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イタダキマス



 十月二十日 十五時十分 古見掛市 南区 オフィス街外れ ハンバーガーショップ


 正也が選んだのは、大通りに面したハンバーガーショップだった。


 ラヴィニアの飢えを満たすことが最優先なので、本当は本人に店を選ばせたかったが、少しばかりの問題があった。

 食事を取る事を了承させた場所は、スーツ姿の溢れかえるオフィス街。あまり飲食店のバラエティーに富んでいるとは言えない。定食屋、うどんそば屋、チェーンの牛丼屋などがそれなりに軒を連ねているのだが、正也は真っ先にそれらを選択肢から除外した。

 理由は単純にして明快、箸である。


 ラヴィニアに、箸を使えるかと尋ねた正也に、帰ってきた返答は「なんだそれは?」だった。

 繁華街ならともかく、企業ビルばかりが立ち並ぶこの地区の和食屋に、お子様用のスプーンやフォークが備えてある望みは薄い。

 結果、十五分ほど歩き、入りやすく食べやすいだろう、ファーストフード店に立ち寄ったのだ。

 箸は勿論、スプーンもフォークも無用。豪快に手掴みで食べればいいのだ。万一、ラヴィニアの口に合わなかったとしても、正也が持ち帰って食べればいい。


 「さあさあ、いい加減に機嫌直して。じゃんじゃん食べてじゃんじゃん飲んで、今後の作戦会議といこうよ」

 

 未だに立ち直っていないラヴィニアを引っ張り、正也は注文カウンターへと直行した。







 「……」

 「……」

 「……どしたの?」

 「何故こちらを凝視する?」


 窓際の小さなテーブル席に着いた二人は、じっと睨めっこを展開していた。

 正確には、眼前に盛られた食品に、一向に手を付けないラヴィニアを、正也が不思議そうに眺めているのであるが。


 「食べないの?」

 「おまえは、食べないのか?」

 「んー、僕は昼ごはんは済ませ……」


 正也はそこで言葉を切った。


 どうにもラヴィニアの視線が定まらない。正也の顔やテーブルのハンバーガーだけでなく、店の奥の方へとチラチラと目を向けている。


 (あ、食べ方が分からないのか……)


 迂闊だった。

 手掴みで食べればいいというのは、正也の一方的な発想、思いつきに過ぎない。あくまで、ハンバーガーの食べ方を知っていればこその考えだ。

 ラヴィニアの食文化に手掴みがあるかどうかは分からないが、それを抜きにしても、細かい作法が分かろう筈もない。


 (真面目そうだもんなぁ。この子……)


 恐らくは他の客の見よう見まねで対処しようとしているのだろうが、半端な時間帯もあり、目の届く範囲にあまり人影はない。


 「……済ませたんだけど、小腹も空いたし、ちょっと食べようかな」


 いささかぎこちない言い訳をしながら、正也はテーブルに手を伸ばす。

ふらついていたラヴィニアの視線が、ピタリと正也の手を照準した。


 (あらやだ、この子可愛い……)


 じっと注意深く観察するラヴィニアの為、出来るだけゆっくりと、少しだけ大げさな動きで包み紙を剥がしていく。

 あまり腹の減っていない正也をしても、食欲を抱かずにはいられない香りと共に、オーソドックスなハンバーガーが顔を覗かせた。


 「……」


 鋭さを増した視線を手元に感じながら、正也はそれを頬張る。


 「むぐ……」


 パンの柔らかい触感に続いて、塩気の利いた調味料、肉汁、レタスの冷たさが口内に広がる。

 ゆっくりと咀嚼し、味覚と存分に楽しませてから、正也は一口目を飲み込んだ。


 「ンまい!」

 「!?」

 

