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愛とは、サービスシーンと見つけたり

 ぐいっと顎を持ち上げられたラヴィニアは、驚き、困惑しながらも正也の微笑みにどこかで感心していた。

 正也とて相当に緊張しているらしいのに、それを態度に出すまいとしている一種の健気さもだが、そのくせ瞳には絶対者の慈悲が満ちていた。

 無力な存在への憐憫、絶対の支配者が被支配者に垂れる愛がそこにはあった。心が溶け出してしまいそうなほどに、ラヴィニアを受け入れてしまう底知れない愛情だ。


 冗談ではなく、油断すれば湯に砂糖を溶かすように簡単に、自分は飲み込まれてしまうのではないかと思わせる。


 しかし、そこには同時に暗い嗜虐心が渦を巻いていた。


 獲物を狙う肉食獣のような鋭さを帯びた瞳に、酷薄な光が揺れている。

 ラヴィニアの内にある不安、怯えの匂いを嗅ぎ取り、楽しんでいるのだろう。自分の手の中に捕らえた小娘をどう苛むか、楽しみながら考えているに違いない。

 ラヴィニアの吐息、鼓動の一拍に至るまで聞き逃さず、表情や仕草の一つ一つも見逃さない。奴隷として後ろ手に自由を奪われたラヴィニアが屈辱を味わう様を楽しみつくす、闇夜の様に果ての無い嗜虐心の海がたゆたっていた。


 人としての博愛は今は姿を隠し、矛盾した二つの衝動を飲み込んだ主従愛に、ラヴィニアは一種の畏敬さえ抱いた。

 同時に自分の顎を掴む正也の手の温もりと柔らかさ、そしてあどけない一方で頼もしい笑顔に安寧を覚え、しかし、これから与えられるだろう未知の屈辱にぞくぞくと背筋を震わせた。


 「ん? 聞こえなかった?」


 手の甲で頬を一撫でし、耳に掛かっていた髪を後ろへ流す。これで聞こえるだろう、という無言の圧力。


 「もう一度訊くよ? 君は、僕に、どうして欲しいのかな?」


 (これは、ホンモノだ……)


 いっそ感服するほどの主人ぶりを見せられ、ラヴィニアは呆然とさえしたが、いつまでも主人の問いに答えないわけにはいかない。

 が、なんと答える?

 本心をそのまま口にすればいいのだろうが、あまりにも屈辱的に過ぎる内容だ。とはいえ、正也はその屈辱的な答えを望んでいるし、言わないわけにもいくまい。

 何よりも、ラヴィニアの意識のどこかが、それを口にすることを切望していた。


 何故か、と自問するが、明確な答えはでてこない。

 ただ、まるで柔らかいベッドに飛び込もうとしているような不思議な高揚感を覚えているのも事実だ。作法も何もあったものではない、常識に欠ける行為で、大げさに言えばプライドに関わる。しかし、その柔らかい抱擁の中に飛び込んでみたいという衝動は確かに存在する。理性で抑制は出来ても、無くすことは出来ない。


