8 俺はとばっちりを食らう。
突然俺に飛びつかれた見知らぬ女は、驚きすぎて動けないのかしばらく固まっていたが、急に顔をしかめて今にも泣きそうな表情になった。
まずい。これは泣くぞ。泣かれるぞ。うっかり飛びついてしまったのは俺だが、違うんだ。悪気はなかったんだ。使い魔妹が悪いんだ。あの棒が悪いんだ。俺のせいじゃない。
慌てて離れようとするが、服に爪がめり込んでなかなか取れない。
上からポロリと涙が流れてきたが、見知らぬ女の顔は笑っているようである。泣き笑いというやつだろうか。どこかの誰かさんとは違って、泣き顔も美しい女のようである。ポニーテールで髪をあげているため、首の細さと鎖骨の華奢な感じが際立っている。小鹿のように守ってあげたくなるタイプのようだ。
「良かった……」
何が良かったのかはわからないが、感極まったらしき女は、俺をぎゅーっと抱きしめた。苦しい、俺を殺す気か。こいつも加減を知らない部類の女のようである。どうやらとばっちりを食らったのは俺のほうだった。
なんとか俺は服に引っかかった爪を剥がし、女の腕から逃れると、少し離れた塀の上に登って様子を見ることにした。やはり心が乱れた時は上から見下ろすに限る。
ポニテ女の隣には、もう一人若い男が立っている。スポーツでもやっているのか色黒で精悍な顔つきをしていた。夏目弟とはまた違ったタイプの爽やかイケメンで、短髪の細マッチョな背の高い男だった。
夏目弟は二人を見た瞬間、リビングで俺に擦り寄られて驚いた時のように「ひっ」と悲鳴をあげて、横に飛んで退いた。相変わらず見事な跳躍力である。
だが残念ながら飛んだ先には茶トラの尻尾があった。フギャーっと爪の反撃を食らわしてから、茶トラは逃げて行ってしまった。奴もとばっちりを食らったようである。まさにしっちゃかめっちゃかとはこのことだ。
「お前ら、どげんしたと」
茶トラに引っ掻かれた腕の傷を撫でながら、夏目弟が二人に向かって言う。
近づいてきた短髪男が答える。
「お前こそ、こんな所でなんばしょっと。バスを降りたら急に姉ちゃんのところ行く言うち、なかなか戻ってこんし、いっちょん電話も出らんと」
「用事が……あったっちゃけん」
夏目弟は目をそらしている。二人を直視できないようだ。気持ちはわからないでもない。
どうやらこの短髪男がバスで一緒にやってきたという例の親友で、ポニテ女のほうは夏目弟が好きだと言っていた想い人のようだ。いわゆる三角関係の修羅場というやつである。
どうして人間というのは、会いたくない相手に限って遭遇するようにできているのだろうか。やはり運命の神様というやつが、よっぽど性格が悪いということなのかもしれない。
「用事てなんや。俺らが心配しとらんとでも思うたか。こがん野良猫と遊ぶんが、約束をすっぽかしてまでやることか、あぁ?」
短髪男は夏目弟の胸ぐらをつかんだ。
確かにこの状況を見ると、ただ猫と遊んでいたようにしか見えないだろう。だが、そもそもこの路地裏に来たのも、棒遊びをする羽目になったのも、夏目弟の意志ではなく、使い魔妹のせいである。完全に濡れ衣でしかない。
一連の流れについて弁明してやりたかったが、残念ながら俺には無理だった。とりあえず俺は野良猫じゃないという抗議の意味を込めてニャーとだけ鳴いておいた。
「もうやめんね二人とも。無事に見つかったっちゃけん、それでよかろうもん」
ポニテ女が間に入って言うと、短髪男は掴んでいた手を離した。
女が夏目弟を見つめて言う。
「まだ間に合うけん、今から一緒にオープンキャンパス行かんね」
少し首をかしげた感じがなかなか可愛らしい。俺ならこんな風に誘われたら、すぐにほいほいついて行ってしまいそうだ。
夏目弟は首を振る。
「俺は行かん」
「なんでそげんこと言うと。せっかく来たとに」
