9 俺の尻尾はまだしばらく忙しくなりそうだ。
リビングのテーブルには、うまそうな魚介類が並んでいた。大きな海苔と酢飯が盛られた器も用意されている。
今日の晩御飯は、自分で作って食べる手巻き寿司というやつらしい。お客さんである使い魔妹のために、いつもよりゴージャスな感じのラインナップだ。
隙を見て刺身を拝借しようとしたが、テーブルに上がって、そーっとお皿に前足を伸ばした瞬間、あっさり元夏目さんに見つかって怒られた。
しょうがないのでキャットタワーに登って、ふてくされたように前足をだらりと投げ出して、三人の晩御飯の様子を眺めていた。
元夏目さんがネギトロの巻き寿司を作りながら言う。
「幼馴染と恋愛かぁ。甘酸っぱい感じでちょっと憧れるな。そういえばうちの小学校も、今度同窓会しようかって話が出てた気がするけど、そこでカップルができたりして」
元夏目さんは恋する乙女のように、うっとりと何かを想像しているようだ。手に持っている手巻き寿司から、ご飯粒がこぼれ落ちていることにも気がつかないとは、ぼーっとしすぎである。
食事をするときは、もっと真剣にしろ。もし野良猫だったらそんなことをしていたら、すぐに他の猫に餌を取られてしまうんだぞ。これだから人間というやつは恵まれているせいで緊張感が足りなさすぎる。実に甘ちゃんである。
大人になってしまった元夏目さんたちをしごくのはもう無理だが、ジュニアたちには食料の確保の難しさと、ありがたさについて、いずれしっかりと躾けねばなるまい。
「お茶のお代わり、ええですか」
使い魔妹に声をかけられて、元夏目さんはやっと現実に戻ってきたようだ。
「うん。新しいの持ってくるよ」
冷蔵庫に向かった元夏目さんの背中を、使い魔妹がじっと見ている。
「お兄ちゃん、釣った魚に餌やらんでほっとくと、トキメキが足らんって同窓会で浮気されてしまうかもしれへんよ」
耳打ちするように小さく囁いた妹の頭を、兄が軽く叩いた。
「いらんことは言わんでよろしい」
「冗談やって。弟くんからいろいろ聞いたよ」
「いろいろって何を」
「あの奥さんがどんだけお兄ちゃんにぞっこんか。ギャップが可愛くてしょうがないんやってさ」
驚いた使い魔兄は、手巻き寿司が変なところに入ったのか、咳き込んで苦しんでいるようだ。慌ててお茶を流し込んでから聞く。
「ギャップが可愛いって、どういう」
使い魔兄が困惑したような表情で妹を見る。
「詳しくは私の口からは言われへんわ」
「もったいぶるなよ」
元夏目さんが新しいお茶を持ってきて、使い魔妹と兄のコップに注ぐ。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
食い気味に答えながら、使い魔兄は首を振る。
「直接本人に聞いたらええんとちゃうかな。もちろん夜中にイチャつくんやったら、できれば私が帰ってからにしてな。失恋したてのボッチにはいろいろきっついんで」
「お前、何を……」
使い魔兄と元夏目さんが一緒に頬を染めている。きっと夜の生活的なものを二人とも頭で想像してしまったようだ。
使い魔妹がニヤニヤと二人を見比べる。
「こんだけラブラブやったら、次の子供ができるんも時間の問題やな」
「人をからかうのもいい加減にしろ」
「からかってなんかおらんよ。ただ純粋に二人は良い相手に出会えて良かったねって思ってるだけやで。私もはよ、負けんぐらいラブラブな彼氏見つけんと。よーし、私も幸せになるでー」
そう宣言した使い魔妹は、サーモンとイクラの手巻き寿司を作ると、両手に持って交互にかぶりついている。なんという贅沢な食い方だろう。ぜひ俺だってあんな王様みたいな食べ方をしたいものだ。
使い魔兄はため息をつく。
「一人で生きていくとか言ってなかったか」
「人の気持ちなんて、猫の目みたいにコロコロ変わるもんですよ」
都合が悪くなったら猫を引き合いに出してごまかすのは勘弁してほしいものだ。ニャーと鳴いて抗議をするが、もちろん伝わっていない。
