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飯テロと同時にガチのテロに遭遇した件

 洋式便座を机代わりにして重箱を置く。便座もまさか、自分が机にされるなんて考えてもいなかっただろう。そして、個室に無理やり二人入っているせいか、かなり息苦しい。きちんと扉は閉めてあるものの、この状況を発見されたら停学どころの騒ぎではない。下手をしたら警察のお世話になることも有り得る。

 煩悶としている僕をよそに、中原さんは弁当の中身を広げる。そこには色彩豊かなおかずがぎっしりと詰められていた。稲荷寿司に厚焼き玉子、さつま揚げといった和風なメニューが中心だ。そんな中でもウィンナーやベーコンといった洋風のおかずが違和感なくマッチングしている。おまけに、茶色一色の味気ない彩りになることもなく、ニンジンやキュウリといった野菜やフルーツサラダで花を添えるといったこだわりっぷりだ。

 正直、初めて手作りしてできるような代物ではない。長年の経験があるからこそ魅せられる巧みの技だ。手製弁当においては右に出る者はいないと自負していたが、井の中の蛙だったか。


 見た目に圧倒されていると、中原さんは得意げに鼻をこすっている。それに気づき、僕は頭を振った。外見は綺麗だとしても、肝心の味が駄目では意味がない。手渡された箸を持つや、まずは稲荷寿司をつまむ。

 口の中へと運び、一噛み。すると、その途端口の中に濃厚な酢飯の味が広がった。可愛い顔して、意外とパンチの効いた料理を作りやがる。しかも、ただ酸っぱいだけではなく、ご飯を包む油揚げの甘みが絶妙なアクセントを醸し出している。そして、隠し玉としてシイタケやタケノコが食感に変化を与える。認めたくはない。認めたくはないが、これは。

「うまい」

 素直に感想が漏れ出てしまった。一口食べたが最後、次々に箸を伸ばしてしまう。だが、この稲荷寿司はほんの序の口であった。


 口の中が酸っぱくなってきたので、口直しに厚焼き玉子をいただく。ふんわりと口の中でとろけ、独特の甘みを堪能する。しかし、この甘み。普段食べている厚焼き玉子とどこか違う。

「この厚焼き玉子、調味料は何を使ってるんだ」

「お、そこに気が付くとは鋭いね」

 含みのある言い方だ。やはり、普通の厚焼き玉子とは別物。何か特別な具材を使っているはず。このとろっとした甘み。もしかして、

「はちみつか」

「正解。色々試行錯誤して辿りついたのがそれってわけ」

 正直、僕じゃないとはちみつを使っているなんて分からないだろう。それほどまでに卵の中に溶け込んでいた。テンプレを外した料理を初心者が作るとろくでもないことになる。逆に味を昇華させられることからして、相当な猛者と分かる。先の稲荷寿司で実力の程を推し量ったつもりでいたが、上方修正する他あるまい。


 サラダやウィンナーなどその他のおかずも軒並み高水準だった。自分が女子トイレにいるという異常な状況を忘れ、ひたすら弁当に喰らいつく始末だ。

「なんだかんだで君も男の子ってことか。見ていて清々しい食べっぷりね。ひょっとして、やせの大食いってやつ」

 さりげなく揶揄されたが、よく言われていることなので気にすることはない。食べても太らないことが無駄な自慢である。

「ところで、君もまた弁当を持ってきているでしょ」

 いきなり看破され、ベーコンを喉に詰まらせそうになる。むせながらも持参のお茶を流し込む。水ならすぐそばにもあるが、さすがにそれは飲みたくない。

「せっかくだから、君のも食べてみたいな」

「そう大したものじゃないですよ」

 悔しいが、自然と謙遜してしまう。彼女の豪勢な弁当の前では、僕の弁当などいかに矮小なことか。出し渋っていると、中原さんは勝手に重箱を片づけ始めてしまう。ここに置けという無言の重圧か。


