お得な服従
「聞こえるかソーカル隊! 何があった、応答しろ!」
空で戦う仲間たちを見失ったモニターから離れ、指揮官は通信機に噛り付いて叫んだ。
ほんとうに一瞬の出来事だった。
ソーカル1を始め、全員が上空へと上昇する最中、真っ白な光がモニターを埋め尽くし、そして爆音。
集音装置や前線からの通信を介さずに、直接指揮所まで轟く音が響いたのだ。
通信士も血相を変えてマイクに呼びかけ続けていると、祈りが通じたのかソーカル隊からの入電を示す表示が通信機に灯った。
『こちらソーカル1。すまねえ、ドジを踏んじまった』
「無事だったか!? いったい何が起きた!?」
『高威力、広範囲の散弾をばらまかれた。地上まで効果範囲内だったようだ。直撃はどうにか回避したが、余波で飛行具をやられた。ソーカル4、6は飛行そのものが困難、残りも戦闘機動はとても無理だ。俺も含めてな』
「要救助者は確認できるか!?」
『煙が酷くて地上は何も見えない。クソッタレ、もう一歩のところを……!』
指揮官は喉を引き攣らせた。
もし二人の姿が確認できれば、離脱の際に拾っていく事も不可能ではないだろう。
しかし、そうでないならソーカル隊による回収は絶望的だ。満足に飛ぶこともできないまま、敵のど真ん中で捜索活動など行えよう筈がない。今こうしている間にも、煙の中から狙われているかもしれないのだ。
「指揮所よりソーカル隊。直ちに反転、その場を離脱しろ」
『ちっ、俺も焼きが回ったもんだな……! 了解だ。だが武装は健在だ。本隊と合流して、地上戦に参加する』
「わかった。どちらにしろ本体から捜索、救助隊を出さにゃならんだろうしな。その穴を埋めてやってくれ」
下手に不調のままふらふら飛んで撤退するより、本隊と合流した方が安全でもあるだろう。
『すまんが、捜索と救助は任せる。本条が付いてる以上、さっきのに巻き込まれてたとしても要救助者は無事だろう。頼んだぞ』
無念そうに告げ、ソーカル1は通信を終えた。
「指揮所より本隊へ。状況を知らせ」
『こちら本隊。協力者の電磁防壁で負傷者は出ませんでしたが、敵の広範囲攻撃により車両二台が中破。いくつかの武装が失われました』
通信自体はすぐに繋がったが、その内容に指揮官は顔をしかめる。
「ええい、ただでさえ打撃力不足だってのに」
『早いとこ要救助者を連れ戻せれば、遠慮なく大威力装備を使えます。救助が済めばそれほど問題にはなりません。問題はその救助ですが……』
「どうした?」
妙に重々しく言いよどむ部下に、指揮官は聞きたくないと思いつつ問い掛ける。
『バリケード役の触手が範囲狭めて怪獣を十重二十重に取り囲みつつあります。ソーカル隊が合流してもなお、捜索の為の突破口を開けそうにありません』
「正也、しっかりしろ」
「全然平気、歩くのだってわけはないよ。だから放してもらっても大丈……」
荒い息をしながら微笑む正也だが、言い終わる前に膝から力が抜け、大きく体勢を崩す。
「何が大丈夫なものか。まともに歩けないくせに無理をするな」
正也の身体を支えながら、ラヴィニアは沈痛な面持ちで正也の言葉を斬り捨てる。
実際、酷い有様だった。
正也の背中には、怪獣の攻撃を受けて焼け焦げた肌が露出していた。
さらにはラヴィニアを庇う形で背中から岩の上に落ちたダメージも相当の物があるはずだ。
まともに防御体勢を取る事もなく傷口から岩に叩きつけられた正也の声は、その胸の中にいたラヴィニアの耳にまだこびりついている。
へらへらと笑ってはいるが、正也の顔色は青ざめ、大粒の汗に濡れていた。
「いや、参ったな。助けに来ておいて肩を借りてちゃ世話無いね」
「喋るな。傷に障る」
気丈に振舞う正也を黙らせ、ラヴィニアは歯を食いしばった。
正也が無理に笑えば笑う程、ラヴィニアの顔色は曇っていく。
「馬鹿め……」
「え?」
「何でもない」
そうだ。正也の行為は馬鹿げている。
正義感か使命感か知らないが、いくら何でも度が過ぎる。
関わる必要もない自分に付き纏い、荒事にも構わず首を突っ込み、その結果がこれだ。
立て続けに正也の苦しむ姿を見せ付けられたラヴィニアは、良心の呵責に苦しんでいた。
考えてみれば、この少年は今日の短い時間で、どれだけ自分の代わりに傷を負っただろうか。
「おまえが傷つくことはないんだ」
ほとんど口の動きだけで呟き、ラヴィニアは正也の肩を担いで歩き出す。
が、正也が不意に立ち止まった。
「どうした……ん?」
ラヴィニアは砂煙の向こう、白く輝くその影を見た。
「奴、か……?」
「みたい、だね……」
光に包まれてなお、その人相は見覚えがある。
つい先程まで散々にラヴィニアをいたぶった、王その人だ。
「貴様らか。まったく、どこまでも私の意にそぐわない奴らだ」
首を左右に振りながら言う王の態度は、妙に落ち着き払っていた。先ほどまでの狂乱した様子は、どこにも残っていない。
「一体どうした? さっきと随分様子が違うが」
苦しげな正也が口を開く前に、ラヴィニアが王に問う。
