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愛ってこんなもんだっけ?

  十月二十一日 十五時 古見掛市西園川区 園川河川敷 


 「おのれ、小賢しい……」


 超低温の牢獄の中、王は実体のない歯を軋ませた。

 昨夜から試みている作品の再生を、彼は尽く阻まれていた。


 〈コンキスタ=クノスペ〉を一度エネルギーまで分解し、最構成を試みているのだが、そのことごとくが外で待ち構える有象無象に阻止されている。実体化の直前のエネルギー膨張状態までは持ち込めるのだが、その都度、外部からの冷却攻撃で熱量を奪われ、不発に終わっている。

 

 「ちっ、忌々しい虫けらめ……」

 

 眼下で忙しなく作業を続ける自衛隊、警察、市職員、さらには民間人。 大勢が駆け回り、次の冷却に備えている様だ。


 このままでは埒が明かない。


 王は決断した。

 最高傑作を失うのは惜しいが、このまま虫けらにいいようにされるのは我慢ならない。

 一刻も早く、自分を冒涜する愚者どもを殲滅しなければ、怒りで気がふれてしまう。


 「待っていろ。まずは、小娘と小僧……貴様らからだ」


 河川敷で自衛隊の観測機器が急激なエネルギーの収縮を捉えたのは、それから僅か数秒後のことだった。




  十月二十一日 十五時二分 古見掛市南区 ビジネスホテル


 正也の懊悩は、怖ろしく重く大きなものとなっていた。

 原因は無論、自分とラヴィニアの事だ。 


 先程のドクトルの言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 (いやあ、まさかいきなり愛の告白……いえ、これはもうプロポーズですね。ステレオで聞くことがあるとは思いませんでした)


 「本当にそうか?」


 彼女いない歴=年齢。

 つまり、正也は色恋に関して無知だ。


 これまで大勢の人を救ってきた中で、そういう出会いが無かったのか、と聞かれれば正直に答えるしかない。


 まったく、これっぽっちも無かったのだ。

 より正確には、そういう関係が成立した出会いが無かった。


 本条正也が直接救った人々、その中から女性、さらには正也に好意を抱いてくれる相手を引くと、その人数は恐ろしく少なくなる。

 当然と言えば当然だ。正也が直接出向いて救うというのは、相当に差し迫った危機に晒されている場合に限られる。

 危機的状況を救ったとなれば好意を抱かれてもおかしくはないが、だからといってすぐに好意に結び付くわけではない。むしろ、そんな状況で特別な感情を自分に抱いてくれる余裕のある女性はそうそういない。昨日のラヴィニア同様に悪意の存在と誤解され、石を投げつけられた事の方がはるかに多いぐらいだ。


 これまでの人数を累計すればゼロではない。多少なりとも好意を持ってくれた女性もいることはいる。

 しかし、そもそも正也の方がそれをやんわりと拒絶していた。

 別に特別な思惑や事情があったわけではない。ただ、仕事上の関係と考えていただけだ。

 

 正也から見て、彼女らは自分に好意を抱いてくれてはいたが、それは熱病の様な物に過ぎなかったと考えている。


 危機を救ってくれた相手に好意を抱く。

 感情としては理解できるが、それはあくまで一過性の物だ。もしラヴィニアの様に、ワケありとは言え、正也に身体を預けられるかという話になれば、当然彼女らは難色を示したろうし、それが本来正しい反応だ。

 スタートダッシュは速いが、最高速は遅く、持続力にも乏しい好意。

 もちろん、正也の周りにはそういう出会いの後、幸せに添い遂げた者も多いが、同時に破局した者も複数いる。実際、正也が助けた人の多くがそう間を置かずに新たな恋を見つけることは少なくない。


 正也が面倒を見た人、ということならまだ可能性はある。

 この街にやって来たばかりで、右も左も分からない人にを支えることが正也の仕事である以上、頼りにされることは多い。

 しかし、その時点でその人たちには頼もしい警護が付いているし、精神的にも安定していることが多い。関係が深くなっても、精々がお茶飲み仲間ぐらいのものだ。年賀状や時候の挨拶のやり取りくらいなら大勢と交わしているが、それも十年二十年と続いている人は少ない。

 その年賀状に、結婚したとか子供が出来たとか書かれていると、正也はそれを心から喜んだ。


 つまり、助けたいという思いと異性としての好意は、当たり前だが完全に切り離されているのだ。

 本来なら。


 では、何故自分は今頃になって、ラヴィニアとだけは側にいたいと考えたのか。


 それを全く意識していなかったことが、正也の悩ませている。


 「正也……」


 だから、声を掛けられるまで、ラヴィニアが側に歩み寄って来ていたことにも気付かなかった。


 「うああああっ! ら、ラヴィニア! おかえり!」


 ソファーから跳び上がりそうになりつつ、正也はどうにか言葉だけは繰り出した。

 内心は完全な不意打ちにパニックと化していたが、どうにか神経の誤作動は避けられたらしい。


 「その、難しい顔をしているな……」


 コート以外の先程買ったばかりの服を着込んだラヴィニアは、あまり浮かない顔をしていた。

 まだ乾ききっていない髪や、上気した肌などと相まって、それが妙に色っぽいのだが、正也にそれを気にする余裕はなかった。


 「い、いや。ちょっと考え事をしてて……」

 

