サービスシーン・序章
「何なんだあれは!? 生き物か? 生き物なのか!?」
「恐らくね! 単なる原住生物ならいいんだけど!」
突如出現した威容に背を向け、二人は全速力で疾駆する。
幸い揺れは収まったので走るには苦労しなかったが、撒き散らされた土砂や岩塊が頭上から降り注ぎ、危険度はむしろ跳ね上がっている。数トンはありそうな岩の雨を掻い潜り、一気に安全地帯まで突っ切る。
大急ぎで岩陰に身を隠し、そろって背後の様子を窺う。吹き寄せる風に乗った砂煙が目に染みた。
やがて、もうもうと湧き上がる粉塵が風に散り、地下から這い出たソレが姿を見せる。
「冗談だろう。二十メートルはあるぞ」
「これはまた、随分と厄介そうな奴が……」
荒野に屹立する巨大な異形の姿に、ラヴィニアは半ば呆然とし、正也は頭を抱えて唸った。
本条正也は、これまで幾度も戦いを経験してきた。
チンピラとの小競り合い程度のものもあれば、一国の命運を左右するような戦闘に参加したこともある。
易々と勝ち抜いた戦いもあるし、生き延びるだけで精一杯だったこともある。
とにかく様々な修羅場に跳び込み、大暴れしたり尻尾を撒いたり、色々と経験してきたのだ。
対人レベルの戦闘ならば、正也は極めて強力な戦力となり得る。超科学を有するカルト集団のアジトを一人で潰したこともある。群れを成す猛獣の中に飛び込み、一匹残らず無力化したこともある。
そんな正也をして、未だに慣れない種類の相手が存在した。
桁外れの巨体を誇る、常識外の存在。
単なる巨大生物相手なら、十分に対処することが可能だ。
垂直数十メートルを誇る跳躍力や、数百キロの重量を引き寄せる腕力を武器に転用すれば、全長二十メートルを超えるクジラ相手でも易々と昏倒させる。
しかし、彼らは単なる巨大生物とは一線を画す存在だ。
その巨大さを差し引いてもなお異常な頑強さ、タフさ、パワーを兼ね備えている。
ミサイル、機関砲、艦砲射撃さえ物ともせずに突き進む、非科学的とさえ言える存在。悪夢の中から現実に這い出てきた、破壊の化身。一種の幻想そのものだ。ちょっと身体能力に優れただけの正也が殴ったり蹴ったりしても意味をなさない。対抗するには、やはり幻想じみたトンデモ装備や不思議パワー、そうでなければ根拠に乏しい破壊的自信と狂気じみた闘志、常軌を逸した楽観主義が必要だ。
孤立無援の状況下、要保護者を抱えた正也を逆さに振っても、そんなものが出てくるはずがない。
にもかかわらず、そいつは現れてしまったのだ。
圧倒的威圧感、絶望的存在感、禍々しくもどこか愛嬌を感じなくもない姿に、正也は確信を以て嘆息した。
「〈怪獣〉だ……」
それは、一見すると植物に近い印象を与えた。
不毛の荒野には不似合な、植物の蔓が無数に絡み合った球体の様な姿だ。シルエットだけなら『デンタグラー』によく似ている。根は地中に存在しているのか、足元は完全に地中に埋まっていて、歩けるのかは分からなかった。身体の側面には大小さまざまな蔓がうねっており、身体の中心部には黄色く発行する十字の発光器官が存在している。
怪しげなことこの上ない。
近づいたりすれば、蔓に絡まれてエネルギーを吸い取られるだとか、発光器官から破壊光線が飛んでくるだとか、そんなろくでもない未来が容易に想像できる。
「ラヴィニア、さっきから同じような頼りない提案で悪いんだけど」
「みなまで言うな。他に選択肢があるとも思えない」
二人は息を潜めて様子を窺いつつ、そろそろと後ずさる。
「「逃げるが勝ちだ」」
二人の足が同時に大地を蹴る。
素早く身を捻り、一瞬で怪獣に背を向けて駈け出した二人は
「何処へ行く?」
〈奴ら〉と鉢合わせた。
「うわああああああっ!?」
「んなああああああっ!?」
驚きのあまり、二人は絶叫して尻餅をついた。そのままジタバタと地面を蹴り、尻を擦って後退する。
「おおおお、脅かすな! 居るなら居ると先に言え!」
「び、びっくりした! びっくりしたぞお!?」
跳ね回る心臓を押さえ、正也は深呼吸を繰り返す。ラヴィニアも相当に驚いたらしく、正也同様に胸を押さえ、荒い呼吸を整えようと懸命だ。