「二人で行けばよかろうもん。俺がおらん方がええっちゃろ」
一触即発とも言うべき、不穏な空気が流れている。
ずっと三人の様子を見ていた使い魔妹が、あっけらかんとした明るい声で質問した。
「君たち二人は付き合うてんの」
「ちょ、なんば言いよると」
夏目弟が慌てて止めようとするが、使い魔妹はぐいぐい質問を続ける。
「いつから付き合ってたんですか。キスしたんは今日が初めてですか。もしかしてキス以上のこともしたことありますか。教えてください」
インタビューをするみたいに拳をマイク代わりにして、女と短髪男に交互に向けている。
「やめてくださいっ」
そう言ったポニテ女は、再び泣きそうな顔をした。だが今度は笑っていない。怒っているようだ。使い魔妹を睨みつけるようにして答えた。
「私たちは付き合ってませんし、キスしたこともありません。っていうかあなた誰ですか」
「ただの通りすがりの親戚です」
「親戚ってどういう」
夏目弟が間に入って説明をする。
「うちの姉ちゃんの旦那さんの妹」
「それは……失礼しました。私、夏目くんのクラスメイトです」
「私は夏目くんと最近知り合ったばかりのニワカ親戚です」
ポニテ女と使い魔妹は深々と頭を下げあっている。こいつらはいったい何をしているのやら。
顔を上げた使い魔妹が言う。
「で、話を戻すけど、バスの中で君たちがキスしそうになってるんを、この子が見たらしいんやけど。ほんまのところはどうなん」
ポニテ女と短髪男が顔を見合わせて、吹き出すように笑った。
「なんが面白いんか」
夏目弟がムッとした表情で二人を見ている。
短髪男が少しかがんで、小柄なポニテ女に耳打ちをするように言う。
「まだ夏目に言うとらんかったと」
「やけん、何の話をしようとか」
自分だけ蚊帳の外にされたせいか、夏目弟がイラつくように言う。
短髪男は鉄板を取り出して言った。
「見せたほうが早かろう」
「ちょ、やめて」
ポニテ女が止めようとしたが無駄だったようだ。鉄板は夏目弟の手に渡った。
「最近流行っとるWeb漫画あるっちゃろ。『和男子日記』っちやつ。あれ描いとるんは、こいつやで」
「嘘やろ」
そばで聞いていた使い魔妹が、突然大きな声を上げた。いきなりテンションが高くなっている。
「和服のイケメンアイドルがいっぱい出てくるやつやんな。私、読んでるで。むっちゃ面白いやんなアレ。耽美な絵でシュールなギャグするやつ。好きやわー」
「あ、ありがとうございます」
ポニテ女は照れながら頭をさげた。使い魔妹に握手を求められて応じている。
短髪男が鉄板を指差しながら言う。
「このちょっと色素薄い系のイケメンは夏目がモデルで、こっちの色黒短髪の細マッチョは俺らしい」
「もー、恥ずかしかけん、あんまり見らんで」
ポニテ女は鉄板を取り上げた。
夏目弟は、勘ぐるように短髪男を見て言う。
「……なんでこげん話をお前が知っとうと」
「元々うちの兄ちゃんがそのサイトで連載しとって、ファンやっち言うけん紹介したら、知らん間にこいつも連載しよったと」
「ならずっと、俺だけ知らんやったとか」
ポニテ女は手を合わせて可愛らしく首をかしげた。
「ごめん。勝手にモデルにしとったけん、ちょっと言い出しづらかったとって。別に夏目くんだけ、のけ者にするつもりはなかったと」
夏目弟は眉間にしわを寄せている。いくら本人がそのつもりはなかったと言っても、結果としてハブられていたほうは気分が悪いだろう。相手が好きな女ならなおさらだ。
頭をかきながら短髪男は言う。
「来週締め切りのネタに困っとるっち言うけん、協力しとっただけちゃ。バスの中でお前が見たんはそれや」
「協力ってキスすることがか」
「やけん、しとらんって。バスの中のキスシーンの真似事ばして、資料映像を撮影しとっただけや」
