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転機到来

 音速を越えた拳から直接運動エネルギーを叩き込まれた少年は、数メートル程先の大地に激突した。もし水平方向に打撃を受けていれば、確実に十数メートルは吹き飛ばされていただろう。

 表面に積もっていた砂が吹き飛ぶ程の勢いで、少年は岩盤の大地に叩きつけられた。


 「がっ!?」


 昨日今日で随分と身近な存在になっていた激痛に短く悲鳴を上げる。

 かつては苦痛など忘却の果てで、無限の記憶に埋もれているだけの存在だったに過ぎなかったというのに、昨夜から散発的に少年に襲い掛かってくる。


 「おのれ……」


 痛みは身体に対する警報だ。自分に刃向う愚か者の存在を証明する、不愉快極まる感覚信号。

 痛みを与えられたことよりも、自分に従わない傲慢な存在に対する怒りに、少年は歯を軋ませる。


 「殺す! 殺してやるぞ! その間抜けな顔を滅茶苦茶に踏み砕いて……何!?」


 人を射殺せそうな視線を正也に向けた少年は、反射的にその場を飛び退いていた。直後、少年がいた場所に雑兵が勢いよく叩きつけられた。


 「悪いけど、今はおまえのたわ言に耳を貸す余裕はないんだ。言いたかないけど、僕は今怒ってる」


 砂に還った雑兵が零れ落ちるローブを手に、正也が少年を睨み付けている。その足元には、やはり砂を零すローブがいくつも落ちている。


 「貴様……」


 素早く周囲を見渡すが、少年が引き連れていた手勢の姿は既にない。


 「もう一度言うよ? ラヴィニアを放すんだ。抗弁は一切聞かない。拒むんなら力ずくで君を排除して、こっちで勝手に下ろさせてもらう」


 威勢のいい言葉を吐く正也の姿は、満身創痍と表現してよかった。至る所に流血と痣を作り、ボロボロのスーツにも内から血が滲んでいる。

 にもかかわらず、少年は一歩だけ後退した。


 「貴様、本条正也……か?」


 頭部から流れる血で赤く染まったその形相は、これまでのどこか間の抜けた顔でも、あるいは迫力に欠ける怒りを滲ませている顔でもなかった。

 落ち着いた、というよりも感情が抜け落ちた仮面の様な顔だった。

 だが、その瞳は激情にぎらつき、射殺さんばかりの威圧感と存在感を従えている。


 「一応ね。でもおまえの返答次第では鬼にも悪魔にもなるから気を付けて。さっきも言ったけど、怒ってるんだよ、僕は」


 手にしていたローブを風に流し、じろりと少年を睨む。


 「馬鹿も休み休み言え。力ずくで排除? 貴様が、私を? 冗談は笑えなければ冗談として成立しない」

 「つまり、拒否すると受け取っていいんだね?」

 「愚問」

 「そうか、わかった」


 爆発的な衝撃波が、周囲の砂を吹き飛ばした。

 正面から打ち合った拳と拳、そこに乗せられていたエネルギーが行き場を失い、乾いた大気を思い切り弾き飛ばしたのだ。


 「やるね」

 「見くびるな。貴様を捻りつぶすぐらいわけはない」


 互いの眉根が吊り上った。


 「もし最後になったら困るから、一応訊いておく。おまえの名前は?」

 「それも愚問だ。名前など、有象無象を識別するための番号札に過ぎん。唯一絶対の支配者に個を現す名など不要だ。どうしても私の存在を唱えたいなら、〈王〉とでも言うべきか」

