第三幕 勇 肆
「結局、ムダ足だったか」
さすがに全部回るのはホネだったので、今日の現場だけを見て回ったのだが、それでも結構な時間を使ってしまった。にも関わらず収穫ゼロというのが泣ける。
駅前広場のベンチに腰かけて、勇は大きく息を吐いた。時間はそろそろ日付が変わる頃合いだった。最終電車とその走行音が、闇の彼方に吸い込まれてゆく。
視界の向こうに見える大通りは、日付が変わろうがお構いなく喧騒に満ちている。
一週間の始まりの夜だぜ? さっさと帰って寝ろバカどもが。
内心悪態をつきつつ、缶コーヒーをあおった。すぐ脇では同じく缶コーヒーを手にしたランが、所在なさげにつっ立っている。
「悪いな、付き合わせて。めんどい街だろ、ここ」
隣を示すと、ランはおずおずと勇の隣に腰を下ろした。微妙に距離が離れている気もしないではないが、彼女の適正距離ならそれでよしとする。
「勇様は、顔が広いんですね」
「そうか? まあ知り合いだけなら、人より多いとは思うけど」
夜の街で声かけてくる人間の多さに、ランは驚いていたようだった。無理もないだろう。なにしろことごとくキャラの濃い連中だったし。
夜中に繁華街を出歩く人間というのは限られている。不良少年やホスト、ホステス。チンピラに屋台の店主。ものの見事にアヤシイ人間ばっかりだが、勇の職業とてアヤしさ満点だから、人のことは言えない。
似たような面子ばかりと顔を合わせるから、その内顔見知りになって、視線が合えば挨拶くらいするようになる。そうやって顔見知りから知り合いになって、名前を覚えられて、ともすれば妙ちくりんなあだ名とかつけられて、向こうから声をかけてくるようになる。
――という過程はほぼ先代が通した道だが、小さい頃から先代にくっついてうろついていたせいで、不本意ながら勇を知っている人間は多い。それからさらに輪は広がって、そいつらの先輩後輩とか、オトモダチとかが輪に入ってくる。
今となっては向こうは勇のことを知っているのに、勇自身は誰コイツ? みたくなることが多いくらいだ。……改めて考えるとそれ凄ぇなおい。俺、顔知られ過ぎじゃね?
「まあ、十年も夜の街を出歩いてたら、知り合いも増えるわな」
「え?」
なにげなく言った言葉に、ランが目を丸くして聞き返してきた。
「十年……?」
「ん? ああ、俺が現場に出てからそんくらいになるな」
十年現場で経験を積めば、世間ではベテランと呼ばれる部類に入るだろう。勇の場合はそれが人よりちょっと早かっただけだ。と、勇自身はそう思っていたが、ランはそう思わなかったらしい。
「十年前って、勇様はまだ小さかったでしょう? お師匠様は、それなのに引っ張り回したんですか?」
幾分非難の混じった口調で、ランはそう言った。確かに、常識的に考えればそうだろう。先代とて最初は勇を連れ回すどころか、夜出歩くのをやめさせようとしていた。
異常だったのは先代ではなく――勇の方、だったのだ。
「俺が初めて妖魔を滅したのは、五歳の時。母さんが死んですぐの頃だった」
妖怪、邪霊の類でも特に人間にとって害悪なモノを総じて妖魔と称するが、あの頃の勇にとって、妖怪とは全てが滅するべき敵だった。
母は妖怪に殺された。
自分はなにもできなかった。
弱い自分は許せなかった。母を殺した妖怪も、赦せなかった。
だから、その時一番近くにあった邪悪な気配に喧嘩を売ったのだ。
相手は身の丈三メートルはあろうかという巨大な猩々だった。どうやって街中に潜んでいたのか、目的がなんだったのか、そんなことは知らない。
ただ、勇にとってソレは倒すべき敵で、だからこそがむしゃらに、身体中に溢れる霊力を解き放った。
術式なんて高度なものは知らなかったから、ただ霊力を拳に込めて殴るだけだった。
