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俺、猫だけど夏目さんを探しています。  作者: 白野こねこ
俺、猫だけど人間の弟と妹ができました。
19/22

7 俺は見知らぬ女に着地する。

 路地裏に入ると夏目弟は手を振り払った。不機嫌そうにそっぽを向いている。

 呼吸を整えてから、使い魔妹は言った。


「確かに今すぐは無理かもしれんけど、歌ならお姉さんが教えたるで」

「そげんこといっちょん頼んどらんし」


「ならモデルは」

「よう知らん人に笑えっち言われて笑えるほど、俺は器用な男やなか。『白い沈黙の男』って呼ばれとった人見知りっぷり、舐めんほうがよかよ」


「今はちゃんと私としゃべれとるやんけ」

「親戚やけん、礼儀として答えてやっとるだけったい。あんたみたいなうるさか女、赤の他人やったら無視するに決まっとろうが」


 使い魔妹は大きなため息をついた。


「ほんまに君はできん言い訳をさせたら世界一やな。人生っちゅーもんはな、いくら後ろ向きの穴ばっかり掘ってても、前には進めんのやで」


 夏目弟はイライラしたように髪の毛をかき上げた。


「あんた、しゃーしか人やね」

「しゃーしかってどういう意味なん」

「年上のくせに、そげんことも知らんと」


 使い魔妹はニヤリと笑う。


「ちょっとばかし年取ったところで、なんでも知ってるわけないやん。わからんことは知ってる人に質問しなさいって、幼稚園の頃に習った気がするんやけど、私より記憶が新しいはずの君はそんなことも知らんの」


 煽るつもりが煽られているようだ。夏目弟はムッとした表情で答える。


「うるさいとか、うざいっちゅー意味や。そげんしゃーしぃことばっか言いよるけん、彼氏に振られたっちゃなかと」

「私の方から振ったんですけどー。人の話をちゃんと聞かん子は受験も失敗するで」


「バカにすんなちゃ。A判定以外もらったことなか男ぞ」

「へぇー優秀なんやね。ほなけど自信満々な子ほど、当日しょーもない風邪ひいてやらかしたりするんやで。……私みたいに」


 使い魔妹は急に下を向いて黙った。しばらくすると鼻をすするようにして、肩を揺らし始めた。


「え、ちょ、なんで泣いとーと」

「ほら落ちるに決まってるわな。喉ガラガラで高音でーへんのやから。あんだけ練習したのに、私のせいで全部台無しや」

「胸のせいっち言いよらんかったっけ」


 使い魔妹は首を横に振る。


「あいつ優しいねん。私のせいやって言わせんために、悪ふざけで胸がないから落ちたとかみんなの前で茶化したんやろうな。ほなけど、もっと別の言い方があるやろーが。あのどあほう。優しさの方向性が間違ってんねん。ほんま腹立つわ」


