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安心度ナンバーワン、危険度オンリーワンの街


 十月十九日 十四時三十一分 古見掛市役所『安全センター』第一駐車場


 「もうそろそろ来る頃だが……」


 古見掛市役所『安全センター』支援二課の職員、久世宗太郎は腕時計を見やった。

 まだ四十半ばにもならない男だったが、頭髪には白い物が混じっており、巌の様な静かな威厳を持った顔立ちと相まって、五十代と言われれば信じてしまいそうな容貌だ。


 新しくこの街に引っ越してくる住民を迎えるべく、こうして到着を待っているのだが、既に予定の時刻を十五分近く過ぎている。近隣で事故や工事などはなかったはずだ。迎えは車が行っている筈なので、公共交通機関を乗り過ごしたということはあるまい。


 「ちょっと電話してみるか……」


 痺れを切らした久世は背広の内ポケットから携帯電話を取り出した。

 これが単なる新市民の転居なら、ここまで気を揉むこともない。というより、市の職員がわざわざ市役所前で出迎えなどはしない。だが、この件は多分に心配すべき要素があり、久世の様な職員が出迎える必要がある事態だった。

 早い内に連絡を取ろうと迎えに行った担当者の電話番号をコールしかけたその時、久世はふと指を止めた。


 「お? 来たか?」


 市内を突っ切るハイウェイの出口から、見覚えのある軽自動車が降りてくるのが見えた。すぐ傍の大通りに合流し、まっすぐこちらの方へと向かってくる。見間違いでなければ、新しい住民を迎えに行った担当者の車の筈だ。


 「ん?」


 だが、その姿がはっきりするに従って、久世からその自信がなくなっていった。

 見慣れた青いボディーと思っていたその車は、煤や砂ぼこりでひどく汚れ、車体のあちこちにへこみや傷が付いている。バンパーは外れかけてガタガタと揺れており、さらによく見ればフロントガラスが無くなっていた。

 おまけにエンジン音までどこか頼りなく、時折うめきや咳き込むような異音を発しながらトコトコと走ってくる。

 久世は車種とナンバーを確認し、それが迎えの車に違いないことを認めると、思わず眉を顰めた。


「やっぱり何事も無くとはいかなかったか」


 新市民が問題なくこの街に辿り着けるようなら、そもそも迎えなど送ったりはしない。しかし、その迎えをもってなおトラブルを完全に防げなかったというのは問題だった。

 久世が内心で苦い思いをしている間に、車はやはりトコトコと駐車場に入り、彼の方へと進んできた。空いている駐車スペースにゆっくりと入り込み、やがてエンジンが止まる。

 そしてエンジン音が止むのを合図にしたかのように、運転席、左右の後部座席、計三か所のドアが一斉に開いた。


 後部座席から這い出してきたのは、まだ中学生くらいであろう男女だった。久世の手元の保護対象資料には兄妹とあり、成程、顔立ちなどに似通ったものがある。

 問題は二人が真っ青な顔でうんうんと唸っていることだ。地面にへたり込み、そのまま倒れかねない危なげな様子で苦しげに深呼吸している。

 車に酔ったわけでないことは、時折聞こえる「ナパームが、爆炎が……」「当たる、死ぬる……」という、うわ言のような呟きからも明らかだった。


 「あの、お二人とも、大丈夫かな……?」


 市役所職員というより、人間としての良心に押され、久世はおずおずと二人に声を掛ける。が、声を掛けられたことにも気づいていないのか、二人は死んだ魚のような目で読経とも呪詛ともつかぬ声で「無理、カーアクションは無理」だの「いやいや、流石にこの高さは」などとぶつぶつ呟いている。


 兄妹のあまりの様子に、久世が対応に困っていると、運転席からずるりと一人の少年が這い出してきた。

 本条正也。

 久世とは顔なじみで、市役所から様々な業務を請け負っている『本条生活相談事務所』の所長でもあった。


 一見するとまだまだ若い。青いブレザーと白のスラックスを着込んでいたが、顔立ちのあどけなさがその大人びた装いをぶち壊しにしていた。上等なコートを羽織ることで、多少は大人びて見えなくもないが、子供が無理にネクタイを締めたような背伸び感がある。

 地面にへたり込んでいる兄妹に比べれば、多少年上に見えるが、同時に二人よりもボロボロでくたびれて見えた。

 柔らかそうな茶色い髪は所々が跳ね、焦げている。顔は擦り傷切り傷に加えて煤で汚れており、コートもあちこちに焦げや破れがあった。温厚そうな顔立ちではあったが、その表情は少なからずげんなりしたものだ。