しばらくすると使い魔妹が食べるのをやめた。息を吹いてお腹をさすっている。
使い魔兄が聞く。
「らしくないな。ひとんちだからって遠慮してんのか」
「ちゃうよ。二人の幸せオーラで胸がいっぱいで、お腹も膨れてしもうたわ」
「またふざけてんのか」
「っていうんは冗談で、さっきお祭りの屋台で、かき氷と焼きそばとソーセージを食べてしもうたから」
使い魔妹は、あの後にさらにソーセージも食べたようである。また負けず嫌いの習性を発揮したのかもしれない。こりない女である。
「しょうがないやつだな。せっかくお前のために用意したのに」
「ごめんて。いろいろあってな。まぁ成り行きで仕方なく」
確かに、いろいろあったのは事実である。だが食べ過ぎたのは自業自得の気がしなくもない。もういらないというのなら、使い魔妹の分を俺にくれないだろうか。いくらでもおこぼれにあずかる準備はできているぞ。
インターホンの呼び出し音がした。
「今日はお客さん多いね」
元夏目さんが玄関に向かう。俺も怪しいやつかどうかを確認するために、キャットタワーから飛び降りて後を追った。
新しい訪問者は、例の小学生のガキどもだった。
お祭りに行っていたのか、眼鏡少女の方は可愛らしい金魚模様の浴衣を着ている。初めて出会った頃に比べると二人とも背が伸びたかもしれない。
野球帽をかぶった少年は、小ぶりなスイカを手にぶら下げていた。
「お母さんが持っていけって」
「あら、わざわざどうもありがとう」
元夏目さんが受け取る。ガキが持ってきたものを家に入れるのはなんだが気がすすまないが、元夏目さんが受け取ってしまったのだからしょうがない。
元夏目さんが眼鏡少女に向かって聞く。
「白猫ちゃんは元気にしてる?」
俺が奇跡的に動物病院で復活したあの日、俺のことをとーちゃんと呼ぶ白猫は、眼鏡少女の家にもらわれていった。それからはパトロールで外をうろつくときにたまに会うようになり、今では白猫も立派なレディに育っている。
「昨日、子猫産んだよ」
「え、嘘。何匹」
「三匹。白と黒とハチワレで、一番ちっこい黒猫がお腹に白い模様があって、この子に似てるかも」
ガキたちと元夏目さんが一斉に俺を見る。元夏目さんがニヤニヤしながら言う。
「やっぱり君がお父さんなのか」
さぁ、なんのことだかわからないな。俺はそっぽを向いた。
もちろんやることはやったので、その三匹の子供達が俺の子である可能性はゼロではない。だがそうではない可能性もまた然りである。俺には確かめようがない。
「今度見に行くよ。じゃあスイカありがとうって、お母さんに伝えといてね」
小学生のガキ二人が帰るのを見届けると、俺は元夏目さんと一緒にリビングに戻った。
リビングに戻った元夏目さんが子猫が生まれた話をすると、使い魔兄が嬉しそうに俺を見て、目を細めた。
「とうとう君もお父さんか。新米パパ同士がんばらないとな」
使い魔妹も俺のことをニヤニヤと見てくる。
「なんや、やることやってるやないの。さすが肉食系男子やな。おめでとうさん」
なんだその目は。どいつもこいつも。別に俺が誰と交尾をしたって、お前らには関係ないだろうが。
元夏目さんが切り分けたスイカを持ってくる。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
「いただきまーす」
使い魔妹は一番大きなスイカを手にしてがっついている。兄が呆れたように見ている。
「お腹いっぱいじゃなかったのか」
「デザートは別腹ってやつやな」
使い魔妹はニヤリと笑う。現金な女である。
とにかく、俺が本当の父親かどうかは別にしても、野良猫時代から縁のあった白猫が、無事に子供を産んだというのは喜ばしいことである。また今度様子を見に行ってやるか。
あいつも初めての子育てで大変だろうから、子猫をあやす手伝いぐらいはしてやってもいいかもしれない。
人間の子供二人に、猫の子供が三匹。俺の尻尾は一本しかないというのに、相手が多すぎる。どうやら俺の尻尾は、まだしばらくは忙しそうだ。




