プロローグ「後日談」
二月二十日 十四時十二分 古見掛市北区 ウクベアルマンション八階 本条生活相談事務所
「……暇だね」
事務所の最奥、簡素ながら実用的な執務卓に、頬杖を突いた少年がぼそりと呟く。
一応はこの事務所の所長なのだが、少なくとも初対面の人間にそれを信用させるのは容易ではないだろう。
青いブレザーに白いスラックスという、最低限、社会人らしい服装ではあるのだが、それが学生服に見えるほどに若々しい、というよりも幼さを残した容貌。どう贔屓目に見ても成人しているとは思えないはずだ。
加えて厳しさや険しさとは無縁の温和な態度がそれに拍車を掛ける。穏やかな笑顔を浮かべているその様子は、あどけないと形容してもいいだろう。
「私達が暇なのは望ましいことだ。そうだろうご主人?」
それでも彼を主として仕えている少女は、彼がただ温和なだけの無邪気な少年でないことを理解してきていた。
「んー、まあそうなんだけどさ。未処理の案件があるよりははるかに精神的に健康なんだけど、日に二度も掃除してなお時間を持て余すというのもどうかと思うんだよ」
もっとも、平時においては温和で無邪気な少年というのも間違っていないだろう。彼の人間性を一言で現せば、「優しい少年」と言えば最低限の表現は出来ているのだ。
「まあ、あまり手持無沙汰なのは確かに良くない。開き直って一息ついたらどうだ? 無駄に気張っていてはいざという時に辛いぞ」
少女は物憂げに窓の外を眺める主人に提案する。
彼は手を抜くことが下手だ。無論、職務怠慢は許されないことだが、常時神経を張りつめさせていては身が持たないのも事実だ。為すべきことは為すべきだが、その為すべき事が無いのなら、次の仕事に備えて休むことも必要なことだ。
この主はもともと怠惰な性格のくせに、変な所で生真面目なので始末が悪い。少女には休憩や仮眠を勧めておきながら、自分は業務時間は仕事が無くてもあまり席を立とうとしないのだ。そのくせ疲れに弱く、頻繁に居眠りをするので感心すべきか諌めるべきか判断に困る。
「フムン、確かにするべきことはやりつくしたけど」
「なら休憩ぐらいは挟むべきだ。休める時には休んで備えなければ」
この機に乗じて少し強い調子で諭す。
暇をすることが少なくない職務だが、忙しい時は忙しいのだ。そしてその忙しさは前触れもなくやって来てしばらくの間居座る。臨機応変に切り替えていかねば身体が着いていけない。怠惰なくせに神経質で不眠持ちというおよそ労働に不向きなこの少年の場合は特に。
「何? 冷たいような温かいような不思議な視線を感じるんだけど」
「いいや、何も」
不敬な考えを見透かされたかと一瞬ぎくりとするが、当の本人はキョトンとした顔で小首を傾げている。
「……とにかく、少しゆっくりしてくれ。コーヒーでも煎れよう」
子供の様に邪気の無い主に対し無礼な事を考えていた事に些かの罪悪感を覚えつつ、少女はそそくさとコーヒーメーカーに向かう。
「ん。じゃあお言葉に甘えるよ。あ、ちなみに砂糖は」
「二つで良かったか?」
「うん。よろしく」
少年は満足げに頷くと窓際に歩み寄り、思い切り伸びをした。
なんだ、強めに言えばきちんと休んでくれるじゃないか。これまで気を揉んできたのは何だったのか。
少女は少しばかり拍子抜けしつつも安堵した。
「いい天気だー。これでもう少し暖かければ言う事ないんだけど」
「自然の事だからな。今のところは熱いコーヒーで我慢してくれ」
砂糖を溶かしたコーヒーのカップを少年に手渡す。ちゃっかりと自分の分も煎れてしまっているが、幸い少女の主は器が大きい。少女が共に一服しようとする事にも構わず、むしろ日当たりのいい窓際に場所を詰めてくれた。
「ふぅ……」
少年はコーヒーを一口含み、やがて大きな溜息を吐いた。
「どうした?」
「いや。特にすることもなく、平和に美味しいコーヒーを啜るのは、こんなにも幸せな物かと思ってね」
「それは光栄。しかし、今後も暇な時は普通に休憩すればその度に幸せになれるぞ?」
「ううむ。悪くないな」
いい流れだ。
気疲れしてうたた寝する少年の寝顔を眺めるのも悪くないのだが、やはり元気に過ごしてもらうのが一番というものだろう。何よりこうして言葉を交わす方が少女も楽しいのだ。
「そうだろう。そもそもあなたは普段から気張り過ぎだ。羽目を外せとは言わないが、やはりメリハリをつけた方がいい。只でさえこの街は不測の仕事が舞い込んでくるわけだしな」
そこまで言い終わったのと、地上からズウンと重い爆音が響いてきたのはほぼ同時だった。
「……」
「……」
少女と少年は無言で顔を見合わせ、窓から地上を覗き込んだ。
案の定、と言うべきなのだろうか。
