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危ない奴らと命が危ない奴と趣味が危ない奴

 「ぐっ……うぅ……」


 マンションの屋上で、息も切れ切れになった少女は、建物内に降りるドアに背をもたれ、倒れ込みそうになるのを必死に堪えていた。


 身体にピッタリと張り付く素材の衣装に、ボロボロの布きれを纏った異様な風体ではあったが、美しい少女だった。


 幼さの残る、というよりも、明確に幼い顔立ちながら、どこか凛々しささえ感じる鋭い目つき。冷たい夜風にたなびく長髪は、月明かりと街の灯りに照らされ、美しい金色に光っている。ボロ布の隙間から覗く手足は折れそうに細い。女性的な丸みをようやく帯び始めたらしい、華奢な体格が窺える。


 少女はしばらく苦しげに喘いでいたが、ふと顔を上げてその場を飛び退いた。

 直後、一瞬前まで少女がもたれかかっていたドアが、内側から弾け飛んだ。比喩ではなく、蝶番を引き千切って吹き飛んだのだ。


 「くそ……いったい何処までついてくるつもりだ」


 少女が毒づくと同時に、入り口の向こうから五つの人影が飛び出してきた。真っ白なローブに頭からすっぽりと包まれたその一団は、一直線に少女に向かって突っ込んでくる。全員が両手にいくつものナイフを携えていた。


 「ちいっ」


 少女はふらつきながらも体勢を立て直し、地面を蹴りつけるべく足の筋肉を緊張させる。

 しかし、床を蹴って跳ぼうとした少女の足から、がくりと力が抜けた。強烈な痺れが下半身を襲い、跳躍するどころか、立っていることもままならなくなり、少女はその場に膝を突く。


 「っ!? しまった……!」


 両足のふくらはぎに、五寸釘の様な巨大な針が突き立っていた。何らかの薬液が塗りたくってあったらしく、透明な液体が滴っている。

 背後を振り向き、少女は歯噛みした。見れば、向かいのビルの屋上にも、ローブを被った人影が幾つか佇んでいる。ふくらはぎの針は、恐らくそこから投射されたのだろう。


 眼前の敵は囮だ。少女が思い至った時には、既に包囲が完成してしまっていた。屋内から跳び出してきた五人、少女の足に針を打ちこんだ二人、さらにどこからともなく、幾人もの白い影が屋上に跳び込んでくる。

 策とも言えない単純な手にまんまと引っ掛かってしまった愚を呪いつつ、それでも少女は立ち上がろうとあがく。


 「ぐっ、あ、あぁ……」


 神経を鷲掴みにするような痺れに、少女は床に突っ伏した。

痺れはそれだけにとどまらず、上半身、さらには意識さえ蝕み始めた。手足は小刻みに震え、視界がぼやけていく。自分を取り囲む足音も、自身の口から漏れ出る声も遠くなっていく。

 視界は次第に光を失い、感覚さえも全身から消えつつある。


 「あ……」


 必死に保っていた意識が、ついに少女の手から滑り落ちた。

 何も見えなくなり、自分が置かれた状況もわからなくなり、全てが闇に溶けていく。


 「待て」という叫び声を聞いたのを最後に、少女の意識はそこで途絶えた。







 「待ぁてえええええい!!」


 空中からマンションの屋上へ、自由落下しながら正也は叫んだ。


 倒れ伏す少女を取り囲む、白装束の集団が振り向くのと同時に、正也はコンクリートの床に着地した。

 三十メートルを優に超える、非常識な跳躍力を発揮したばかりの足で床を踏みしめ、集団の前で身構える。


 「君達、そこで何をしてるんだ!?」


 鋭く問い詰める正也の顔からは、普段の柔らかさは消え、警戒心露わな険しい顔が浮かんでいる。普段の温和で穏やかな物腰はなりを潜め、何かの弾みでそのまま跳びかかりそうな勢いだ。


 正也は普段の態度こそ温厚だが、激情的な一面も持ち合わせている。いや、心根の優しい性格だからこそ、理不尽に他者を踏み躙る存在に対する怒りは強い。

 華奢な少女に大勢で、凶器まで持ち出して襲い掛かる集団の姿を見てしまった正也は、内心で憤怒の炎を燃えたぎらせていた。


 正也の心情を知ってか知らずか、白装束の集団は動いた。それぞれが手にしたナイフを構え、正也の方へと一気に距離を詰めてくる。少女の確保に四人を残し、十数人の白い影が向かい来る。

