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俺、猫だけど夏目さんを探しています。  作者: 白野こねこ
俺、猫だけど夏目さんを探しています。
6/22

6 俺は夏目さんを楽しんでいる。

 駅のすぐ近くにアーケード付きの商店街がある。


 休日は人間で溢れていることも多いが、平日なら猫がうろついても問題無いぐらいには空いている。雨も風もしのげるので雨宿りをするにも丁度良い。


 唯一の難点は、この商店街には時折やたらと気味が悪いものが現れるところである。


 夏には氷漬けにされた大きなカニが道のど真ん中に置かれていたことがある。こんなところで晒されているカニの気持ちを思うと、あまりに不憫でやるせない。


 ごく稀に巨大なリスのような着ぐるみが練り歩いていて、心臓が止まりそうになったこともある。その商店街のマスコットキャラという奴らしいが、すれ違ったものを怯ませる不気味さに溢れている。


 小さな子供が恐ろしいものを見るような顔をしていたし、飼い主に連れられた犬も吠えまくっていたぐらいだ。


 商店街のためを思うなら、むしろアーケードを練り歩かないほうが良いぞと何度もニャーと鳴いて抗議をしたが、伝わらなかったようで残念である。


 それ以上に気味が悪いのは龍の化け物だろうか。

 年の瀬や人が増える時期を狙って、定期的にアーケードの天井に巨大な龍が何匹も現れる。人間にとっては客を招くための縁起物らしいのだが、猫にとってはただの化け物だ。


 何も知らずに見上げて胆を冷やすことが度々ある。何度も遭遇するうちに、あいつらは天井に張り付いているだけで襲ってこないということがわかったが、それでも風が強い日はまるで生きているかのように荒ぶっていることがあり厄介な代物である。


 だからそういう日は、できるだけ上を見ないようにして俺は歩くことにしている。


 白い子猫と初めて出会った日も風が強かった。台風が通り過ぎて雨のほうはあがったものの、残りカスのような風が偉そうに威張り散らしていた。


 俺はしばらく風をやりすごそうと、商店街を散歩して時間をつぶしていた。電気屋と本屋を通り過ぎ、もうそろそろ路地裏へ抜けようかと考えていた時に背後から声をかけてきたのは夏目さんである。


「こんなところで会うの珍しいね。これはご利益があるかな」


 そう言った夏目さんは、小さな紙袋から紙切れを何枚も出してニヤニヤしながら眺めている。なにやらご機嫌な様子で俺の後ろをついてきた。俺が路地裏へ入ったちょうどその時に、突風が吹き荒れて夏目さんが変な声をあげた。


「あ、ちょ、ちょっと。うわー」


 夏目さんが慌てて商店街の方に戻っていく。どうやら手に持っていた紙切れを風に飛ばされたようである。必死に地べたを這いずり回って紙を拾っていたが、途中で諦めたのか俺のところに戻ってきた。


「だめだ。一枚足りない。もしそのくじが当たってたらどうしよう。もうオータムは諦めて年末ジャンボにかけるしかないのか」


 飛ばされた紙切れは宝くじだったようだ。しゃがんだ夏目さんは俺の体を抱きしめて、うえーんと嘘泣きをする。なんだかうっとおしい。風が吹く日に飛ばされやすいものを見せびらかしているほうが悪い。


「そうだ。よく宝くじ売り場にリアル招き猫とかいるし、ちょっとそのポーズやってみてよ」


 夏目さんに無理やり前足を掴まれて、招き猫の真似ごとをさせられる。


「あれ? 金運を招くのって右手だっけ。左手だっけ」


 そんなこと俺が知るか。そもそも招き猫ってのは、ほとんどが三毛猫だ。金運が目的なら俺のような黒猫がやるもんではない。


 離せと抗議するためにニャーと鳴いて逃れようとしたが、前足に何かがひっかかった。紐のようなものが絡み付いて取れない。新手の罠か。これで動きを封じるとは、夏目さんにしては小癪な真似をしやがる。


「ちょっとじっとしてて」


 仕方なく夏目さんが紐を足から外してくれるまでじっとしていようとしたが、紐の先に丸いものがついていて、それの動きに心を揺さぶられてついつい前足でちょっかいを出してしまう。


「こら。イヤホンが絡むから動いちゃだめ」


 動くなと言われても本能である。息をするのをやめろと言われるぐらい無理な注文だ。しばらくイヤホンとやらと格闘を続けていたら、丸いところが耳の中に当たり声が聞こえてきた。