時間帯もあって人もまばらな通りには、異形の怪人とそれに付き従っているらしい仮面の怪人が複数仁王立ちしていた。その周囲では停車していたらしい車が何台か炎上している。先ほどの爆音の音源はあれか。
「ご主人、あれは?」
「悪の秘密結社、だね。見本にしたくなるようなコテコテの」
愚問だった。
獣をモチーフにしたらしいマスクとスーツを身に纏い、恐らくは銃器であろう金属を抱えた怪人を中心に、のっぺりとしたマスクの黒タイツ集団がナイフや手斧を構えているのだ。少女自身、アレを悪の秘密結社以外にどう表現していいのかわからない。
「しかし、なんでまたこんなところで暴れてるのかね?」
窓から身を乗り出し、今にも飛び降りんばかりの体勢で少年は首を傾げる。
もっともな疑問だ。
破壊活動、テロ行為が目的ならば、人的物的被害が大きくなる繁華街などで行う方が効果的だ。市街地ではあるが、どちらかと言えば住宅街に近い、昼過ぎの通りでは必然的に被害は小さくなる。
「フムン、どうやらそれなりには下調べをして暴れに来てるようだね。いや、威力偵察なのかな?」
眼下の狼藉者を観察していた少年は、感心したように頷いた。
「と言うと?」
少年の考えはある程度予想がついたが、それでも一応尋ねてみる。
「この古見掛市、とくに人通りの多い場所で暴れたらどんな目に遭うか、ある程度は調べてあるってこと」
「やはりそう見るのが妥当か」
先程から観察していると、徒党を組み、武器を携帯しているというのに、一団の動きは妙に慎重だった。円陣を組んで全周囲を警戒し、そろそろと移動しつつ辺りの様子を探っている。悪の秘密結社というより、ゲリラの襲撃の備える軍隊の様な動きだ。
無理もないことだろう。この街で悪事を為そうというのは、それだけ危険で困難なことなのだ。
「っと、いつまでものんびり眺めてもいられないかな」
不意に、少年の声が鋭さを帯びた。同時に、少女も看過できない状況に気付く。
一団から二人の黒タイツ―恐らく戦闘員だろう―が離れ、近くに居合わせてしまったらしい一人の子供の方へと歩を進めている。品定めするようにじりじりと距離を詰めていく様は、兎を狩ろうとする蛇の動きを連想させた。
これは、少しばかり―
「まずいな」
子供は始め、少しずつ後ずさりしていたが、戦闘員が明確に向かってくることに気付き、脱兎のごとくその場から駈け出した。それに勢いづいたのか、戦闘員はその後を追って駈け出す。それぞれナイフと手斧を振りかぶったまま、だ。
「いかん!」
少女は思わず身を乗り出し、制止の叫びを上げようと息を吸い
「待てえええええい!!!」
「うひっ!?」
耳元で響いた地を揺るがすような大音声に思わず身を竦めた。
少女だけでなく、地上の子供も悪漢共もビクリと動きを止め、辺りを見回している。が、やがて声の主を見つけたらしく、その視線がこちらに集中していく。
「……ご主人?」
少女は鼓膜を思い切り揺さぶられた耳に指を突っ込み、隣で絶叫を上げた本人、すなわち自らの主人を見上げる。
普段とさほど変わらぬ様子だったがしかし明確に厳しい目つきをしている。
「少し留守番頼んでもいいかな」
「え? あ、ああ」
呆気にとられていた少女は思わず反応が遅れてしまう。慌てて間の抜けた返事を返すが、少年は「よろしく」と頷いて窓枠に手を掛けた。
失念していた。
普段の優しく穏やかな声に慣れてしまっていたが、この少年の怒声はそれなり以上に迫力があるのだ。
怒ってもあまり表情は変わらないのだが、不思議と怒声だけは迫力と威厳を帯びている。いつもの優男然とした表情とあまり変わらない顔でこの声を上げられると、そのギャップと相まって中々の破壊力になる。
少年はたじたじの返事にも満足してくれたのか、一度振り向いていつもの優しい笑顔を見せ、そのまま窓枠に足を掛けた。どうやらそのまま地上に飛び降りるつもりらしい。
「じゃ、ちょっと行って悪い奴らをとっちめ……」
「コラアアアアアアっ!!」
少年が地上へ飛び降りるべく窓の外に踏み出そうとした正にその瞬間、遠くから威勢のいい叫びが響いていた。
今度は少年も含め、少女も子供も悪漢共もピタリと動きを止めた。
「ご主人、あれだ」
少女は地上、通りの向こうの方から恐ろしい速度で迫ってくる自転車を見つけて指さした。
競輪選手もかくやと言う勢いで疾走してくる顔には覚えがあった。いつもこの地区を巡回している警察官だ。往来をすれ違うことも多く、馴染みの顔と言っていい。
それだけに、彼のその後の行動もある程度予想がついた。それは少年も同じらしく、窓から身を乗り出したまま「ご愁傷様」と片手で弔うような仕草を見せた。
「白昼堂々破壊活動とはいい度胸っスねええ!」
地上八階まで届く大声を張り上げながら、減速するそぶりも見せずに子供に迫っていた戦闘員に突っ込んでいく。
