女子トイレに行こう
翌日の事である。午前中の授業を消化し、いつものように体育館裏の便所へと赴く。昨日あんなことがあったので、厳重に周囲を見渡し人がいないことを確認する。今日はゆっくりと食事ができそうだ。安堵と共に個室のドアを開ける。
「やあ、こんにちは」
僕はドアを閉めた。見てはいけないものが個室の中にいたのだ。
「ちょっと、花子さんでも発見したような反応しないでくれる」
中にいた不審者はノックしながら不平を訴える。今どき小学生でもトイレの花子さんで大騒ぎはしないだろう。
いつまでも監禁したままにしておくとうるさいので、ゆっくりとドアを開ける。そこにいた妖怪、ではなく中原さんはふくれっ面で便座に腰掛けていた。
「なんでまたここにいるんですか」
「外で待ってちゃ君は警戒するでしょ。それに、二日連続で男子トイレにいるなんて想像していないだろうなと思って」
図星だったので僕は二の句も告げずにいる。平然としていることからして、男子トイレに侵入したのは昨日が初めてではないのではないか。
「それで、何か用事ですか」
「忘れちゃったの。昨日約束したじゃん、手料理をごちそうしてあげるって」
そんなこと言っていたな。すっかり忘れてきちんと弁当を持ってきた。趣向を変えて洋風のサンドイッチだ。朝の五時から起きて作った自信作である。
二人分の弁当を持ってきているのか、心なしか手にしている重箱が大きいように思える。こいつ、僕が来なかったら二人分を平らげるつもりだったのだろうか。
ここまでされて無碍に断るほど僕は冷酷ではない。拒絶して揉める方が面倒だという消極論もあるが。なので、素直に彼女のお手製弁当とやらをいただくことにした。
弁当を受け取ろうと手を伸ばすが、中原さんは両手を振り上げた。当然僕の手は空振りすることになり、眼で不服を訴える。
「ただここで食べるだけじゃ面白くないでしょ。とっておきの場所を用意しているの」
「校庭で二人並んで食べるとかならやめてくださいよ。そんなことをするつもりなら、とっとと帰らせてもらいます」
「安心して。君、えっと、蒼太君だっけ。君と二人きりでいたってことはまずばれることはないから」
「このトイレ以外にそんな場所があるんですか」
この地を見つけるまでに僕は数々の紆余曲折を経ている。廻ったのは主にトイレだが、大抵の場所は食事途中に本来の目的で訪れる輩がいて興ざめする羽目になる。空き教室もたまに鍵がかかっていることがあり、必ずしも利用できるとは限らない。
渋る僕の手を引きながら、中原さんはトイレを後にする。手首に伝わる温かい感触がむず痒い。すぐに振りほどきたくもあるが、為すがままにされているのも悪くはない。
手首にばかり神経を集中していると「着いたわよ」と声を掛けられる。意外と早い到着である。が、僕は目を細めることとなる。移動時間が極端に短いのはむしろ道理であった。なにせ、さっきまでいた場所の隣だから。それに、そんなことは些末な問題であり、最大限の理不尽と直面してしまっているのである。
「ここって、女子トイレですよね」
開け放たれた扉の向こうには個室しか存在しない。男性用の小便器が存在しないトイレというのも新鮮であったが、感慨にふけっている場合ではない。
躊躇している僕に構わず、中原さんは強引に中に入っていこうとする。僕は入り口の柱に手を掛け、必死の抵抗を試みた。
「そんなことしてないで、さっさと入りなよ」
「いや、どうして女子トイレに入らなくちゃいけないんですか」
女子トイレにはトラウマしかない。男性が決して足を踏み入れてはいけない場所。それが女子トイレ。うっかりでも侵入しているのを見られたら、甚大なる社会的制裁が下される。そんな認識が為されているからこそ、無理やりに押し込まれたりしたものだ。
男子小学生ならともかく、高校生にもなってそんな幼稚ないじめをするとは考えにくい。低偏差値高だったらまかり通るかもしれないが、少なくとも僕が通う高校に分別がない馬鹿がいないことを信じたい。信じたいのであるが、まさに現在理不尽な行いを強いられているのである。
「君も強情だな。ここには誰も来ないんだから心配はいらないって。人通りが皆無ってのを見越して、ここで弁当を食べてたんじゃないの」
「そうですけど、それとこれとは別問題でしょ。それにまだきちんと説明してもらってませんよ」
「ああ、どうして女子トイレで飯を食べるかっていう。そんなの簡単よ。それが今回の便所飯部の活動だから」
僕から手を放すと、中原さんは咳払いした。その隙に逃げることもできたが、珍妙な回答につい足を止めてしまった。
「昨日のテーマは男子トイレでいかにおいしく弁当を食べるかだったでしょ。ならば今日はその逆をしているだけ。私はいつもやっていることだけど、君にとっては極上のスパイスになるかと思って」
「最悪って意味では極上ですけどね」
激辛カレーに青汁をかけるようなものだ。そもそも僕は安寧を求めているのであって、刺激など求めてはいない。どうせカレーにスパイスを加えるなら、辛さを中和するチーズ辺りを加えたいものだ。
「せっかく便所飯部に部員ができたんですもの。記念すべき第一回目の活動は過激にやっても罰は当たらないでしょ」
「そんな部活に入った覚えはありませんよ」
第一、部活動に参加するつもりもない。それに、どう考えても僕のリスクが高すぎる。中原さんは「便所で飯を食べようとしただけ」で済むかもしれないが、僕の場合はお咎めがそれだけでは済まない。下手をすれば、書きたくもない反省文を書かされ、最悪停学処分もありうる。会いたくもない面子と顔合わせしなくても済むという点では歓迎すべきかもしれない。それでも、好き好んで懲罰を受けようなどという奇特な精神は持ち合わせていない。
なおも渋っていると、中原さんは腕を後ろで組んでしゅんと顔を伏せる。
「そっか残念だな。早起きして一生懸命作ってきたのにな。あ~あ、一人じゃこんなにも食べられないし、どうしたものか」
「そ、そんなの自業自得じゃないですか」
「ひっどいなあ。せっかく作ってきてあげてるんだよ」
いきなり迫られ、僕は背中を反らせる。アンモニア臭しかしない便所において、彼女から放たれる芳香はひときわ鼻についた。少し体を動かせば彼女と密着してしまう。そんなにも急接近された経験はなく、魔女の呪いにかけられたが如く金縛り状態に陥る。
僕に蛇睨みを施した中原さんはいたずらっ子の笑みを浮かべると力任せに引きずり込んだ。転倒しないように踏みとどまるも、それが精いっぱいだった。勢い任せに女子トイレの中ほどまで進行してしまったのである。
「ここまで入ってきちゃもう後戻りはできないわね」
「くそ、謀られたか」
不意をつかれたとはいえ、女子生徒の腕力に逆らえなかったのは屈辱だった。テニス部のエースと親しいということは、中原さんもまた運動部だろう。現役運動部と帰宅部との格差はかくも残酷ということか。
中に入ってしまっては腹をくくるしかあるまい。逃亡したところで連れ戻される自信がある。僕がじっとしていると、中原さんは指で個室へと招き入れた。