「囚われのヒロイン」という神聖的魅力炸裂体
何と言うのか、どう言えばいいのか、そもそも言っていいものか。
正也が見た光景は、扇情的の一語に尽きた。
ラヴィニアの体格そのものは、発展途上というよりも、ようやく発展が始まったばかりと表現した方がよさそうな慎ましやかなものだった。女性的な丸みをようやく帯び始めたばかりの、なだらかな丘陵だ。どんなに世辞を言っても山あり谷ありの壮観な風景ではない。
にもかかわらず、怖ろしく淫靡で官能的な印象を、正也は確かに受けた。
穢れとは無縁そうな白い肌に包まれた肢体は、確かに幼くはあったが、決して子供じみているだけではない。小鹿の様にほっそりとしてこそいるが、すらりと伸びた四肢。決してその肉付きはよくないが、絡みついた蔓が食い込み、乏しい肉感を補っている。
身体そのものも、少々凹凸には乏しいが、出るべきところは出ていなくもない。清純でありながらほのかに香る色香がある。花開く前のつぼみ、という表現が実にしっくりくる。
何よりも、そんな可憐な花に蛇の様に絡みつく蔓が淫靡さを煽る。
頭からずぶ濡れになったラヴィニアの身体を締め付ける蔓。両足を足首から腰まで絡みついて拘束する蔓もあれば、右腕を胴体に括りつけて動きを封じている蔓もある。肘から先が辛うじて自由な左腕にもするすると蔓が巻き付き、その自由を奪いつつある。
その拘束にラヴィニアは苦しげに喘ぎ、浅い呼吸を繰り返して悶えつつある。生命に支障が出ず、かつ
一切の抵抗を封じる絶妙な圧力に悶える姿は、やはり扇情的と表すしかない。
「……エロい」
「冷静極まる態度で言うな! そしてこっちを見るなあああああああっ!」
難問のパズルにでも挑むように冷静かつ真剣な目をして呟く正也に対し、ラヴィニアは頬を真っ赤に染め、涙の滲んだ目で絶叫する。
「ん……? あ、ああっ! ご、ごめん!」
ラヴィニアの指摘でようやく我に返った正也は、大慌てでそっぽを向く。
ちなみに、正也としては別に好色な目で見ていた訳ではない。あくまでもラヴィニアの芸術的に美しい裸体に感心していただけだ。悶えるラヴィニアの姿に嗜虐心を刺激されたことは事実だったが。
「濡れると崩れる服か。人を変態呼ばわりしておきながら、随分と高尚な趣味を持っているではないか」
初めて感心したような表情を浮かべ、少年がふむふむと頷く。
「な、何を言ってるんだ! あれは正真正銘ごくごく普通の衣料品! 原因はおまえの掛けた液体だろう、どう見ても!」
「何を馬鹿な。あれは単に奴から効率よく魔力を吸い上げる媒介に過ぎん。確かに物質は風化させるが人体には無害だ」
「これ以上ないぐらいピンポイントでそれが原因じゃないか! もっともらしく人に濡れ衣を着せるんじゃあない、この変態小僧!」
「下らない言い争いをしていないで何か着せろおっ!」
責任の所在という、今のラヴィニアにはさして重要でない事柄を言い争う二人に、当の被害者が訴える。実にもっともな訴えだ。
「そ、そうだね! ちょっと、早くラヴィニアを放せ!」
「何を勘違いしている? 私は戯れに貴様らと話してやっただけだ。ようやく確保した部品をむざむざ逃がす必要がどこにある」
感心顔から絶対者の顔に戻り、少年は冷たく吐き捨てる。
「あ、ずるいぞ! 濡れ衣着せそこなったからって、一人だけシリアスな空気に戻って!」
少年に聞く耳が無いと見るや、正也はコートを脱いでラヴィニアの拘束を解こうと手を伸ばす。
が、蔓に触れる直前でピタリとその動きが止まった。
(これは、果たして外してもいいのか……?)