 そして今、自分は絶対者に「そのベッド」に飛び込め、と命じられているに等しい状況だ。


 「わ、私を……」


 緊張に声が引き攣っている事に気付き、一度言葉を生唾と一緒に飲み込む。

 そして、肺がにめいっぱい空気を吸い込み、搾り出すように吐く。


 無言の優しい笑みで、答えろと圧力を掛ける正也の顔を正面から見据え、ラヴィニアは胸を張って口を開いた。


 「私を支配して欲しい。奴隷として、あなたの側に仕えることを許してくれ」


 あまりにも誇りに欠け、自らの尊厳を踏みにじるような言葉を、ラヴィニアはごく自然に発していた。

 媚びへつらうなどと、生ぬるいものではない。もし他の誰かにこんな言葉を強いられれば、それこそ舌を噛み切ってしまいそうな恥辱だ。

 しかし、この少年に対してであれば、紛れもない本心でもある。だから、自分の想像以上にあっさりと言えていた。 


 「そう、か……」


 正也は笑った。

 ほんの短い時間、恐らくは一瞬にも満たない刹那の間、苦笑を浮かべた後、微笑みをにやりとした不敵な笑いに昇華させた。


 その笑顔に見とれていたラヴィニアの顎を、再び正也の手が掴む。


 次の瞬間、ラヴィニアは唇を奪われていた。

 一瞬の間に接近を許し、それに気付いた時には柔らかい轡を噛まされていたのだ。


 「っ! んくっ……!?」


 思わず身体が震え、手足が勝手に跳ねようとするが、後ろ手に捻じり上げられた両手は微動だにせず、両足は虚しく宙を蹴った。

 ラヴィニアの身長に合わせて正也が背を屈めたのではない。自分の唇の高さまでラヴィニアの身体を、それも両手を拘束したまま宙づりにしたのだ。


 「……ぷはっ」


 行為そのものは一瞬だった。

 ラヴィニアが事態を理解してすぐ、あっという間に唇は解放された。


 「……」


 全身が焼けた鉄の様に熱くなっていることにも、心臓が壊れそうなほどの早鐘を打っている事にも気付かず、ラヴィニアは自分がされた事を反芻していた。酔っていたと言ってもいいかもしれない。


