法具なのだ。そして、着火剤が――


「児玉の霊力、か」


 木気は火気を生ずる。児玉の木気を与えて喰わせ、火気に変換する火炎放射器。猫夜叉に対する最奥の手。

 ならば、これを生かなさい手はない。

 高らかに振り上げる。今、持てる霊力を最大限に刀身に流し込む。

 轟、と。

 大地を揺るがす轟音と共に、紅蓮の火柱が天を衝いた。突如顕現した莫大な熱気に、七尾が思わず顔を覆う。

 雨が止んだ気がした。

 否、刀身から放たれる熱量が、雨粒を到達前に蒸発させているのだ。

 ――雨が、止んだ気がした。


「七尾ぉ、もう一撃、やれっか?」


 収束する炎。熱量は下げないまま体積だけを縮め、密度を上げていく。勇は気だるげに、傍らの相棒に声をかけた。


「勇、あなた――」


 勇の顔を見た七尾が一瞬、驚いた顔でなにか言いたそうに口を開いた。が、頭を振って言い直す。


「いいわ。本当にあと一撃分くらいしか残ってないけれど」

「上等だ」


 それは勇とて同じだった。血止めに体力と霊力を大きく削られた。この機を逃せば、後はない。七尾の攻撃で霊体が揺らぎ、勇が朝霧を手にしたことで精神に動揺を与えたこの瞬間を凌がれれば、二人揃って仲良くあのバケモノの腹の中だ。


「俺が抑える。――とどめはお前が刺せ」


 七尾はもう一度、勇に視線を向けた。見下ろす目と見上げる目がぶつかり合う。やがて七尾は、首を大きく縦に振った。


「ええ。任されましょう」


 返事を聞き終わらぬうちに、勇は猫夜叉目がけて駆け出した。




 身内、と呼んでくれた。

 彼は、「俺ら」の命は安くないと言ってくれた。

 暗に「死ぬな」と言ってくれたのだ。

 だから、覚悟が決まった。霊体と魂を対消滅させて、存在を消し去るなどという自己否定、自殺にも等しい手段を取ることができた。

 わたしの打つ手は勝つための一手。

 わたしは死なない。彼も死なせない。

 アレを倒して、終わらせる。

 七尾はありったけの霊力を込めた光剣を作った。そこへ先ほどと同じように、自身の魂を同調してゆく――




「猫夜叉ぁっ!!」


 猫夜叉は見た。碧く碧く碧い、翡翠の眼をした片腕の男が、炎を纏って迫り来る様を。


「――さない。許さない許さない許さない!! あたしから朝霧を奪うヤツは、誰も許さない!!」


 天海勇は見た。降りしきる雨の中、白く昏く茫と立つ女の姿を。


 この戦いは、猫夜叉にとって、千二百年前の――

 この戦いは、天海勇にとって、十二年前の――

 歪な再現に、他ならなかった。


 勇は炎を纏った刀身を叩きつける。迎え撃つ猫夜叉は失った両腕に代わり、呼び出した影を巨大な腕として模る。それはまさに、闇でできた両腕。


「ぐ、ゥッ!!」


 交差した黒い腕がその一刀を受け止める。だが、熱量までを防ぎきれるものではない。熱気に肌を焼かれ、猫夜叉は眉間に深い皺を刻む。

 しかし、もはや痛覚のみならず触覚をなくした猫夜叉にとって、熱気はさしたる脅威にならなかった。炎の眩さに目を細めただけのこと。術式で形成した腕も一切の感覚を伝えない。霊体が燃やされて焦げ臭い匂いを放っても、それを無視して形成する腕、さらに二本。

 両脇から叩き潰すように閉じられた新たな腕を、勇は引いた刀身で焼き払った。

 ――右腕だけでは、力が足りない。そう悟りながら、勇は歯噛みした。今の勇には左腕がない。残る右腕一本で猫夜叉の防御を抜いて、その身に攻撃を到達させる必要があるのだ。

 そして、到達した後は?

