生徒会長の本性
探りを入れた後も、僕は昼休みになるたびに例の便所へと足を運んでいる。しかし、中原さんと出会うことはなかった。むしろ、弁当箱を返そうとした際に偶然再会したという方が奇跡だ。
一人個室に入って弁当を食べる。もはや通過儀礼ともなっている行為のはずだった。それなのに、ここ最近は虚しさまでも味わっている。弁当の味は変わらない。アンモニア臭のスパイスも想定の範囲内だ。けれども強烈な違和感が拭い去れないのだ。
原因は分かっている。あの時の出来事だ。わずか二回にも関わらず、中原さんとの会食の光景が脳髄に焼け付いている。このトイレを訪れる度、強制的にそのことがフラッシュバックしてしまう。そして、腹を下したわけでもないのに胸が痛くなる。生半可な絶叫マシーンを凌駕する恐怖を味わったのだから、トラウマになっているのだと信じたい。よもや、この胸の痛みがよくある陳腐な理由なはずなんて……。
そして僕は遂に一線を超える決断をする。警察のお世話になろうという大業ではないから安心してほしい。ただ、間違えれば補導されるやもしれない。どうということはない。中原さんを尾行するのだ。
部活動が終わった後の帰路。集団下校するとしたら、相手は同じテニス部の面々しか考えられない。その様子を観察できれば、彼女と生徒会長との関係性がはっきりするはずだ。
家には「特別な課題が出されたので、学校に残ることになった」と適当にでっち上げの理由を報告しておく。素直に部活動が終わるまで勉強してようとしたが、どうせ気もそぞろになって身にならないだろう。それではどうやって時間を潰すか。
その答えは人間観察だった。現代萌え学部とやらの連中がじっと貼りついていても問題にはならなかった。似たようなことをしているのが続出して、相手側も諦観しているのかもしれない。能動的に変態行為をするのは後ろめたかったが、そうするより仕方がない。
現代萌え学部の連中と鉢合わせるのを覚悟したが、どうしたわけか彼らの姿はなかった。遅れてくるかと思いきや、いつまで経っても出現することはない。目標を変えたのだろうか。連中の企みなど知ったことではないが。
退屈することを覚悟していたが、ラリーの様子を追っていると自然と時間が経っていた。それは生徒会長および中原さんの技量によるものだろう。素人のスポーツほど無味乾燥なものはないが、ある程度の腕前となってくると途端に魅力的になってくる。連中が飽きもせずに凝視していられるのも頷ける。
やがて練習が終わり、生徒たちが続々と校門へと群がっていく。僕も急いで門柱まで移動し、あたかも待ち合わせをしているように振舞った。下校してくる中原さんを待ち伏せているので、あながち間違ったことはしていない。亀の如く首を伸ばし、人の波を観察しているとようやくお目当ての人物を発見した。
予想通り、木崎生徒会長と並び、中原さんがこちらへと接近してくる。ルート通りに歩けば僕のいる地点は死角となるはず。だから、じっと身を潜めていれば見つかることはない。横目でフェンス越しに門をくぐったことを確認し、僕は素知らぬ顔で人並みへと紛れる。
どうにかつかず離れずの距離を確保し、必死に歩みを合わせる。中原さんと生徒会長以外に二人ほど同じテニス部の女子部員が一緒みたいだ。テニスの事や昨日やっていたテレビドラマのことなど、次々と話題が切り替わる。楽しそうに談笑している様から、特に問題はなさそうに思える。ただ、ここまでは以前偶然見かけた時に確認済みだ。何か裏があるはず。そして、もうすぐ学校の最寄り駅というところで、ついに中原さんたちに動きがあった。