 致し方なく、僕はちっぽけな弁当箱を便座の上に置く。中原さんは勝手に包みを解いて御開帳してしまう。

「サンドイッチ。意外にも洋風派なのね」

「たまたまですよ。気分的にサンドイッチが食べたかったから作ったんです」

「え、これって君のお手製?」

 しまった、口を滑らせた。余計にハードルを上げてどうするのだ。


 後悔しても後の祭りだった。舌なめずりしながら、中原さんはツナマヨのサンドイッチに手を伸ばす。じっくりと観察した後、おもむろに頬張った。

 彼女がサンドイッチを嚥下するまで、その様相をじっと見ていた。我ながらなんと気持ち悪いことをしていたと思う。

「うん、おいしいじゃん」

「お世辞じゃないですよね」

「ちょっと、どうしてそんなに卑屈なのよ。ツナとマヨネーズが絶妙なバランスで混ざり合っている。素人の技じゃないわね」

 適当に混ぜ合わせただけなのですが。それでも、絶賛されると悪い気はしない。その後も、お互いに相手が作った弁当を食べるという珍妙な光景が繰り広げられた。あまりに夢中になりすぎたせいで、自分たちがいる環境を失念しそうになっていた。


 しかし、ふとした拍子に現実に引き戻されることとなる。

「体育とか、かったるいよね」

「バスケだからまだマシじゃん」

 口々に語り合う声。声音からして女生徒だ。僕たち以外に訪問者なんて珍しい……。


 いや、待て。訪問者だって。バカな、この時間帯にこのトイレを利用する奴がいるとは聞いてないぞ。

「しくったわ。五組が時間割変更で五時間目に体育館を使うってことをすっかり忘れてた」

「それなら中原さんも体育でしょう。早くいかなくていいんですか」

「いや、私は三組よ」

「じゃあどうして五組の時間割なんて知ってるんですか」

「快適な便所飯のためには、五時間目の授業の把握は常識でしょ」

 どうやら、友人の伝手を有効活用して時間割を探っているらしい。なんという無駄な情報網だ。


 しかし、そんなことを嘆いている場合ではない。声からして、侵入しているのは二人。蛇口から水が流れていることから、手洗い場の前で陣取っているようだ。トイレの中で身だしなみを確認しているのだろうか。それならばどこか別の場所でやってもらいたい。

「ねえ、あっちの方から物音がしない」

 唐突に女生徒がそんなことを言い出した。足音が大きくなっていく。

「まずいわ、声を潜めて」

 わざわざ指示されなくても分かっています。むしろ、口に出す方がまずいのでは。


 なんて皮肉を言う暇もなくなった。僕の前に覆いかぶさるように中原さんが接近してきたのだ。両手を壁につき、ちらちらと扉を窺っている。僕の方はというと、すぐ目の前に胸がある。正直、精神衛生上あまりよろしくない状況だ。これが噂の壁ドンというやつだろうか。自分でやるならまだしも、やられるなんて夢にも思わなかった。


「気のせいじゃないの。この時間にこのトイレに来る人なんて誰もいないっしょ」

「だよね~」

 足音が遠ざかっている。どうやら勘違いだと認めてくれたようだ。お互いに顔を見合わせてほっと一息つく。そして、中原さんは驚いたように壁から手を放した。やられた僕でさえ、鼓動の高鳴りを抑えられないのだ。やってしまった当人は、眼を泳がせながら当惑している。本当にこの空間から早く脱出した方がいい。


 しかし、そうは問屋が卸さなかった。

「あれ、でも変な臭いしない」

「トイレだから当たり前じゃん」

「ううん。なんか、揚げ物の臭いっていうか」

 臭いだと。そこで僕たちはある失態を犯していたことに気が付いた。いきなり女生徒たちが入ってきたこともあり、弁当箱を開けっぱなしにしていたのだ。食べかけの揚げ物からは未だ濃厚な香りが発せられている。それは、トイレの中に充満する薬品の臭いを以てしても打ち消すことができなかった。


 折角遠ざかった足音が戻って来る。しかも、もう一人のお仲間を引き連れている。個室が並ぶ辺りを歩き回っているようだ。そうなると、すぐさまある違和感に気が付くはず。

「ここだけ扉が閉まってるけど、誰かいるんじゃない」

 僕たちがろう城しているこの個室以外は開放されたまま。一つだけ不自然に閉まっている部屋があれば、そこが怪しいと思うのが普通だ。扉を隔てたすぐそばで、執拗に観察されているというのは容易に推測できる。


