2 俺はいじめてなどいない。
しばらく入院していた元夏目さんが、ジュニアたちと一緒に戻ってくると、途端に家は騒がしくなった。
元夏目さんが産んだ双子ジュニアは男と女だ。母親に似て可愛らしい顔をしたほうが兄で、父親のようにいつも怒っているように見える仏頂面のほうが妹だ。
お祝いにやってくる訪問者が口を揃えて「逆だったら良かったのにね」と言うのだが、こればっかりはどうしようもない。母親の気合いで子供の見た目が変わるのなら、世の中に排出されるガキは、みな美男美女になっているはずである。
そんなことはわかっていても、誰もがつい言わずにいられないほど、ジュニアの二人は双子のくせに全然違う顔をしていた。
今はまだ赤ちゃんだから、ちょっとばかし顔の良し悪しの違いがあろうとも、皆同じようにサルに毛が生えたレベルで大差がないかもしれない。やることは泣きわめいておっぱいを飲んで寝るだけだからだ。
だが、双子が大きくなった頃のことを考えると、なんだかやるせない。余計なお世話かもしれないが、仏頂面の妹に幸あれと祈らずにはいられない。
とはいえ、仏頂面の父親が元夏目さんと恋をしたぐらいなのだから、きっと仏頂面の女を好きな男というのもいるはずである。
きっとお前にも春が来る。だから最後まで絶対に諦めるんじゃないぞ。そういうつもりで俺がニャーと鳴いたら、妹はキャッキャと嬉しそうに笑った。きっと通じていないとは思うが、エールぐらいは届いたはずだ。
心配しなくても俺はお前たちの兄貴分だ。いつだってお前たちの味方だからな。困ったことがあればなんでも相談しろよと思いながらニャーと鳴いたら、今度は兄が俺を見てにんまりと笑った。
なかなか出来の良い双子である。このぐらい反応が良ければ、今からしつけておけば、いずれ猫の言葉がわかるようになるやもしれぬ。兄貴分として、しっかりと教育しなくてはなるまい。忙しくなりそうだ。
猫はよく寝る子だから『寝子』と呼ばれるようになったなんて話もあるらしいが、赤ちゃんもまたよく寝て、よく泣く生き物である。
寝る子を猫と名付けるならば、どうして赤ちゃんはよく泣くから『泣子』とはならなかったのだろうか。
理由なんてものは知らないが、人間というのはいつだって適当なものだ。考えるだけ無駄である。答えの見つからないものを考える時間があるなら、空から猫缶が降ってくる夢でも見たほうが、よっぽど有意義な時間を過ごせるだろう。
今日も朝から双子は元気である。片方が泣くと、つられたようにもう片方が泣き出して、カエルの大合唱みたいなことになっている。
そのたびに元夏目さんがおっぱいを吸わせたり、使い魔の男がオモチャや変な顔で機嫌をとったり、おしめを替えたりと大忙しである。
双子が元気に暴れれば暴れるほど、両親は体力を吸い取られているかのように元気がなくなっていく。赤子は朝昼晩関係なく、急に泣き出すからぐっすり眠れないのだろう。両親は二人とも寝不足なのか、よくあくびをしていることがある。
俺はあまりにうるさい時は、違う部屋や外に逃げることもできるから問題ないが、そうもいかない両親は大変なようだ。
毎日こんな調子だから、この家に初めてきた頃に比べると元夏目さんも使い魔も、俺にかまう暇はあまりないようだ。双子がやってきてからジュニアにかかりっきりでお疲れ気味だからしょうがない。
前ほどオモチャで遊んでくれないし、たまに俺のご飯が忘れられることすらある。そんな時はいかにも不愉快であるというような低くて長い鳴き声を出す。それでも気づいてもらえない時は、餌皿に猫パンチや猫キックを繰り出して催促をすることにしている。
できるだけ二人には俺の餌やり当番として元気にしていてもらいたいし、疲れている人間に鞭を打つようなことはしたくはないのだが、俺だって生き物である。飯を食わないと死んでしまう。だからあまりに餌やりの時間を忘れているときは、心を鬼にして催促をしているのである。
とはいえ文句ばかり言っていてもしょうがない。俺だって二人の手がいっぱいのときは双子をあやすお手伝いぐらいはすることにしている。俺が尻尾をゆらりと揺らすと、双子はじーっと見て笑っている。かと思ったら突然兄のほうが泣き出した。