 「井の中の蛙ってことわざ知ってる? 裸の王様」

 「賢者には一言で足る、という言葉があるのだよ、小僧」


 次の瞬間、二人は互いに後ろへ跳んだ。百メートル以上の距離を置き、互いの瞳を睨む。

 正也の顔に感情が戻っていた。明確な怒りを腹の底に滾らせ、敵意と闘志を隠していない。

 少年―王の顔には、やはり嘲りの笑みが張り付いている。


 先に動いたのは正也だった。

 剥きだした歯の僅かな隙間から熱を帯びた息を吐き出し、弾かれたように一直線に王へと迫る。


 「愚かな」


 王は優雅に右手を掲げ、正也の迫って来る方へと向ける。

 ぼんやりと、王の掌が光を帯びた。


 「!?」


 突如、正也の足元が爆ぜた。

 地面に爆薬でも仕込んでいたかのような大音響と、粉々に砕かれた岩がもうもうと巻き上がる。


 「自らの肉体を使わねば戦えない野蛮人めが。高貴なる者は魔導をもって力を示すのだよ。私の魔力、その身でしっかりと味わえ」

 「野蛮で結構、小悪党よりはマシだ!」

 「何!?」


 王が声に驚くと同時に、煙の中から正也が飛び出してきた。速度を緩めることもなく、むしろ一層加速して突っ込んでくる。

 咄嗟に王は両手を突き出した。脅威の接近を拒み、必死の抵抗をするかのような仕草だったが、それは明確な攻撃の意図を持ってのことだった。

 再び、正也の足元が爆ぜる。先ほどよりもかなり大きな爆発が巻き起こり、砂煙が爆炎の様に広がった。

 

 しかし、正也が跳躍する方が僅かに早かった。

 馬鹿げた脚力で大地を蹴りつけ、王へと肉薄する方が、ほんの僅かに早かったのだ。

 反射的に、王は防御態勢を整えた。


 「うおおおおおおおおっ! 本条ぉ、キイイイイイイイイイイイィック!」


 弓の弦の様に引き絞った右足を、正也は渾身の力で打ち出した。六十キロを超える体重を、容易に地上数十メートルまで跳ばすエネルギーが、片足の狭い面積に集中し、王の胸へと叩き込まれた。


 「がああっ!?」


 爆発的エネルギーの直撃を受け、王は十メートル以上も吹き飛び、地に落ちた後さらに数十メートルの距離を、大地を削り取りながら滑走した。肋骨が消し飛ぶような痛烈な一撃に、一瞬ではあったが完全に意識が飛んでいた。


 (馬鹿な、魔力防壁の上からこの威力だと!?)


 仰向けに転がって咳き込みつつ、王は信じがたい威力に驚愕する。これまで何度か正也の攻撃は体験しているが、それを優に上回る破壊力だ。


 「がはっ……小僧、本性を現し……」


 最後まで言う前に、胸倉を正也に掴まれた。


 「ぐっ、貴様ぁ……!」


 不敬な態度を隠さない正也の顔に、王は掌を叩きつける。瞬時に魔力を流し込み、そのまま顔を爆散させる。

 筈だった。

 実際には次の瞬間、王は空を飛んでいた。

 正也の手によって、無造作に上空に放り棄てられたのだ。そう気付いた時には、既に地上十数メートルまで飛ばされていた。


 「ええい、どこまでも愚弄しおってええ!」


 まるで石ころでも放るかのような扱いに、王は完全に激昂した。地上を睨み付け、鬱陶しい害虫を血眼で探す。

 だが、どれだけ眼下を探しても、そこに本条正也の姿は無かった。

 砂塵を含んだ風に隠されているわけでもないのに、どこにもその存在が無い。


 (まさか……)


 思い当たった不吉な結論を裏付けるかのように、少年の頭上に影が差した。


 「ほ、本条正也ああああああ!」


 自分よりも高みに跳び、そして矢の様に急降下してくる正也に、王は怒りの咆哮を上げる。

 しかし、正也は聞く耳見持たぬとばかりに、ただ鋭い視線だけを返し、叫んだ。


 「本条、流星パアアアンチッ!」


 





