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檸檬  作者: 月野 嘘
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嘘吐き小噺

欠落人間×嘘吐き先輩

「仮定の話をするとして、もし今此処で見知らぬ人に向かって自分の最大の短所と最大の長所を述べよと言われたら、灯璃先輩はどのように言いますか?」


放課後の図書室に利用客の姿はあまり見えない。見えないどころかいないとすら言っていいだろう。いつも通りカウンター裏でお菓子を摘んでいる灯璃にそれとなく質問をぶつけてみると、彼女は気を悪くした様子もなく、目を細めたまま答えを返してくれた。


「僕の最大の欠点は嘘を吐いちゃうことで、最大の利点は嘘を吐けちゃうことかな。ふふふ、欠点から先に言わせようとする辺り檸檬ちゃんらしい質問だね?」


何がおかしいのかわからないが始終頬を上げたままだ。笑顔で話している人というのは一般からすると魅力的に見えるそうだが、残念ながら灯璃には当てはまらないようだった。魅力的どころか胡散臭くしか見えない。お腹の中にどろどろとした得体の知れない何かを溜め込んでいそうというか、心の中で別のことを言ってそうというか。


「でも先輩、それって結局嘘吐きってことですよね」


淡々と灯璃の答えについて追及すると、ちっちっちと人差し指を振られた。元が美人なせいか無駄に似合った動作だ。


「わかってないな。僕は嘘吐きじゃなくてその紛い物の嘘吐きの偽物なのだよ。これは大いなる違いだよ、檸檬ちゃん?」

「そうなんですか」


取り敢えず納得したフリだけしておく。以前にも似たようなことがあった時の経験から、こうした灯璃の妙なこだわりには口を出さないことが吉だと学んだのだ。檸檬はしっかりと学習をする。同じ轍は踏まない。幸いにしてわかったフリでお茶を濁すのは昔からの得意だった。

判断は正しかったようだ。上機嫌な様子の灯璃は持論を展開し出すこともなく、大人しくお菓子の消費に戻っていった。

毎度のことながら良くそんなに食べていて太らないものだと思う。檸檬はついつい灯璃のお腹の辺りを凝視してしまった。服の上からでもちゃんとわかるほどに細い腰周りだ。純粋に羨ましい。


「ん? どのお菓子たべるかい?」


相手が鈍感で助かった。どうやら灯璃は檸檬がお菓子を食べたくて凝視していたものと勘違いしたらしく、胡散臭い笑顔を浮べたまま色々なお菓子を掌に載せて差し出してきた。ここで断るのも変だろうと考え、そのなかの一つを大人しく摘む。透明なフィルムに個包装されたクッキーだ。これがいわゆる過剰包装なのだろう。


「ところで檸檬ちゃん。その質問は僕以外の人にも訊いたのかい?」


ばらばらとお菓子を膝の上にぶち撒けながら灯璃が問う。俯くと本人が申告している通り、髪が少し長めな少年のようにも見えた。一人称が僕と男性的こともあってだろうが、今更ながら中性的な美人なのだなと感想を覚える。


「浅沼くんと、彼岸ちゃんには訊きました」

「ふむ。それでどんな答えだったのかな?」


しれっと冷静な声音で灯璃は尋ねてくる。元々勘も良い上に洞察力もある彼女のことだ、二人の答えなど大方予想がついているのだろうが、知らないフリをわざわざしているのはすぐにわかった。しかし檸檬は不満の色を顔に出すようなことはせず、あっさりと口を割った。


「浅沼くんは短所を猪突猛進なところ、長所を私に一途なところ。彼岸ちゃんは短所を臆病で悲観的でと沢山論っていて、長所はないと断言してました」

「やはり二人とも期待を裏切らない性格だね」


俯いた灯璃の肩は震えている。くつくつと漏れる音から察するに笑いを噛み殺しているらしい。華奢な指が膝の上に散らばったお菓子を一つ摘み取りぴりりと包装を破いた。そして唐突に顔を上げる。


「ところで話は少しずれるが檸檬ちゃん、その浅沼君とのお付き合いはどんな感じかな?」


意地悪そうな細目が檸檬を見つめていた。瞳がきちんと見えていないせいで、どういったつもりでからかっているのか真意は汲み取れない。灯璃にしてみればそんな大したことではないのかも知れないが、檸檬はどうしてもその真意が気になってしまうのだ。性質上仕方がない。固まった檸檬の動作を灯璃は愉しそうに眺めている。