 「……」


 自分の中を歓喜が怒涛の様に荒れ狂っているのは理解できたが、羞恥や困惑がそれ以上の勢いで大暴れをしているため、表情が完全に固まってしまっていた。

 ラヴィニアの脳が情報処理を終え、言語能力が回復するまで、たっぷり十秒近く掛かった。


 「ど……どうだったろうか、ご主人」


 たどたどしい問いに、正也はゆっくりと抱えたラヴィニアを床に下ろし、深い深呼吸をして笑った。


 「心臓が破裂しそうにドキドキしてるよ。その……すごく良かった」


 どこか困ったような、しかし確かな親愛と満足を感じさせる素朴な笑顔で正也は答えた。

 緊張が和らぐ。

 まるで子供を見るような微笑ましさと、優しい主人に抱かれている安寧が、ラヴィニアの頬を緩ませる。


 「これで、契約は成ったのかな……」 


 いまいち納得しきれていない顔でラヴィニアと自分の身体を見下ろす。

 口づけという明確に性的な接触と、服従、隷属の表明。契約の条件は満たした筈だが、これといって変化は無いようだった。


 「いや、まだ私は隷属を言葉でしか示していない。この後……」


 最後まで言い終わる前に、ラヴィニアははっとして自分の身体を見下ろす。

 自分の体内に、活力と熱が生まれつつあることに気付いたからだ。


 「ラヴィニア、大丈夫!?」

 「心配ない。契約が一歩進んだ証拠だ」


 熱は骨格から肉へ、肉から肌へと内側から伝わり、ラヴィニアの全身を冒していく。

 それが魔力の漲りであることは知識として理解しているが、感覚として味わうのは初めてだ。やがて、春の日差しを浴びたような熱と、強い魔力光が身体を包み終える。


 「よし、これで……ん? うあぁっ!?」


 突如、ラヴィニアは身体の一部に強い熱量を感じた。

 焼けつくような、とまでは言わないが、熱水を浴びたような激しい熱が、首、二の腕、手首、太腿、足首に絡みついてくる。


 「くっ!?」


 さらには下半身や腕、胴体に圧迫される様な圧力が加わる。

 これも苦痛を伴うようなものではない。しかし、ベルトできつく締められたような息苦しさは伴う。


 「ラヴィ……」


 心配そうに覗き込む正也を、首を横に振って制止する。


 「やはり、契約は上手く進んでいる。魔力が武装を編み上げているだけだ。心配は、ない」


 緊張で呼吸が激しくなっていたところに身体を締められたラヴィニアは少し苦しげに返すが、実際の所問題はない。

 昨夜は背に隠された翼を展開するしか出来なかったことに比べ、驚くほど順調な成果だ。  


 「ん……」


 身体中を包んでいた熱がすっと引いた。どうやらまた契約が一段階進んだらしい。


 「ん?」


 ラヴィニアは怪訝そうな声を上げた。

 正也がそれまでの嗜虐的な笑みも、純朴そうな笑みも引っ込め、驚愕に顔を染めていたからだ。


 何かすごい物を見てしまった、と言わんばかりに引き攣った顔をしている。


 「……え?」


 それが自分に向けられている事に気づき、ラヴィニアは身体を見下ろした。


 「な、な……」


 次の瞬間、正也以上にラヴィニアの顔は引き攣り、身体が震えだした。


 「な、何だこれはあぁっ!?」







 正也が内で燃やしていた庇護欲と嗜虐心は、強烈なインパクトに叩き出された。

 眼前にいた少女を、自分の奴隷に堕とそうとしていたのは事実だ。愛らしい顔に困惑や怯えが浮かぶたびに、暗い悦びを覚えていたのも疑いない。

 しかし、それさえも銀河の彼方へ吹き飛んでしまう程の、超新星爆発が目の前で起こっていたのだ。


 「ら、ラヴィニア……」


 裏返った声でそれだけ吐き出すが、続ける言葉がわからない。


 眼前で真っ赤になって狼狽える少女に掛けるのは、慰めか、それとも励ましが適当なのか。どっちだ。


 「う、あ、ああぁ……」


 自分の身体を抱き抱えるようにし、太腿をぴったりと閉じて身震いしている少女は、確かにラヴィニア・バニ・ルナティクスだ。


 問題はその恰好、服装だ。


 黒光りする革の衣装、幾本ものベルトがその上を這い回っている。

 形状だけで言えば過激な下着に近いが、それは俗に言うボンデージ衣装、拘束服、奴隷装束だ。


 はっきり言って、扇情的を通り越して率直に淫猥だ。


 まず足元は、動きにくいハイヒール状の踵の、膝上までを覆うブーツだ。足首と膝上には無骨なベルトが巻かれている。

 下腹部を包んでいるショーツも当然革で、ほとんどVの字状の鋭角的な形状だ。最低限の範囲は隠しているが、あの食い込みようから見て背面はTの字になっている可能性が濃厚だと正也は睨む。

 柔らかそうでありながらほっそりとした腹部にもベルトが巻かれ、そこから伸びた細いガーターベルトがブーツを吊っている。

 その上、胸周りを包むコルセットもまたジッパーやベルトがあしらわれていた。

 問題はそのコルセットを首からつっている二本のベルトだ。脇の辺りからラヴィニアのうなじ辺りで交差しているらしいそれが、本来は決して豊満とは言えないラヴィニアの胸を絞っている。

 まな板とまでは言うまいが、精々が小高い丘程度のそれが、ベルトによってちょっとした小山程度にはなっている。カップが無ければ零れ出すぐらいのボリュームは存在していた。

 二の腕から指先までは、すっぽりとグローブに包まれており、手首、二の腕ともに太いベルトに巻かれている。足首、太腿同様にバックルの他、ナスカン状の金具が付けられているので、明らかに拘束具だ。

 そして、正也の手首ほどもあるかどうかわからない細い首には、一際頑丈そうな首輪が巻かれていた。

 奴隷の身分を証明する、もっとも説得力ある装飾具兼拘束具だ。


 「そ、その……まさy、ご主人! これは、あの、違う! 違くてだな……!」


 もはや言語がまともに機能していない。

 淫靡極まる破廉恥な衣装に身を包んでいる、どちらかというと清純そうな、というか会った当初は潔癖ささえ感じさせてきた少女は、気の毒になるくらいに慌てている。


 真っ赤になった顔、涙目の瞳に、八の字に垂れ下がった眉、震える声。

 隠し立ては無礼だと思っているのかしゃがみ込んだりあからさまに手で隠したりはしないが、羞恥には勝てず中途半端な位置を腕で抱いている為に余計に胸が強調されたり、見事な内股になっており、嗜虐心を刺激する事この上ない。この上ないのだが。


 (さすがに、予想の斜め上というか何というか……)


