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誤解故、彼女は自衛権を行使した


十月二十日 十二時二十七分 古見掛市 喫茶店『田園風景』


 「で、昨夜の子は大丈夫だったのかね?」


 カウンター越しに、興味津々といった様子で問いかけてくるマスターに、正也は渋い表情をした。


 「……昨日の今日で、何でマスターの所まで話が来てるんですか。警察と病院以外に話してないはずなんですが」


 角砂糖を二つ落としたコーヒーを啜りながら、げんなりとした声で問いただす。

 このマスターの耳聡さ、特に面白そうな話に対するアンテナ感度の高さは理解していたつもりだったが、十数時間前の、それも通常広まりようのない話をあっさりと切り出してくる辺り、どういう感想を抱いていいのかさえわからない。


 「なぁに、今朝、店の前で小鳥たちが話していてね」

 「ヘー、ソウデスカ」


 正也はコーヒーに角砂糖を追加し、よくかき混ぜて一気に飲み込んだ。

 考えてみれば無理もない。確かに、昨日の事件と直接的に関わったのは、正也と、現場マンションの住民二人、そして警察と病院だけだ。しかし、単なる目撃者という事になれば、誰が見ていてもおかしくない。


 もっともこの場合、マスターの言う小鳥が比喩でなく、本当に鳥類から噂話を集めているのが恐ろしいところだ。


 「何でも女の子を守って、悪漢共を千切っては投げ千切っては投げだったそうじゃないか。流石だな、正也君」

 「そんなニヤニヤしても、色っぽい話じゃないですよ。本人は気絶してましたし、ラッキースケベもありませんでしたし、何より、見たところは十一、二歳そこそこの子供でしたから」

 「ほほう、正也君としてはやっぱり、バンッ、キュッ、ボン! が好きかね」

 「……小声だからといって、接客業者の台詞とは思えないですね。下世話な話は好きじゃありません。ボロが出ますから」

 「ほうほう、隠さないといけないボロがあるということかな?」

 「叩かれて埃の出ない人間なんて……いるかもしれませんが、僕は違います」


 髭を蓄えた壮年のマスターの言葉に、正也は実に素直に答える。なまじ抗弁したりすれば、それは何よりも雄弁に肯定を語ることになる。こういった話題は適当に受け流すのが無難だ。

 別に、正也とてその手の話が嫌いという訳ではないのだが、昨日の今日でそんな話題に喰い付く気分にもなれないのも事実だった。

 そんな正也の心情を読み取ったのか、マスターはあっさりとにやけ顔を引っ込めた。


 「まあ、プライバシーのこともありますから、あまり多くは語れませんが、無事病院に連れて行ったことだけはお話しときます」

 「そうか。まあ、無事に事が済んだなら何よりだよ。ご苦労様だ」

 「どうも。そんなこんなで、今日はこれから病院に顔を出してみようかと。まだ目は覚めてないと思いますが、ちゃんとベッドで寝てる姿ぐらいは拝んでおかないと、寝覚めが悪いので」

 「確かに、助けた身としては気にもなるか。そしてあわよくば、その恩を売り込んで……」

 「ご馳走様でした。まったく、人を何だと思ってるんですか。ていうかまだ意識までは戻ってないって言ったでしょうに」


 正也は話を打ち切り、逃げるように立ち上がった。


 「ははっ、すまんすまん。だが、君がその子にとっての恩人なのは事実だ。頼られることがあったら、出来るだけ頼りになってやりたまえ」

 「まあ、そうなったら善処しますよ」


 正也は会計を済ませ、コートを羽織って店を出た。







十月二十日 十三時十二分 古見掛市中央病院 第四病棟


 ぼんやりとした視界が、次第にはっきりと輪郭を捉え始める。白い靄の様に眼前に広がっていた光景が天井だと気付くまで、そう長い時間はかからなかった。


 「……?」


 ベッドの上、ゆっくりと体を起こした少女は頭を振り、意識にこびれついた靄を振り払う。思考力はまだ十分に機能しきってはいなかったが、それでも周囲の状況を観察できる程度には覚醒する。