 使い魔妹はしゃっくりをしているみたいに、顔をくしゃくしゃにして泣いている。夏目弟はどうしていいのかわからないように困った表情をして、路地裏の看板を眺めていた。


 もしかしたら、使い魔妹のあまりにすごい顔をした泣きっぷりに、ちょっと引いているのかもしれない。俺も若干引いている。


「ごめんな。現実を見ようとせんで、後ろ向きの穴ばっかり掘ってたんは自分のほうやったわ」


 しばらくの間、黙って聞いていた夏目弟がポツリと言う。


「贅沢やなあんた。砕けられるだけマシや。俺は挑戦すらできんやったのに」


 使い魔妹は顔を上げて鼻水をすすった。何度もこすったであろう目は充血している。


「挑戦って、なんの話」

「俺が小さか頃、憧れの人は新体操の選手やったと」


「新体操ってあのボールとか使うやつ?」

「そう。テレビでオリンピックの映像ば見て、リボンくるくるーってしとるんが綺麗かねーっち思うて、一目惚れしたと」


 夏目弟は指を棒に見立てて腕を回すしぐさをしてみせる。


「確かに踊ってる姿は妖精さんみたいやもんな」

「俺はすぐにリボンば真似して作って、いつか自分もオリンピックの選手になるっち決めたったい」


 使い魔妹は驚いたように、何度も目をシバつかせている。


「憧れって、そっち? 年上のお姉さんに初恋とかそういうおませさんな話やなくて?」

「人の話を聞いとらんとか。リボンくるくるーが綺麗かねーって思ったっち言いよろーが」


 使い魔妹は困惑したように首をかしげた。やはり夏目家の人間は、斜め上の発言で人を驚かせる能力が高いようだ。


「えーっと、君、男の子やんな。リボン使う新体操って、確か女子にしかないんやなかったっけ」


「そんときは知らんやったと。上の姉ちゃんは困ったような顔して何も言うてくれんやったけど、下の姉ちゃんは『頑張ったらなれるよ』っち応援してくれて。俺もその言葉を信じとった。床にリボンがつかんごとなるまで毎日練習して。姉ちゃんに『うまかねぇ』って褒めてもらえるんが嬉しかったと」


 夏目弟は路地裏をかけていく浴衣姿の小さな兄妹を見て、懐かしそうな表情を浮かべた。だがすぐに嫌なことを思い出したかのように、その表情は曇った。


「小学校に上がって、将来の夢は『新体操の選手になってリボンで踊ることです』っち発表したら、みんなに笑われた。先生に男子の新体操ではリボンを使わんから絶対無理やち説明されたと」

「それはまた儚い夢やったね」


 夏目弟は拳を握りしめ、この世のすべてを恨んでいそうな表情で言う。


「小学生にして人生の目標を失ったんやぞ。わかるか俺の絶望が」

「わかり……かねます」


 今度は使い魔妹のほうがドン引いているようである。真剣に悩んでいそうなところ申しわけないが、俺も若干引いている。


「しばらくクラスのみんなに笑い者にされて、本当に心を許した相手にしかしゃべらんごとなった。『白い沈黙の男』っち呼ばれるようになったんはそのせいや」

「人に笑われてやめる程度ってことは、その夢は本当の本気やなかったってことやな」


 夏目弟は、ハッとしたように使い魔妹を見た。


「俺のことバカにしとうとか」

「違うって。嫌な気持ちに『絶望』なんて大層な名前つけるからややこしいねん。今の君がちゃんと乗り越えとるんなら、その絶望とやらは倒せる敵やったってことやないかな」


「倒せる敵っち……」

「君はまだ若いんやし、なんべんでも絶望したったらええんやないの」


 夏目弟はキッと睨みつけて言う。


「俺が何回絶望したと思うとると」

「ごめんけど、存じ上げません」


 使い魔妹は首を振る。


「なら教えちゃるわ。中学でアイドルのバク転を見て惚れ惚れしとったら、たまたま芸能事務所にスカウトされたと」

「なんや、もう経験済みだったんかいな」


「歌のレッスンば通うたら、酷すぎるっち先生にサジ投げられて。あげくに、その事務所は脱税が見つかってすぐに潰れてしもうたと」

「なかなかな急展開やな」


「高校になったら、文化祭で生演奏を初めて見て、バンドやりたかっち思うて、軽音部でギターの練習始めたら、俺の演奏聞いた人が体調不良になるからやめてくれっち退部させられた」

「どんな演奏したんか逆に気になるわ」


「それだけやなか。顔が好みやっち俺に近づいてくる女子は、決まって親友を好きになって、そいつは硬派な男やけん、女とは付き合わんっち絶対に断るけん、俺が逆恨みされる羽目になるっちゃね」

「その親友どんだけモテモテやねん。一回会ってみたいわ」


「ほかにも、俺がよかねっち思うたアイドルはすぐ脱退するし、気に入った店はすぐに潰れるし、期待しとったゲームは発売禁止になるし、やっとプラチナチケットを手にいれたイベントは大型台風でポシャるし……俺の人生いっつもそうなっとると」


 夏目弟はまくしたてるように、嫌そうな顔をしながらしゃべり続けた。


「わかった、ごめん。もうわかったから。君の絶望をちょっと甘くみすぎとったかもしれん。まぁ最後の方はなんか違う気もするけど」


 使い魔妹は目線をそらしているようだ。俺も直視できずに目をそらした。どうやら夏目弟は生まれながらに悲しい運命を引き寄せる残念なタイプのイケメンのようである。


 いくら見た目が良いからといって順風満帆というわけではないようだ。これでは双子ジュニア兄の人生も危ぶまれるではないか。結局は人それぞれということなのかもしれないが。


