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その時

人生で一番大きなイベントは死ぬことだと思う。

なんたって自分がこの世の中から消えてしまうのだから、それ以上のこと考えられない。

無論、世の中にはそれ以上のイベントがある、と主張する人はいる。

また、死を認めなかったり、死んでも消えてしまうことを認めなかったりする人もいる。

それはそれで幸せなことだと思うが、幸一にはそんなことが信じられない。


90歳を過ぎると生きていること自身が苦労だ。

時には苦痛にすら感じる。

調子のいいときはほとんどない。

どこかしら調子が悪く、苦痛が襲ってくる。

幸一も苦しくて仕方がない。

病院の寝床にいても心休まる時がない。

次郎に医者を読んでくるよう頼んでも、病院の若い医者もこれ見よがしに言う。

「別にどこも悪いところはないんだよな。ただ歳だから。」

気休めに点滴をうったり、それでもだめなときは薬で眠らせてしまうが、ボーっとするだけですぐに目が覚めてしまい、苦痛がまた、幸一を襲う。


もういい加減にしてもらいたいと思う。

若いときは死ぬのが怖かった。

今だって怖い。

しかし、この苦痛を終わらせたいという気持ちが、死の恐怖すら遠ざけてしまう。

何とかして欲しい。

精神的に、肉体的にこれだけの苦しさに、さらされれば、死の恐怖より苦痛回避の要求が強くなってくる。


若いときはあれだけ死ぬのが怖かったが、今では死に対する憧れすら生まれてくる。

この苦痛が早く終わって欲しい。

ついつい、あの世のことを考えてしまう。

あの世はあるのだろうか?

神様はいるのだろうか?

死んだ祖先はあの世にいるのだろうか?