 正直、事故にでも巻き込まれた学生か何かにしか見えなかったが、今回、新しく市の一員となる兄妹を市外まで迎えに行った担当者でもある。


 「おーい、本条君。大丈夫か?」


 久世は、へたり込まないまでもぐったりと肩を落とし、どうにか立っているといった様子の正也に声を掛けた。

 正也はギギギ、と音をたてそうなぎこちない動きで、顔を久世の方へと向けると、やはり呪詛の様な生気を欠いた声を上げた。


 「久世さん。今回のお迎えの内容、事前情報にある程度以上の誤りがあったようなんですが……」

 「お、おう? どうしたんいったい」


 いつも優しげな声で話す正也の口から、地獄の亡者の様な底冷えする声が漏れ出てくることに、いささかの恐怖を感じながらも、久世は続きを促す。


 「いえ、だって今回お迎えのお二人を狙ってる組織って、『S.S.D.』と聞いていたんですが」

 「違ったか?」

 「『ロッソザギ』が出張って来て、横から襲われたんですが……」

 「ええ~!?」


 久世は思わず声を上げた。

 市役所の市外出張所から、某国の諜報機関『S.S.D.』に狙われている兄妹がいると連絡が入ってから、支援二課は独自の調査と『安全センター』情報部への照会を行い、現在日本で活動している『S.S.D』工作員は五人だけであることを突き止めていた。人数は少なく、場所が日本である以上、装備は良くて拳銃程度。

 「狙っている」というのが拉致を意味するのか、それとも殺害なのかは不明だったが、あくまでも工作員五名から中学生二人を守るには十分な能力と判断し、正也に兄妹の警護を依頼したのだ。


 だが、『ロッソザギ』は正真正銘、悪の秘密結社だ。それも数万人規模の人員を擁し、さらには超科学、オカルト技術を駆使して、極めて悪質な破壊工作に日々勤しんでいる悪魔の集団だ。奴らが十人いれば、それを鎮圧するには機動隊百数十人か、完全装備の特殊部隊が必要になる。何せ魔法だの超能力だのといったインチキ技術に加え、どこから供与されるのか、重火器を豊富に運用している。

 如何に古見掛市の住人である本条正也でも、それから二人の兄妹を守ってこの街に送り届けるにはそれなり以上に困難だったはずだ。


 「ああ、さっきのナパームだのセメント爆弾だのといった特撮チックなうわ言は……」

 「銃弾やら砲弾やらを掻い潜ってハリウッド並みのカーチェイスをしてきたんです。三回ほど死ぬかと思いました」


 正也は未だ立ち上がれない兄妹の背中をさすってやりながら、どこか非難がましい目で久世を見る。無理もない。野犬の退治をして来いと送り出された先で、ヒグマの群れに襲われたようなものだ。調査不足と言われれば返す言葉が無い。


 「いや、正直すまんかった。こちらの不手際だったな……」

 「まあ、普通はこんな横槍を予想はしないとは思いますけど、事前調査は可能な限り徹底的にお願いしますね……」


 グロッキー一歩手前の兄妹を両肩に抱え、久世は正也に詫びる。本当なら二人にもこの場で詫びて事情を説明したいところだったが、当人達に余裕が全く見られないのでここは医務室に連れて行く方を優先する。


 「ん? そういえば、『S.S.D』は結局現れなかったのか?」


 ふと大事な事を思い出し、久世は正也に尋ねた。『ロッソザギ』との関わりを避けて出てこなかったにしろ、可能であれば逮捕して、ばっちりしっかり事情聴取などを行っておきたいのも事実だ。

 久世の管轄ではないが、然るべき部署にキチンと対処してもらわねば、今後更なる犯罪行為が行われることは明白だ。可能なら今からでも身柄を確保して、警察に突き出しておきたい。