「いっちょん信じられん。なんでそげんすぐバレるような嘘ば言いよると」
使い魔妹が鉄板を指差して、助け船を出す。
「ほならその撮影したやつを見せたらええんやないの」
「なるほど。そうやね」
ポニテ女が鉄板を操作して、夏目弟に映像を見せている。
「な、振りだけっちゃろ」
「録画しとらん時に、キスしよったかもしれん」
表情が硬いままの夏目弟を見て、ため息をついた短髪男が言う。
「それは悪魔の証明っちゅーやつやないね。俺らはなんも嘘ば言うとらん。お前のそっくりさんキャラのエピソードやけん、夏目でやれっち言いよったのに、そげん恥ずかしかことはできんち、こいつが言いよるけん、俺が代わりに振りをしてやっただけや」
「お前は頼まれたら、ほいほいキスの真似事ばするような安い男やったとか」
「俺は手伝っただけやけん。文句はこいつに言えっちゃ。こげん妹みたいに思うとる女と、キスなんぞするわけなかろうもん」
また一触即発な雰囲気になった二人の間に、ポニテ女は割って入る。
「変に誤解させたんやったら、ごめん。何をしたら許してもらえると。なんでも言うて」
うるうるした瞳でじっと見つめられて、夏目弟はたじろいでいるようだった。怒るに怒れない様子で夏目弟は、そっぽを向いてポツリと言う。
「もうよか。俺も大人気なかったけん」
短髪男が空を見上げて、わざと聞こえるように大きなため息をついた。腕を伸ばして背伸びをしながら言った。
「あーもうあほらしか。二人とも、ちゃっちゃとくっつけばよかろうもん」
「ちょ、おま、何を」
「わかっとらんのはお前らだけやぞ。知らん振りするんも、いい加減飽きたわ」
短髪男は夏目弟を見てニヤリと笑う。
「夏目、お前はいつもそげんウジウジしとっけんモテんのやぞ。お前が言わんのやったら、俺が代わりに告白しちゃろーか。夏目が好きなんは……」
「わ、わかったけん、黙れちゃ」
夏目弟は一呼吸してから、ポニテ女を見た。言い出そうとしてやめてを繰り返す。ほかのみんなは固唾をのんで見守っている。
夏目弟の手が震えている。さんま祭りで使い魔兄が元夏目さんを誘った時と同じだ。緊張しているのがよくわかる。頑張れ、夏目弟。男にはやらなきゃいけない時がある。今がその時だぞ。
ようやく夏目弟の口が開き、その声が音になった。声がひっくり返っていることに、誰もが気づかないふりをしている。
「お、お前のこと好きっちゃけど、付き合うてくれん」
「……ええよ」
夏目弟とポニテ女は下を向いて、頬を染めている。恥ずかしいのか二人とも目を合わせられないようだ。見ているこっちまで恥ずかしくなってくる。
だが良かったな。これもきっと俺のおかげだ。感謝してもらいたいものである。
使い魔妹がにっこり笑って言う。
「なんや、来年まで待たんでも良かったみたいやな。ラッキーアイテムが黒猫って、私のなんちゃって占いも結構当たるもんやな」
「ったく、世話の焼けるやつらやの……」
短髪男が頭をかきながら二人を見た。
「オープンキャンパスはお前ら二人で見に行ってくればよか」
「三人で行かんとか」
「一緒に行かんと」
夏目弟とポニテ女は同じタイミングで答える。すでにもう息がぴったりのようである。
その様子を見て短髪男は一瞬だけお腹が痛いみたいな顔をした。変なものでも拾い食いして具合でも悪いのだろうか。
「実は、別の大学からスポーツ推薦の打診があったと。今日も本当はそっちの下見ば行きたかったっちゃね」
「そげん話ば聞いとらん。なんで今になって急に」
夏目弟の問いに、短髪男は答える。
「急にやない。ずっと考えとった。最近は全然記録が伸びんで、大学ではもう陸上はやらんつもりやったけど、やっと続ける決心ついたと」
ポニテ女は短髪男をじっと見て言う。親猫が初めて外に出る子猫を見守るような、優しくてあったかい視線だった。