「はっ、貴様らも完全な我が直轄領に引き込まれては、ビクビクせずにはいられないか。まあ、無理もない」
「……おまえの、領地だって?」
肩で息をしながら、正也は少年を睨む。どんな治癒能力を有しているのか、つい先程蹴りつけた筈の顔は、その形跡さえ残らない綺麗な物だった。よく見ると黒衣の襟元に錆の様な染みが付いていたが、それだけだ。
「そうだ。この空間は私直轄の領地にして〈コンキスタ=クノスペ〉の苗床」
「コンキ、スペ……あの怪獣のことか」
ちらりと背後を振り返る。幸い、怪獣に動きはない。蔓を不規則にくねらせているだけだ。
あくまでも今のところは、だが。
「〈コンキスタ=クノスペ〉、全てを破壊し取り戻す為の我が下僕。どうだ、素晴らしいと思わんか?」
「全てを破壊し取り戻す……おまえの目的は一体何だ。いや、その前にそもそも、おまえたちは一体何者だ。何故ラヴィニアをストーキングするんだ」
「ストーカー呼ばわりはやめろ。何、単純な話だ。私が目を話している隙に、遠方の領土にイナゴが湧いていたのでな。それを駆除し、土地をあるべき形に戻すだけの話よ。その小娘は〈コンキスタ=クノスペ〉の餌、部品と言った方が正確か」
物騒な話に、正也は視線でラヴィニアを一歩下がらせる。出来るならラヴィニアを抱えてすぐにでも離脱したかったが、白装束の包囲に加え、後方では未知の怪獣が座している。なるべく時間を稼ぎ、古見掛からの救援を待った方が安全性は高い。強行突破は最後の手段だ。
「前半は、まあ何となくわかる。おまえの主張に従えば、僕の住む町も世界も本来なら君の領地で、勝手にそこで栄えてる文明を排除すると。そう言いたいんだね?」
「その通りだ。人の留守中に居座って好き勝手にしてくれた報いを与えてやらねばならん。しかし、害虫の常で中々簡単に駆除は出来ん。それでアレを使うことにしたのだ」
怪獣を指さし、少年は不愉快そうに語る。領地を汚されたという怒りが心底で煮え滾っているようだ。
「一応聞いておくけど、おまえ、僕のいた世界に最後に来たのっていつ?」
「あの地へ赴いたのは昨夜が初めてだ。そこの小娘が逃げ込んだのでやむなく立ち寄ったが、まさかそこにも害虫が栄えているとは皮肉なものだ」
「目に入る物は全部自分の物か! ジャイアニズムもいいところじゃないか! なるほど、その傲慢さも身勝手さも納得だよ!」
うんざりしながらも、少年の目を盗んで視線を周囲に巡らせる。出来る限り地形を把握し、脱出、迎撃に備えなければならない。会話と並行しての戦術組み立ては一苦労だが、やるしかない。
「で、ラヴィニアをあの怪獣の部品とか言ってたけど、そっちはどういう意味だい?」
「ふむ、それは実際に見た方が早いな」
少年が冷笑をラヴィニアの方へと向ける。
しまった、と考えるより早く、正也は振り向いてラヴィニアに跳びかかる。
同時に正也が目にしたのは、地中から飛び出した複数の蔓がラヴィニアに、そして正也自身に襲い掛かる瞬間だった。
「っ!!!?」
正也は胸の前で両腕を交差させ、瞬時に防御態勢を取る。次の瞬間、丸太の様な蔓が鞭の様にしなり、正也の身体を弾き飛ばした。
正也は空を飛んだ。
決して大柄ではないとはいえ、それなりに恵まれた体格が、一撃で十メートル近く垂直に打ち上げられ、乾いた大地に落下して転がる。
衝撃で消し飛びそうだった意識に更なる衝撃を受け、正也は無言で呻いた。
打ち据えられた部位が痛む。固い大地に思い切り叩きつけられ、息ができない。無茶苦茶な衝撃を連続して受け、目眩が酷い。それでも痛みを危機感で頭から押し出し、咳き込みながら立ち上がる。
「ラヴィ、げほっげほっ、ラヴィ……えほっ、ラヴィニア!」
「よせっ、無理に立ち上がるな!」
蔓に雁字搦めにされた苦しい息の下からラヴィニアが制止する。窒息するような圧力ではないようだが、身じろぎする度苦悶に顔を歪めている。正也の激情を刺激するには十分な光景だ。
「この……!」
ラヴィニアの制止を無視し、頭に血の昇った正也は蔓に跳びかかる。両手で引き千切りにかかるが、呼吸もままならない身体で何ができるわけもなく、あっさりと弾き飛ばされる。