解せぬ。どうしてそうなった。泣くきっかけなど何もなかったではないか。まったくわけがわからない。
だが、とりあえずは、すまなかったという思いを込めて前足の肉球をほっぺにそっと押し当ててみる。驚いたような顔をした兄は泣き止んだ。きっと赤ちゃんというやつは、一つのことしか考えられないのだろう。別のことに気を取られているうちは静かになるらしい。
安心したのもつかの間、今度は妹のほうが突然泣き出した。せっかく泣き止んでいた兄もつられて泣き始める。大合唱が始まった。こうなるともう手がつけられない。
食器を洗っていた元夏目さんと使い魔の男が、双子の泣き声を聞いて慌てて駆けつけてくる。双子をそれぞれ抱っこしてあやしているうちに、なんとか双子は泣き止んだようだ。さすがは母親と父親である。
俺を見た元夏目さんが言った。
「君はお兄ちゃんなんだから、いじめたらだめでしょ」
失敬な。俺はいじめてなどいない。
いずれ立派な狩りができるように、尻尾の動きをよく見極める訓練をしてやっていただけだ。そう説明するつもりでニャーと鳴いたが、もちろん伝わっていない。
使い魔の男が俺を撫でながら言った。
「違うよ。この子たちをあやそうとしてくれてたんだよ」
さすがは俺の使い魔だ。俺のことをよくわかっているじゃないか。
「僕らの手が回らない時なんかは、よく相手をしてくれてるみたいだよ」
そうだ。もっと言ってやれ。
元夏目さんは俺を見ると、申し訳なさそうな顔をして、パチンと両手を合わせた。
「それはすまなかった。これからもご協力頼むよ」
しょうがない。もらっている餌の分ぐらいは手伝ってやる。別に双子のためじゃない。俺の餌を確保するためにやるだけだ。勘違いするなよ。そう言うつもりで俺は短くニャっと鳴いた。
元夏目さんと使い魔の男は洗い物の残りを片付けると、ベッドのそばにへばりついて、じっと中を覗き込んでいた。二人で一緒に我が子の寝顔を眺めているようである。
双子を見ている両親は、それまでの苦労がすべて吹き飛んだかのように、幸せそうな表情をしていた。
きっと赤ちゃんの寝顔には、人間のエネルギーを回復する機能みたいなものがついているのだろう。親の体力を散々削っておいて、自ら癒すなんてのは、ただのマッチポンプとしか思えないが、それで子供は大きくなるのだから仕方がない。人類の神秘というやつである。
使い魔の男が赤子の手に触れると、ちっちゃな手が男の指を握りしめる。その様子を見て両親はデレデレとにやけている。
「本当に何をしても可愛いな」
「泣き出したら怪物なのに、おとなしく寝てたら天使っていうのは本当だね」
赤子の本当の正体が怪物なのか天使なのかは知らないが、俺にとって寝ているジュニアはただの温かい塊だ。冬なら湯たんぽやこたつ代わりに丁度良い温度である。ただし今は夏だから暑苦しいだけなわけだが。もう少し涼しい季節になれば、いずれ暖房機代わりに使うつもりである。
「僕の顔を見て笑ってくれる赤ちゃんなんて、この子たちだけだよ」
「良かったね。赤子連続号泣伝説がやっと止まって」
夫婦で仲良く楽しそうなのは結構だが、二人とも何か忘れていることはないか。
俺は餌入れ皿の前まで歩いて行った。催促するようにちらりと見上げ、低く長い声でニャーと鳴くと、元夏目さんは「あっ」と声をあげて餌を入れてある棚へと走っていく。
「もうそんな時間だっけ。ごめんごめん」
元夏目さんはお詫びのつもりか、いつもより少しお高い猫缶を出してきて、皿に盛り付けた。
労働と我慢の後の飯はうまい。野良猫時代に死にかけるほどのすきっ腹で食った飯にはかなわないが、これはこれでうまいものである。ありがたく感謝しつつ、俺はペロリと平らげた。
飯を食い終わって顔を上げると、二人はまた双子のベッドにかじりついて寝顔を観察している。幸せそうで何よりだが、たまには俺のことも思い出して欲しいものである。
きっと、あいつらが大きくなるまで、まだまだ俺のご飯が忘れられる可能性がありそうだが、兄貴分の俺は我慢するしかない。我慢したあとの飯は二割増しで美味いことを、いつかジュニアたちにも教えてやろうと思う。