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ありえない先客

 学校生活において、昼食時間は唯一の心休まる時であった。僕のみならずとも、ほとんどの生徒がそう考えているであろう。将来の役に立つのかどうか分からない勉学をほぼ一日中強要される中、気分一新できる時。小難しいことを考えずとも、人間誰しも休憩時間が楽しみだというのは自明の理だ。

 僕とて、学校での勉強が実社会で生きていくための鍛錬になるだの、そんな高尚なことは考えていない。そもそも、通っている高校は義務教育ではないのだから、フルタイムで働いて金を稼ぐなんてこともしようとすればできる。だが、このご時世に中卒でできる仕事なんて、超絶ブラックぐらいしかない。せめて大学までは出ておけよという時節に流され勉学に励んでいる次第だ。尤も、大学を卒業したところで安定就業を望める自信もない。


 それは僕が会社勤めなどという集団生活の極みを糞くらえと卑下しているからである。群れなくては生きていけないなど、いかに人間は惰弱なことか。まあ、中二病めいたことを交えつつ、うだうだと将来設計について論を講じていても詮無きことだ。それが故に貴重な安寧の時間を浪費してしまっては元も子もない。

 加えて、目下時間泥棒の被害に遭っているのだから尚更だ。単純に現状況を説明するなら、「休憩しようとしたところ先客がいた」というところだ。


 こうなった経緯を語るにあたってまず問いたいことがある。学校で昼休みを食べる時、どこで食べるかだ。僕が独自にとった統計だと、九割方こう答えるだろう。「教室の中で食べる」と。食堂という選択肢もありだが、あいにくうちの高校にそんなしゃれた施設は存在しない。あるのは、粗末なパンやらおにぎりが売られている売店ぐらいだ。

 中庭とか屋上という選択肢もあるが、そんなところで食べるなんてのはアニメやドラマの中だけの話である。実際にそんなところで飯を食べたら、変わり者としてやり玉に挙げられる。僕もまた、人の事は言えないのだが。


 さて、教室で昼食を食べるにあたって、みんな当たり前のようにやっていることがある。それは、仲の良い友人同士で机をくっつけあって一緒に食べるということだ。幼稚園で「みんな仲良くご飯を食べましょう」と命令されているわけでもないのに、なぜ能動的にそんな面倒くさいことをするのか。僕にはどうしても分からない。大体、談笑しながら無駄に食事の時間を引きのばすのは無駄ではないのか。さっさと食べ終わって次の授業の予習でもやっていた方が余程実益である。また、せっかく食事をするのだから、しっかりと料理を味わうべきだ。弁当は決して談話のための緩衝剤ではない。


 うだうだと文句を連ねたところで、教室では複数人でまとまって食べるというのが暗黙の了解だ。では、どうしてもその不文律を受け入れられない場合はどうするか。一人寂しく孤独をアピールしながら食事をする。そうするしかないだろうが、わざわざ「俺は孤高の男だ」という痛いアピールをするつもりは毛頭ない。そもそも、無意味に群れる馬鹿を眺めているだけで、せっかくの食事がまずくなるというものだ。


 なので、僕は聖域へと籠ることにしている。まかり間違っても昼食の時間に人が訪れないであろう場所。それは体育館裏のトイレだ。

 教室近くのトイレだと、催して本来の目的でやって来る輩がいることが充分に有り得る。折角の至福の時を小水の音で邪魔されるなど興ざめだ。その点、ここであれば体育の時間、あるいは放課後の部活動ぐらいでしか利用する者がいない。食べ終わった後、授業が始まるまでに戻れば騒ぎになることもない。まあ、こっそり教室を抜け出しても話題にならない時点でいらぬ心配なのであるが。


 僕がわざわざこんな辺境地に足労したのは「誰もいない」という前提があるからだ。だから、先客がいること自体が計算違いなのである。しかも、そいつが絶対にいるわけがない存在だったらどうか。

 まず、僕は好き好んで女子トイレに籠ろうという変態ではない。そんなところでろう城しているのが露呈したら、即刻お縄頂戴だ。なので、背後には当然のように男性用の小便器がある。