 おあつらえ向きに、猫夜叉は先ほど極上の燃料を取り込んでくれている。それを一気に燃やせばいい。

 故に、勇が猫夜叉に一撃できるか否か。それで勝敗が決まる。

猫夜叉の黒い巨椀はその数を増し、六本にまで増殖していた。まるで阿修羅のような容貌に、思わず気の抜けた笑いが上がる。


「おーお、ますますバケモノじみやがってまあ……!」

「ふ……ぐ、ガアァァ!!」


 果たして理性が残っているのだろうか。勇の腕を喰らったことで肥大した霊力に、崩壊寸前の霊体が追いついていない。咆哮と共に振り回される腕は、まるでデタラメな動きだ。

 白い霊子を撒き散らしながら、六本の黒い腕が荒れ狂う。「腕」という形に惑わされてはならない。アレは霊力で模られた術式なのだ。関節や可動域など存在しない。「腕」ではなく「蛇」だと意識して、勇はかき回される大気の流れを読み取った。

 翡翠の眼――震眼が、周囲に満ちる木気を、大気を、霊気の流れを視認させる。

初撃は正面。続く二撃、三撃は背面と側面。真上から来た四撃目をかいくぐり、一点集中の同時攻撃をぎりぎりで見極める。ミリ単位の見切りでかわしきった霊力の奔流を遡るように、勇は再び猫夜叉との距離を詰めた。

 踏み込みの速度と勢いを最大限に活用した、全力の刺突。胸部へ突き刺さる三度目の剣閃は、それでもまだ猫夜叉の命に届かない。

 切っ先が、貫通していないのだ。先端だけが霊体に浅く潜り込んでいる。

 だが、それで充分だった。


「よお猫夜叉ぁ……俺の腕は、美味かったか?」


 点火。

 燃え盛る火炎は、猫夜叉の内側から噴き出した。


「ぎ――あああああああああああッ!!」


 猫夜叉が絶叫する。猫夜叉が取り込んで霊力に還元した勇の左腕は、その体内において炎が燃え上がる、格好の燃料だった。

 母も――天海琴葉も、同じ方法で猫夜叉を弱体化させたのだろう。ただ一つ違うのは、霊力の足りない母は自身の肉体全てを燃料としたであろうこと。髪も皮膚も臓物も骨も、全て炎に昇華して焼いたのだ。

 幼い息子を護るという、ただそれだけのために。

 だから、母の遺骨は残らなかった。

 感傷を振り払い、さらに深く抉る。突き刺す。


「返して欲しいんだろう、コレを? 遠慮なく受け取ってくれ」


 三度胸元を貫通する剣撃。激烈に噴き上がる炎は、猫夜叉の姿を巨大な松明のように赤々と彩った。一切を焼き尽くす炎の前に、黒い腕も端から焼滅していく。




 かくして紅蓮の道は作られた。

 朝霧を残して後ろへ飛び退る勇と入れ替わるように、純白の光弾が駆け抜けてゆく。

 後光のように広がる、七本の尾。

 金気を剋する炎にあれだけその身を焼かれても、猫夜叉は滅びなかった。執念、怨念、愛情、狂気。それら全てが、消滅寸前の霊体をかろうじて繋ぎ止めている。

 ――俺が抑える。とどめはお前が刺せ。


「やって――やろうじゃないの……!」


 猫夜叉は焼け爛れた皮膚に包まれながらも、禍々しい紅い眼で七尾を睨み据えた。唇は声にならない怨嗟を紡いでいた。黒い腕が模られる。が、術式の起動が明らかに遅い。


「――ッ!!」


 委細構わず、七尾はその小さな体躯ごとぶつかっていった。燃え盛る炎は、されど七尾にはその威を振るわない。光剣による下から抉り抜く一刺し、四度目の胸への刺突は、今度こそ猫夜叉の魂へ到達した。

 自らの魂がぶつかり合って壊れていく感覚に、七尾の意識が遠くなる。


         *


「疲れたであろう? 荒魂よ」


 白い少女は寂しげに、悲しげに呟いた。


「我が片割れよ、我が荒魂よ。怒り続けるのは疲れたであろう? もう、休むがよい」

「あん……た、今更ッ――」


 血を吐くような猫夜叉の声を無視し、白い少女は最後の霊力を光剣に注ぎ込む。


「あ――」


 舞い散る炎と共に、光が弾けた。


2018/12/15現在連載中の作品はこちら


https://ncode.syosetu.com/n5057ev/





二週間に一回くらいのペースでしか更新できていませんが、気長にお待ちいただけるとありがたいです。


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