武器なんて上等なものは扱えなかったから、ただ霊力を拳に込めて殴るだけだった。
狂ったように腕を振り回した。なにか喚いてもいたように思うが、よく覚えていない。
幸か不幸か、勇には素養があったらしい。十全に乗った霊力は、子供の非力な拳にも霊体にとっては致命的な打撃力を与えていた。
気が付いた時には、血まみれでこと切れた妖怪と――否、巨大な肉塊と、全身にその返り血を浴びて深紅に染まった自分の身体があった。
達成感はなかった。
強くならなくちゃ――と、それだけを思った。
霊子となって消えていく妖怪の骸を呆然と眺めていると、現場に人影が現れた。
その人は消えゆく妖怪と、それを眺める勇の姿を見て、戦慄の表情を浮かべた。
ここでなにをしていたのか、という問いに、勇はこう答えた。
『ぼくは、つよくならなくちゃいけないから』
と。
それが、勇と先代の出会いだった。
「あの人は、俺に戦うべき敵を用意してくれた。同時に、俺が無茶やらかさないように見張っててもくれたのさ」
勇が五体満足なままで強くなれたのは、紛れもなく先代のおかげだ。そのことに関しては純粋に感謝している。
「その分、街中連れ回されたわけだがな」
現代において、妖魔邪霊を戦闘で直接祓うことのできる術者というのはとんでもなく稀少である。児玉家が術者の家系として一流たる所以もそこにあるのだ。
先代も例外ではなく、封印の護持や浄霊を主とした術者だった。勇の面倒を見ることで、こなせる仕事の幅が飛躍的に広がったであろうことは想像に難くない。
それゆえに、お互いに利用し、利用される歪な師弟関係だった。
勇が先代に教わったのは、霊力の制御法ではなく、体力のつけ方ではなく、ましてや妖魔の倒し方などではなく。
その、心の在り方。
護れるようになりなさいと先代は言った。
力があるのなら、それをただ敵にぶつけるのではなく、自分の後ろにあるものを護れるようになりなさい、と。
護れなかったことを悔やむなら、今度は護れるようになりなさい、と。
それが例え自己満足であろうと、護られるものは、確かにあるはずだから、と。
両手で抱えられる分だけで満足せず、さりとて全てを護るなどと傲慢にならず、力が許す限りのものを、護れるだけ護り通せるようになりなさい、と。
したり顔でそんなことを言った後、照れ臭そうに笑った先代の顔は――どこか、母に似ている気がした。
「だからまあ、感謝はしてるんだよ、マジで。そこ誤解しないどいてくれ」
そう言って、勇は缶コーヒーの残りを飲み干した。そして、ため息交じりにぼやく。
「つーか、なに俺自分語りとかしてんの。ちょ、ハズいじゃん。ランもお前、黙って聞いてないで止めてくんない」
思い返すと、結構恥ずかしかった。とりあえず、照れ隠しにランに話を振ることにする。
いきなり話を振られたランは、しどろもどろに、
「いえ、あのそのっ……い、いいお師匠様だったんですね! 誤解して申し訳ありません」
なんとかそうとだけ答えた。なにやら顔が赤い気もするが、そこはさして重要ではないので置いといて、なにより気になる部分があった。
「いい、師匠ぅ?」
思わず苦笑い。
「それだけはねーわ」
「え?」
きょとんとした顔のランを横目に、立ち上がる。
「いや、こっちの話だ。引き上げよう。今日は外れらしい」
「あ、はい」
歩き出すと、ランが後から追いかけてくる。
そして、隣に並ぶ。
今日の夜だけで、一連の流れがすっかり馴染んでしまっていた。
2018/12/15現在連載中の作品はこちら
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二週間に一回くらいのペースでしか更新できていませんが、気長にお待ちいただけるとありがたいです。