Case.2 遭遇-宇海警部の場合
未確認生物遺骸発見事件……通称『未確認事件』。
今まで謎だらけだったこの事件に一筋の光が差し込んだのは、例の学生、池田の証言からだった。
『お面バトラー』という存在が事件に関わっている可能性が浮上したのだ。
……バトラーといっても執事の意味ではなく、『戦う者』という意味の言葉であるらしいが。
とにかく、このお面バトラーが未確認生物を倒している、と宇海警部は考えている。
しかし、現在署内でこのお面バトラーを本気で信じているのは、宇海警部ただ1人だ。
その日、私は珍しく酒に酔っていた。
旧友の誘いを受け、進展の少ない捜査のストレスをごまかすことも考え、あまり好きでもないが呑みに行ったのである。
私の名は宇海、一応警部だ。
もっとも、最近の『未確認事件』のせいで署内ではもっぱら無能の扱いを受けてはいるが。
いや、この際私のことはどうでもいい。
問題は……酒に酔って気が大きくなっていた事だろうか、それとも不用意に夜の裏路地に入ったことだろうか……。
未確認生物……そう、未確認生物。
今まで散々死体を見てきたから間違えようがない。
未確認生物が突然目の前に現れたのだ。
蝶のような羽根が背中に生え、目はまさしく虫のそれ、口には丸まったストロー状の器官が付いている。
さしずめ『蝶型未確認生物』といったところか。
そして、様子がおかしい。
無論、未確認生物がおかしくないというわけではないが。
手負いなのだ。
羽根には拳ほどの穴が空き、触覚と思しき部位は無惨に折れ曲がり、緑色の体液がドクドクと漏れ出している。
とにかく私は、遂に生きている個体に出会ったのだ。
一気に酔いが覚めていった。
確保しなければ、そう思ったんだ。
急いでガシッと腕を掴み、拘束しようとした、その瞬間だった。
「貴様……私に触れるな!下等種族がッ!!」
ああ、その時に折られたんだ……左腕は。
そして……左足……。
これは、本当に異様としか言いようがなかった。
恐怖しか感じることができなかった。
「……貴様、何者だ?さっきの人間ではないのか?
……ならばちょうどいい!
『吸わせて』もらおうかッ!!」
そうだ、丸められたストロー状の口が伸びて『刺された』、左足に……。
そして、そのままゴクゴクと吸っていたのさ……おそらく、筋肉か、脂肪か……。
そのせいで左足はこんなに細くなった。
目の前で左足が細くなっていった時は、自分の目がどうかしたのかと思っていたよ……。
3秒……そのくらいの間吸われ続けた。
激痛が走った……なんとも例えづらい……そうだな、ロードローラーに足を少しずつ潰されていくとあんな痛みが起こるのかな。
そして吸い終わるとそのストローをまたクルクルと丸めて立ち上がったのさ。
すっかり奴の『出血』が止まっていたよ。
「お陰さんで元気百パーセントだァ……。
ありがとうな、人間さん。
さて……また奴が追ってこない内に逃げるとするか……屈辱だがな」
穴の塞がった羽根を広げ、空に飛び立って行こうとした。
私は、逃すわけにいかないと思っていたが……立ち上がることができなかった。
痛みよりも、恐怖の方が大きくてな。
奴が10メートル上空に浮かび上がった時だ。
影がやってきた。
いや、影のように真っ黒のスーツに身を包んだ『男』がやって来たのさ。
顔は深く影が覆っていて、見えなかった。
そいつは私に言ったよ。
「すまなかった」
それだけ言って、ジャンプした。
すごい高さだったよ。
蝶型未確認に追いつくほどの高さを跳躍した。
そして、殴った。
空を裂く音……ボヒュって音がしたんだ。
次の瞬間には、落下さ。
両方がね。
「ギギッ……貴様、やはり追いついてきたか……」
「てめぇ、あの人を襲ったな……」
「だったらどうした?
我ら強者は弱者を喰らう!
当然のことであろう!」
「……許さねぇ、ってことだ。
変装!!」
それだけ会話を交わして、スーツの男が『お面』を着けた。
古いヒーローのもので、輪ゴムを耳にかけるタイプのやつを。
そうそう、言い忘れていたが、未確認生物は『喋る』んだ。
池田の証言は裏付けが取れたな……なんせ私が聞いたのだから。
それから何が起こったって?
それはまぁ……殺し合い、としか形容できないな。
我々のような普通の人間には入りようのない領域だな……。
まさしく真の『戦闘者』のみが立ち入ることを許された戦闘だ。
時間にして1分ほど経った時だな。
お面の男が急に膝をついた。
そして蝶型未確認が高らかに笑い出したよ。
勝ち誇ったように、お面の男を見下ろして。
「ハッハハハハ!!