 あうあうと慌てるラヴィニアを見ている内に冷静さを取り戻した正也は、この契約のシステムに大いに感心し、大いに呆れ、少なからぬ感謝の念を抱いて溜息を吐いた。


 「ラヴィニア」


 泣き出す一歩手前のラヴィニアに歩み寄り、少し強引に抱きしめる。


 「あ……」


 目尻に涙を溜めたラヴィニアが見上げてきたところで、正也は自分の理性を意図的に一部無効化する。

 雑念は頭から締め出し、ラヴィニアの痴態に意識を向ければ、当然正也の精神の深淵に眠る二つの激情、嗜虐心と庇護欲の反応炉に火が入る。

 正也は顔に不敵かつ楽しげな笑みが浮かべ、意地悪さと優しさに満ちた視線を小さな奴隷へと向けた。


 「わかってるよ。君の予想外のデザインだったんでしょう?」

 「う、ああ……」


 唇を噛み締め、小刻みに何度もラヴィニアは首を振る。


 「まあ、生真面目な君が恥らうのもわかる。これだけ扇情的な衣装はちょっと初めて見たかな」


 途端に、ラヴィニアの顔が歪む。縋るような視線を正也に向けようとし、直視できずに下を向く。


 「でも、これだけ僕好みの衣装も初めて見たし、それがこんなに似合う子がいるとは思わなかった」


 俯くラヴィニアの頭に顔を擦り、半分近く露出している背中を擦る。緊張に汗ばんでいるのか、掌がしっとりと湿るが、すべすべした肌触りは最高だった。

 背から頭へと手を伸ばした正也は、その小さな頭を手のひらで掴み、ラヴィニアの顔を強制的に上げさせる。


 「その服装は嫌かな?」

 「だ、だって……こんな……わた、私の貧相……身体、に……」


 子供の様に狼狽え、羞恥するラヴィニアの反応を微笑ましく思いながら、正也は柔らかい髪を撫でつけた。


 「言ったでしょ? すごく似合ってる。可愛いし、綺麗だし……何より、すごくセクシーだ」

 「な……」

 「貧相だなんてとんでもない。ちゃんと女の子らしい身体だよ」

 「ぅぅ……」


 背中から腰のラインを撫でつつ言った一言がそれなりに功を奏したのか、ラヴィニアはとりあえず正也を真っ直ぐに見た。

 正也は捨て犬の様に心細げな眼で見られ、小さく苦笑する。

 ラヴィニアの背面に回り、背中から抱き直すと、正也は傍らのベッドに腰を下ろし、膝の上にラヴィニアを座らせた。


 (あ、Tだわコレ……)


 腿に当たる尻の感触にふと不埒な事を考えるが、今は思考の隅で保留しておく。

 まだ落ち着かない様子のラヴィニアの頭に手を乗せ、ゆっくりと擦る。


 「どうする? 着替えてから続けるという手もあるけど、無理そうなら……」

 「いや、それは、困る……」


 か細いが、はっきりとした声でラヴィニアが返してきた。


 「い、言い忘れたが、武装の意匠は主の意向に強い影響を受ける。要するに、あなたがこの姿を望んだわけだ」

 「あ……なんとなく予想してたけど、やっぱり」

 「だからその、あなたと契約する以上、この格好は避けては通れない。それに……」

 「ん?」

 「その……なんだ。さっきの言葉は、世辞や慰めではなく、本心と考えていいのか?」

 「ああ、もちろん。何なら直接聞いてみる?」


 ラヴィニアの頭を両手で挟み、自分の胸に小さな耳を当てさせる。


 「……大騒ぎだな」

 「でしょ?」


 エキサイトしている心音を聞き、ラヴィニアも納得したようだ。

 事実、正也はラヴィニアの姿に完全にイカれてしまっていた。もし自分がもっと倫理に欠ける人間だったら、確実に押し倒していただろう。


 「見苦しい姿は見られたくなかったんだが……あなたが満足してくれるというなら、まあ……」

 「ありがと。ごめんね、ビックリさせたり恥ずかしがらせたり」

 「いや、それは別に、気にしないでもらえると助かる」

 「ん……そっか。じゃあ、これからどうする?」

 「よければ、契約を続けたい。後は、私が隷属の意思を示せばいいだけだが……」

 「だが?」

 「昨日の様にすればいいとは、思う。思うが……あなたはどう思う? 愉しめるか?」

 「えっと、足の甲にキス?」

 「うむ」


 正也は少し考える。

 昨日の契約は緊急時の不意打ちだったので、その行為自体には驚きと困惑以上の物は感じなかったが、改めて考えると非常に嗜虐的で背徳的なものに思える。

 まず間違いなく嗜虐心が滾る内容ではあるが、少し不足も感じた。


 「それでいいと思う。ただ、その前に少しいいかな?」

 「むっ、何だ?」


 ラヴィニアの顔に浮かぶ緊張が少し濃くなる。


 「僕にもさせてもらっていいかな。えっと、キス……唇以外にも」

 