 俺は驚いてビクリと動きを止める。小さい穴から人の声が聞こえた。小人でも飼っているのだろうか。夏目さんのくせに生意気である。


「聞いてみる? 落語っていうんだけどね、猫が出てくる話もあるんだよ」


 俺の体に絡みついていたイヤホンを外すと、夏目さんは丸っこいところを俺の耳につっこんできた。しわがれたおっさんの声が聴こえてくる。


 やたらとしゃべるのが上手なやつだ。時々笑い声や拍手でうるさくなる。こんな小さい中におっさんだけでなく、いっぱい人間が住んでいるのか。どういう了見だ。


「そんな哲学を聞いてるみたいな神妙な顔しなくても」


 夏目さんは俺の顔を見て笑っている。ブサ顔だの神妙な顔だの、ろくでもない言われようだ。たまには褒めたらどうなのだ。


「でもいつもより苦みばしった感じがクールだね」


 苦みばしった感じというのは、一応褒められているのだろうか。クールってのはなんだ。とりあえず夏目さんは、俺の顔をうっとりと見ているようだから悪い意味ではないらしい。


「これね、猫の恩返しっていう落語でね。コマっていう猫が出てきて……あっ」


 夏目さんが慌てて小さい鉄板のようなものを出していじり始めた。


「これはだめだ。猫が死んじゃう話だった。猫の皿のほうがいいかな」


 違うおっさんの声が聞こえてきた。このイヤホンの中にどれだけ小さなおっさんが住み着いているのか。解せぬ。まったくもって解せぬ。


「すごく高そうな骨董品のお皿で猫に餌やりをしてる店主がいてね、きっと物の価値がわからない残念な店主に違いないから、騙してやろうって企んでたお客さんが、逆に騙されちゃうっていう話でね」


 夏目さんは思い出し笑いをしながら説明してくれる。


「って言ってもわかんないよね。うーん。猫にオチとかサゲとかどうやって教えたらいいんだ。困ったな」


 夏目さんが悩んでいるようなので、俺は気にするなというつもりでニャーと返事をしてみた。


「もしかしてそんなこと教えてもらわなくても、全部知ってるぜというお返事ですか。違いのわかる猫ってやつですか。だったら他のも聞かせてあげよう」


 いつものことだが、真意は正しく伝わらなかったようだ。


 俺はもう諦めてわかったような振りをしながら落語に耳を傾けていた。夏目さんとイヤホンを分け合って聴いているとなんだか恋人同士のようである。よく制服を着た若いカップルが同じことをしているのを見たことがある。少々照れくさい。


 落語の面白さなんてのは猫の俺にはよくわからないが、夏目さんが楽しいならそれでいい。笑っている女を見るのは好きだ。仕方がないから付き合っているだけである。落語を楽しんでいるのではない。夏目さんを楽しんでいるのだ。


 しばらくすると遠くからニャァァァーという悲鳴のような子猫の声が聞こえてきた。夏目さんにも聞こえたのか、一緒に路地裏の奥に目をやる。


「俺が先に見つけたんだからな」

「私だもん」


 ランドセルを背負った少年と少女が、白い子猫をめぐり喧嘩をしている。ガキが子猫を見つけて連れ去ろうとするのはよく見る光景だ。そのあとすぐに元の場所に捨てに来るところまでが恒例行事だ。


 やれやれまたかと思いながら、俺がちょっとガキをたしなめてやろうと近づこうとしたら夏目さんに先を越された。ガキどもの目の前で仁王立ちである。


「こらっ。猫は物じゃないの。嫌がってるでしょ。やめなさい」


 ついさっき俺のことを招き猫にしようとしていた夏目さんが言うと、説得力の欠片もない。どの口が言うのか。人間の大人ってやつは自分のことを棚にあげるのが得意である。


 帽子をかぶったヤンチャそうな少年が夏目さんを睨んでいる。


「うるせーばばあ」

「ばばあってなによ。これでもまだ四捨五入したら二十歳なんだからね」


 帽子少年がキョトンとした表情をした。


「ししゃごにゅーってなんだよ」


 少年より小柄で、勉強の出来そうな眼鏡少女が答える。


「前に習ったでしょ。四までだったらゼロにして五から上はくり上げるやつ」

「んだよ。知ってるよ。算数の点数がいいからって偉そうにすんな」


 帽子少年が眼鏡少女を突き飛ばした。尻餅をついた少女が泣き出す。いかにもガキの喧嘩という感じになってきた。見ていられない。


 夏目さんが泣いている少女を抱き起こして、尻についた砂を払ってやる。


「友達に乱暴をするような子に猫を育てる権利はありません。もし本当にこの子を飼いたいのなら二人とも仲良くしなさい。それに無理やり連れていくんじゃなくて、ちゃんとこの子ともう少し仲良しになってからにしてね」