「いやあ、檸檬ちゃんが浅沼君の告白にOKの返事を出すと決めた時には僕も吃驚したのだけどね。目と耳を疑ったよ。それでどうだい。ちゃんと彼女役出来ているのかい?」


口の中に放り込まれたクッキーは檸檬が貰ったものとは別の種類のものだった。咀嚼の音が微かに聞こえる。答えの予想がつくのにわざわざ訊く灯璃は悪趣味だと思った。もしかすると先程の質問もこれに繋げるための前振りだったのかもしれない。人を無闇に疑うことは良くないとは思うが、そこに灯璃は含んではいけないのだ。嘘吐きを信用するのは愚者、嘘吐きの偽物を信用するのは馬鹿者だと彼女自身も以前言っていたのだから。

ぺろりと指先を舐めて、灯璃はまたお菓子を掬い上げた。いつも饒舌な口が回らないのは答えを待っているからだということぐらい檸檬にもわかる。仕方なしに諦めと当て付けを溜息に混ぜた。


「わかりませんが、浅沼くんは満足みたいです」


どうしても他人事のような言い方になってしまう。微かな居心地の悪さに顔を顰めると、脳裏にある少年の幸せそうな顔が過ぎった。檸檬とは正反対の爽やかな少年の笑顔。名目上付き合っている恋人、浅沼和樹の顔である。

檸檬が眉根を顰めたのを見取ったのだろう、灯璃は取り上げたお菓子をソファーに放り投げて、開いた手をぶんぶんと横に振った。


「浅沼君はどうやら頭がお花畑で構成されているようだね。もしくは、何か妙な特殊物質でも分泌されているんじゃないのかな。一回調べてみたいものだね」


慰めてくれるのかと一瞬でも期待した自分が馬鹿だった。細目をさらに細めてチェシャ猫みたいに笑う上級生を檸檬は無表情で見返す。残念ながらこれぐらいのことでたじろぐ人ではなかった。檸檬の視線などどこ吹く風といった様子でお菓子を弄び始めている。人間としてどうなのかとは思ったものの、それを考えると、自分の彼氏をあからさまに侮辱されて腹一つ立てない檸檬もどうなのかということになってしまう。

結局、欠陥を抱える自分の周りにはどこかおかしい人が集まってしまうのは当然なのかもしれない。そう檸檬は納得することにした。


「一応訊いておきたいのだけれど、檸檬ちゃんと浅沼君は付き合い始めてから今日までの三ヵ月間に彼氏彼女らしいこととして、何をやったのかい?」


何かではなく何をという辺りやはり確信犯だ。実際持っているかどうかすら怪しい野次馬根性を剥き出しにしてみせる灯璃は檸檬の手に負えなかった。誤魔化す方が大変そうだ。素直に指を折り始める。


「一緒に駅まで帰りました。一緒にお弁当を食べました。休日の朝と夜にはメールを送ってます」

「流石に僕の予想が外れると信じたいのだけど、メールの文面は?」

「朝はおはようで、夜はおやすみです」

「今僕は浅沼君の脳を解明したくてうずうずしているよ」


正直に答えただけなのに何故か彼氏の生命の危機になってしまった。

内心そうとぼけてみせるものの、さしもの檸檬にだって、付き合いが三ヶ月になる高校生カップルとして二人のこなしたことは異常なまでに少ないことはわかっている。最近は中学生だってもっと進んだことをしているに違いない。全ては憶測に過ぎないのだが。

珍しく灯璃が苦笑いを浮べている。目も細目と言うよりは半開きといった方が近いぐらいには開いていた。艶消しで塗り潰したような真っ黒な瞳がわずかにだけ覗いている。


「やっぱりおかしいですよね」

「欠落人間の檸檬ちゃんでもそれは一応認識かつ理解出来ているらしいことに僕は安堵を覚えているよ。まあ、この場合おかしいのは浅沼君の方である気がするけれどもね」

「私じゃなくて、ですか?」


逆なら納得もいくのだが。檸檬が不思議そうに小首を傾げると、いつも通りの細目に戻った灯璃は少しだけ肩を竦めてみせた。胡散臭いとはいえ口許に笑みを模っているおかげか、嫌味な動作には見えない。