 正也の問いに言葉は返らず、代わりに向けられたのはいくつもの刃だった。


 「……問答無用か。なら、こっちも正当防衛しちゃうぞ!」


 正也はそんな敵意に満ちた行動に、少し苦々しい顔をしたが、すぐに闘志に満ちた表情を浮かべる。もはや人のいい少年ではなく、悪意に相対する専門家の顔になっていた。


 単に身構えていただけの体勢から、明確な形をもつ構えに移り、正也も床を蹴って駈け出した。迫って来る集団に対し、真っ直ぐ一直線に突っ込んでいく。


 次々に投擲されるナイフを掻い潜り、正也は一団の中に容易く躍り込んだ。あまりにあっけなく懐に跳び込まれ、一団に僅かな動揺が走る。そしてその僅かな動揺は、正也にとって見逃しようのない隙となった。


 「むんっ」という気合の声と共に、正也は一番近い敵の顎に掌底を打ち込んだ。

 強烈な一撃をもらい、敵はぐらりと仰向けに倒れ込む。その身体が床に倒れ伏す前に、正也は身を翻して次の敵に狙いを定める。

 そのころには、集団も流石に動揺からは立ち直っており、ナイフを振るって果敢に攻撃を加えてくる。

 正也の顔面に向け、真正面からナイフが突き出される。

 殺意に満ち満ちたその一撃を、正也はストンと腰を落として回避した。頭上を凶刃が掠めていくが、気にも留めない。そのままバネの様に跳ね上がって敵に突進する。一人目の敵が地面に倒れるのと同時に、二人目の敵のみぞおちに肘鉄を叩き込む。二人目の敵が地にまみれる直前に、三人目の胸倉を掴んで地面に引き摺り倒す。


 襲い掛かってきた白装束全員を打ち倒すまで、数分と必要なかった。淡々と危なげなく、正也は向かってくる敵を全て地に沈めた。


 「さて、残るは君達だけなんだけど」


 倒れ伏す少女の傍で構えている、四人の白装束の方へ向き直り、正也は穏やかな声を掛けた。

 目にはまだ鋭い光が宿り、内心の怒りを表していたが、それでも態度だけは静かなものに戻し、諭すように問い掛ける。


 「よかったら事情を聞かせてもらえないかな。もし相応の事情があるなら、出来る限り協力する。ひとまずその子を放して、詳しい話を聞かせて欲しいん……」

 「その必要はない」


 全て言い終わる前に、正也の背後から冷め切った声がした。正也が目を見開くのと、その尻に強烈な衝撃が加えられたのはほぼ同時だった。


 「いっ痛えええっ!」


 横方向から加えられた衝撃に、正也は尻を抑えたまま倒れ込んだ。


 「いつつ……誰だ、人がせっかく事情を聞こうとしてるのに!」


 先程までの、凄味さえ感じさせた表情から一転、涙目で正也は声の主を睨み付ける。 


 「ほほう、意外に頑丈なものだ。それなりの力で蹴り飛ばしてやったつもりだったが」


 黒い法衣を着込んだ少年が、正也の背後で嗤っていた。

 年の頃は十代前半といったところか。銀色の髪を夜風に流し、気だるげに正也を眺めている。


 「っ!!?」


 正也は少年の浮かべる笑みに、恐怖にも似た嫌悪感を抱いた。


 何のことはない顔だ。所謂、嘲笑に分類される笑みだが、だからといって不快や不審を通り越してまで恐怖を喚起するものでもない。

 にもかかわらず、正也は頭から冷水を浴びせられたような心持になった。

 普段のあどけなさを見せかけていた顔に、強張った警戒の表情を張り付けると、素早く後方に跳躍して距離を取る。


 「ほほお、賢明な小僧だ。それでいい、わざわざ虎の尾を踏みに来るような愚を犯すことはない」


 ニヤニヤと笑う少年の視線に、正也はひどい嫌悪感を覚えた。胸が騒ぎ、呼吸が乱れる。

 正也は、自分を襲う強烈な怖気の正体に思い当たっていた。

 原因は、この少年の歪さだ。

 