 


 



 「……」


 ラヴィニアは半ば呆けた顔で立ち尽くしていた。

 何故ならば、これから奴隷となる自分の足元に、これから主人となってくれる本条正也が片膝を突き、跪いているからだ。


 「その、何ていうか。僕の方も意思表明しておこうと思ってさ」

 

 若干以上に照れくさそうに正也が言うが、ラヴィニアの脳はすぐに反応しない。


 「えーと、ラヴィニア?」

 「っうぇあ!? いや、うむ!」 

 「緊張してる?」

 「む……ま、まあな」

 「ニッヘヘ、僕もさ」


 正也は照れくさそうながらも目を細め、ニッと笑った。これまで見た中でもっとも屈託のない笑みに、ラヴィニアの口元もつられて緩む。


 「それじゃあ、改めて」


 二度、三度、咳払いをし、正也はラヴィニアの左手を取った。

 丁寧に優しく持ち上げた手を見やり、そしてラヴィニアと視線を合わせる。


 「……ラヴィニア、僕に仕えてくれるかな?」

 「……是非とも、お仕えさせて欲しい」


 意志表明というよりも確認行為に近かったが、ラヴィニアを支配するという意志はハッキリと伝わって来た。

 故に、ラヴィニアも即答する。正也に仕えるという意志をハッキリと示す。


 「ありがとう」


 正也は満足そうに頷くと、ラヴィニアの手を口元に引き寄せ、そっと唇で手の甲に触れた。

 手の甲も指の付け根までは革に覆われており、素肌に直接というわけではなかったが、ラヴィニアの心を燃え上がらせるには十二分だった。


 手の甲への口づけ。その行為が示すのは敬愛。

 本来、主人が奴隷にする行為ではない。だが、正也らしいとも感じる。穏やかで暖かなこの少年は、常に自分にも敬意と愛情を払ってくれている。


 「礼を言うのはこちらの方だ。ありがとう、ご主人」


 ならば、自分はそれ以上の敬愛と服従を示すまでだ。


 ラヴィニアは立ち上がった正也を押し倒すようにベッドに座らせる。

 

 「おおう、強引だね」


 正也は笑いながらラヴィニアの髪を撫でつける。


 「むぅ、からかわないでくれ。不調の主に片足立ちをさせるわけにもいかないだろう」

 「まあ、体調云々の前にシュールな光景になりそうだしね」


 そのまま抱きつきたい衝動を堪えながら、ラヴィニアは一歩下がって跪く。

 

 「えっと、足とか組んだ方がいい?」

 「うむ、足の長いあなただ。その方が絵になるし、何より身体も楽だろう?」

 「じゃ、失礼して」


 正也はひょいと、何でもなさげに足を組むが、僅かに難儀そうな表情をした。

 

 「辛そうだな……」

 「全然。むしろこうやってふんぞり返るのって結構気分いいなあって邪悪な喜びを見出してるよ」

 「なら、足を逆に組み替えられるか?」

 「えっと……」

 

 明後日の方へ視線を逸らして正也は言い淀む。

 姿勢だけ見れば確かに大きく仰け反り、ふんぞり返っている様に見えるが、実際には楽な体勢で両腕をベッドに突き、ようやく上体を維持しているのがわかった。恐らくは急に足を組んだことでまた脱力に襲われたのだろう。倒れ込んでいないので症状自体は軽度のようだが、それでも安楽な状態でないのは間違いない。