「ふん、怒りも度を過ぎればむしろ冷静になる。この世界の住人は、とにかく私の神経を逆なでするのが上手い。もはや貴様など使って蹂躙したとて気が済まん。私自身の手で殲滅せねば収まりがつかんからな。命令も聞けない欠陥品共々、私の魔力でこの世界を焼いてやる」
「貴様、まさか……!?」
ラヴィニアは、王の身体が少しずつ、本当に少しずつ崩れて行っている事に気付いた。光の粒子が王から零れるたびに、その存在が薄くなっていく。
そして風に散った粒子の一つ一つが、上空に吸い込まれるように昇っていく。
「正気ではない……」
粒子が吸い込まれる先、〈コンキスタ=クノスペ〉の発光器官を見つめてラヴィニアは愕然と呟く。
自分の辿り着いた結論の悍ましさに怯みながらも、それ以外の結論が浮かばない。
この男は、異形と同化しようとしているのだ。
何が彼をそこまで駆り立てるのか、ラヴィニアには分からない。だが、その狂った光の秘めた力がどれほどの物かは、一目で理解できた。
高密度の魔力の塊から、抑えきれないエネルギーが光という形で発散されているのだ。それがこの巨大な怪物に取り込まれれば、どうなるか。
「正也、逃げるぞ」
ラヴィニアは小さく耳打ちして、狂った王に背を向けずに少しずつ距離を取る。
「そうだ。無様に尻尾を巻くがいい。貴様らが逃げ遂せるのが先か、私が至高の破壊兵器を生み出すのが先か。ちょっとした余興と行こうじゃないか」
王はむしろ優しげに微笑み、二人に逃げろと手振りで示す。
「せっかくの厚意だ。受け取っておこう」
正也はラヴィニアを促し、王に無防備な背中を見せて遠くに浮かぶ古見掛の夜景を目指す。
だが、正也自身の体力がどこまでもつか分からない。それに行く先には無数の触手が鉄格子の様に立ち並び、周囲を取り囲んでいる。このまま突破するのはまず不可能だ。
いっそ自分が正也を抱えて行こうかとも思ったが、今のラヴィニアにそれだけの力は残されていない。正也に肩を貸してのろのろ歩くのが精一杯だ。
(だめだ。このままではどうあっても私達の負けになる)
それが分かっているからこそ、王もあっさりと自分たちを行かせたのだろう。
どれだけあがいても所詮は掌の上、と言いたいのか。
自分たちが置かれた絶望的状況を冷静に判断し、ラヴィニアは笑った。
「正也。非礼を許せ」
「え?」
ラヴィニアは正也に貸していた肩を外し、とん、と彼の胸を押した。
「おわっ」
既にふらついていた正也は押された勢いのまま、自身の膝程の高さの岩に尻餅をつく様に倒れ込んだ。ちょうど岩に腰掛けるような形になった正也は、キョトンとした顔でラヴィニアの顔を見る。
真剣な目つきのラヴィニアもまた、正也の顔を覗き込んだ。
「詫びは後でする。不愉快かもしれんが、今は他に手が無い」
ラヴィニアは一瞬視線を外し、触手の壁の向こうに上がる火柱を見やった。
(まだ彼らは戦っている。なら、あそこまで行き着けば後はどうとでもなりそうだな)
古見掛の戦士たちの奮戦を確認したラヴィニアは、すっと息を吸い、正也の方へと向き直る。
そして、ラヴィニアは正也の足元に両膝を突いた。
「ほう……」
一瞬だけ、王の声が凄まじい怒気を孕んだが、すぐ余裕を取り戻し、興味深げに二人を見る。
「ラヴィニア、何を……」
「時間が無い。勝手の責めは後で負う。今は私の好きにさせてくれ」
問い掛ける正也を制し、ラヴィニアはじっとその顔を見上げる。
不安がない、と言えば嘘になる。
これは、自分の魂と自由を差し出す行為に等しい。
誇りと尊厳を放棄し、それと引き換えに家畜としての未来に縋る行為だ。どれだけ苦しもうとも、これまで決して手を染めることの無かった自分自身を売り払う屈辱の儀式。
(……それが、何だというんだ?)
だが、ラヴィニアは苦笑する。
もし、このまま何もしなければ、自分は蹂躙された挙句に消えて無くなるだろう。それはもちろん許容できないが、それ以上に許せないのは、この少年を巻き添えにすることだ。それだけは、絶対にあってはならない。
自分の誇りと尊厳を差し出せば、その最悪は回避できる。
あまりにも安い取引ではないか。
(いや……そもそもこんな男なら、安心して全てを差し出せるか)
まだ会って間もない少年の様々な表情を思い出す。
屈託のない笑顔、怒気と闘志に満ちた顔、困ったように思案する顔。
全てが、ラヴィニアの身を案じていたではないか。
(躊躇うことなど何もない。こんな男に誇りを差し出せるなら、それこそが何よりの誉れだ)
ラヴィニアは正也の右足にそっと両手を添えた。土埃に汚れ、ボロボロになった革靴を丁寧に持ち上げる。
「ちょっと……!?」
ラヴィニアが何をしようとしているか察したのか、正也は慌てて声を上げるが、 ラヴィニアはそんな正也を上目づかいに見やる。
「頼む……」
決意を乗せた言葉を向けられ、正也は二の句が継げなくなってしまう。
「すまない」
ラヴィニアはそう呟いて目を閉じる。
次の瞬間、ラヴィニアは正也の足の甲に口づけていた。