 「ラヴィニア!」


 王を自称する少年を大地に叩き落とした正也は、その王の玩具にされた少女の元へ駆けつけていた。

 怪獣は王の命令無しに動かないのか、その体表を駆け上る正也を阻むことはしなかった。おかげで正也は難なくラヴィニアが磔にされている場所へと辿り着くことができた。


 「ラヴィニア、ラヴィニア!」


 十字架に取り付き、ぐったりとしているラヴィニアの頬を叩く。

 呼吸はあり、頸動脈の拍動も感じ取れたが、無事と判断できるほどのものではない。先ほどの悲鳴を思い出した正也の声は、悲壮感さえ帯びていた。


 「くっ」


 正也はラヴィニアの首回りに絡みつく鎖に手を伸ばした。とにかく彼女をここから下ろさなくてはならない。


 「ん、う……」


 その時、ラヴィニアの唇から微かに声が漏れた。

 思わず正也が息を飲んだ数秒後、力なく閉じられていた両目が見開かれる。


 「正也、か……?」


 呟きながら、ラヴィニアの顔に驚愕の表情が浮かぶ。まるで幽霊でも見たような、そんな様子だ。


 「正也、本条正也なのか……!?」

 「そう、僕だよ! よかった……大丈夫!? 怪我は!?」


 目尻に涙さえ滲ませて問い掛ける正也の顔を、ラヴィニアはしばらく呆然と見つめていたが、やがて魂まで吐き出してしまいそうな、大きな溜息を吐いた。


 「悼み甲斐の無い奴だ……」


 がっくりと頭を垂れ、額を正也の胸に押し付ける。さらにもう一度深い溜息を吐いたラヴィニアはぶつぶつと何事かを呟き始めた。


 「ラヴィニア?」

 「……何でもない」


 ラヴィニアの様子に首を傾げながらも、正也は再び鎖に手を掛ける。早々に引き千切ってラヴィニアを解放し、ここから離れなければならない。


 「!」


 しかし、正也はぴたりと全身の動きを止めた。ラヴィニアが怪訝そうな顔をするが、正也の背後に目をやってぎりぎりと歯ぎしりした。


 「私の玩具をどうするつもりかな、本条正也」


 正也が鎖から手を放す前に、その後頭部に鋭い肘鉄が撃ち込まれた。


 「ぐあっ!」

 「正也!」


 体勢を崩した正也の襟首を掴み、王はそのまま後ろ、地上へと投げ落とした。

 脳を揺さぶる衝撃を受け、正也はそのまま真っ逆さまに落下していく。


 「正也っ!」


 吸い込まれるように地面に向かっていく正也に、ラヴィニアは思わず叫んでいた。

 そんな鋭いラヴィニアの声に奮起され、正也はどうにか体勢を整え、無事に着地を果たす。それでも疲弊した身体に衝撃が堪え、片膝を突いて蹲ってしまう。


 「まったく手癖の悪いことだ。おまえには過ぎた品だという事がわからんか?」

 「……ずいぶんとお早いお目覚めで。もう少し伸びててくれると思ったんだけどな」

 「はっ、貴様ごときにのされる私と思ったか? 戯れに貴様の遊びに付き合ってやっただけのことよ。あまり私を舐めるなと言っているだろう」


 鮮血に塗れ、法衣もぼろぼろになってはいたが、王は壮絶な笑みを浮かべてせせら笑う。


 「流石に、ハエの相手も飽いた。貴様にはいい加減消えてもらおうか」


 王は十字架の頂点に腰掛けると、片足でラヴィニアの頭を思い切り踏みつけた。


 「ぐっ……!」

 「ラヴィニア! ……この野郎、まだ懲りないのか!」

 「さっき言っていたな、僕は怒っていると。それは私の台詞だ。どいつもこいつも、揃い揃って私に刃向うその傲慢さ、愚かさ、いい加減に呆れ果てるわ」

 「人を何だと……!」


 好き勝手な物言いに、正也は怒り狂って立ち上がろうとするが、すぐに膝を突く。度重なるダメージの反動か、脚に力が入らない。


 「もううんざりだ。だから消えてもらう。それについて、少しばかり面白い趣向を考え付いたのだが」


 ぐりぐりとラヴィニアを踏み躙りながら、王は片手を挙げた。それに呼応するかのように、怪獣の有する蔓の一本が持ち上げられる。


 「撃て」


 王が呟くと同時に、蔓の先に強い光が灯る。直後、そこから稲妻が走り、遠くの岩塊を粉々に打ち砕いた。


 「素晴らしかろう? この小娘、私が想定した以上に出来が良くてな。抽出した魔力も、この通り破格の威力を秘めている。さて、本条正也。どうせ死ぬなら最後ぐらいは愛しい姫君に手を貸して欲しくはないか?」