 正也は職業柄、倫理観の欠如した者や、悪と表現するしかない者と何度となく対峙してきた。

 そしてそれらは、そういった存在に至る過程を感じさせるだけの姿を見せていた。例えば、それまでの人生を創想像させる程度には歳を重ねていたりする。

 しかし、目の前で人知を超えた嘲りを湛えているのは、年端もいかぬ少年だ。


 外見と実年齢が著しくかけ離れている、というのはこの街の住民にもよくあることだ。だが、まだ愛らしささえ残した少年の姿と、質量さえ感じる程の嘲りの笑みのギャップが、正也の精神にプレッシャーを与えた。美しい風景画の中にひどく損壊した死体を描き足したような不快感が、正也の心身を苛んだ。


 だが、ここで怯むわけにもいかない。少年が無害な存在であればそれでいいが、そんな考えは楽観視を通り越して逃避に近い。まして、ここには気を失った少女が居るのだ。最低限彼女の保護だけはこなさなければならない。


 「君、彼らの関係者?」


 白装束を指さし、正也は少年に尋ねた。警戒心に加え、嫌悪感を滲ませながらも一応、それなりに丁寧な口調を保っているのは職業意識からか。それとも不快感で闘志が萎えたからか。


 「引き上げるぞ、さっさと娘を回収しろ」


 正也の声を完全に無視すると、少年は白装束に指示した。白装束達は頷くと少女を担ぎ上げる。


 「待て!」


 正也は慌てて床を蹴り、少女に向けて跳躍した。

 しかし、守るべき者の側には僅かに届かなかった。


 「邪魔立てするな」


 眼前に、蔑みの表情に満ちた貌があった。

 正也が息を飲もうとした時には、既に少年の拳が腹に叩き込まれていた。


 「げぼっ!?」


 カエルが踏みつぶされたような声を引き、正也は宙を舞った。自ら跳んだ方向とは反対に、人形の様に吹き飛ばされたのだ。

 内臓が口から跳び出しそうな痛みに歯を食いしばるが、勢いのままに床を跳ね、そのまま屋上の縁から放り出される。


 「ぐぅっ……なにくそっ!」


 身体全体が中空に放り出される直前、コンクリートの淵にひざ裏を引っ掛けて踏みとどまる。腹筋の力で起き上がり、再び立って身構える。

 見れば、白装束達は少女を抱え、今にもその場を立ち去ろうとしていた。


 「逃がさん」


 再び床を蹴りつけ、一気に少女の元へ跳躍する。

 当然、そのままあっさりと辿り着けるはずがない。


 「学習せん奴だな」


 再び眼前に少年が割って入る。先ほどと同様に拳を握り、正也に向けて打ち出して来る。


 「邪、魔!」


 が、正也は軽く体を捻るだけで拳を容易く躱した。


 「何っ!?」


 少年の顔に、初めて嘲り以外の表情が浮かぶ。


 本条正也は、本条生活相談事務所の所長だ。

 その職務は、市外から古見掛に逃れてきた犯罪被害者の生活支援が主だが、それだけに留まっている訳ではない。そういった人々の直接的な保護、警護も受け持っているのだ。多種多様な追手から逃れてくる人々を保護するには、荒事に対処する必要も当然出てくる。

 単なるチンピラレベルから、常識や物理法則から逸脱した超越存在までを相手に回す、タフネスと強さを要求される仕事は、伊達や酔狂で務まるものではない。そんな危険な仕事を生業に、正也は長年この街で暮らしてきたのだ。


 もっとも、市井で普通に暮らしている人も、それなり以上に強いのがこの街の恐ろしさなのだが。


 「古見掛市民舐めるな!」


 正也はするりと少年の側をすり抜けながら、掌を少年の鼻っ柱に叩きつけた。


 「ぶあっ!!?」


 自分が攻撃を受けることなど、予想だにしていなかったのか、少年は正也の考えていた以上に大きく仰け反ってたたらを踏んだ。

 少年に加えた打撃の反動も利用し、正也は今度こそ、少女の元に駆け付けた。白装束達がナイフを手に迫るが、既に目的を対話から救出、鎮圧に切り替えた正也は躊躇なく攻勢に出た。