 久世に問われた正也は疲れた顔に微かに笑みを浮かべ、軽自動車のトランクを開けた。


 「ふふん、『ロッソザギ』に比べれば可愛いもんですよ。連中を追っ払った後にノコノコ襲い掛かって来たんでこの通りです」

 「あれま」


 狭い軽自動車のトランクには、スーツを着込んだ屈強そうな男が三人程積み重ねて収納されていた。みな一様に正也以上にボロボロになっており、完全に伸びきっているようだ。


 「……死なせてないだろうね」

 「まさか。その程度の手加減はできますよ。まあ罪もない少年少女を攫おうとした罰として、少し過剰防衛気味にやっておきましたが」

 「さいで」


 警察だけでなく、病院も手配する事を考えながら、久世は市役所庁舎に向けて歩き出した。

 本条正也という少年は基本的に温厚で物腰も丁寧だ。十人いれば十人が好感を抱くだろう、爽やか癒し系なのは疑いない。


 ただ、一度敵と判断した相手には結構容赦がない。ボコる、と決断するまでは甘いが、一度ボコると決めたら次の瞬間には馬乗りになってフルボッコにしている。顔立ちが柔和なせいか、怒ってもいまいち迫力に欠けるので、怒らせたと気付き難いのも始末が悪い。


 まあ、気の優しい正也をここまで怒らせたのだから、それなりの事をやらかしてしまったのだろうが、久世は伸されてしまった男たちに同情を禁じ得なかった。


 「車に置きっぱなしにしちゃまずいから、とりあえず連れて来て貰えるかね」

 「ええ。留置室に置いとけばいいですか?」

 「出来れば医務室だが、暴れられても困るしな。そこでいいよ」


 正也は「わかりました」と答え、男たちの足を掴んでズルズルと引きずりながら付いてくる。怪我人の搬送では決してなく、犯罪者の連行でもない。死体を引きずるような様子というのが一番近いだろうか。

 久世の知る限り、正也は相手が犯罪者であってもさほど乱暴な扱いはしないが、怒っている場合はその限りではない。


 (……あとで何か奢っておくか)


 怖い思いをさせてしまった兄妹にはもちろんだが、意外に根に持つタイプの正也にもそれなりの物を奢っておかねば、この先何かあった時に雑多な扱いをされかねない。

 久世はあまり暖かくない懐を思って溜息を吐きながら、市役所の自動ドアをくぐった。




 古見掛市役所中央庁舎。


 名前だけ書くと、どこにでもありそうな役所にしか見えないその建物はしかし、その名前と実態に海より深い隔たりがあった。


 まず、その庁舎のサイズが桁外れである。

 地上六十階、地下二十六階。東京タワーに迫る高さを誇るお化け建造物だ。敷地面積もやはりだだっ広く、おまけに両隣にはやはり五十階クラスの超高層副庁舎が聳えているという、都庁もびっくりの非常識ぶりだ。

 そして土日祝日は休業、という役所の常識に真っ向から喧嘩を売る、二十四時間三百六十五日営業。職員の健康が気遣われるが、庁舎のサイズに見合った非常識な人数でシフトを回していることもあり、これといって問題は起きていない。


 いくら市政を司る機関とは言え、あまりにも施設、人員ともに過剰な規模を擁したこの役所は、それでも税金の無駄遣いと非難されることもなく市民に親しまれている。

 というのも、この市役所は行政とは異なる面からも市民の生活を支える、古見掛市運営の二重の立役者であるからだ。

 そんな市民の生活を支える施設のエレベーターから、正也は気絶した大男三人を引きずり出した。


 「ああもう面倒くさいなあ。いつまでも伸びてないで自分で歩いてくれないかなあ」


 自分で叩きのめしておきながら理不尽極まる愚痴を漏らしつつ、正也はフロアの一角、『安全センター』と表記されている窓口に向けて歩き出した。


 「どーもー、いつもお世話になってまーす。本条生活相談事務所ですがー」


 頻繁に、というよりも三日に一度のペースで挨拶を交わしているカウンターに声を掛けると、やはり顔なじみの若い女性職員が気付いてくれた。


 「あらあら本条さん、いつもお世話になってます。今日はまたどうされました?」


 ボロボロの正也を見ても全く動じず、にこやかに挨拶をしてくれる。正也がここに来る時、五回に一回は何らかの怪我をしているので慣れもするだろう。


 「いえ、ちょっと警察が来るまで預かりをお願いしたいものがありまして」


 正也は床に転がっている『S.S.D』の工作員を指さした。

 

「あー、また悪い人のお届けですか。いつもご苦労様です。じゃあこの書類に記入お願いしますね」

 「すいませんね。それじゃお願いします」


 手渡された書類に記入するうち、奥から出てきた職員たちが工作員を担ぎ上げ、警察が引き取りに来るまでの一時預かり所である留置室へと運んでいく。

 流石に慣れたもので、荷物か机でも運ぶかのようにテキパキとした動きだった。


 「今日はどんな悪い人をお持ちに?」

 「今回は某国の諜報員です。本当は悪の秘密結社も持ち込みたかったんですが」

 「あらまあ。その前は悪い魔法使いでその更に前は強盗犯でしたよね。バラエティーに富んでいて楽しそうではあるんですけど、大変ですね」

 「いや楽しくは……」


 どこかずれた職員の話に苦笑しつつ、正也は書類に必要事項を書き込んでいく。ここに何らかの犯罪者を運び込むのも何度目になるかわからない。正也自身、書類を書くのにも慣れ切っていた。