「檸檬ちゃんは根本的におかしい人間だからね。異常が異常なケース下において異常な行動を取っても変ではないのさ。問題は浅沼君がすこぶる普通の人間だということなのだよ。一目惚れした女の子に一途な真面目少年。僅かなことで満ち足りるというのは美徳かもしれないけれど、普通が異常に執着し得ることはやはり異常……なんだ、そう考えると浅沼君もまた、異常者の一人か」


どうやら解説している最中に、何かを自分の中で合点してしまったらしい。話を聞いていた檸檬を置いてけぼりにして一人で満足そうに首を振っている。灯璃は今日も通常運転のようだった。檸檬は無表情のままで瞬きを繰り返す。


「ふむふむ。ようやく僕は浅沼君と檸檬ちゃんがお似合いのカップルだということについて自分なりの説明を見出せたよ」

「そうですか」


何と相槌を打てば良いのかわからなくて、取り敢えず無難そうな合いの手を入れてみる。残念ながら相手は人の話を聞くタイプの人間ではないわけだけれど。案の定そんなこと聞いちゃいないとばかりに、何処までも自己完結でしかない満足に浸って灯璃はにこにこと笑みを浮べている。


「ついでに訊いておこう。檸檬ちゃんが浅沼君との恋愛ごっこを受け入れて三ヶ月が経過しようとしているのだが、どうだい、恋とは何なのか、好きという気持ちはどんなのかわかったかな?」


恋愛ごっこ。確かにその言い方に語弊はない。ないがこの場合は普通抗議すべき場面なのだろうとぼんやり檸檬は思った。思うだけで言いはしない。異常者である上に偽善者にまでなりたくはなかったからだ。ただ淡々と問われた質問にだけ答えを返す。


「いいえ」

「そうかい。流石欠落人間だね」


褒められているのではないのだろう。貶されているわけでもないだろう。それは檸檬にでもわかったけれど、しかしそうかといって灯璃がその言葉に何を込めたのかは良くわからなかった。

――急にがらりと急に扉が開けられる音がした。


「灯璃先輩、そろそろ批評会やるんで来てくださいね」


廊下から顔を覗かせた眼鏡の少年がふてぶてしく言い放つ。同学年だが自分の知り合いではない。どうやら灯璃を呼びつけに来たのらしいなと思い当たる頃には、すでに少年の姿は消えていた。そのまま視線を壁掛け時計に滑らせるとそろそろ五時半を超えようかという時間を示している。閉館の時間は疾うに過ぎていた。


「そろそろ閉めて帰ろうか、檸檬ちゃん」


灯璃がソファーから立ち上がる。きびきびとした動作で窓のカーテンを閉めに行く後姿を檸檬はただぼうっとして眺めていた。普段の態度からは想像が付き辛いが、こういった仕事をしている姿を目にすると、その度にこの人はやはり図書委員長なのだなと納得するのだ。シャーシャーっと順番にカーテンが閉じられていく音。我に返った檸檬は慌てて貸し出し返却処理用パソコンに腕を伸ばした。


「あの、先輩」

「なんだい檸檬ちゃん」


カーテンを閉め終わった灯璃が傍に来てパソコンを覗き込んでくる。どうやら仕事モードの判断からすると、パソコンに何か不具合でも起きたものかと心配されたらしい。慌てて首を左右に振ってから檸檬は呼びかけた言葉の続きを吐き出した。


「先輩は恋が何なのか、好きってどういう気持ちかわかりますか」


自らが散らかしたお菓子を灯璃は鞄に詰め込んでいる。やはりその後ろ姿は少年じみていた。ショートヘアーが僅かに揺れている。じっと返事を黙ったまま待っていると、灯璃は鞄を背負った辺りでようやく唇を開いた。背を向けられているせいで表情は窺えない。


「わかるけれどわからないな」

 

檸檬も慌てて鞄を背負い込む。くつくつと喉の奥で笑いを漏らしている音が、灯璃の方から聞こえてきていた。


「残念ながら僕は恋する乙女じゃないのでね」


この話が少しでも多くの目に触れることを祈って

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