 そう広くはないが、陽光の差し込む大きな窓を備えた、解放感のある部屋だった。清潔そうな白いカーテンや、花の挿された花瓶が置かれ、温かみを感じる部屋だ。

 布団をどかし、ベッドから降りようとした少女は、自分が妙な服装をしている事に気付いた。

 淡い青色の柔らかい布地。丈がかなり短く、袖口は二の腕まで、裾は膝上までしかない。肌触りはよく、動きやすくはあったが、布その物が薄く、どこか頼りない印象を受ける。

 室内を一通り見渡した少女は、やがて窓へと歩み寄り、部屋の外へと目を向けた。

 建物の直近には、そう大きな建造物はないが、少し離れた場所には巨大な建造物が無数に立ち並んでいる。道には大勢の人々が忙しなく行きかい、平和な昼下がりと呼べる光景だ。


 「ここは……」


 少女は自分が何故ここにいるのか、そもそもここはどこなのか、険しい目つきで思い悩む。


 「っ……!」


 最後に意識があった瞬間を思い起こし、少女は思わず息を飲んだ。

 そうだ、自分は狩りの獲物の様に追い詰められたのだ。まんまと囮に気を取られ、薬液を打ち込まれ、そして……。


 少女の全身の筋肉が緊張し、神経がぎりぎりと張り詰めていく。

 ここがどこなのかはわからないが、自身が〈奴ら〉の手に落ちたのは間違いない。だとすればすぐにでもここから脱出しなければならない。

 如何にしてこの建物から抜け出すか、少女はその脳細胞を全力で働かせだす。


 まさにその時だった。

 コンコン、と背後のドアがノックされた。


 「っ!!?」


 張り詰めた神経を思い切り揺さぶられ、少女は跳び上がりそうになるのを堪えた。

 だが、少女の動揺などお構いなく、ガチャリと音を立ててノブは回り、ドアは開く。


 もう少し少女が冷静であれば、馬鹿丁寧にノックをして入ってくる存在が敵かどうか、一瞬でも考える余裕があったのだが、完全に不意を突かれた形の少女に、そこまでの思考力はなかった。

 入って来たのは、十代後半であろう少年だった。青のブレザーと白いスラックス、その上にコートを羽織っている。


 「ん、あれ?」


 少年は少女の姿を見るなり目を丸くした。

 二、三度目を瞬かせた後、少女の脳天から足元まで視線を二度往復する。

 

 「……」

 「……」

 

 一瞬の間、二人の視線が交錯する。完全に硬直した二人の間に流れる、本当に一瞬の間の沈黙。そして、少年の顔に花の様な笑顔が咲く。

 

 「よかった、気が付いたん……」


 その笑顔が、少女の硬直を解く引き金になった。


 「だねえええええええっ!!?」


 少女は瞬時に少年に肉薄し、胸倉を掴んで背負い込む。そのまま重心を落とし、かなり体格差のある少年に、勢いに任せた背負い投げを掛けた。


 「ぐっはあっ!!?」


 固い床に背中から叩きつけられ、少年は肺から叩きだされる空気を悲鳴として吐き出した。


 「ぎゃああああっ、怪我人がパワーインフレを起こして柔道星の姫君にクラスチェンジしたあっ!?」


 床で強打した後頭部を抑え、足をバタつかせて悶え狂う。おまけに背中を強かに打ち付けたためか、まともに呼吸が出来ない様子だ。苦悶の声、悲鳴、激しい咳がローテーションを組んで少年の口から次々に飛び出してくる。