多くの生徒が駅の入り口へと続く踏み切りを渡る中、彼女たちは線路沿いに歩いていったのだ。その通りは自転車通学で利用する生徒もいるので、脇道にそれたこと自体は不思議なことではない。けれども、徐々に人通りが少ない方へと進んでいくのだ。次第に中原さんのグループ以外の人が離れていくので、追尾しているのがばれないか心配になってくる。気休めに電柱柱に身を寄せつつも彼女らの動向を探り続けていく。
そして、たどり着いたのは公園であった。午後六時を回っていることもあり、メインの利用層はとっくにお家に帰っている。中原さんたちと僕以外には誰も人がいない。迷いなくここを目指してきたということは、無人になることを見越してのことか。
中原さんはジャングルジムを背に突っ立っている。その周りを生徒会長と取り巻きたちが取り囲んでいた。中原さんが一方的に言い寄られているようだが、遠目で身を隠しているので内容はよく分からない。しかし、その様相は過去の実体験を想起させた。かつて、僕も受けたことがある理不尽な暴力。まさか、中原さんもまたそれを受けているだなんて信じがたい。
必死に首を横に振るが、次第に彼女たちの会話が聞こえるようになってくる。いや、聞こえるようになってしまったというべきか。
「あんたさあ、調子に乗ってんじゃないわよ」
「お情けで付き合ってあげてるっての分かってるわよね」
声音からして生徒会長の取り巻き連中だろう。舐めまわすように嫌らしい言葉を浴びせ、上から目線で威圧をかける。友好的に語らっていたのが嘘のようだ。萎縮してしまっているのか、中原さんは俯いてしまっている。
木崎生徒会長は黙って取り巻きたちが恫喝する様を眺めていた。気取った自信家の眼差しは普段学校生活で目にする時と同じであった。が、今は冷酷さを内包し、確実に心を抉ってくる。氷の女王なる存在が実在するのであれば、間違いなく彼女が指し示される。
「例の約束。忘れてないでしょうね」
たった一言口を開いただけだが、中原さんは小動物のように全身を震わせる。嫌悪感を丸出しに迫る三下とは格が違う。ここまで邪悪な本性を学校生活の中で隠し通していたとしたら、ただ戦慄する他ない。
意思を奪われた人形の如く、中原さんはポケットの中に手を入れる。そこから覗いたのは革製の日用品。資本主義社会において人間が生きていくのに必要な物が詰まった要だ。
このまま百十番に通報すれば恐喝罪として成立しうるかもしれない。だが、僕は下半身の震えを抑えるのに精いっぱいだった。無関係であるはずなのに、胸が圧迫され息苦しい。声を出そうとしても吃音が漏れるばかりで意味のある言語と為せずにいる。どうにかできないのか。
「そこに誰かいるの」
突如、木崎生徒会長が首を回して叫んだ。続いて、取り巻き連中もあちこちと動き回る。そして、まっすぐに僕を指差し、目を見開いた。
「やっばいよ、木崎。うちらのコレ見られてたっぽい」
やばいのは僕も同じだ。逃げようとするが、両脚が石化したが如く動いてくれない。額から嫌な汗が伝う。中原さんを置き去りにし、生徒会長たちはずいと迫り寄って来る。
あっという間に三方を囲まれ、蔑んだ視線を投げかけられる。僕の手は自然とポケットの中に伸びていた。いかなる言葉を掛けようとも、喉を通る辺りで封殺されてしまう。中学卒業によってあの日々とはおさらばしたはずなのに、こんな形で再来してしまうとは。
絶望しかけた僕であったが、木崎生徒会長は校章を見遣ると「一年坊主か」と吐き捨てた。そして、まじまじと僕の瞳を睨みつける。
「あたしも不良とかそういうレッテル貼られたくないからさ。あんたをどうこうするつもりはないよ。でも、ありもしない噂を流したら承知しないから。あんたがここで見たことはなかったことにする。分かった?」
壊れた張り子人形のようにひたすら首を振った。取り巻き連中も何か言いたげであったが、生徒会長が先行して去っていくのに同調し、無言のまま公園から出て行く。