「ぐうっ、クソ……!」
小さな咳を繰り返しながら毒づく。
「いやいや、こうもあっさりと引っ掛かってくれるといっそ味気ないな。もう少し張り合いがあればいいのだが」
くつくつと喉を鳴らしながら少年が声を掛けてくる。その顔には言葉に反した、実に楽しげな嘲笑が浮かんでいた。
「まったくだ。小物の悪党は不意打ちが常だっていうのをつい忘れてたよ」
息を整えつつ、皮肉を交えて立ち上がる。目眩は収まってきたが脚に力が入らず、崩れ落ちないようにするのが精いっぱいだが、それでもどうにか少年を見下ろすだけの俯瞰は確保する。
「よく吠える野良犬だ。さて、いささか興が削がれてしまったことだし、ちょっとしたショーをお見せしようと思うのだが」
「ショー?」
訝しむ正也に、少年は右手を掲げて見せた。
「くだらない見世物だが、私としてはそれなりに趣向を凝らしたつもりだぞ?」
パチン、と少年の指が鳴った。同時に、地面から這い出していた一本の蔓が持ち上がる。
「おまえ、まさか!」
正也は少年の意図をある程度察し、ラヴィニアへ向け跳躍した。しかし、他の蔓が再度正也を打ち飛ばす。倒れ込む正也の頭上を、ラヴィニアに向けて悠々と蔓は進んでいく。
無数の蔓に捕縛され身動きの取れないラヴィニアの頭に先端を突きつける形で蔓は静止した。
「くっ……!?」
不穏な気配にラヴィニアは必死にもがくが、執拗な拘束はびくともしない。
ミシリ、と音が響いた。
二人が見上げると、蔓がラヴィニアの頭上で小刻みに振動している。
「やれ」
少年が命じると同時に、蔓の先端から無色透明の液体が吐き出された。それはラヴィニアに頭から襲い掛かり、全身を舐めて地面に落ちていく。
「ぷわっ!?」
「ラヴィニア!」
すわ溶解液か。正也は弾かれた様に立ち上がるが、やはり蔓に足を取られて転倒する。
「ぺっ、ぺっ……な、何だこれは」
「ラヴィニア、大丈夫!?」
足に絡みつく蔓を引き千切り、正也はラヴィニアの元へと駆け寄る。
「だ、大丈夫だ。これといって異常は……」
ラヴィニアはそこまで言って言葉を切る。正也もそれと同時に目を見開いた。
しゅうしゅうと音を立て、ラヴィニアの身体から白煙が立ち上っている。
「ラヴィニア!」
「何だ、これは……う、ああああっ!?」
僅か数秒の出来事だった。
白い煙に覆われたラヴィニアの足元に、無数の白い塊が落ちてくる。
「これは……灰?」
そう考えた瞬間、正也は雷に打たれたような気がした。
正也の脳裏に恐ろしい情報が浮かび上がる。かつて交戦した勢力が使用していた化学兵器、人間を含むたんぱく質を瞬く間に炭化させてしまう悪魔の兵器の実験資料だ。
地面に落ちた衝撃でボロボロと崩れゆくそれは、その映像記録されていた炭化したたんぱく質にどこか似ている。
形を持っていた時の面影は、跡形も残っていない。
背中を悪寒が駆け巡った。煙の中の光景を想像し、全身が総毛立つ。
「ラ、ラヴィニアアアアッ!!」
絶叫し、正也は煙の中へと手を伸ばす。べちん、という音と、「へぶっ」というくぐもった悲鳴が煙の中から響く。
「べちん?」
煙が次第に薄まっていく。
正也がそこで目にしたのは、自らの右手に顔面を鷲掴みにされたラヴィニアの姿だった。
「あ、ごめん……」
「い、いきなり何をする! 鼻に直撃したぞ!?」
そこには、正也が想像したような凄惨な光景はなかった。顔に不意打ちの張り手を喰らい、涙目になっているラヴィニアが居るだけだ。何も異常はない。
「よ、よかった……」
ほっと一息ついた正也は、他に異常が無いか、ラヴィニアの首から下に目を向ける。
「ん?」
ふと、正也は違和感に眉を顰める。
「え?」
ラヴィニアも違和感を覚え、自身の身体を見下ろす。
「……あれ?」
予期しなかった光景に、少年は首を傾げる。
別段おかしな光景ではない。先ほどまでと同様、蔓に絡まれたラヴィニアがそこにはいる。強いて違いを上げるならば、分厚く着込んでいた冬着の全てが跡形もなく消失している点だけだ。
「「「……」」」
三者三様の沈黙が数秒流れた後、荒野に絹を裂くようなラヴィニアの絶叫が響き渡った。
 