 だが一番の問題は、夏目弟がすぐにいろんなものに興味を惹かれてしまうという、ピュアすぎる好奇心を持ち合わせているということに原因があるのではないかと思ったが、突っ込んだら負けというやつかもしれない。どうせ俺が指摘したところで伝わらない。とりあえず見て見ぬ振りをしてやることにした。


「今までの俺の人生、全部こんなやぞ。俺は絶望するために生きてるんやないかってぐらいに、運命の神様に弄ばれて、嫌がらせばっかりされとると」

「それはそれで、また別の才能があるというかなんというか……。ど、どんまいやで」


 使い魔妹は苦笑いを浮かべる。


「今回の下見やってそうや。大学合格したら告白しようっち思いよった幼馴染が、俺の親友とバスの中でやたらと顔ば近づけとるんを見てしもうたと」


 夏目弟はその時のことを思い出したのか、かき氷を一気に食べたみたいに痛そうな顔をした。使い魔妹も同じように顔を歪めて、苦痛の表情を浮かべている。他人の不幸というのは痛みが伝染するのだろうか。


「俺がトイレに行った隙に、こっそりキスしよったんやなかろうかっち思うたら、もう一緒におるんが耐えられんごとなって。逃げてきたっちゃね」


 使い魔妹に『友達と喧嘩でもしたのか』と聞かれた時に、夏目弟が『喧嘩ならまだいい』と言っていたのはそういうことだったようだ。確かに好きな女を親友に取られる瞬間を目撃するなんて最悪だ。俺だってそんな場面に立ち会ったら、しばらく旅に出たくなってしまうかもしれない。


「それはしんどいな。知らんかったとはいえ、いろいろとごめん」

「いや、俺も機嫌が悪かけん、いじわる言うてしもうた。お互い様っちゃ」


 夏目弟も使い魔妹も、それぞれバツが悪そうにしている。


「二人が仲良うしとるところを、これからずっと見らんばいかんと思うと……帰りのバスは地獄やね」


 そう言って遠くを見つめる夏目弟の目は少し潤んでいる。確かにその状況は地獄である。慰めてやりたいところだが、残念ながら俺の猫語は人間には通じない。


「ならチケット払い戻しして、違うバスで帰ればええんやないの」

「どうせ教室で一緒になるし、そげん小細工したっちゃ、しょんなかろうもん」


「逃げ場がないんか……きっついな」

「もし三人とも同じ大学に受かりよったら、バラ色どころかドブ色の四年間が待っとるっち思うたら、今から胃が痛いっちゃね」


 胃のあたりを手で押さえて顔を歪めた夏目弟だけでなく、使い魔妹もお腹が痛そうな表情をした。やはり他人の痛みは伝染するようだ。


「けんど、あいつらは俺がバカにされようときも、ずっと変わらんで普通に話しかけてくれた大事な幼馴染やけん、嫌いにはなれん」


 夏目弟の肩をポンポンと叩いて、使い魔妹は言った。


「大丈夫。きっと次に好きになる子は、今度こそ君のことを好きになってくれると思うで」

「そげん適当なこと言われて喜ぶほど、俺はつまらん男やなかぞ」


 夏目弟はムスッとした表情をしている。


「大丈夫やって。さすがに神様も、いじわるすんのにそろそろ飽きてるはずや。今度はきっとええことあるって」

「昔はそげん思うたこともあった。けんど、もう疲れたっちゃね。俺は自分の人生に期待するんはやめたと。期待せんやったら絶望もせんでよか」


 夏目弟は口では強がっているが、表情は暗いままだ。俺には未来を予言する力なんてものはないが、できれば元夏目さんだけでなく、弟のほうにも幸せになってもらいたい。もし神様に猫語が通じるというのなら、いくらでも直訴してやりたいところだ。