 慌てながらも返事を返すが、少しばかり正直に過ぎた。

 ラヴィニアはより沈んだ面持ちで一度俯き、そして問うた。


 「やはり、私の主というのは気が進まないか……?」

 「そんなこと……」


 そんなことはない、と言おうとして口ごもる。

 見透かされたというわけでもないが、大外れでもない指摘。ある意味一番厄介だ。


 「そうは見えないが。無理をしていたんじゃないか……?」


 最後に見た時、ラヴィニアは不安げな色を見せつつも、どこか舞い上がっているように見えた。 

 それが今や、失意の中に叩き込まれたような物悲しげな顔をしている。


 違う。自分はこんな顔をラヴィニアにさせるためにここにいるわけではない。


 「違うよ。気持ちの整理を仕切れないのは事実だけど、君の主人でありたいのは間違いない」

 「どういう事だ?」


 訝しむラヴィニアの顔をじっと見つめ、正也は観念するように口を開いた。


 「わからないんだ。どうしてこんなに君の側にいたいのか、君と一緒にいたいのか。今までこんなことはなかったんだけどね」

 「……すまん、どういう意味かわからない」

 「えっと、だからね?」

 

 どう説明すればいいのか、皆目見当がつかないが、かといって適当なごまかしはしたくない。

 そうなると、正也のいつもの手法、事実を包み隠さず伝えるしかないのだが、その事実がどうなっているのかよくわからない。


 「僕は、本来排他的な人間なんだ。自宅で友達と騒いだりくらいはするけど、誰かと生活を共にするというのは、あまり好きじゃない。そんな僕が、昨日今日出会ったばかりの君を迎え入れる気になった。一緒に暮らしてもいい、ではなく、一緒に生きていきたいとまで思えるなんてどうした心境の変化なのか、自分で分からないんだよ」

 「……」

 「気まぐれで君を迎えようとはしていないつもりだよ。でも、自分がどうしてそこまで君を求めるのかが、はっきりとわからない。今まで彼女の一人もいなかったのにさ」

 「……つまり、自分の気持ちに確信がないまま関係を持つことに抵抗がある、と?」

 「そう、なるね……」


 ラヴィニアはしばらくポカンとしていたが、やがて呆れたような苦笑を浮かべた。


 「全てとは言わないが、その理由の一端なら私が知っているが?」

 「え?」


 予想外の言葉だった。


 「まったく、脅かしてくれる。てっきり疎まれているかと泣きそうになったぞ」

 「え、え?」


 困惑する正也をよそに、ラヴィニアは小さく胸を撫で下ろす。


 「思っていた以上に生真面目な性格だな。自分の意思は分かっても気持ちが分らないから、これで正しいかどうか悩んでいたのか?」

 「う、うん……」

 「その、男女関係の経験がなく、自分の思いに自信が無いと」

 「そ、そうだね。否定しようがない……」


 さりげなく意地の悪い質問にたじたじになる。

 反論は当然、弁解一つ出来ずに小さくなる正也を見て、ラヴィニアはくくっ、と喉を鳴らして笑った。


 「別に、厳密な男女の感情を抱いてくれる必要はないのだぞ? そもそもおまえが私に抱いてくれた感情は、狭義の男女愛ではないと思っていたが?」

 「……何だって?」


 ぎょっとしてから、正也は何故自分がそう感じたのか分らず、首を捻った。

 自分は何に驚いたのだろう。

 ラヴィニアが自分の内心を掴んでいるような物言いをしたからか? それとも、その内容、自分の感情が愛ではないということにか?


 「気に障ったのなら謝罪する。だが、そう的外れなことは言っていないつもりだ。おまえは単純に男女愛だけを持っているわけではないはずだ」

 「どういう意味かな?」

 「あの悪魔医師からおまえの……性癖を聞いた時、私が別段動揺していなかったのは覚えているか?」

 「まあ、比較的落ち着いてるとは思ったけど……」


 しばらくは若干そわそわしていたように思える、という感想は腹の底に仕舞っておく。


 「まあ、それまでの時点で何となく察してはいたんだ。おまえの情愛というのは、一元的なものではないだろうとな。仕草や表情、何よりも言動……」

 「あ、あああ……」


 思わず正也は冷や汗を流す。

 その場の空気に流されてすっかり忘れ去ってしまっていたが、正也はラヴィニアの前で幾度か失言をしている。

 よく考えればその結論に達しない方が不自然ではあった。いや、解く考えずとも普通は乙女の前で磔の美学は語らない。それも本人が実演させられている前で。

 