 「楽な姿勢ではあるんだよ?」

 「ああ、わかっている」


 気遣いの言葉が却って痛い。そして同時に、その優しさと健気さが愛おしい。

 そんな主を散々な目に合わせている罪悪感に唇を噛み締めるが、それを察してか正也は身体を支えていた両腕を組んで今度こそ本当にふんぞり返った。


 「オッケー! もう大丈夫だからドンと来いだ!」

 「……まったく、なら遠慮はしないぞ?」


 わざとらしい態度だが、実際に姿勢を保てているのなら大丈夫なのだろう。

 ラヴィニアは小さく苦笑して、正也の片足を両手で持ち上げた。


 「たくましいな」

 「そう?」

 

 事実、正也の足はズッシリと重く、しかし引き締まっていた。殊更に恵まれた体格ではないが、ラヴィニアとは比べるまでもない力強さを感じさせる。


 「そうだとも」


 目を閉じて持ち上げた足の膝下付近に頬を摺り寄せる。やがて脛に、足首に、革靴へと頬をゆっくりと滑らせていく。

 

 「昨日は随分と酷使させてしまったな」

 「でもないさ。君と歩くのは楽しかったよ」

 「何度も駆けつけてくれた」

 「十分すぎるぐらいには甲斐があったね」

 「感謝している」

 「どういたしまして」


 ラヴィニアはしばらく頬擦りを続けていたが、やがて目を開き、正也の顔を見上げた。

 照れくさそうな笑顔に微笑み返し、爪先に顔を近づける。

 

 「よろしくお願いする」

 「こちらこそ」


 固く冷たい革靴の甲にそっと口づける。

 敬愛を示してくれた主に隷属を示して礼を尽くす。それはラヴィニアにとって、正也の不調を癒す為だけでなく、自分の存在を確固たるものにする意味もあった。

 単なる道具、愛されることない模造品。おまけに逃亡者としてただ当てもなく彷徨う何かでしかなかった今まで。これからは違う。

 見ず知らずの弱者に手を差し伸べ、身体を張ってでも守ることを生業としている立派な少年を支えられる。それを誇れるという確信があった。心優しい主に愛情を持って接してもらえる喜びを知ってしまった事もある。


 ただの逃亡者、放浪者ではない、本条正也に仕える自分に意味と希望を見出していたラヴィニアにとって、その口づけは差し伸べられた手を掴むのに似た行動でもあった。


 名残惜しささえ感じながら、ラヴィニアはそっと唇を離す。いつまでもこうしていたい思いもあったが、正也の回復こそが最優先だ。


 「どう、だろうか?」

 「ん、何か改めてしてもらうとスゴイ背徳感」

 「あ、いや、そうでなく……」


 ラヴィニアが質問し直そうとした時、正也の表情に変化が生じた。ピクリと眉が跳ね、探るような目付きで我が身を見下ろしている。

 

 「どうした?」

 「いや、何だか、熱を感じて……」


 正也が答え終わる前に、変化が生じた。


 光。

 

 正也の周りに、蛍の様な光が舞っていた。


 たくさんの青白い光が正也の周りを漂い、その身体を照らしている。

 惑星が恒星を取り巻く様に、円周状に周回する無数の光点に、正也も呆けたような顔で見とれている。


 「これは、ひょっとして……」

 「ああ、契約の最終段階だ」


 やがて、変化が起きた。


 光が少しずつ円周軌道の範囲を狭め、正也の身体に飛び込むように溶けていく。光は正也の体内から暖かな熱と共に室内を照らし、ラヴィニアはその光量に目を細めた。


 そして突然、光が消えた。


 きょろきょろと自分の身体を見下ろす正也を見つめるラヴィニアの目に、また新しい光が飛び込んでくる。


 「う、あ?」


 正也の胸、その中心部を起点に、細い光の直線が無数にその身体を駆け抜けていく。所々で鋭角に進行方向を変えながらもスムーズ、かつ目にも止まらない勢いで走り回っている。

