3 俺は訪問者を観察する。
双子がうちにやってきてから、泣き声以外にも増えたものがある。
それは訪問者である。双子を見るためにわざわざ家までやってきて、騒音を堪能するというのだから、実に暇なやつらである。
正直なところ家の中に知らない人間がいるのは、あまり好きではない。だが元夏目さんちで飼われている身である以上、おとなしくやり過ごすしかない。
本当なら訪問者が来ている間はパトロールに出かけても良いのだが、万が一にも元夏目さんたちをいじめるような悪い奴がこないとも限らない。相手が安全なやつかどうかが判明するまでは、いつも訪問者を観察して、しばらく様子を見ることにしていた。
訪問者というのはだいたい何かしらお土産を持ってくることが多い。そのほとんどは双子のための洋服であったり、食料であったり。俺にはあまり用がないものがほとんどだ。
だがたまには気の利いた客が、ちゃんと俺への餌やオヤツなんかを用意している場合もある。そういう客が帰る時は、ちゃんと玄関まで見送ってやることにしている。一応の礼儀というやつだ。
人間というのは普段ほとんど言うことを聞かない相手が、少し譲歩しただけですぐに喜ぶ。怖そうな人が捨て猫を拾っているのを見ると優しく見えるというギャップ効果とやらと同じである。まったくもってチョロい。攻略するという観点からすれば、人間というのは実に張り合いのない相手だ。メス猫を落とす時のほうがよっぽど大変である。
今日来ている訪問者は、中でも一番チョロい部類の人間と、一番面倒臭いタイプの真逆な二人だった。チョロいほうは使い魔の妹で、面倒臭いほうは元夏目さんの弟である。まだ学生をしている二人は、ちょうど夏休みということで遊びに来ているようだ。
使い魔妹は、双子だけでなく俺へのお土産をたっぷり持ってきてくれた良い客だった。最近流行りのチューブ状のオヤツを持ってきてくれたらしい。あと四回ほど餌の調達をしてくれたら、使い魔妹さんと呼んでやっても良い。
妹は双子の観察を一通り終えると、俺を膝の上に乗せて頭や喉元を撫でてくれた。
「もっと真っ黒かと思てたけど、光の反射でこげ茶色みたいに見えるんやね。ベルベットみたいにつやもあってええ色やわ」
俺のご機嫌とりに余念のない使い魔妹は、兄と同じように撫でるのが上手な女だった。強すぎず、弱すぎず。とても良い塩梅である。
ほら、もっとここも撫でろ。そういうつもりで俺はゴロンと横になると、妹は腹を撫でながら言った。
「あれ、お腹の下にちょっとだけ白い模様があるんやな」
使い魔兄が少し自慢げな表情で、妹に説明をする。
「エンジェルマークって言うみたいだよ」
「エンジェル?」
「白い部分は神様が触れた場所だって、昔の人は信じてたらしいよ。魔女狩りの時も、白い柄がある黒猫は見逃してもらえたから、縁起が良い猫なんだってさ」
「へぇーそうなんや。知らんかったわ」
自分がそんなに縁起が良い猫だったなんて、俺も知らなかった。まだ母親と一緒に暮らしていた頃は、兄弟たちに変な模様がついていてみっともないとバカにされていたぐらいだ。もし過去に戻れるのなら、あいつらに自慢してやりたいものである。
「僕もちょっとだけ信じたくなるよ。僕たちが結婚できたのは、この子のおかげだし」
「なら私もなんか幸運のご利益があるかもしれんな。いっぱい撫でといたろ」
なかなか気持ち良い撫で方である。そこもだ。そうそう。わかっているなお前。使い魔兄に負けないぐらい、猫のツボというものを知っているようだ。思わず喉を鳴らしてしまう。
「そないにゴロゴロ言われると、久しぶりにうちでも飼いたぁなって困るな」
どうやら使い魔の実家で飼っていたという猫が死んでからは、新しい猫はいないままのようだ。
使い魔兄が言う。
「また飼えばいいんじゃない」
「ほうやな。けど前の子が死んだ時に、お母さんが結構こたえてたみたいでな。もう二度と生き物は飼わんって言うてたから、とりあえずこの子を撫でるだけにしとくわ」
妹は苦笑いをする。
そういう事情ならば、たまにこの家に来た時ぐらいは、気がすむまで撫でさせてやってもいい。もちろん餌やオヤツを持ってきた分に応じた時間を超えたら、サービスは終了するがな。それでも良いならいくらでも撫でさせてやるぞ。
そういうつもりで俺はニャーと鳴いておいた。もちろん伝わっているかどうかはわからない。