神や祖先の霊の実存を信じていなくても、幸一は漠然とそのことを考えてしまう。


神の実存を信じることはどうしても出来なかった。

神様がいつどこで現れるかもっと明確にわかれば、信じたかもしれない。

神様と会話や意思の疎通ができたのなら、信じたかもしれない。

人生が幸福なことだらけだったら信じたかもしれない。

でも、人生そういうことではなかった。


ただ、常に自分は誰かに見られている感じがする。

見守られているというよりは監視されている感じだ。

変なことするとしっぺ返しを喰らう感覚。

聖人君主ではなかった。

人に必ずしも優しくはなかった。

でも、どこかでそういう感覚があったから、人を落としめたり、裏切るようなことは出来なかった。知子は一生あのことを恨んでいるだろうが、仕方のなかったことだ。

神様という感覚ではなかったから、何かを頼むという習慣はなかった。

でも、子供が病気の時はその監視者に頼みたくなる。

一番近いのは祖先という感覚。

決して自分には甘くないが、決して自分を見放さないという感覚。

何か出来事があると、自分を導くため祖先が引き起こしたという感覚。


長年乗っていた車を買え替えた時、ディーラーが古い車を引き取っていく。

運転しているのは無論ディーラーなのだが、いつも乗っている車が、自分の運転ではなく他人の運転で動いているのを見るとき、まるで車の意思で動いているように見える。

その時の一抹のさみしさ。

まるで車に意志があるかのような感覚。

お世話になったという感覚。


もし、幸一が神を信じられていれば、この時はもっと平穏は時間を過ごせたのではないかと思う。

神を考え、来世を考え、太郎を考え、幸一の母を考えることができただろう。

それは多少なりとも心のやすらぎになるはずだ。

神を信じられるか云々ではなく、神を信じられるように努力した人がいるが、幸一にとっては、結局その努力を放棄したに過ぎないのかもしれない。

考えてみれば幸一は怠け者だった。

仕事は真面目にやったつもりだが、真面目にやっても、結果がでなくても、やったことに満足してしまうタイプだった。

神を信じられないのではなく、神を信じようとしなかったことの報いが今来ているのかもしれない。


幸一は小学生高学年ですでに死の実感を味わっていた。

特別な経験があったわけではない。

生まれ持った感性かもしれない。

ある晩、自分が死んだらどうなるのか考えていた。

そうしたら突然、自分が永遠に消えてしまうという実感に襲われた。

死んでしまえば自分は永遠に消えてしまう。

なくなってしまう。

その永遠をその消滅を実感した。

二度と再びこの世に返ることはない。

二度と再びこの意識が戻ることはない。

寝たあとの目覚めがない。

永久に消えてしまう。

永久にこの自分というものは無くなってしまう。

そしてそれは誰も回避できないという事実。

そのときの底なしの無常感と恐怖。


これ以上のものはないだろう。

誰だって今まさに高いところから落ちそうな時、死の恐怖を感じるに違いない。

でも、幸一は普通に寝ているときにその恐怖を感じてしまった。

いや、落ちてしまうときの恐怖とはまた異質のものかもしれない。

まさに落ちて死んでしまうときの恐怖には、二度度この世に返ることはないという無常感を持つ余裕なんてないだろう。あくまで本能的な恐怖感だ。

幸一の感じた恐怖は精神的な恐怖だ。


一度その恐怖を知ってしまうと良くその恐怖に襲われた。

考えないようにしても、ついつい自分の死を考えてしまい、二度と再びというあの底なしの谷に落ちてしまう。

考えないようにと思う一方で、「自分が消えてしまうことは事実だよな」、と主張する自分がいて、ああ、やっぱり事実なんだ、とその恐怖を呼び起こしてしまう。

いやな感情なのになぜ人間はそのことを考えてしまうのだろう。

なぜ、人間は怖いものを見たがるのだろう。


多いときは毎週その恐怖に襲われてしまう。

これでは体が持たないと感じ、何とか回避する方法はないかと考える。

小さいときは訳もわからず恐れおののくだけだったが、中学生、高校生になってくるといろいろ知恵が付いてくる。

よく考えてみると、幸一が死の恐怖に襲われるのは夜だけである。

例えば日中昼寝をしているときはまずない。

ましてや電車などの移動でうたた寝しているときはまったくない。

最初に考えたのは夜寝るときに昼間と同じような環境を作ることだった。

日中のうたた寝環境と夜のそれとを比べるといくつかの明確な違いがあった。

まず、電車などは揺れていて適度に気持ちがいい。

これはしかし夜寝るときに再現するのは難しい。

次に明るさ。

昼間明るいので夜も照明をつけたまま寝てみた。

確かに明るいと気がまぎれるが、夜、明るいまま寝ると刺激が強くて熟睡できなかった。

たまに家族のものがトイレで夜中に起きてくると電気がついているものだから、心配してドアをノックしたりしてくる。

次に音。

車中は周りがうるさくても気にならない。適度な雑音だとむしろ眠りをさそう。

夜中の雑音を出すわけにもいかないので、クラシック音楽を流してみる。

これは効果があった。

眠りがいつもよりスムースに入れた感じがする。

幸一は特に寝つきが悪いので、寝つきが改善されたので良かった。


しかし、これもしばらくすると効果が薄くなった。

まず、音楽に飽きてしまう。

いつも同じ音楽でワンパターンになる。

何枚かCDを持っていたので多少は交換してみるのだが、枚数が少ないのですぐ飽きてしまう。

多分、種類を増やしても同じだと思う。

音楽そのものを聞きながら寝るということ自体に飽きてしまうのだ。


仕方ないので深夜番組を聴いてみる。

これはあまり眠りということでは効果がなかった。

番組の内容が面白いと聞き入ってしまうし、つまらないとなにか腹が立ってくる。

確かに死の恐怖に襲われる、死の事について考えてしまうということからは回避できているが、睡眠がとれるという要望を満たすにはいかなかった。


次に運動。

夕食をとった後に自転車で公園をぐるぐる回る。

ちょっとした汗をかいてみる。

当初は熟睡でき、体にも健康的でいいと思ったが、音楽と同じで体がなれてくるとちょっとした運動ではなかなか眠れないようになってくる。そうなると運動量を増やさなければならない。面倒だしつらくなってくる。

そのうち、ただ自転車でぐるぐる回ることが馬鹿らしくなってきて、やめてしまった。


暇だからそんなこと考えてしまうのだろうと思う。

朝から晩まで必死に働いていれば、疲れているし、いろいろ考えることがあるだろうから、自分が死んだらなんてこと考えないだろうと思う。

学生で親に養ってもらっているから特に働く必要もない。

だからそんなこと考えてしまうのだろうと思った。


しかし、社会人になって、忙しいときはそんなこと考えもしないが、仕事に慣れてきたり、仕事が一段落ついてちょっと暇ができるとついつい、死の事について考えてしまう。

いや、仕事が忙しい時だって考えてしまうことがある。忙しいとなかなか神経が休まらず、夜眠れないものだからついつい死について考えてしまい、またあの奈落の底に突き落とされる。