「もう決めてしもうたと?」
「決めてしもうたと」
「……そっか。私は応援するけん。オリンピックば絶対行けるように、またお守り作るっちゃね」
「おう、頼むわ」
頷いた短髪男は、ポニテ女にだけ耳打ちをする。
「大学受かったら、夏目んこと頼むわ。こいつ案外抜けとるところがあるけん」
「わかった。まかしといて」
「なんやまた二人でコソコソと」
短髪男はニカっと笑って、夏目弟を見る。
「お前は応援してくれんとか。俺の高飛びはフォームが綺麗っち、最初に褒めてくれたんはお前やなかね。自分の代わりにオリンピックに行く夢を叶えろっち言うたやろ」
夏目弟はしばらく黙っていた。目を伏せたままポツリと言う。
「お前が陸上続けるんは、もちろん嬉しかよ。けんど大学離れるんは……ちょびっと、さびしかね」
「ちょびっとだけか」
「……ちょびっとや」
強がっているのが見え見えの夏目弟の答えに、短髪男は小さく笑う。
「離れるっち言うても電車一本で行ける距離やし、いつでも会えるっちゃろ」
ふてくされた表情をしたままの夏目弟が、短髪男に向かって言う。
「ほかにもまだ俺に隠し事しとるんやなかろうね」
「……もうなかよ」
「そげん言葉、信じられん」
短髪男はニヤリと笑う。
「バレてしまってはしょうがない。最後の秘密を白状する時が来たようだな。実は俺の兄ちゃんが……宝くじで一億円当たったと!」
「……嘘やろ。うちの姉ちゃんは三百円しか当たったことなかやのに」
どうやら元夏目さんの宝くじは外れていたようだ。まさかこんなところで知ることになろうとは。
「銀行でもらう冊子ば見せてくれん。どげんことが書いてあると」
興味津々で目を輝かせながら質問をする夏目弟を見て、ポニテ女が吹き出すように笑う。
「嘘に決まっとうと」
「……また俺を騙したがか」
夏目弟に睨まれた短髪男は、腹をかかえながら笑っている。
「昔っからそうやな。サンタクロースも河童も、嘘みたいな話ほど夏目はすぐ信じるけん」
ポニテ女がとびっきり美味しいものを食べた時みたいに、幸せそうな笑顔で言う。
「夏目くんのそういうところが、かわいかよ」
「ば、バカにすんなち」
夏目弟はムッとしながらも、彼女になりたてホヤホヤのポニテ女に可愛いと言われてまんざらでもなさそうである。
その二人を見ている短髪男の表情は、少し寂しそうにも見えた。
「イチャつくんは結構やが、ほれ、はよ行かんね。時間がもったいなか」
短髪男が二人の背中を強く叩いて押し出した。
「また後で連絡するけん、夜になったらバスで合流しようや」
「おう。また後で」
夏目弟とポニテ女は並んで駅に向かって行った。
短髪男が大きく手を振って二人を見送っている。その後ろ姿をちらりと見て、使い魔妹が言った。
「もしかして君は宝くじ以外にも嘘をついたんやないの」
「嘘やなかですよ。推薦の話は本当です。ズルズルと先延ばしにしよったんをやっとやめられました。ちょっと遅すぎたかもしれませんけど」
「そっちやなくて、妹みたいに思ってるってほう」
「そんなこと言いましたっけ」
「赤の他人にまで、強がって嘘つかんでもええで」
短髪男はいたずらを見つかった猫みたいに、シラを切ろうとして失敗したようだ。
「……半分本当で、半分嘘って感じですかね。進路のことを考え始めた時、やっと気付いたって状態だったんで」
「君の本当の気持ちは、あの子らは知らんままでええの」
短髪男は小さく首を振る。
「あいつらは俺より頭はよかやのに、恋愛に関しては赤点レベルのやつらやけん、たぶん一生気がつかんと思います」
「そっか。君も大変やね」
「最後にキスの真似事だけでもできて、ラッキーやったと思うことにしときます。もし夏目があいつを泣かすようなことをしたら、俺は黙っとりませんけどね」