使い魔兄は寂しそうな表情を見せた。前に飼っていた猫が亡くなった時のことを思い出したのかもしれない。
「いつでも遊びに来たらいい。僕たちが忙しくてあんまり遊んでやれないから、この子も喜ぶよ」
「うん。旅費出してくれたら、いくらでもくるで。毎月でも、毎週でも」
「いやそれは……ちょっといろんな意味で無理」
「冗談やって。新婚さんの邪魔はせーへんよ」
妹は笑いながら、ふさふさの毛がついた猫じゃらしを手に取ると、巧みに動かし始める。俺は気が付いたときには、夢中になって追いかけていた。
撫でるのが上手なだけあって、猫じゃらしの使い方もなかなかテクニシャンである。スピードの緩急のつけ方や、振り幅の強弱の加減が素晴らしい。ぜひ遊び当番として毎日雇いたいぐらいである。
猫じゃらしを巧みに操っていた妹が、ふいに手を止めた。元夏目さんと使い魔が、仲良く食事の用意をしているのを見て、ため息をついた。
「お兄ちゃんらが幸せ続きなおかげで、こっちはとんだとばっちりやで。就職は決まったんかだの、彼氏はおらんのかだの。今まで散々放置しとったくせに、急にうるさーなってかなわんわ」
それを聞いた使い魔兄が、首を傾げている。
「あれ、前にラブラブなバンドマンの彼氏がいるとか言ってなかったっけ」
「あれはもう別れた」
「え、なんで」
「一緒にメジャーデビュー目指すって言うてたのに、急に背広着て就活なんぞしくさって。腹立ったから別れてやったわ」
「おいおい。それはちょっとひどくないか。大学四年なら就活するのが普通だろうに」
妹は使い魔をキッと睨みつける。
「どっちが。ひどいんはあっちやろ。コンテストに一回落ちたぐらいで、すぐに諦めるとか、あほちゃうか」
「それは現実を見たからこそ、むしろしょうがないっていうか……バンドマンなら風物詩的な、ありがちなことだと思うんだが」
「それだけやないんやで。演奏は完璧やったのに、ボーカルの私が、優勝したバンドの子より胸がなかったから落ちたんやって言いくさって。腹立つわー」
「それは……まぁひどいな。っていうか原因は胸なのか。顔じゃなく……」
「なんか言うたか」
「いや、なんでも……ない」
妹にさらに睨まれた使い魔は、なんとも言えない表情をしてから目を逸らした。
確かに使い魔の妹だけあって、多少マイルドではあるが、妹の顔もまた仏頂面の部類をしている。歌唱力と顔は関係ないとは思うが、バンドのボーカルとやらをするには、若干華やかさが足りないかもしれない。
「いくら審査員がおっぱい星人やからって、そんなもんで全部決まるわけないやろ。あほかっちゅーねん」
怒りを思い出したのか、妹はブンブンと猫じゃらしを動かしている。おいやめろ。そんなに動かされると俺が大変なことになるじゃないか。
かつてこんなに激しく動いたことはあっただろうか。いやない。自分の体とは思えないほどのスピードを引き出されているのがよく分かる。
この女、猫を踊らせるプロだ。
だがこんなに上手に踊らされるのなら、操られるのも悪くない。もっと高く、もっと遠くへ。俺は夢中で猫じゃらしを追い回した。
得てして何事も集中しすぎると周りが見えなくなるものである。この時の俺もそうだった。あまりに夢中で、猫じゃらししか見えなくなっていた。
おかげで俺は未だかつてないほどの大ジャンプを繰り出し、勢い余ってソファーと壁の隙間に、頭からすっぽり挟まってしまった。
「だ、大丈夫か」
使い魔兄が救出してくれたが、必死に笑いをこらえている。隣で見ていた元夏目さんは我慢しきれなくなったのか、涙を流しながらずっと笑い続けている。
いい加減にしろ。俺だって好きでドジったわけじゃない。
俺は何もなかったかのような顔をして、キャットタワーに登る。不愉快な思いをした時は、だいたい上から見下ろしておけばいい。俺の方が立場が上であるという意思表示をしておかなければ、舐められるからだ。
遊ばせる相手を失った使い魔妹は、猫じゃらしをポイっと投げ出すと、天井に向かって叫んだ。
「もう誰も頼らへん。たとえ私一人になっても絶対デビューして、あいつを見返したる。有名になってメチャメチャ売れて、逃がした魚は大きかったって言わしたんねん」
どうやら使い魔妹は、女一人だけで生きて行く決意をしたようだ。
「まぁその……ほどほどに頑張れよ」
使い魔兄は呆れた様子で、小さなため息をついた。