よく見ると皮肉な事に、ラヴィニアを戒める無数の蔓がちょうどラヴィニアの身体、特に薄い胸の先端や足の付け根などを覆い隠している。ラヴィニアを解放するというのは、同時にラヴィニアを完全に裸にするに等しい。
「あー、えーっと、どうしようかな。これ、一歩間違ったらえらいことだよ……」
「し、仕方がないだろう。おまえに、その……任せる。なるべく、見るな……」
正也と顔を合わせない様にそっぽを向きながら、ラヴィニアはか細く呟く。
(ああもう、可愛いなあ。早いとこ服着せてあげたいなあ)
眼前の少女が纏う最後の砦を引きはがす罪悪感を、一刻も早く上着を掛けてやりたいという庇護欲に説得させ、正也は手を伸ばした。
手近な太い蔓に手を掛け、蔓と肌の間に指をねじ込む。冷たく濡れた柔肌の感覚に思わず悪寒にも似た感覚が背中を駆け抜けるが、無視する。
「せーの……」
指と腕に力を込めた瞬間だった。
「それは私の物だ。勝手に持ち出されては困る」
脇腹に強烈な衝撃を受けた。その正体に思い当たる前に、正也は頭から地面に倒れ込む。
「ぐっ、あ……!」
地面を転がりながら、片足を上げた少年の姿を視界に捉え、正也はようやく蹴り飛ばされた事を理解する。
「くっ、人を足蹴にするのが好きな奴め……」
すぐさま起き上がり、痛みに顔を歪んだ顔で少年を睨み付ける。
「まったく、手癖の悪い小僧だ。油断するとすぐにこれだから困る」
正也を一瞥すると、少年はこれ見よがしにラヴィニアへと手を伸ばし、長い髪を鷲掴みにした。抵抗の出来ないこといいことに、金髪を引き千切らんばかりに吊り上げる。
「っ……ぁぁ……!」
少年は苦悶に歪むラヴィニアの顔を眺めて嗜虐的に笑う。手を焼かされた意趣返しとでも言いたいのか、髪の毛ごとラヴィニアの顔を引き回す。
「いい加減にしろ!」
地面を蹴り、正也はそのまま少年へと殴りかかる。
しかし、黙って殴らせる少年の筈がない。怒り狂う正也の前に、白いローブの雑兵が分厚い壁を気付く。
「ええい、鬱陶しい!」
拳を振り上げ、直近の雑兵の顔面を叩き伏せる。それが倒れ込むのと同時に、左右から襲い来る雑兵に、同時に両手で手刀を打ち込む。前方からナイフを突き出してくる者は地面にはたき倒し、左右の腕にしがみ付いてきた者達は、腕力に物を言わせて放り投げる。
猛攻で生まれた僅かな壁の隙間に跳び込み、ラヴィニアの方へと一気に迫る。
少年と目があった。
「よく躱したな。だが」
「!?」
正也は無理矢理体勢を変え、右足のつま先で地面を弾く。一直線に跳んでいた正也の身体は、僅かに軌道を変えた。
次の瞬間、正也の頭上から、巨大な質量が襲い掛かった。
軌道を変えていなければ、正也の身体が通過していただろう空間を突っ切り、轟音と共に乾いた地面に突き立つ。
「むおっ!?」
ぎりぎりで直撃を回避し、そのまま正也は地面に膝を突く。
「……十字架?」
馬鹿でかい質量を見上げ、正也は怪訝な顔をした。
まぎれもなく、それは十字架だった。
真っ白な、石灰岩からでも切り出したような岩石質の柱。高さは三メートル以上あるだろうそれが、悠々と屹立している。
奇妙な石柱はどこからともなく降り立ち、最初からそこに存在したように聳えている。
「危ない危ない、もう少しでコイツを墓標にするところだった……」
昆虫標本にされた自分を想像し、思わず肝をつぶす。が、すぐに気を取り直し、十字架の向こうにいるラヴィニアへと意識を向ける。
素早く立ち上がって十字架の向こう側に回り込み、そして正也は絶句した。
「……」
数十秒間、正也は完全に沈黙していたが、突如はっとした様に口元を右手で抑える。
直後に指の隙間、ちょうど鼻がある部分から、真っ赤な血飛沫が迸った。
「うっ、ぷ……!」
右手を真っ赤に染め、正也は再び膝を突く。全身を小刻みに震わせながら、大きく見開かれた瞳は決して下を向かない。