 「貴様、まさか……!?」


 ラヴィニアの顔が蒼白になる。正也も言葉の意味を察し、舌打ちして王を睨む。


 「クズめ……!」


 ラヴィニアから簒奪され、怪獣の体内に溜め込まれていた魔力は、その間にも蔓の先に集められ、また光を放ち始めている。


 「苦闘の果て、守ってきた者の力によって消滅する。決して醜い最後ではないだろう?」


 楽しげに笑う王の足元で、ラヴィニアは必死に声を上げる。


 「だ、駄目だ! やめろ! 頼む、やめてくれ!」


 その懇願を満足げに見下ろし、王は冷ややかに宣告する。


 「弁えろと言っただろう。貴様は私に服従する立場であり、私に指図する理由など何一つ無い」


 言いながら王は芝居がかった動きでぐっと手を引き、そして大きく振り払った。


 「殺せ!」

 「やめろおおおおおお!」


 正也の耳に、二人の叫びと炸裂音が届いた。







 「何……!?」


 全く予想していなかった光景に、王は狼狽を隠せなかった。


 今まさに、本条正也を消し飛ばす筈だった魔力は霧散し、風に散ってしまった。

 そしてその魔力を撃ち出す筈だった〈コンキスタ=クノスペ〉の蔓は、中ほどから断ち切られ、大地にだらしなく転がっていた。断面は焼け焦げ、白い煙が立ち上っている。熱した刃物を使っても、こんな切断面にはなりえまい。


 「ははは……」


 傷だらけの正也が笑う。


 「何を笑う! 何がおかしい! 貴様、一体何をした!?」


 王は正也を叱責し、問い詰めるが、帰ってきたのは不敵な笑みと不遜な態度だけだ。


 「最初に会った時に言ったよね。古見掛市民を舐めるな……てさ」


 そう言って正也は背後を振り返る。つられて王もそちらに視線を向け、そして目を見開いた。


 「何だ、あれは……」







 「あっぶねえ……危機一髪だったな……」


 市と警察が共同開発した、対怪獣用長距離狙撃レーザーライフルで大怪獣の触手を切断した警官達は、緊張を保ちながらも小さく息を吐いた。


 彼らの眼前には、複雑怪奇な光景が広がっていた。

 夜の河川敷という、人気もなく灯りに乏しい空間に、荒野の幻想がたゆたっていた。

 ホログラムでも投影したかのように、夜空に異郷の光景が浮かび上がっている。そこだけは夜空を曇天が覆い尽くし、どこまでも不毛の大地が広がっていた。際立っておかしいのは、その光景の中心に巨大な怪獣が居座っている事か。

 まるで河川敷に巨大な銀幕を張ったような眺めだ。

 そしてその光景を演出しているのが、河川敷に持ち込まれた巨大なパラボラアンテナ車だ。大電力を使い、この次元と隣接する次元とを強引に繋ぎ合わせるトンデモ機材である。


 「向こうは切迫した状況らしい! 立て続けに狙撃するからその間に全員突入しろ! 狙撃班、そのまま連続で怪獣をつつき回してやれ! 要救助者から注意を逸らすんだ!」

 「了解!」


 双眼鏡を覗く現場指揮官の命令に従い、警官達は順々に発砲する。十キロの距離も無いものにする並外れた射撃能力を遺憾なく発揮し、超高温の熱線を異界の怪獣へと叩き込む。

 同時に複数のジープが猛スピードで、陽炎の様に現実感の薄い荒野へと突っ込む。頭上では防空隊が空気を切り裂き、編隊を組んで大怪獣へと向かっていった。


 「はい、どさくさに紛れた市民の皆様! くれぐれも敵味方巻き込んで絨毯魔力爆撃とか、対抗して謎の新怪獣召喚したりはしないで下さい! もう止めはしないから止められるような事もしないように! いいですね!?」


 真っ当にバイクに跨ったり、自らの足でジープに並走したり、あるいは動物の背に乗っていたりと、好き勝手に突っ込んでいく市民達を誘導員がスピーカー越しに窘めている様は見なかったことにして、警官達は正確に照準を定め、熱線を撃ち込み続ける。


 「さあ、パーティーが始まったぞ」


 正確な銃撃でまた一本の触手を切り落とし、狙撃班長はにやりと笑った。

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