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第三幕 勇 陸

 雨。

 雨が降っていた。

 路地裏から路地裏へと奥まったそこは、一つの異世界だった。

 行き止まりになっているそこは、道ではなく密室として機能している。

 周囲を建物の壁で囲まれた狭い道は、昼間でさえまともな光が差し込まないのだろう。雨の降る夜である今ならばなお薄暗い。

 街の死角とも言うべきその隙間に、ソレは佇んでいた。

 純白の肢体。

 重く濡れて肌に張り付いている白い着物は、赤い斑紋で汚れている。

 色褪せた周囲の壁には真新しいペンキが塗られていた。

 雨で強調されるはずのアスファルトの匂いも、ここではもっと濃厚な別の匂いに汚染されていた。


 辺りは、血の海だった。


 赤いペンキのように見えたのは、夥しいまでの血液だ。

 今なお道に零れ、雨と混じり広がっていくのは人の体液。

 鼻腔に突き付けられる匂いはむせ返るような錆びた鉄の匂い。

 ソレの目の前には、人間の死体が在った。

 表情は見えない。顎から上がないからだ。

 両腕はない。引きちぎられているからだ。

 もはや彼は人間ではなく、今はただ血液を噴き出すだけの肉塊と化していた。

 失われた頭部も腕も、周囲には見当たらない。

 当然の話だった。コレは断頭台よりも鋭いケモノの顎によって、無残にも食い千切られた結果なのだから。

 ぐちゃり、という胃を震わせる咀嚼音が鳴り響く。

 それは肉を食べる、原始的な物音。

 そう、ここはもはや異世界だ。

 ヒトの理を排し、ただソレが狩り、捕食し、支配するセカイ。

 

 ――口元を朱に染めて、ソレはほころんでいた。


 一口ごとに、力が霊体に染みこんでいくのが分かる。

 肉体など、思念や霊魂を吸収した後のおまけ程度のものでしかないのだが、今のソレにとっては極上の甘露だった。

 自己を形成していた霊体の八割を切り離して独立したせいか、ソレの霊体維持は未だに不安定だ。

千二百年もの間封印の内側で維持し続けていた霊力と術式は、振るえば児玉の人間だろうと根絶やしにするのは容易い。しかし、それを自在に扱えないもどかしさは、ソレに少なからぬ苛立ちを与えていた。


「――あのイヌ、腕の一本でも喰っておくべきだったかしらねぇ」


 齧りかけの腕を放り、ぼそりと呟いた。

 昼間出会った自分の片割れと、朝霧を手にしたイヌ。特にイヌの保有している霊力量には、今のソレでさえ目を見張るものがあった。子供だましに引っかかるほどに単純であったのは幸いだったが、朝霧にばかり気が行って無傷で放り出したのは失策だった。

 あのまま影の中に捕らえておくのは無理でも、腕や足の一、二本くらい切り落としてゆっくり取り込むこともできたはずだ。そうすれば、霊体の安定もより早まったことだろう。霊力の低い人間をちまちま喰らうよりは、同族を喰う方が効率は段違いに良いのだから。

 喰い残しに視線を移す。

 この辺りだけで、もう二百は喰っただろうか。確かに解放されたばかりの頃に比べると力は戻っている。が、満足のいくレベルまでは程遠い。徳の高い坊主や宮司を喰えば大きく力をつけられるだろうが、下手に手を出して群れられると厄介だ。そもそも、現代に徳の高い人間などほとんどいない。


「ねえ朝霧。あたしはどうすればいいかしら?」


 影の中から剥き身の刀を取り出し、首をかしげて問いかける。


「児玉は皆殺しにしなきゃいけないわ。だってあなたを殺したヤツの家だもの。ヒトは間引かなきゃいけないわ。ヤツらはあなたを嗤うもの。向こうのあたしは消えなきゃならないわ。あなたの想いを理解しないもの」


 刀身を抱きしめる。強く、強く、強く。しかし暗闇にあってなお鋭く光る刀身は、ソレの身体を傷つけることはなかった。

 受け入れられたと思い込み、ソレはますます陶酔してゆく。


「ああ、でも――どうしたものかしらね。力はあるのに、それを扱うだけの器がないわ。どうしたものかしらね」


 刀身に頬ずりしながら、ソレは楽しげに繰り返す。


「どうしたものかしらね。どうしたものかしらね。どうしたものかしらね」


 霊的な相性が一番いいのは当然、切り離した自分自身だろう。もともと一つだったのだから、拒絶反応や器を超えて暴走する危険性もない。

 だが、また一つになるのは二度とごめんだった。あの自分とは徹底的に、根本的に、致命的に、ありとあらゆるものが違う。お互い否定するしかない存在だ。それこそ意志を消去して無に帰すくらいのことはしないと――


「ふ、ん?」


 唐突に、閃いた。

 同化して元に戻るのではなく、喰ってしまえば。意思も、霊体も、魂も、出涸らしのような霊力も、全て分解してすり潰して粉々にして、吸収してしまえば。

 凶悪な笑みが浮かぶ。


「ふ、ふふ、ふふふ……あはっ」


 突然浮かんだ名案に、笑いが込み上げてきた。


「あははははははは! あっはははははははははははははは!」


 爆発した感情は止まらない。そうだ、こんな名案が浮かんだのも朝霧のおかげだろう。やはり自分は、彼女に祝福されている。彼女の意志を理解して、実行できるのは自分しかいなのだ!

 激情のままに、ソレは哄笑を響かせ続けた。


2018/12/15現在連載中の作品はこちら


https://ncode.syosetu.com/n5057ev/





二週間に一回くらいのペースでしか更新できていませんが、気長にお待ちいただけるとありがたいです。


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