 簡潔な感想を述べると、正也は一本のドリンクへと手を伸ばして(ラヴィニアの好みを考慮し、水を含めた複数種類を注文した)ストローから炭酸飲料を吸い上げる。


 「食べたら? 冷めちゃうよ?」


 それだけラヴィニアに告げると、正也は再びハンバーガーに噛り付く。

 ラヴィニアはしばらくその様子を眺めていたが、やがて意を決したらしく、ゆっくりとハンバーガーの山に手を伸ばす。


 手近な包みを手に取り、開け口を探し、僅かに手こずりながらも開封する。

 顔を出したのはテリヤキバーガーだった。タレの甘辛い香りが、正也の鼻にも漂ってくる。

 未知の食品への恐れか、食欲の表れか、ラヴィニアがごくりと唾を飲み込む。正也もしばし手を止め、固唾を飲んで様子を見守る。

 時間にして数秒、ラヴィニアは用心深くテリヤキバーガーの様子を窺っていたが、ついに小さな口を開き、異郷の料理に噛り付いた。


 むぐむぐと咀嚼するラヴィニアの顔に、変化が生じた。

 どこか鬼気迫る様子を見せていた表情が、驚愕にとって代わられる。鋭く尖っていた目が大きく見開かれ、瞳に生命力の輝きが満ちた。


 (堕ちた、な……)


 正也はハンバーガーで隠した口の端を、ニヤリと吊り上げた。







 「……」

 「ねえ、大丈夫……?」


 正也が心配そうに声を掛けてくるが、ラヴィニアは伏せた顔を上げることが出来なかった。

 頭の中をいつまでも駆け巡るのは、先程まで自分が晒していた醜態だった。


 (うう、私はなんて情けない様を……)


 テーブルに突っ伏したまま、恥ずかしさのあまり身を震わせる。

 二、三日食べなかったところで死にはしない、などとのたまった過去の自分を殴り倒したい。

 結局、テーブルに盛られた料理、ハンバーガー合計六つ、ポテト二箱、ドリンク五杯は、きれいさっぱり姿を消していた。その内、ハンバーガー二つ、ドリンク二杯、ポテト一つは、正也の胃袋に消えている。

 当然ながら、残りの行き先はただ一つだ。

 テーブルに着いて十五分足らずの間に、ラヴィニアはその全てを平らげてしまっていた。


 「~~~~~ッ!!」


 声にならない悲鳴を上げて悶絶するラヴィニア。

 最初の内は良かった。空腹感と味覚にせっつかれ、一心不乱に食べている間は。

 だが、空腹が満たされ、思考に余裕が出てくるにつれ、食べている間の正也の表情に意識が向き始める。

 最初の表情は困惑。次に浮かんだのは呆然。そして今正也の顔に浮かんでいるのは、先程同様の聖人染みた優しい笑顔だった。

 そこに至ってようやく、ラヴィニアは自分の食べっぷりを思い返したのだった。


 「いっそ殺せ……」

 「ちょっと何言ってるの。至福の顔したり絶望の声出したり、忙しい子だね、君は」


 正也はラヴィニアの頭を両手で挟み、ぐいっ、と無理矢理引き起こした。


 「食べたら作戦会議でしょ? 美味しい物食べたなら、いじけてちゃ駄目だ」

 「……わかった」


 子供を諭す様な口調で言われては、ラヴィニアも従わざるを得なかった。変にいじけてこれ以上の醜態を重ねるのは、ラヴィニアとしても甚だ不本意だ。


 「じゃ、気を取り直して作戦会議と行こうか。とりあえず、お互いに情報交換をした方がいいと思うんだけど、どうかな」

 「ああ、異論はない」


 まだ元気はないが、一応は冷静さを取り戻し、ラヴィニアは正也の提案を認めた。

 真偽は置いても、右も左も、上下さえ分からない異郷の地で情報を得られる機会だ。無価値ということはあるまい、と自分を納得させる。


 「ん。それじゃあ、まずは君が欲しい情報がどんなものか、聞かせてもらえるかな」

 「まず、この街周辺の環境、地理が知りたい。それと気候や人口についても」

 「了解、それじゃあこれを見てくれる?」


 正也はベルトに提げたコンパクト状の電子端末を取り出し、テーブルの上に置いた。

 蓋を兼ねた透明なプレートに光が灯り、図面が表示される。


 「これが、この古見掛市周辺の地図。三方を山林に囲まれて、北は海に面してる」

 「ふむ」

 

 ラヴィニアは端末に表示された地図を覗き込み、小さく頷く。

 見慣れない機器の不思議な機能に内心かなり驚くが、動じた姿を見られるのも癪なので必要以上に平静を装う。

 

 

 「山岳地帯なら、身を隠す場所には事欠かないけど、隣接する町や集落はほぼない。市外の人口と言う意味では、ほぼゼロだね。どこか別の街に向かうなら、大きな道路が複数あるから、そこを辿れば迷わずに済む。〈奴ら〉が人目を気にせず襲ってくる手合いじゃないなら、それを盾に移動できる。流石に夜間は難しいけど」