 どうしたものかと中原さんへと目で訴える。すると、口を手で覆った。とにかく黙ってろということか。そして、今更ではあるが弁当箱のふたをそっと閉める。

「この扉、開けてみる」

「やめなよ。不審者がいたらどうすんのよ」

「でもでも、弁当っぽい臭いがするし」

「ここで弁当食べてるだけじゃないの」

「ええ~、便所飯ってやつ。本当にそんなのやるやついるの? 正直キモイんですけど」

「だよね。便所でしか飯食べられないって、どんだけ友達いないだっつーの」

「ありえないよね、うける~」

 不審者を危惧していたのはどこへやら。好き勝手に嘲笑し、挙句の果てに扉を叩く始末だ。いきなりこの扉を蹴り破って間抜けな面を拝んでやりたい。しかし、そんな暴虐を働いたが最後。逆に僕が社会的に抹殺される。それだけでなく、中原さんまでも巻き添えになってしまう。元はと言えば、彼女の奇天烈な思い付きのせいでこうなっているわけだから、自業自得ではある。しかし、運命共同体となってしまった以上、この期に及んで裏切りなどできない。

彼女の方から裏切る可能性もあったが、執拗に扉を気にしながら微動だにしない。この様子だと下手な気を起こすこともなさそうだ。


「っていうか、ここ鍵かかってるじゃん。もしかして本当に誰かいるんじゃないの」

「だから、やめなって。無理やり開けたらうちら悪者みたいじゃん」

 既に僕の間では貴様らは極悪人認定されてるがな。すぐに興味を失って消えるかと考えていたが、殊の外しつこい。この場の空気を吸い続けていたら頭がおかしくなりそうだ。色々な意味で。

「ほら、そろそろ授業始まるから行くよ。こういうのは放っておいてあげるのが優しさじゃん」

「だよね~。あの先生、遅刻したらネチネチうざいし」

 理不尽な哀れみを受けつつも、どうにか窮地は脱することができたようだ。訪問者が完全にいなくなるのを推し量って、互いに壁に背を預けた。


 彼女たちが話していた通り、そろそろ五時間目が始まるのでいつまでも安堵してはいられない。しかし、この社会的に極めて危険な区域からなぜだか脱することができなかった。

「あの、色々とごめんね。まさか、こういうことになるとは思ってなかったからさ」

 開き直ったのか、中原さんは乾いた笑い声をあげる。そこでまた僕も笑って返せるのであれば大人であっただろう。でも、理不尽が連続していたせいで、僕はつい壁を殴ってしまった。

「いい加減にしてくださいよ。こうなる可能性があることぐらい、容易に予想できたでしょ」

「だから悪かったって。それにさ、こんな経験滅多にできるもんじゃないっしょ。こんなスリルがあるのも便所飯部の醍醐味ってもんよ」

「ごまかさないでください」

 言葉を遮り、僕は声を荒げた。自分でもこんな怒声が出せるのだと驚愕したぐらいだ。普段は適当に相手の話に合わせているだけ。なので、一度感情が溢れ出たら、それを押しとどめることなど極めて困難だった。

「勝手に僕の時間の邪魔をしといて、こんな目に遭わせるなんて。もうたくさんです」

「そんなに怒らなくてもいいじゃない。それに、君にとってはいい経験ができたんじゃないかな。私と一緒ではあるけれど、女子トイレに侵入するなんて大胆なことをしでかしたのよ。少しはクソ度胸がついたんじゃない」

 恩着せがましく手のひらを返してくる。ふざけるなよ。暴発した感情は一気に彼女を襲った。

「あなたに何が分かるんですか。勝手に頼みもしないのにこんなことをして。もうたくさんだ! 金輪際関わらないでください」

 僕は息継ぎもせずに言い切ると、乱暴に弁当箱を掴み、蹴り破るように扉を開けた。彼女の静止を求める声を振り切り、脇目も振らずにトイレから走り抜けていく。折角見つけた休息の地を、あんな訳の分からない女に侵略されてしまった。それだけでも腹立たしいが、あんな恥辱を受ける羽目になるなんて。弁当箱を握る手がいつもより重い。が、それよりもやりきれない気持ちを整理するのに躍起となっていた。

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