 夏目さんはついさっき道にばらまいて拾った宝くじをポケットから取り出すと、一枚ずつ二人に差し出した。


「これあげるから。その子を離しなさい」


 なかなか斜め上の交渉術である。ガキもあっけにとられている。そりゃそうだろう。俺にだって意味がわからない。


「今日のところは大人しくその子を置いて帰りなさい。もし宝くじが当たったらそれでおもちゃとか美味しい餌とか買って、仲良しになってから迎えにきてね。わかった?」


 ガキが睨んでいる。夏目さんは二人に宝くじを押し付けようとするが、帽子少年は白い子猫を抱きしめたままだ。これでは埒があかない。


 俺はニャーと鳴いて子猫に呼びかける。ぼさっとしてないで少しは自力で逃げろよと伝えるが、子猫はまだ怖がっているのか返事もしない。仕方なく俺は帽子少年に飛びかかった。


「うわっ」


 びびった少年が手を離すと、子猫は腕の中から飛び降りて路地裏へ逃げていった。建物と建物の細い隙間へうまく入り込んだようだ。これならガキに追いつかれる心配もない。


「待てよっ」


 慌てて帽子少年が子猫を追いかけ、必死に探しながら走っていく。泣いていた眼鏡少女も後を追うように、路地裏に消えていった。


「ナイスアシスト。おかげで子猫ちゃんは無事に逃げられたよ。ありがとね」


 夏目さんは俺に向かってウインクをする。あまりに下手くそなせいで、白目を向いているようにも見える。絶対にあの男の前ではするなよと忠告するつもりで俺はニャーと鳴く。たぶんきちんと伝わっていない。


 夏目さんの手元にはガキに渡し損ねた宝くじが二枚残されていた。


「まさか億万長者になれる可能性をみすみす捨てるとは。宝くじのロマンってもんが子供にはまだわからんようだな。ふふふ。私は知っている。当たらなくても待ってる間が楽しいのだ」


 宝くじを見て夏目さんはニヤニヤと締まりのない表情をしている。


「当たったらペット可の家に引っ越しするんだ。縁側があって小さい庭もあったらいいなぁ。ゴージャスご飯もいっぱい買って、君にもおごってしんぜよう」


 とらぬ狸の皮算用というやつだろうか。のんきなものである。だがもし本当に当たった時はおこぼれにあずかる準備はできている。俺の座右の銘は来る者は拒まずだ。もらえるものならなんでももらう。俺に貢ぐやつは誰でも大歓迎だ。


 けれど夏目さんがウハウハになる日はいったいいつになるのやら。あれからしばらく経つが、今のところ夏目さんから宝くじが当たったという報告を受けた覚えがない。


 もしかしたら当たっているのにおごるのが嫌で黙っている可能性もなくはないが、夏目さんの場合は黙っていられないタイプだろうから大丈夫なはずだ。何も言わないということは外れたということなのだろう。


 知らない振りをしてやるのが紳士の対応というやつだ。いくら野良猫といえども、奢られる側が催促するのは野暮というものである。


 ちなみにこの日出会った白い子猫は、数日後に俺が暮らしている公園にやってきた。とーちゃんと呼んでいいかと聞かれてダメだと答えたはずなのに、いつまでたってもとーちゃんと呼んでくる。


 母親ならすぐに自分の子供だとわかるだろうが、野良猫の場合は父親が誰であるかを特定するのは難しい。


 人間のように結婚という儀式で縛ることもできないし、発情しているメス猫はありとあらゆるオス猫から狙われ交尾をする。近くをうろうろしているオス猫は誰でも父親の可能性があるからだ。


 とはいえ白い子猫は綺麗なオッドアイをしていて、噂の白猫に顔がよく似ている。もしかしたら本当に俺の娘の可能性もあるかもと一瞬思ったが、あの白猫と交尾をしたのは一月ぐらい前のことだ。


 その時に子供ができたとしてもまだ腹の中のはず。いくらなんでも計算が合わない。そう説明してもまったく理解してもらえなかった。まぁ子猫には難しい話だから仕方がない。


 基本的にオス猫は子育てはしないものだが、遊び相手ぐらいならしてやれる。しばらくの間は一緒に暮らしていた。だが夏目さんがこなくなった頃と時期を同じくして、あの子猫も俺の前からいなくなった。


 あのクソガキに子猫が見つかって、また連れ去られそうになったからだ。返り討ちにして一度は撃退したとはいえ、俺がいないうちにまたガキが来ても困るので見つからないようにもっと遠くへ逃げろと指示をした。


 二度と戻ってくるなと言うと悲しそうな顔をされたが、あの暴力少年に捕まるよりはいい。あれから子猫の姿は見ていない。元気にやっているといいが、出会った頃に比べてある程度育ったとはいえ、野良猫の生活は子猫には厳しいだろうから楽観はできない。


 俺にできることは祈ることぐらいだ。猫が祈る場合は誰に祈ればいいのだろう。鰯の頭だろうか。どうせなら猫缶のほうがご利益がありそうだ。


 とりあえず商店街のアーケードは端から端まで見て回ったが、夏目さんらしき人物は見当たらなかった。しょうがないので次は何度か夏目さんと遭遇したことのあるスーパーの駐車場に行ってみることにした。





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