 古見掛市は、事件の発生が異常に多い街だ。

 別に住民の人間性に問題があるわけではない。

 ただこの街が、常識を超えたあらゆる事件の起こり得る、一種の特異点であることは否定できない事実ではあった。


 古見掛の街は、およそ人間が思いつく、あらゆる非現実的世界と接点を持っている。

 数百万光年の彼方に存在する異星の文明や、幻想譚に出て来そうなファンタジックな異世界、あるいはこの世界とよく似た、しかし確かに異なるパラレルワールド。そういった荒唐無稽な世界と秘密裏に、しかしごく自然に交流を持っている、特殊性極まる珍奇な街がここだ。


 要するに、宇宙人や超能力者は勿論のこと、神、悪魔、幽霊、魔法使い、サイボーグ、爬虫人類、亜人、ロボットetc……あらゆるジャンルのフィクションに登場する、超常的存在が平然とクロスオーバーしている街、ということになる。

 それも、単に市に滞在しているだけでなく、しっかり市民として根を下ろしている者が凄まじく多い。正也の知るだけでも市営地下鉄運転手を務める鬼、コンビニ店員として働くアンドロイド、小説家として名を馳せる妖狐など、挙げればきりがない程に〈普通〉とは少し違う知人がいる。もともとこの世界にも存在していた〈普通〉でない存在も多く暮らしているので、もはや〈普通〉の定義が崩壊しかけている程だ。


 ただ、そうした様々な世界のクロスオーバーが発生すれば、当然招かれざる存在も現れる。

 古見掛の抱える複雑怪奇な事情は、一応の隠蔽は行われてているものの、全ての情報を遮断できる程に完全なものではない。


 未知の世界の技術や知識を狙い、世界中から押し寄せる各国の諜報員や工作員。マフィア、ヤクザ、世界征服を企む悪の秘密結社など、邪な目的や悪意を持って集い来る個人、集団は枚挙にいとまがない。そして当然、この世界の知識、技術を狙い、次元の向こうからも様々な悪意が触手を伸ばしてきている。


 世界中どころか、宇宙や時空の果てからも悪党が集い来るカオスの中心地。地球滅亡レベルの危機が日常的に尋ねてくる、破滅の玄関口がこの街だ。

 だからこそ、古見掛市の住民はそういった危機を即座に確実に、かつ徹底的に叩き潰す必要があった。


 古見掛市役所の施設が異常に充実している理由がここにある。

 複雑な事情を抱えた街の運営、日常的に頻発する危機への対応。それらを円滑に行う危機管理の統括組織が古見掛市役所だ。どれほど施設、人員が豊富でも十分ということはない。


 なお、古見掛市役所中央庁舎はあくまでも、行政危機管理の統括部署に過ぎない。

 街の危機管理の基本は警察が行っているし、より大きな危機には自衛隊が対応する。古見掛市としての仕事はあくまで彼らの手が足りない場合の補佐、もしくは彼らの手に余る事態への対応という形になる。地下、海底、衛星軌道上にも支所という名の実働部隊が設置されてはいるが、あくまでもサポートを旨としている。


 現実問題として、警察や自衛隊のキャパシティーを遥かに上回る件数の事件が、日夜起き続けているので、それも建前上の話になってはいるが。


 「ま、退屈はしない街だとは思いますがね」


 書き終えた書類を差し出しながら、正也は小さく溜息を吐く。普段ならば職員の言葉にも冗談交じりの返事もできたのだが、つい先程に悪漢との大立ち回りにカーチェイスを済ませて来た正也には、些か笑えない話でもあった。

 悪党相手に暴れるだけなら正也としても望むところなのだが、少年少女二人を守りながら砲弾や魔力玉の雨を切り抜けて古見掛に戻る、というのはそれなりにハードな仕事だった。


 「お疲れみたいですね。仮眠室使いますか?」

 「いえ、今日はもう予定が無いんで帰って寝ます。お気持ちだけありがたく頂戴しときます」


 正也は感謝の笑みを浮かべて一礼し、受付を後にした。


挿絵(By みてみん)


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