 「別に非難しているわけではないぞ? おまえが模範的な男女愛にこだわり、自分を見失っているなら、気に病む必要はないと伝えたいだけだ。というか、私はさっきの時点で、そういうつもりだったんだが」

 「そういうって、どういう……」

 「……やはりおまえは一元的ではないな。庇護欲に溢れる一方で、わざわざ口に出させようと言うその嗜虐趣味。思っていた通りだ」

 「い、いや! 別にそういう意図はないんだけど!?」

 

 ラヴィニアは呆れと感心の入り混じった微妙な顔をしていたが、やがて膝を突き、正也の顔を両手で挟んだ。

 思っていた以上に柔らかい感覚に、正也は少したじろぐ。


 「庇護欲や嗜虐心から派生した愛情は、私に与えてはもらえないのか?」


 責めるような口調だったが、声は懇願するかのようなか弱いものだった。


 「おまえが恋愛感情を大事に思っているのはわかる。私自身、おまえにそういった感情を抱いているのは事実だ。だが、私のそういう感情と、今のおまえの愛情は矛盾するものではないだろう? 恋慕混じりの服従を正当化する気はないが、恋慕の形は対等な関係でなくともありえるはずだ。おまえとて、恋愛感情を抱こうと思って私に愛情を持てくれたわけではないと思うが……」

 「君は、それで……」


 それでいいのか、と尋ねかけ、正也は慌てて踏みとどまる。

 訊かれているのは自分だ。ラヴィニアはとうに意思表示を済ませている。なら、後は正也がそれに答えるだけだ。


 「やれやれ、主人が諭されてちゃ世話無いね」

 「正也……」


 正也は深く息を吸い込み、頬に添えられたラヴィニアの両手を取る。否、捕らえると表現すべきか。

 そのまま立ち上がり、ラヴィニアをぐいと背中から胸の中に引き摺り寄せる。

 ラヴィニアの顔に、さっと緊張と畏れが走った。


 「僕は相当にスキモノだけど、逃げたいなら今の内だよ?」

 

 強がった逃げ口上に聞こえなくもないセリフだが、その声には決意と嗜虐の色が見える。


 「こんな時に冗談は困る。それとも、私を跪かせる自信がないのか?」


 僅かに不安そうに、しかし静かに歓喜を滲ませた声でラヴィニアは肩越しに正也の顔を振り向き、挑発した。


 互いの瞳をじっと睨み合い、やがて二人は小さく笑いを漏らす。


 「驚いたね。相性ばっちりじゃないか」

 「おまえも存外にノリがいいな。これでは本当に何をされるかわからない」


 笑いながら互いの頬を擦り合わせる。

 もはや躊躇も迷いも正也の中からは払拭されていた。後はどういう流れで契約を交わすか、ということになるのだが。


 「で、僕は何をすればいいのかな?」

 「さて、 私はサキュバスだからな。隷属の意思表示に、ある程度以上の性的な接触、いずれもおまえが愉しめる内容でないといけないようだが、どういった趣向が望みだ?」

 「じゃあ後者から。一番の好物は最後に食べる主義だし」

 「それなら普通は前者からだと思うが。おまえ……いや、あなたも業が深いな」

 

 呼び方を改めたラヴィニアに「違いない」と返しながら正也は溜息を吐いた。

 実際の所、心臓は狂ったように暴れ狂っていたし、目眩を起こしそうな緊張感があったが、正也は堂々と振舞おうと努めた。

 胸の中にいるラヴィニアも肩を小刻みに震わせ、荒い息を必死に整えようとしているのが窺える。ここで正也が取り乱しては、ラヴィニアに余計な不安と緊張を与えるだけだ。


 (落ち着け、本条正也。格好つける必要はないけど、変に取り乱すのはよくない)


 正也は一瞬瞑目し、次の瞬間にラヴィニアの両手を背中へと捻じり上げた。


 「っ……!?」


 手つきそのものは丁寧で、決して乱暴なものではなかったが、その意味を察してラヴィニアが微かに身を固くする。

 虜囚を縛るように後ろ手に組ませた腕を掴んだまま、正也はラヴィニアの腰を抱き寄せ、自分の方を向かせる。


 「今なら君は逃げられるけど、どうする?」

 「私も意外に信用が無いな。どうして私が逃げたがっているなどと……」


 言いかけて、ラヴィニアは息を飲んだ。次に驚きの表情を浮かべ、何度か目を瞬かせる。

 正也の、口の端を吊り上げた笑いに気付いたらしい。

 自分の笑みが嗜虐心を全く隠していないことを自覚しながら、正也はラヴィニアの細い顎を右手で掴んだ。


 「ごめんごめん、質問が悪かったね。もう少しストレートに訊こうか……君は僕に、どうして欲しい?」


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