 その状況で開け放たれた個室にいるのは、ウェーブがかかった髪をした長身の女生徒だったのだ。濡羽色とでもいうのだろか、紫がかった独特の毛色をしていた。小動物のようなあどけない顔立ちをしており、あちら側も驚嘆しているのか、つぶらな瞳で瞠目している。


 男子トイレに女がいた。これだけでも異常事態なのだが、僕の視線は彼女の膝へと注がれることとなった。乙女趣味満開の小さく可愛らしい弁当箱に整然と詰められた白米とおかず類。から揚げにミニトマトのサラダ、卵焼きと弁当の王道が並んでいる。これから口に運ぼうとしていたのか、から揚げにはフォークが突き刺さっていた。

 彼女が現在進行形で行おうとしていることからして、僕の先客であることは間違いない。僕以外にこんな奇特をする者がいるとは意外であるが、そんなのは些末な問題でしかなかった。


「あなた、どうしてここに」

「僕の方が訊きたい。だってここ、男子トイレだぞ」

 改めて指摘されたことが堪えたのか、女子生徒はぐっと口を紡ぐ。心なしか頬を赤らめているようだ。

 さて、どうするか。悲鳴を上げてさっさと出て行ってくれた方がまだ対処はしやすい。「変な奴がいたな」と無視して日常の儀礼に戻れるからだ。

 だが、女生徒はあろうことか個室を占拠したままだ。彼女の存在をなかったことにして隣の個室にお邪魔しようか。いや、鮮明に存在を意識してしまった以上、いつものように安寧を貪ることはできないだろう。


 僕が棒立ちしていると、女子生徒はため息をついた。

「油断したな。絶対に誰も来ないと思ってたのに。ねえ、お願いがあるんだけど、このことは秘密にしておいてくれない」

 懇願するように僕へと迫り来る。その拍子に胸がたわわに揺れた。この状況で取るべき行動の一つであるだろう。勢いに負け二つ返事で了承しそうになる。


 だが、僕はここで意地悪をしたくなった。貴重な時間を邪魔されたのだ、相応の報いを与えてもいいだろう。つっけんどんに顎をしゃくるや、

「どうしようかな。言いふらしてやってもいいんだぞ」

 高圧的に言ってやった。さて、どうでるか。


 すると、女子生徒はしゅんと俯き、から揚げに刺さっているフォークに力を籠めた。

「そう。やっぱりそうよね。ああ、終わったわ」

 おいおい嘘だろう、やめてくれよ。表情は分からないが、嗚咽の混じった声音からどういうことになっているのかは想像がつく。くっそ、どうしたらいい。気の利いた一言でもかけられればいいが、あいにく最適なボキャブラリーが思い当たらない。

 僕が右往左往していると、彼女はしゃくりあげるように肩を張った。ええい、面倒くさい。

「分かったよ、言わないでおいてやる」

 ぶっきらぼうに宣言すると、彼女は晴れ晴れとした顔でこちらを見上げた。涙の痕跡などどこにも見当たらない。それどころか、いたずらに舌を出す始末。僕としたことが謀られた。


 悔しそうに地面を蹴っていると、彼女はなれなれしく僕の肩を叩いた。

「一時はどうなることかと思ったけど、仲間が増えて嬉しいわ」

「ちょっと待て。誰が仲間だ」

「あなたよ。あなたも便所飯を嗜むのでしょ。ならば仲間よ。ああ、この調子なら私の目標も楽に達せられそうだわ」

 祈りを捧げるように両手を合わせる。弁当がこぼれ落ちそうになっていて心もとない。

「目標ってどんなことだよ」

 つい好奇心に任せて質問してしまったが、これが運の尽きだった。してやったりと笑みを浮かべた彼女は勢いよく個室の壁を叩く。

「私の目的。それは、便所でいかにおいしく楽しく弁当を食べるか研究する便所飯部を設立することよ」

 この瞬間、僕は確信した。この女、相当面倒くさい。

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