 夏目弟は路地裏から見える青空を見上げた。夏特有の白い入道雲がもくもくと大きくなり始めている。遠くでゴロゴロと雷が鳴っていた。


「あんた、そげん泣くほどまだ彼氏のこと好きやっち思うとるなら、ちゃんと仲直りしてバンドやったほうがよかやないの」

「それは無理やないかな。私から振った相手やのに」


「やってみらんばわからんち言うたんは、あんたやないね」

「そうやった。ブーメランが今頃戻ってきたとは、こりゃまいったね」


 使い魔妹は苦笑する。


「今度はコンテストで失敗せんように、風邪を一晩で治す夏目家直伝の最強スープのレシピば、うちの姉ちゃんに教えてもろうたらよかよ」


 使い魔妹は同じように空を見上げると、耳につけたイヤリングを触りながら言った。


「君は優しい子やな。世界で二番目に優しい男かもしれん」

「二番目っち、中途半端な」


「もちろん一番目は私の元彼やからしょうがないやん」

「傷ついとる男にこれ以上のろけるとか、あんた鬼か」


「知らんかったと。しゃーしかねぇ」

「勝手に真似すんなちゃ。だいたいその、しゃーしいって使い方間違っとるけんね」


「よかろうもん」

「あーもう、しゃーしか」

「そういう時に使うんやな。勉強になったで」


 使い魔妹が声をあげて笑った。どうやら二人とも多少は元気になったようである。

 夏目弟は使い魔妹を、じっと観察してから言った。


「あんた、泣いとる顔はひどいっちゃけど、わろうとったら案外かわいかね」


 使い魔妹は怪訝そうな顔で睨んでいる。


「なんや失恋して、すぐに別の女を口説くんか。これやからイケメンは」

「そげん器用な男やなか。俺が好いとう女はこいつだけやけん」


 夏目弟は慌てて首を振り、ポケットから鉄板を取り出した。


「かわいかろ」


 画面を見せようとした瞬間、鉄板が振動した。その直後に、使い魔妹は吹き出すように笑った。


「君の想い人は、人間やなかったんかいな」

「は?」


 夏目弟は画面を見た途端に、同じように吹き出して笑う。


「また姉ちゃん、変な写真を送りつけてからに」


 どうやら想定していたのと違う画像が表示されていたようだ。よっぽど面白い写真なのだろうか。


「なんやの、この不細工な黒猫は」

「わからんと。あんたがさっき遊んどった猫やないね」

「とても同じ猫とは思えんのやけど」


 もしかして俺の話をしているのか。不細工な黒猫とは失敬な。


「うちの姉ちゃん、動物の写真ば撮るんは下手くそやけん。こっちのは旦那さんが撮ったやつ」


 使い魔妹はじっと画面を見つめる。


「クールでダンディな感じでええやないの」

「やろう」


「それに比べると、お姉さんが撮ったやつは……下手するとすでに何匹か仕留めてそうなマフィア猫みたいに見えるね」

「マフィア猫……確かに」


 夏目弟と使い魔妹が吹き出すように笑っている。


 まったくもって失敬なやつらだ。俺は別に猫も人も殺めたことなどない。それ以上笑ったら、お前らをこの爪で仕留めてやるぞ。


「姉ちゃんはいい加減、自分が写真を撮るんが下手やっち自覚してほしいっちゃけどね。いつまで経ってもへっぽこな写真をSNSに載せちょるし。頼んでもおらんのに俺にもやたらと、わっるい顔した黒猫写真ば送りつけてきよるしね」

「おるね、そういう人」


「この前なんぞ電車の中でうっかり知らん人に見られて、大爆笑されてしもうたと。迷惑しとるけん、やめてくれっち頼んどるのに、やめんちゃね、あの人は」


「しゃーないわ。ついつい自分の愛猫写真を布教せずにはいられない謎の衝動ってやつやから。猫を飼った人に発動する呪いみたいなもんやな。私もうちの猫が元気やったときはようやってたわ」


 使い魔妹が苦笑いをする。


「そのマフィア猫やけど、たぶんお姉さん本人は変な写真のつもりはないんやと思うわ。むしろイケてる写真やと思うて送りつけてる可能性すらあるかもしれん」


「まさか、こがんマフィア猫の写真が格好良いっち思うとるがか」


「うん。なんてったって、うちのお兄ちゃんと結婚するような人やから。ちょっと怖い顔してるほうが格好良く感じるみたいな、謎のフェチの持ち主なんやと思うわ」


 夏目弟がやれやれという表情をして、小さなため息をつく。


「言われてみれば、昔から姉ちゃんが好きな漫画やアニメのキャラクターは、みんな怖い顔しとった気がするわ。そげん特殊なフェチやったとは」

「ええやないの。昔から割れ鍋に綴じ蓋って言うやろ」


「今あんた、さらっと酷かこと言うとるよ」

「奇跡の出会いを褒めてるだけやで」

「奇跡っち、大げさな」


 画面を指差しながら使い魔妹は言う。


「この子、縁起がええ猫らしいで。うちのお兄ちゃんと君のお姉さんは、この黒猫がおったからこそ家族になれたみたいやし、きっと奇跡の出会いに感謝してると思うわ」


 使い魔妹の言う通りである。元夏目さんも使い魔兄も間違いなく俺には感謝している。だが俺だって二人には感謝しているのだ。


 もしいつの日か人間の言葉を喋れるようになったら、最初に伝えたい言葉は『ありがとう』である。そんな日がくるとは思えないが、こっそり気持ちを伝える心構えの練習だけはしている。


