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迷い込む過程、関わる過程(一例)


 鬱蒼と木々が生い茂り、日の光もまともに差し込まない深い森の中、少女は獣のように道なき道をひた走っていた。


 木々の間を疾風の様に駆け抜ける少女に驚き、鳥が悲鳴とも怒声ともつかない叫びを上げ、群れをなして飛び去っていく。

 そんな突然響き渡る絶叫にひるむこともなく、少女はより一層、森の奥深くへと駆けていく。大の大人でも不気味さに二の足を踏みそうな森の闇の中に、獣のように躊躇なく駆ける。


 実際、その森に好んで入るものは、地元の者にもいなかった。

 踏み込んで十メートルもいかない内に光は及ばなくなり、足元もおぼつかなくなる。入り口の近くを通り掛かる度、巨大な怪物の口の様にも見えるその闇に、人々は身震いして足早にその場を立ち去る。

 

 そして、さらに地元の人々を恐れさせたのは、その森に入れば無事には帰れないという事実の存在だ。

 伝承でも何でもない。何らかの都合でその森に入らねばならなかった者、度胸試しにと軽率に踏み込んだよそ者。そんな者たちが無事に帰る確率が極端に低かった。十人の内四、五人戻ってくれば幸いという事態だ。


 あまりに不気味で恐ろしい森は、人々の様々な噂を呼んだ。

 曰く、危険な獣が群れを成して棲みついているのだ、あまりの暗さに道も見失って朽ち果てるのだ、などなど。中には、悪魔の手で異界に連れ去られてしまうのだ、などといった荒唐無稽なものもある。


 そんな人外魔境に、少女は迷うことなく飛び込んだ。

 少女がその森の逸話を知らなかったこともあるが、知っていた所で結局は飛び込んでいただろう。

 暗闇だろうと猛獣だろうと、悪魔であろうと、少なくとも〈奴ら〉よりはマシな筈だ。少女はそう確信している。


 がさり、と背後で音がした。


 少女は瞬時に身を翻し、不規則なジグザグ状に走り出す。歩幅を変え、速度を上げ下げし、時には頭上の枝に跳び上がる奇妙な動きは、常人の運動能力では決して不可能な非常識なものだった。

 

にもかかわらず、背後から投げつけられるナイフは、正確に少女に追いすがって来ていた。


 耳元を掠め、足元に突き立ち、時には少女の進行方向に先回りする形で飛来する刃の雨。


 「チッ」


 少女は苛立ちの表情を浮かべて更に森の奥を目指す。

 その闇から出ることなど考えてはいない。ただひたすらに、自分の存在を飲み込み隠してくれる闇を追い求め、少女は全力で地面を蹴った。

 






 十月十九日 十九時十七分 古見掛市 ウクベアルマンションエントランス


 「はあーっ! 生き返った!」


 シャワーを浴び、仮眠をとった正也は、実に晴れやかな顔で自室から出てきた。


 ワイシャツの上にジャケットを着込み、下はジーンズとスニーカーという比較的ラフな格好だ。それでもどういうわけかネクタイは締めていたが、少なくともそこにいるのは、プライベートを満喫する一人の少年だった。


 「さーてーとー。明日、明後日は休業だし、溜め込んでる仕事もなし。いやぁ、休日って本当いいもんですね~」


 映画の解説でもするかのようにしみじみ呟き、正也は意気揚々と通りへ繰り出す。

 夕食の材料を切らしていた正也は、そのまま数日分の食料を買い込むつもりでいた。車は修理に出してしまっており、まだ代車は受け取っていない。必然的に徒歩での買い出しになってしまうが、散歩好きの正也は別段苦に思っていなかった。


 (とはいえ、これから買い物してそれから帰って料理は時間的に辛いな。夕飯だけどこかで食べてから行くかな)


 すっかり日も暮れ、冷え込んできた夜道をふらふらと歩きながら行先を思案する。


 (冷えるからなあ。何かしら暖かいものがいいかなあ)


 頭の中で行きつけの店に狙いを定め、鼻歌を供にしてスキップせんばかりに意気揚々と歩く。

 家路を急ぐ人々がまだまだ大勢行きかう街並みに正也は悠々と消えて行った。







 十月十九日 二十時四十分 古見掛市 東静川区 中央通り脇路地


 「むっはぁ、食べた食べた」


 大通りに面した住宅地の路地を歩く正也は、一目で分かるほどに上機嫌だった。

 いかにも満腹ですとアピールするかのように両手で腹をさすり、緩み切った満足げな意味を浮かべて足取り軽く歩いていく。


 「あんなに美味いすき焼きを出してくれる喫茶店を『田園風景』以外に僕は知らない。そもそもすき焼きを出す喫茶店が他にあるかも知らないけども」


 舌の上に甘じょっぱい感覚を思い出しながら一人で楽しげに喋る。そこはかとなく危ない光景ではあったが、幸いなことに周りに人影はなかった。


 今、正也は安らぎの極地に居た。


 翌日は休業日で、新しく仕事が舞い込む可能性は低い。事務所が空なので電話は留守電のままだ。よほどの事が無い限り正也の携帯電話に仕事の話が押し掛けてくることはない。生真面目かつ神経質な正也は、舞い込んだ仕事は可能な限り早めに処理する癖が付いている。


 普段からさほど忙しくはない正也だが、いささか怠惰で暇な時間を欲している彼に、休み前の夜ほど気分が躍る時間はそうそうない。


 「闇の彼方の銀河から~、やあって来たのさ俺達は~」


 昭和の匂いが漂うアニメソングを口ずさみ、実に楽しげに歩く。声量をかなり落としている辺り、一応世間の目は気になるらしい。


 「苦しい~時には~、星を見上げて……」


 歌詞に合わせて夜空を見上げ、そこで正也は硬直した。

 「……見間違いかな?」


 家々の灯りや街灯に明るく照らされた空を、何かが横切った。そんな気がした。

 住宅街とはいえ、大通りに面しているだけあって商店や事務所の入ったビルも多い。そんな比較的背の高いビルの切れ間から覗く狭い空。そこを鳥が掠めただけ、ということもあり得る。


 「……」


 それでも何かが引っ掛かり、正也はじっと目を凝らした。目の錯覚として記憶の底に沈めてしまうちょっとした出来事が、実は奇怪な事件の兆候だった。そんな事象が掃いて捨てるほどあるのがこの街だ。


 「ムッ?」


 正也の顔に真剣な表情が浮かんだ。

 見間違い、錯覚ではない。鳥にしては大き過ぎるシルエットが、商業ビルの屋上からマンションの屋上に飛び移ったことを、正也の目は見逃さなかった。


 実のところ、この街においては、ビルの上を跳躍して移動する住民は少なくない。人間の身体能力など完全に逸脱した住民はかなり多いので、ひょいっと危なげなく跳べる者は多い。

 とはいえ、安全面から決して推奨できるものではなく、そうそう多用されるものでもなかった。

 それを敢えて行うのは、ある程度の急用を抱えている者か、些か規律にルーズな者、若しくは規律やモラルを守る気の全くない悪意の部外者という場合もある。というより、一番多いのが第三のパターンだ。


 「念の為、確認はしといた方がいいな」


 正也は素早く周囲を見渡して辺りに人影が少ないことを確認し、万一の事故の可能性をある程度想定しながら地面を蹴った。

 強風と共に、冬の星空がグンッと正也に迫った。


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