 「話をする気が無いにせよ、その子は放してもらう!」


 迎撃に動いた白装束達を掌底で瞬時に複数昏倒させ、少女を抱える最後の一人に襲い掛かる。


 「せいやっ!」


 少女を肩に担ぎ、片手の塞がった相手を容易に打ち倒す。その身体が地に倒れる前に、少女の身体を引き離し、正也はふうと溜息を吐いた。


 「やれやれ、肝が冷えたよ」

 「助かったつもりか、小僧?」


 ごっ、という鈍い音が響いた。

 後頭部に走った衝撃に、正也は一瞬の間意識を手放した。


 「あっ……ぐ……」


 腕の中から転げ落ちる少女を目にしながら、一切の反応が出来なかった。前方へ数メートル、倒れ込むように吹き飛びながら、自身の油断を呪う。


 「汚らしい手で私に、そして私の所有物に触れたのだ。しっかりと報いは受けてもらうぞ」


 正也の背後から、黒衣の少年が眼力だけで人を殺せそうな、憤怒の視線を向けていた。そのまま倒れている少女の方へ歩を進める。


 「……所有物、ね。その子、君の、何なのさ……」


 立ち上がることの出来ない正也は、どうにか頭だけ少年に向けて問いかける。

 すぐにでも少女と少年の間に割って入りたかったが、吐き気を伴う程の衝撃からは、未だ身体が回復していない。意識も混濁寸前だ。身動き一つ取れない以上、少しでも時間を稼ぐしかない。


 「言葉の通りだ。私が所持し、私が使用する為の道具。それ以外の何物でもない」

 「意味が、分からない……な。どう見ても、人にしか見えない。人の形を模した器具、と言いたいのか?」

 「随分と穿った解釈をするな。奴隷と言ってやればわかりやすいか?」

 「その答えが聞きたくなかったから、敢えて的外れな事を言ったんだけど、な……」


 正也は気取られないように、小さく深呼吸を繰り返す。少しでも多くの酸素を取り込み、代謝を活発化させて回復を図る。僅かずつだが、視界がクリアになっていき、手足に力が入り始める。


 「何にせよ、貴様には関係のない話だ。私が私の奴隷をどうしようと」

 「そういうの、見過ごせない性分なんだけどね」


 ふっ、と少年が鼻を鳴らした。顔には先程までの嘲笑が再び浮かび上がっている。


 「ほほう、私に指図をするのか。どうして欲しい? こいつを手厚く可愛がってやれとでも言うのか?」


 そう言って、少年は片足をすっと上げた。ちょうど倒れ伏す少女の頭上の辺りまで持ち上げ、ピタリと静止させる。


 「おまえ……」


 正也の声に、明確な怒りと憎悪が滲んだ。


 「冗談ではない。道具は最低限使えればいい。美術品ではないのだぞ?」


 皮肉げな笑みを浮かべ、少年は上げた足を少女の顔へと踏み下ろした。


 「っ……」


 少女の小さな唇から、微かに苦悶の声が漏れた。


 「壊れない程度に扱えばいいのだ。道具とは本来そういうものだろう」

 「もういい、黙れ。それ以上は聞く気ないから」


 底冷えするような冷たい声で言い放ち、正也はゆっくりと立ち上がった。

 身体はまだいう事を聞かないと思っていたが、目の前の光景に湧き上がった怒りの感情が、全身の神

経を駆けずり回り、無理矢理に身体を突き動かしていた。


 「やれやれ、大人しく寝ていれば、もう少し長生きでき……」

 「黙らっしゃい!」


 少年の言葉を最後まで聞かず、正也はその横っ面を殴り飛ばした。数メートルの距離を一跳びで詰め、渾身の力で握りしめた鉄拳で、遠慮も容赦も一切なしに一撃した。


 「……あ?」


 少年は倒れ込みながら、間抜けな声を漏らした。自分が殴打された事にようやく気付いたような、遅れきった反応だ。


 「本条、パアァンチッ!」


 あえて拳を思い切り振り抜いてから、正也は叫んだ。


 (確信した。こいつは外道だ。面白半分にこの子を傷つけて僕への嫌がらせにする、悪党だ。こいつにペースを握られたら、何をしでかすかわかったもんじゃない!)