「おい、勝手に他の写真ば見らんで」


 夏目弟が止めるのも無視して、使い魔妹は鉄板を操作している。


「あーこれ、私もこの写真送ってもろたわ。結婚式の後にいろんな思い出の場所で撮影したってやつやな。お兄ちゃんむっちゃわろてるし。よっぽど嬉しかったんやろな」


 使い魔妹は笑みを浮かべて画面を覗き込んでいる。その表情はとても幸せそうだった。元夏目さんたちが双子の寝顔を見ている時と同じだ。人間というのは他人の痛みだけでなく、幸せも伝染する生き物のようである。


 夏目弟は鉄板を取り返して、画面を見ながら言う。


「うちの姉ちゃん、自慢ばっかりしよったと。怖か顔した男がわろうたら、かわいかことなるけん、そのギャップがたまらんっち。意味がようわからんやったけど、さっきのあんた見て、ちょっとだけわかったかもしれん」


 使い魔妹は夏目弟の肩をバンバン叩く。


「ギャップの魅力に目覚めたということは、少しは大人の階段を登ったってことやな」

「痛いって。なんでもすぐ叩くの、やめんね。結構痛いっちゃよ」


「見た目と足の速さで天下を取れるお子様時代をようやく卒業できて良かったね。おめでとう」

「子供扱いすんなちゃ」


 夏目弟はうっとおしそうな表情をする。元夏目さんに叱られたときと同じ顔だ。そういうところがガキ扱いされる所以ではなかろうか。


 使い魔妹は道端に落ちている棒を拾うと、くるくると回す真似をする。


「魅力なんてもんは、相手次第でコロコロ変わるしな。こんな棒っきれでも、私にとってはただのゴミやけど、こうやって動かせば、猫にとっては最高級のおもちゃになるわけやし」


 路地裏の塀の上を歩いていた茶トラの野良猫がこちらを見た。若いオス猫のようだ。この辺ではあまり見ない顔だった。メス猫を追いかけて遠出をしてきた新参者かもしれない。


 動く棒に引き寄せられるように、使い魔妹の元へ走り寄ってきた。すぐに使い魔妹の猫じゃらしに夢中になって、棒を追い掛け回している。


「別に世界中の人に好かれんでも、たった一人でもええから自分に夢中になってくれる相手に出会えたら、それでええんやから」


 棒を自由自在に巧みに操りながら、使い魔妹は得意げに笑う。

「ほらな。いっちょあがりや。なんとかと棒は使いようって言うやろ」


 ジャンプする野良猫を避けるように、少し離れた場所から見ていた夏目弟が言う。


「それハサミのことやないと」

「そうとも言うな」


 使い魔妹は小さく笑う。


「頑張りすぎん程度に気長に生きとったら、いつか誰か見つけてくれるよ、きっと」

「いつかっち、そげん適当なこと言わんでよか」


「なら……来年ぐらいに現れるでしょう。ラッキーアイテムは黒猫です」

「なんやその胡散臭い占いみたいなんは」

「期限は曖昧にぼかして、来年ぐらいにしといたほうがほどよく当たるって、占い師のバイトしてる人が言うとったわ」


 夏目弟が鼻で笑う。


「そげん来年のことばっか言いよったら鬼に笑われるんやなかと」

「もし笑われたら、逆に笑い返したったらええで。先のことなんて誰にもわからんのやから。他人を笑う鬼こそみっともないって」


 夏目弟は首を振る。


「鬼に刃向かうっち、そげん恐ろしかことはできん」

「もしかして君はサンタクロースとか河童とか信じてる人なん」


「今はもう信じとらん」

「……信じてたんかいな」

「子供なら誰でも信じとるもんやなかね」


 使い魔妹は夏目弟のほうを、ちらっと見てから言った。


「大学受かって上京しても、変な壺とか買わされたらあかんよ」

「バカにすんなち」


 どうやら夏目弟は、やはり純粋なところがあるようだ。使い魔妹が言うように、俺も夏目弟の将来が少々心配になってきた。もし近くに引っ越してくることがあれば、うっかり詐欺師に騙されないように、たまには様子を見に行ってやったほうが良いかもしれない。