「……エロい」
まるで砂漠の民が初めて海を目にした様な、驚愕と感動に満ちた声で、正也は一言だけ呟いた。
僅かに時間は前後する。
正也の姿が、白いローブに覆い隠されたのとほぼ同時のことだ。
叩きつけるように髪を放され、ラヴィニアは首への負担に顔をしかめた。
それでも気持ちだけは屈せず、少年に怒りと侮蔑の視線を突きつける。しかし、それも数瞬の間だった。
「何だ?」
ラヴィニアにまとわりつく蔓が、まるで沸騰した熱水の様に泡立つ。やがてそれはどろどろと液化して形を失って地面に零れ落ちていく。そしてその内部から、冷たい金属質の光沢が姿を現す。
「鎖……!?」
奇妙な光景だった。どうみても植物にしか見えない蔓が、溶岩のようにどろどろと、燃え上がることもなく溶解し、その中から人工物が顔を出したのだ。
そして、さらに奇妙な光景がラヴィニアを巻き込んで繰り広げられた。
「うっ、あああ!」
蔓にとって代わった鎖がラヴィニアの全身を這い回る。意思も命も持たない鉄鎖が細い身体を締め上げ、手足を捻じり上げる。同時に勢いよく空中を引きずられ、ラヴィニアは背中から固い岩に叩きつけられた。
鎖はなおも止まらない。手首、足首を中心に、ラヴィニアの四肢を締め上げ、限界まで引き伸ばしていく。抵抗する間もなく、手足は左右に引き伸ばされ、鎖に締め上げられると同時に微動だにしなくなる。
「ぐうっ……!」
両足も下方に引き伸ばされ、鎖に絡まれて自由を失う。更に二の腕、肩、胸回り、腰や太腿に至るまで鎖に巻きつかれ、ラヴィニアの身体は完全に固定された。
「な、何!?」
自身の身体を見回し、ようやく叩きつけられたのが岩でないことに気付く。
ラヴィニアは十字の柱に磔にされていた。従順に手足を引き伸ばされ、雁字搦めに縛り付けられている。
「ふざけた真似を……!」
眼下でせせら笑っている少年を睨み付ける。
「いい恰好だな。晒しものにされた気分というのはどうかな、囚われの姫君よ?」
「くっ、この痴れ者め」
「ははっ、そうむくれるな。小僧の方は満更でもないようだが?」
「……何?」
少年が顎で示す先に視線を向け、ラヴィニアは顔色を失った。
本条正也が、ラヴィニアを見ていた。大きく見開いた目で、驚愕と感嘆の混じった視線を向けている。
一糸まとわぬ(鎖はまとっているが)姿で磔にされた屈辱的な姿に、だ。
「う、あ……」
ふるふると小刻みに震える唇から、言葉の体を為さない音が漏れる。
(見られた、見られてしまった……この痴態を……)
少年に見られたところで、ラヴィニアに喚起されるのは屈辱、怒り、悔しさが主だ。恥辱ももちろんあるが、それらを塗りつぶしてくれるだけの激情がラヴィニアの中にあった。当然だ。ラヴィニアが少年に抱いているのは、ラヴィニアに少年が抱いているのと同じ、嘲りと蔑みだ。
が、本条正也は違う。
ラヴィニアの知る限り、正也は人懐っこいお人好しだ。ちょっとやそっと頑張っても侮蔑を抱ける相手ではない。少年との比較は勿論、見知らぬ他人よりは遥かに敬意を抱ける相手と言える。
その正也に、見られた。
怒りも憎しみも蔑みも、そこには一切湧き出してくれなかった。ただただみじめさと恥ずかしさだけが嵐の様に吹き荒れるだけだ。
「っ……うっ……」
もはや言葉など意識から吹き飛び、不随意に喉が引き攣るだけだ。ぼろ屑のようになったプライド、その最後の一片を振り絞り、嗚咽を押さえるのが精一杯だった。
「うっ、ぷ……!」
正也は鼻から鮮血を炸裂させ、がくりと膝を突く。だが、それでも視線はラヴィニアから逸らさない。
姫君に騎士が跪くような姿勢で、正也は言った。
「……エロい」
ラヴィニアの胸に残ったプライドの欠片を消し飛ばすには、十分過ぎる破壊力だった。