 「確かに、山林の範囲も広い。深ささえ十分なら、かなりの期間潜伏できそうだが」

 「長期間のサバイバル前提ですか。ここ以外の街に行こうという気は?」

 「今のところないな。まあ、完全に社会との接点を断つのは簡単ではないから、たまに紛れ込む必要はあるかもしれないが」


  バッサリと切って捨てる。正也は難しい顔をしたが、無理強いはしないという言葉を反故にする気は無い様だ。


 「で、気候に関してはどうだ? 特に雨雪に関しては詳しく知りたいところだが」

 「時期によるけど、これから雪の季節に入るからね。足跡を残したくなければ樹上を移動していくしかないだろうけど……」

 

 正也は気象データを表示させ、詳しい説明を始めた。

 






 (さあて、どうしたものかな)


 ラヴィニアに情報を提供する一方、正也は如何にラヴィニアから話を聞き出すか考えていた。これまでのやり取りでは、正也がラヴィニアに情報を与えるばかりで、ラヴィニア側の事情や思惑というものが今一つ伝わってこない。

 この作戦会議で正也が目指す最良の結果は、ラヴィニアがこの街に残ってくれることだが、そうでなくても最低限、有事の際にこの街を頼ってくれる程度には信頼を勝ち取りたいところだった。その為には、ラヴィニアにとっては胡散臭い情報を一方的に伝えるのではなく、相互理解、会話が不可欠だ。


 ラヴィニアへの情報提供はもちろん必須ではあったが、この会議の本当の目的は、遠回しな説明と説得だ。

 こうして話し合いの席に着いてくれている以上、出会った当初ほどに警戒されているわけではなさそうだが、こちらの話をどれだけ信用しているかは、あまり楽観視できない。


 (そうなると、何か雑談の一つも挟みたいところだな。有意義とは言えなくても、腹を割って話せる話題でもあれば……)


 どうにかこの難局を打破すべく、正也は脳をフル回転させていた。


 だが、その思索は意外な所から妨害された。


 「っ!」

 「ッ……!?」


 一瞬、正也の視界が歪んだ。石を投げ込んだ川面の様に、揺らぎ、波打ち、毒々しい原色に染まる。

 異常はすぐに収まった。瞬きをする間に、世界は正常へと戻っている。だが、それが気のせいでないことは確かだ。素早く立ち上がったラヴィニアが周囲を油断なく見渡して警戒しているし、店員や他の客も同様だ。


 「ええい、こんな時に……」


 正也は端末を手に取り、パネルとキーボードの上に指を走らせる。

 長年この街に住んでいる正也にとって、今の現象は珍しいものではなかった。そして同時に、だまって看過できる現象でないことを、正也を含め、この街の住民たちはよく知っていた。


 『空間アナライザー起動/解析完了/空間境面に破損が検出されました』


  液晶画面に矢継ぎ早に文字列が表示され、現在地を中心とした地図が示される。正也から見て二時の方位、七メートルの距離に、赤い光点が点滅していた。

 

 (七メートル!? 何だこの近さは!?)


 目を見開いた正也は顔を上げ、光点の示す方位、窓の外に広がる通りに目を向ける。


 「げっ……!」

 

 僅か七メートル。そんな目と鼻の先の光景に、正也は思わず頬を引き攣らせた。

 

 片側二車線の車道の真ん中で、風景が赤く破損していた。

 

 文字通りの、破損だ。風景画の描かれたガラスを叩き割れば、こんな光景が見られるかもしれない。何もない筈の空間に、真っ赤な割れ目が出来ていた。

 縦横四メートル程の割れ目の向こうに、正也は気味の悪い影が蠢くのを目の当たりにした。そしてそこに潜んだ獰猛な意識が、窓ガラス越しにこちらを向いていることを察知する。


 (僕を見ている? 何故……?)

 

 正也の鋭い視線が向かう先に気付き、ラヴィニアも外へと振り向いた。そしてその瞬間、正也は恐ろしい思い違いに気付く。

 

 「ラヴィニア、伏せて!」


 ラヴィニアが声に反応するより早く、正也は彼女に跳びかかり、共に床へと倒れ込む。


 一瞬遅れて、空間の裂け目から槍の様に跳び出してきた、大人の腕程もある太い触手が窓ガラスを突き破った。



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