 それが魔力の迸りと理解したラヴィニアは、契約の完了を確信した。


 数秒後、小さな紫電を置き土産に光は消失し、部屋は静寂を取り戻した。


 「ど、どうだ?」


 呆けたようにしている正也に、痺れを切らしたラヴィニアは問いかける。


 「い、いや。一瞬だけ、ものすごく感覚が鋭敏になった気がして、ちょっと面食らってね……」


 正也は自分の両手をまじまじと眺め、その機能を確かめるように動かしている。

 やがてその確認は、腕、上半身、全身に及んでいく。関節の動き、筋肉のしなやかさ、視覚聴覚、触覚の感度まで試す正也をラヴィニアはじっと見つめる。

 契約自体は完了したはずだ。後は、失敗か、成功かだ。


 立ち上がり、小さく跳躍し、手足を大きく振るって感覚を確かめていた正也は、やがて振り向いて頷いた。


 「オッケー、みたいだ。ちゃんと動くよ」


 ほう、と溜息と同時にラヴィニアの身体から緊張感が抜ける。


 「そ、そうか……よかった」


 何しろ、一度は自分の不手際、不注意でまともに動けない身体にしてしまったのだ。突然の変化に戸惑っていたのは、正也以上にラヴィニアだった。

 だが、正也の様子を見る限り、今度こそ契約は完全に成ったらしい。

 深い深い溜息を吐き、ラヴィニアはその場にへたり込んだ。


 「ラヴィニア、大丈夫?」


 正也が目の前に片膝を突き、顔を覗き込んでくる。

 困惑と心配を隠さず、それでいて頼りなさを感じさせない不思議な表情に、ラヴィニアは自然と口元を緩ませる。


 「ああ、心配しないでくれ。少し気が抜けただけだ」


 そんなラヴィニアの背を抱き、髪を撫でつけて正也は言った。


 「君こそ、だいぶ心配してくれたみたいだね。ありがとう、もう大丈夫だよ。君のおかげだ」

 「むぅ、また子供の様に……」

 「うん? 心配してくれるいい子を撫でるのは、主人として当然の権利であり義務だと思うけどね」

 「うぅむ……」


 子供扱いではなく、奴隷への愛情と思えば、そう悪い気はしない。

 ラヴィニアはしばらくされるがまま正也に身を任せる。

 数分間もそうしていたろうか。


 「繰り返しになるけどさ」

 「うん?」

 「ほんっとに似合ってるよ、その格好」

 「~~~っ!?」


 全く突然、意識の外に出ていた事実を再度突きつけて来た。


 「ななな、いいいきなり何を!?」

 「いやあ、もう少し褒めておきたいなって。実際完璧に着こなしてるし。ね、今のお気持ち聞いてもいい?」

 「な、何度も言う必要はないだろう!?」


 正也は慌てふためくラヴィニアから二、三歩距離をとり、じっとラヴィニアの姿を見据えてくる。奴隷装束に閉じ込められた屈辱的な姿をだ。


 「あう、ああ……」

 「ごめんごめん、からかいすぎた」


 恥辱に身悶えするラヴィニアの身体を抱き上げ、また自分の胸に捕らえた正也は微笑みながら頬を撫でてくる。


 「い、意地が悪いぞ……」

 「悪かったって、君が自信なさげな事を言ってたら、ついね。でも実際似合ってるし、綺麗だよ?」

 「う~……」


 唸りながらも、ラヴィニアはその屈辱に甘いものを感じ始めていた。

 親愛の情に溢れた優しい嗜虐が、ラヴィニアの無垢な心身を染め上げ、制圧していく。本来なら屈辱でしかないはずなのに、安らぎと高揚を覚えつつある自分を自覚し、にわかに呼吸が荒くなる。


 (この短時間で、完全に朱に染まりつつあるな。正也の主人としての手腕を恐れるべきか、それとも、私が流されやすいのか……)


 複雑な心中で眉を顰めるラヴィニアの耳を、正也が息を飲む音が打った。


 「どうした?」

 「……まずい」


 正也の視線が向く先、足元を見やり、ラヴィニアは目を見開いた。


 自分たちの足を中心に波紋が広がり、床が波打っている。


 「これは、奴か!」


 昨日の河川敷を思い返し、正也が忌々しげに叫ぶ。


 どうやら王はまだ諦めていないらしい。

 正也が素早くコートを手に取ったの同時に、二人は波紋に飲み込まれた。

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