 茶トラの野良猫が、使い魔妹の猫じゃらしを夢中で追い掛け回している。その様子をじっと見ながら、夏目弟が言う。


「あんた、強弱のつけ方がうまかね。猫が夢中になるんも納得やわ」


 使い魔妹は、棒を差し出した。

「やってみたら。思い通りに動かせるようになったら面白いで」


「いや、俺はよか」

「そう言わんと」


 無理やり棒を押し付けられて、夏目弟はしぶしぶ受け取った。押しに弱いタイプのようである。


 夏目弟は見よう見まねという感じで棒を振り始める。最初は様子をみていた茶トラの野良猫だったが、華麗な棒さばきに翻弄されたのか、いつの間にか夢中で追いかけている。


「やっぱオリンピックを目指そうとしてた人なだけあるね」

「その話はもうせんでよか」


「猫を操るオリンピックとかもやればええのに」

「そげんことしたら、会場がカオスになるっちゃろ」

「ほんまやな」


 使い魔妹は想像したのか、小さく吹き出した。


「諦めた夢も、無駄にはならんで良かったね」

「別に猫を踊らせるために、リボンの練習したんやなか」


 夏目弟は思った以上に棒の扱いがうまかった。棒の動きが実に美しいのだ。芸術と言っても良いかもしれない。使い魔妹の猫じゃらしも、かなり上手だがタイプが違う。彼女の棒が躍動感に溢れる野生動物の動きだとしたら、夏目弟の猫じゃらしは妖が魅せる華麗な舞だ。


「なかなか上手やね。私も負けてられんわ」


 使い魔妹が別の棒を拾って、茶トラの野良猫の気をひくように巧みに棒を動かし始めた。


「あんた、負けず嫌いにもほどがあるんやなかと」

「よう言われる」


 夏目弟も負けじと棒を振るう。茶トラの野良猫は二つの棒に翻弄されて、あっちこっちに飛び跳ねている。遠くからこっそり見ているつもりだった俺も、うずうずしてきた。


 お前だけ楽しむとは、まったくもってけしからん。俺にだって楽しむ権利があるはずだ。


 二人が繰り広げるプロの猫じゃらしっぷりに我慢できなくなった俺は、つい飛び出して行ってしまった。


 近づいてきた俺を見て、茶トラがシャーっと威嚇する。俺だって負けずに体を大きく見せるように毛を逆立てて、低く唸るように鳴く。


 この女は俺の遊び当番なんだぞ。夏目弟だって俺の大事な飼い主の家族なんだからな。お前みたいなそこらへんの野良猫が遊んで良い相手じゃないんだぞ。


 俺たち二匹の喧嘩をよそに、使い魔妹が言う。


「あれ、君もパトロールかいな。そないに私と遊びたかったんか」


 違うぞ。俺は夏目弟を尾行してきただけで、これは不可抗力だ。そう言うつもりでニャーと鳴いたが、たぶん伝わってない。


「しょうがない子やね。ほれほれ、君たち喧嘩せんと一緒に遊べばええやないの。いっちょ二刀流で相手したろかいな」


 使い魔妹はもう一本棒を手にすると、同時に激しく動かし始めた。俺たちはまるで棒踊りをしているかのようにダッシュとジャンプを繰り返す。二匹は完全に使い魔妹の操り人形のようになっていた。きっと棒踊り選手権なるものがあったら、今の俺たちの演技は満点に近い数値を叩き出すに違いない。


 使い魔妹はまるで踊っているかのように、二本の棒を巧みに操っている。俺と茶トラの野良猫は、どちらもかなりへばって疲労が足にきていたが、面白くてやめられない。


 危険だ。この女の棒使いはマタタビ並みに、危険すぎる。


 使い魔妹が勢い良く振った棒を追いかけて、俺は大ジャンプをした。だがその飛び先が悪かった。俺が着地をしたのは、見知らぬ女の胸だった。







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