 更に悪いことに、のた打ち回る内に、ベッドの足に右足の脛が直撃する。


 「ギャッ……お、おああああ」


 もはや喚き散らす余力もないのか、少年は痛々しい声を漏らしつつ、プルプルと震えている。

 そのまま五分も悶絶していただろうか。やがてうめき声は嗚咽に変わり、未だに震え続ける少年の口から立ち上る。


 「ううっ、痛い……すごく痛い。た、確かに急に入っちゃったかもしれないけど、ちゃんとノックもしたのに……うう……投げることないでしょうに……」


 少年は脛を抑え、シクシクと嗚咽しながら呪いの言葉を吐き出す。

 はっきりと言ってしまえば、間が抜けていることこの上ない。その抜けっぷりと哀れさは、警戒心と敵意に満ちていた少女にさえ、多少の罪悪感を植え付ける程だった。


 「あ~、その、スマン。少しやり過ぎた」


 床で丸まり、涙目で悶える少年に、思わず謝罪の言葉を掛ける。

 少なくとも脛を打ったことに関しては、完全に少年の自爆なのだが、それでも詫びずにいられない程の哀れさだった。


 「だ、大丈夫……こっちこそ、驚かせてごめんよ……」


 思わず真摯に謝ってしまったためか、少年の方も、悶えながらではあるが、非礼を詫びてくる。ただ、顔を苦痛に歪め、搾り出すような声で詫びてくるため、却って罪の意識が強くなってしまう。


 (……やりにくいな。何なんだ、この男は)


 大いに困惑しつつも毒気を抜かれ、少女は警戒心だけ残したまま、敵意を一度引っ込めた。

 足元でうずくまる少年は、表面的には友好的な態度を示している。それだけでも、少女の知る〈奴ら〉とはかなり様子が違う。


 (どういうことだ? 私は〈奴ら〉の手に落ちたわけではないのか?)


 少年の様子に一応の注意を払いつつ、少女はもう一度記憶を辿ってみる。

 しかし、何度思い返しても、〈奴ら〉に追い詰められた所で、少女の記憶は完全に断たれていた。


 (待て、薬を打たれた後、私は一体どうなった?)


 そうだ。少女が覚えているのは、敵に取り囲まれたまま、意識を失う所までだ。実際に〈奴ら〉の手に落ちた記憶はない。


 (そういえば、気を失う直前に、誰かの声がしたように思うが……)


 懸命に記憶の海を探るが、その声の記憶自体がひどく曖昧だ。男の様であり、女の様であり、老人にも子供にも思える。


 「むう……」


 苛立ちを含んだ呻き声を漏らす。と、同時に少年がゆっくりと床から立ち上がった。

 少女は思わず一歩後ずさり、身構える。

 少年は未だに涙目で脛や後頭部を擦っており、緊張感にかなり欠ける様子ではあったが、だからといって警戒を解いてしまう程、少女は能天気ではなかった。


 「まあ、何にせよ元気そうでよかったよ。あ、一応聞いておくけど、体に不調とかはない? どこか痛むとか、痺れがあるとか、そういった」


 少年は子供に放し掛けるような気さくさで、穏やかに問い掛けてきた。

 が、少女は見かけほど子供ではなく、少年が期待しているだろう、無邪気さ、無警戒さは持ち合わせていなかった。正体の掴めない相手の笑顔や、甘い言葉の危険性をよく知る少女は、厳しい表情で少年を見据える。


 「……ええっと、ごめん。まだ怒ってる?」


 少年はいささか気圧された様に、顔を僅かに仰け反らせて遠慮がちに尋ねてきた。


 「いや、気にしていない。それよりも、聞きたいことがある」


 相手を威圧してしまっていたことに気付いた少女は、僅かに顔の筋肉を緩め、少年に声を返した。


 「う、うん。答えられることなら、何でも答えるけど」

 「ここはどこだ? おまえは誰だ? 私は……私はどういう状況に置かれている?」


 真正面から馬鹿正直に、少女は疑問を吐き出した。少年がどういう答えを返して来るのか、その真偽はどうなのか、さっぱりわからないが、何か話をしない事には何もわからない。


 少年は、少女の声に困惑と警戒の色が浮かんでいる事に気付いたらしく、再び優しげな表情と穏やかな声で答え始めた。


 「フムン、それじゃあ一つずつ答えていこうか。まず、僕の自己紹介だったね」

 「ああ」

 「ん。僕の名前は正也、本条正也です。よろしくね」


 少女の背丈に合わせて屈み、少年は笑って右手を差し出した。


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