 正也は両の手で手刀を形作ると、そのまま倒れていく少年に続けざまに叩き込む。


 「本条ダブルチョオップ!」

 「ぐっ、貴様……!」


 脳天、胸に連続して叩き込まれた衝撃に、少年は床へと激突した。

 しかし、正也は止まらない。


 (ならば、徹底的に僕のペースに持ち込む! こいつの持ち味など発揮させてやる義理はない! 根こそぎにこいつのペースを破壊してくれる! 会話などさせてなるものか!)


 正也はこの場の空気を、完全に掌握することに決めた。普段の温厚さなどかなぐり捨て、異常なまでのハイテンションに自らを突き上げる。

 この少年を勢いづかせてはいけない。嘲笑と共に非道を働く前に、勝利の流れをこちらに引き入れなければならないのだ。


 番組開始から二十分が過ぎたなら、ヒーローのテーマを流して勝利のフラグを立てなければならない。そしてそうなれば、悪党の逆転はそうそうありえない。

 絵面としては、十代後半の少年が十代前半の少年をボコボコにしているので、非常に印象が悪いが、構うまい。どうせ実年齢数百歳とか、そういったオチが待っているのだ。


 正也は起き上がろうとする少年の頭をムンズと鷲掴み、渾身の力で振り回す。


 「本条スウィング!」

 「ぐぬぬぬ、おのれえ! 図に乗るな!」


 少年は全身の筋肉を捻り上げ、その勢いだけで正也の手を振りほどいた。振り回された遠心力を利用して距離をとり、憎悪に煮え滾った目で正也を睨み付ける。


 「おのれおのれおのれ、只では殺さんぞ! 徹底的に痛めつけて嬲り殺しにしてくれる! そこの小娘も、貴様の眼前で壊れる寸前までいたぶってやる! 悔恨と屈辱に塗れてじわじわと死んでいくがいい!」


 無表情でいれば美しいであろう顔に、怒りと憎しみで染まった狂相を浮かべて少年は喚く。もはや最初の冷笑的な態度は微塵も残らず、殺気を乗せた咆哮を撒き散らす。

 が、極めてハイな精神状態にある正也は、そんな少年に一睨みだけ返すと、足元に倒れる少女の傍らに膝を突いた。少女の両足に突き立てられた針を抜き捨て、胸の中に軽々と抱き抱える。


 少女の呼吸が安定している事、足以外に目立った外傷がないことを確認すると、ようやく少年に視線を向ける。


 「僕は世の中に許せない物が二つある! 女子供に狼藉を働いてヘラヘラしている屑野郎と、二の腕に縄を掛けない亀甲縛りだ!」

 「……は?」


 思わず、少年が困惑の色を見せた。怪訝そうな表情が憤怒の表情を一瞬で追いやり、場の空気が一気に冷え込む。


 「……いや失礼、今のは忘れて。君があんまりふざけた事を言うから、リトル錯乱しただけ」


 正也はぶんぶんと首を左右に振り、目を閉じてすっと息を吸い込む。加熱した心身を冷却する為、刺す様な夜の冷気を肺の中に取り入れる。

 煮え滾る血潮から熱気を受け取った空気をゆっくりと吐き出し、正也は目を開いた。


 「とにかく、女の子を手荒に扱おうというなら、それなりの資格が必要だ。本人の同意、相手の体調や精神状態を冷静に把握できる深い信頼関係、そして知識、技能、何より愛が必要不可欠なんだ」

 「待て、貴様気でも触れたか?」

 「ゴメン、まだ冷静になりきれてないみたいだ。少し待ってもらっていい?」


 自分の言動に赤面しながら、正也は頭を再度頭を振って深呼吸を開始する。


 「よーし、落ち着いてきた。いいぞ、オーケー」


 少しずつ冷静さを取り戻し、呼吸を落ち着けた正也は、ようやく少年に向き直った。

 その時だった。


 「折れることはないぜ、事務所のセンセーよぉ!」


 よく通る、威勢のいい声が響き渡った。

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