短髪男が空を見上げる。大きくなった入道雲がさらに幅を利かせていた。また遠くで雷の音が鳴っている。今にも雨が降り出しそうな空になっていた。
「ずっとこのまま三人でおられんのはわかっとったとです。頭ではわかっとったつもりやのに……これ、思った以上につらかですね」
そう言った短髪男の背中は、少し揺れている気がした。
使い魔妹はポンと優しく肩を叩いて言った。
「よし、通りすがりのお姉さんが焼きそばを奢ったろ。おっちゃん、これちょうだい。ほれ、足らんかったらお代わりしてもええよ」
焼きそばのパックを受け取った短髪男は、眉間にしわを寄せる。
「俺、紅生姜は苦手っちゃけど。この麺の色ば変わるんがあんまり好きやないとです」
「人に奢ってもらうのに、文句言うたらあかんよ。そんなんでは社会人になってから苦労するで。ほんま若さって怖いわー」
使い魔妹は腕で体を包んで、ブルブル震えるような真似をする。
「そげん言うほど、年変わらんやないですか」
「世の中にはな、ちょーっと機嫌を損ねただけで、ネチネチと相手が嫌がることをやって喜ぶ外道な大人がぎょーさんおるんやで。おっちゃん、この焼きそばに紅生姜大盛り追加で」
短髪男の焼きそばに、ピンク色の生姜がどっさりと載せられた。嫌そうな顔をしつつも、少し笑った短髪男が言う。
「しゃーしか人ですね」
「それあの子にも言われたわ。ほれ、落ち込んでる時こそ、苦手なものを克服するチャンスやで。どうせ失敗したところで、今以上に落ちることはないんやから。食わず嫌いせんと、食べてみたら」
小さく笑った短髪男は、苦手だという紅生姜も一緒に割り箸でつまんで焼きそばを口にする。しばらく味わってから、何度も小さく頷いた。
「思ったより普通にいけそうです」
「嫌がらせもたまには役に立つんやな。実は私も紅生姜、苦手やねん。よし、私も一緒にやけ食いや」
使い魔妹は、紅生姜をたっぷり追加してもらった焼きそばを店員から受け取っている。
「負けず嫌いにもほどがあるんやなかですか」
「それもあの子に言われた。さすが親友やね。言うことがよう似てるわ」
短髪男は一瞬だけ、どこかが痛そうな表情をしたが、すぐにニカっと笑顔を見せてから言う。
「付き合いが長いもんで。おかげで女の趣味まで似てしもうて……大弱りです」
「なら今度は彼女をゲットできる幸運も似たらええね。まぁ夏目くんよりモテモテらしいから問題ないんかもしれんけど」
「これからはもう断る理由もなかけん、高校デビューでも大学デビューでも、なんでもしてやろうかち思うとりますよ」
「さすが、夏目くんに絶望を与え続けたモテ男は違いますな」
使い魔妹の明るい笑い声につられたのか、短髪男も笑い声を上げた。少しは元気になったようである。
「ほうや、あの黒猫、エンジェルマークとかいう幸運の印があるらしいし、ちょっと撫でといたらええんとちゃう」
「エンジェルマーク?」
「なんやご利益があるみたいやで。うちのお兄ちゃんと夏目くんのところのお姉さんとの縁結びも、あの黒猫がしたみたいやし」
「へぇーそげん、すごか猫やったとですか」
「そうそう。すごか猫やってん……って、あれ、あの子どこ行った」
使い魔妹は見当違いなところを探している。遠くで雷が鳴った。雨も降り出したようだ。
さて、雨が本格的に降る前に、俺も帰るか。
それにしても、人間の恋というのもなかなか難しいもののようだ。誰かの恋が実ると、誰かの恋が消えることもあるらしい。
少なくとも夏目弟の恋がうまくいったのは、きっとラッキーアイテムの黒猫である俺のおかげにちがいない。だから夏目弟がもし今度家に来ることがあれば、餌かおもちゃを持参してもらいたいところである。
2、12、22日の投稿は、これで終了です。
9話と番外編(ソファー視点の短編)は、書籍版発売日の前日2019/05/09に投稿予定です。