暇だからとかそういう問題ではないと感じる。


究極の対処法は死の恐怖を受け入れることだ。

死の恐怖は非常に不快な感情だ。寝ている時でも、何かを叩きたくなるほど感情が高ぶって、いてもたってもいられない状態になる。

しかし、あえてそういう状態に自分を陥れる。

そして、その不快な状態を過ぎると、神経が疲れ果て、しばらくの間その恐怖に襲われることがなくなる。

しかし、この方法も一回は奈落の底に落なければいけないので、対処とはとても言えない。


皮肉なものだ。

今、死の床につこうとしていると、苦痛が強すぎて奈落の底に落ちることすらできない。

死の恐怖に落とされないためには、まさしく死の苦痛が最良の手段なのだ。


昔のどうでもいいことを思い出す時がある。

その時期が幸一にとって一番いい時期だったからだろう。

高校自体が幸一にとって一番光っていた時代だった。

野球で充実した高校生活を送った。

初めて彼女が出来て、童貞を捨てた。

幸一のおばあちゃんが死ぬ間際、看護師に何歳か聞かれて、22歳と答えたそうだ。

意識が混乱して、自分の歳がわからなくなったのだろうが、別の言い方をすれば自分の一番光っていた年だったに違いない。

だから、幸一も意識が混沌とした状態で歳を聞かれたら18歳と答えるに違いない。



人間はそれがもう決まってしまったことだと、嫌な事でもさっさと終わってしまえと思う。

息子が結婚して家を出て行ってしまう。

寂しいと思う反面、その日が近づくと、早く過ぎたらとおもう。

思うのだがその日が過ぎるとやはり息子がいないことに寂しさを感じてしまう。

そんなことわかっているのに、なぜ、あの時早く過ぎたらと思うのだろうか?

その日を待つのが苦痛なのか、嫌な事でも変化そのものを望むのか?

あれほど死の恐怖におののいて、生に対する執着があったのにもかかわらず、幸一はもう早くそのときが来ないかと思っている。

苦しいからその時が早くこいと思うのか、変化を人間は常に求めていて、たとえそれが死であろうとも早く来いと願うのか?


幸一が子供の時に親戚の葬式に出たことがある。

焼き場で焼きあがるのを待っていた時のことだ。

少し大きな子供が知ったような顔をして吹聴していた。

死んだ人間というのは焼かれた時に起き上がって最後の断末魔の叫びを発するそうだ。

焼き場の管理人は完全に焼けているか時々チェックをするが、時々そういう場面に出くわすという。

焼き場の人に頼めば遺族の人なら覗けるという。

その話だけでも小さな子供にとってはショッキングな話だったが、幸一お前遺族だといってちょっと覗いてこいと言われたときは、本当にションベンが出そうになった。


あの話は本当なのだろうか?

もし本当だとしたら幸一も焼かれた時に断末魔の苦しみを味わうのだろうか?

仮に神経が焼かれた時に暴走し、筋肉が一時的に収縮しただけだとしても、その時地獄のような苦しみを味わっているのだろうか?

誰かを焼いた時にその人の脳波を、誰か測定したことはないのだろうか?



人間の意識が脳の中の変化で生まれるものなら、意識が変化できるものに乗り移れば生き延びることはできないだろうか?

小学生の時は真剣にそんなことを考えていた。

庭にある大きな木に死んだ時に乗り移れば、その木が生きている間は幸一の意識も残っていられるかもしれない。

でも、万が一そんなことができるなら、ご先祖様が一杯その木に乗り移っていて、幸一が乗り移る場所なんてあるだろうかと真剣に悩んでしまう。

いっそうのこと宇宙に乗り移ってしまえば億年の単位で生き延びることができる。

いや、宇宙がなくならない限り、半永久的に生きることができるなどと自分を慰めてみたりする。

みんなが死ぬからと考えてみても、永久に生きることは逆に辛いことだと分かっていても、それでも永久に消えてしまうことは悲しい。


犬を飼っていたことがある。

大抵の場合、犬は静かに死んでいく。

死期が近づくと食欲がなくなり、水もほとんど飲まなくなる。

多分、意識がもうろうとなって苦痛も感じないのだろう。

死ぬことに対して抵抗することすらできない。

恐怖を持つこともなくなるだろう。

だからあんなに静かに死ねるのだ。

けれども人間の場合、食欲がなくても点滴を打つので意識ははっきりしている。

苦痛も感じ、死のときを感じてしまう。


ほんのひと時の安らぎを得た時に、周りに目が向く。

家族はみんなベッドの周りにいてその時をまっている。

知子は疲れてその場にいない。

目が合って水飲む?と次郎が水差しを口に持って湿らせてくれる。

しかし、誰もがその時を待っているのを感じる。

死ねば少しは泣いてくれるだろう人も、疲れた顔でその時を待っている。

待ちくたびれたような顔をして待っている。

自分ではどうにもならないので、自分もその時を待っている。

ああ、やはりどうにもならないんだと思う。




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