ようやく効いてきたようだな……わが『鱗粉』の毒が!」
奴は戦闘を行ってる間、鱗粉を撒いていた。
それに毒があったらしく、お面の男は倒れたのさ。
私は絶望した!
このままあの蝶型未確認に2人とも殺されてしまう……とね。
だが、実際に起こったことは異なるわけだ。
お面の男は、倒れはしたが……それは休んでいただけなのさ。
蝶型未確認が油断し勝ち誇っている間、体の中から毒を抜いていたんだ。
30秒、時間にしたらそのくらいして、お面の男は立ち上がった。
「何を……笑っている?」
「ハッ……貴様……なぜ、立ち上がれる!?
私の毒は小瓶1つほどで300人を殺れるのに……!?」
「……だったら、オレには効かなかった……それだけだ」
男の口調はとても冷たかった……冬の底冷えした空気、それ以上に冷えきっていた。
思わずこちらが身震いする程にね。
そして男は蝶型未確認に近づきながら続けるのさ。
「さァ……てめぇを倒さしてもらうよ」
ファイティングポーズ、しかし見事なものだった。
グッと力強い肉体が、目の前の敵を葬るために作り上げた最高のフォームだった。
蝶型未確認も負けじとポーズをとったが、この時にすでに格付けは済んでいたのかもしれない。
「死ねィッ!!」
蝶型未確認が羽根を使って男を切り裂こうとした。
だが男は、高速の羽根を難なく掴みとり、ちぎり取った。
おぞましい悲鳴だったよ、この世の終わりかと思うほどね。
「それじゃあ……お前は13体目の犠牲者ってわけだな」
「13体目……?
そうか、『仲間の失踪』は人間が行っていたのか……。
わからない訳だ……まさか人間とは……」
そして、男が蝶型未確認の首をちぎり取った。
私はそのくらいで限界がきたようで、意識を失い……気が付いたらこの病院のベッドの上さ、情けないことにね。
だが、私は確証がついた。
あの男こそ、『お面バトラー』だとね……。
何を呆れた顔をしているんだ、佐沼くん。
夢で見たんじゃないのか、だって?
夢なはずがあるか!
あれは間違いなく……間違いなく……いや、ひょっとしたら足を吸われて気絶していたかも……?
だ、だがね、あの蝶型未確認を倒した者がいるのは間違いない!
それがお面の男なのか……それとも別の何かなのか……。
また捜査を行わなければいけないな!
とにかく……この足が治るまでは、しばらく動けないな。
おっと、安心したまえ。
この足なんだがね、回復の兆候が見えてきたらしいのさ。
少し昨日より太くなった気もするし……とにかく、すぐに私も戻る。
まあ、戻るまでの間は頼んだぞ!佐沼くん!
「はぁ……」
佐沼は、立ち寄ったバーで慣れぬ酒を飲んでため息をついた。
遂に警察内部に被害者が出た、しかも捜査を担当する警部である。
これは、市民の間に噂として広まり、『未確認事件』への恐怖を高まらせていた。
佐沼は頭を痛めていた。
宇海は『お面バトラー』なる存在に夢中になってしまっているし、自分たちは署内のお荷物のままであったからだ。
「……ため息をつくと、幸せが逃げるといいますよ」
不意に、隣に座った大柄の男が話しかけてくる。
佐沼は曖昧な頭で受け答えをした。
「なによぉ……そんなんで逃げる幸せなんてこっちから願い下げよぉ……」
「そうですか?……私は、そういう小さな幸せの積み重ねが、大きな幸せを呼び込むと思いますが……」
「むぅ……一理あるわね!」
佐沼が変に納得をしたところで、男は急に立ち上がった。
「おっと……そろそろ『夜がやってくる』な……」
「へ?もうとっくに夜……」
佐沼が窓の外を見る。
もう10時を回り、外は電気の明かりによって照らされている。
そして、男へ向き直ると、もう男はいなかった。
代金と思しきお金だけを置いて。
「あれ?さっきまで……。
ねぇマスター、ここにいた大きな男の人は……」
「あぁ、あの人は、いつもこうなんです。
気が付いたら金だけ置いていなくなってる……」
「へぇ……そうなの……」
佐沼は寝ぼけた頭で、変なの、とだけ思っていた。
深い影に覆われた男が、夜の闇を今日も行く……。
未だ知らざる戦いを求めて……。
彼のことを知っている者はいない……ただ、彼と戦った者を除いて……。
次の日、早朝、『14件目』の未確認事件が起こった……。