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第三幕 勇 伍

 家に帰りつくと、リビングで憔悴しきった様子の七尾が出迎えてくれた。


「……おかえりなさい。随、分、遅かったのね」


 すんげぇなにか言いたげである。腰まである長い白髪はなんだかぼさぼさで、こころなしかみすぼらしい。


「どうした」

「どうしたもこうしたもないわよ。このかの相手――」


 このかを相手をして溜めに溜めたであろう鬱憤を、七尾が今まさに解放しようとしたその瞬間、勇は人差し指を七尾の鼻先に突きつけた。

 七尾は目の前にいきなり突きつけられた指を凝視し、そのまま顔を近づけ、

 くんくんくん

 嗅いだ。

 そして途中で我に返ってがばりと顔を上げ、ちょっぴり頬を赤らめて、


「ってそうじゃないわよ。このかの――」


 指を鼻先へ。

 くんくんくん

 嗅いだ。

 我に返る。


「ちょっと勇! あなた――」


 指。

 くんくんくん

 嗅いだ。


「おお、猫だ猫だ」


 猫の習性が七尾にも当てはまることを利用して遊んでいると、

 ――がぷり

 噛まれた。甘噛みだった。


「む」


 背後でランがぴくりと眉を動かした気がした。


「ひゅう。ひほのはらひをひひなはい」


 指をくわえたままだったので、いまいち何を言っているのか分からなかった。とりあえず、猫らしく舌はザラザラしていた。


「分かった。話は聞いてやる」


 あむあむと甘噛みを続ける七尾に観念して言うと、七尾はようやく勇の指を離した。


「次やったら本気で噛むわよ」


 それは、指が食い千切られそうだ。


「そんなにウマいのか、俺の指は」

「塩分の補給はできるわね。ランにも噛ませてあげるといいわ。――ああ、イヌらしく顔中舐め回してもらうのもいいんじゃない?」


 途端、ランの顔が真っ赤に燃えた。


「なななな、なんて破廉恥なことを言いますかこの妖怪! そこに直りなさい成敗してくれますっ!」


 そして、轟き叫んだ。

 盛大なツッコミをもらった七尾は、心なしか満足げだった。




 ランをなだめて先に風呂に入るよう言いつけると、勇はソファに腰を下ろした。もちろん我が家の白猫様の苦情を聞いてやるためである。

 七尾はしばらく黙って立っていたが、おもむろに勇の隣へ来ると、すとんと腰を落ち着けた。ランとは対照的に、密着と言っていいほどに距離が近い。


「――このか、気がついてるわよ。あなたのしていることに」


 ぼそりと呟いた言葉は、それでいてとても明瞭に、耳に届いた。


「そうか」


 別段、驚きはしなかった。もともと夜唐突に家から出て行くことが多かったし、とりたてて仕事を隠してきたわけではない。問われれば答えるつもりだったが、そうでない限りは率先して話すことでもない。そう判断していただけだ。

 なにより、


「今はそうでもないけどな。ちょっと前までこのかはすげー怖がりだったんだよ」


 妖怪を相手に無邪気に笑っている今の姿とはずいぶんかけ離れるが、このかはもともと幽霊や妖怪が大の苦手だった。そして、そうなったそもそもの原因は勇にあった。


「俺があっちには足ないじーさんがいるから行くなー、とか、向こうには首だけのねーちゃんがいるから危ないーとか、そんなことばっかり言ってたから、余計な想像力働かせるようになったみたいでな」


 数年前の勇は勇なりに、幼い妹を護ろうとしたのだ。問題は、勇に見えているものがこのかには見えてないかったということ。

 目に見えないものを、人は畏れる。このかとてそれは例外ではなかった。

 なかなかどうして、うまくいかないものだ。よかれと思ったことがことごとく裏目に出る。かつては言って怖がらせたが、今では言わない方が不安にさせてしまうようだ。


「お兄ちゃんが死んだらイヤなんですって」

「そうか」

「強くて、優しくて、カッコいい、自慢のお兄ちゃんなんですって」

「光栄だな」

「勇、わたしは――」

「ありがとうな、七尾」


 なにか言いかけた七尾が、紅い眼を見開いて勇を見ていた。


「なんで、お礼なんて言うのよ……?」

「そりゃお前、妹の悩み相談に乗ってくれたんだから礼くらい言うだろ」

「そんなこと――」

「ないかどうか決めるのはお前でも俺でもない。このかだ。少なくとも、俺には言えなかったことをぶちまける機会を作ってくれたのはお前だろ」

「作ったりなんかしてないわ。一方的にまくしたてられただけよ」

「だから、そんくらいには信用されてるってことだ」


 このかは自由ではあるがバカではない。信用できる相手か否かの見分けくらいは自分でつける。七尾にもランにもすぐに打ち解けたのは、このか自身が信用できると判断したからだ。


「ッ――」


 七尾は一瞬、言葉に詰まった。


「あなたたちは……兄妹揃って……」


 その美しい面貌が、泣きそうに歪んだ。しかしぐっと口元を引き締め、


「わたしをあっさり信用し過ぎなのよ、あなたも、あの子も。今世間を騒がせている通り魔は、人喰いのバケモノは、間違いなくわたしなの。今あなたの目の前にいるわたしだって、ああなるかもしれないの。このかの心配の種そのものが悩みを聞くなんて、滑稽だと思わない?」

「別に」


 勇はさらりと答えた。そして、七尾の頭をわしわし撫で回した。


「お前小難しく考えすぎ」

「なんっ……ちょ、勇! やめ……!」

「このかが満足したなら、それでいいだろ。で? このかの話を聞いてやった後になにがあった? それだけであんな疲れた顔になるわけないもんな」

「…………一緒に、お風呂に入ったわ」


 頭を撫で回されながら、七尾は視線を逸らして気恥ずかしそうに言った。


「ほう。あんだけ嫌がってたのに、陥落するのは早かったな」

「し、しょうがないじゃない! 泣く子には勝てないわよ!」


 それはもっともな意見である。

 そこから、七尾はタガが外れたように饒舌になった。


「そしたら今までぐずぐず泣いてたのが急に元気になるし、全身くまなく洗われるし、湯船につかってもずーっとくっついてくるし! おまけにランちゃんと違っておっぱいないねーですって!? 余計なお世話よ!」


 一気に言い尽くして、七尾はハァハァと荒い息をついた。

 なんだかんだでお前、胸のこと気にしてたのな。


「だいたい、あなたたちも帰ってくるのが遅すぎるのよ! 待ってるって聞かないんだからあの子! 待ちくたびれて寝ちゃったこのかを部屋まで運ぶのもベッドに寝せるのも大変だったのよ!?」


 しかも想像以上に世話を焼いてくれていた!


「あー……うん。やっぱ心から礼を言わせてくれ。ありがとう。超ありがとう」

「心からのお礼がさっきより軽いわよ!?」


 言いたいだけ言い尽くしたのか、七尾はそこで大きなため息を一つついた。


「……もう。なんなのよ。ちょっとでも悩んでたのがバカみたいじゃない」

「なんだ、封印から出たとたんにもう悩み事ができたのか? 忙しいヤツだな。よし、なら礼代わりに俺が聞いてやろう。さあ心置きなく話すといい」


 無駄に尊大な態度で言ってやると、七尾はくすりと小さく笑った。


「バカ。絶対教えないわ」


2018/12/15現在連載中の作品はこちら


https://ncode.syosetu.com/n5057ev/





二週間に一回くらいのペースでしか更新できていませんが、気長にお待ちいただけるとありがたいです。


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