当然戦闘員は回避行動に移るのだが、警官は見事な運転技術を見せて追撃し、逃げる戦闘員の背中に前輪を思い切り叩きつけた。一撃をもらった戦闘員は勢いよく弾き跳び、電柱に顔面から突っ込んで沈黙した。
警官はそれだけでは止まらない。
自転車を乗り捨てると、すかさずもう一人の戦闘員に跳びかかる。振り回される斧を警棒でいなし、掻い潜り、そのまま側頭部に足の甲を叩き込んで地に沈めた。
彼の登場から未だ十五秒しか経っていないのだが、そんなことはお構いなしに大暴れだ。が、相手は腐っても悪の秘密結社だ。戦闘員二人倒された程度で大人しくはしない。怪人を先頭に、塊になって警官に襲いかかる。
いや、警官一人相手にここまで全力で挑むあたり、悪の結社失格モノの醜態と言えるかもしれない。
「お? おお!? まだ抵抗するっスか!? いい根性っス!」
流石に多勢に無勢と判断したか、警官は素早く拳銃を抜き、一団に突きつける。
「加勢した方がよくないか?」
「ん? あ、ああ」
派手に悪漢を怒鳴りつけておきながら、完全にタイミングを逸してしまった少年に声を掛けると、微かに白けた声で返事が返ってきた。少女にも気持ちはよくわかる。
「ええと、じゃあ行ってくるから、留守番よろし……」
少年がそこまで言った時、今度は地上から甲高いブレーキ音と衝撃音が聞こえた。
「……」
「……」
少女と少年は顰めた眉を突き合わせ、そして再び地上を見下ろす。
そこには、いつのまに現れたのか運送業者のトラックが居座り、その周りに複数の戦闘員が無残に転がっていた。
もはや疑いあるまい。突如現れた凶暴な警官を迎え撃とうとした悪の秘密結社は、今度は四トントラックの襲撃により更なる打撃を受けたのだ。
恐ろしい。
何が恐ろしいと言って、あのトラックが十中八九、故意に悪の結社の集団に向けて突っ込んだであろうということだ。それが証拠にドライバーは慌てるでもなく怪人に馬乗りになり、獣のマスクを殴打している。
もちろん怪人も負けてはいない。勢いをつけて転がり、逆に馬乗りになってドライバーを殴りつける。そのまま事態を優勢に運べば怪人の面目躍如といったところなのだが、再度ドライバーに上になられて滅多打ちにされているあたりどうしようもない。
ちなみに最初に襲われた子供は、騒ぎを聞きつけて来たらしい、通りがかりのサラリーマンや主婦にとうの昔に保護されて現場を離れつつある。
「む」
更にタイミングというものは重なるもので、地下鉄の駅から出てきた女子高生が事態に気付いた。
剣道部にでも所属しているのか竹刀を担いでいるが、その時点で二人には展開が予想出来てしまう。
「うーむ、これはひどい」
少女は思わず目を覆いたい衝動に襲われた。
指揮官である怪人は既にサンドバッグと化し、統制を失った戦闘員の只中に躍り込んだ女子高生は、警官と共に雑兵を手当たり次第に打ち据えていく。まったく手加減なしに、顔面、喉、脇腹などを全力で打つ。
少女は剣道には明るくないが、その大きく振りかぶってフルスイングする動作は、まったく無関係な球技の打者が行うフォームだと思うのだが、素人の早とちりだろうか?
もはや眼下では秘密結社に同情したくなる惨状が繰り広げられている。
「……どうする、ご主人?」
善良な市民として悪漢共と戦うか、それともそろそろ止めた方がいいのか、どういう方向で介入すべきか判断がつかず、少女は振り向いて主の意向を伺う。
「んー? まあその辺は警察に任せようよ。もう参加するの面倒くさくなったし」
が、振り向いた先に少年の姿は無く、所長席の方から返事が返ってくる。
見れば、先程まで隣にいた少年は机に腰掛け、足を組んでやる気のない顔で飲み残しのコーヒーをくいっと飲み干していた。
顔立ち体格共に整っているだけあって実に絵になる。
絵にはなるがそのやさぐれっぷりがいたたまれない。
「その、何だ。確かにタイミングは逃したかもしれないが、あなたの行いは立派だったぞ」
「待てえと叫んだだけじゃないですか。格好つけてそのままポカンと見物してただけでさ」
「いや、私も呆気にとられてしまったし、仕方のないことだ。それにあそこでご主人が声を掛けなければあの子供も無事だったかどうか」
「そりゃそうだけど、もう事態収拾しちゃってるし、何しに行くのさ」
「それは、うん。確かに……」
見下ろせば成程、既に異形の集団は通行の邪魔にならない道路わきに積み上げられている。トラックは走り去り、女子高生はコンビニに立ち寄り、残された警官が無線で報告を行っているだけだ。
「……」
「いや別に心配しなくてもいじけてはないからね? そこのところよろしく」
「え!? ……いや、うむ。わかっているぞ? うむ」
つい先程まであからさまにいじけていた少年の堂々とした宣言に少女は一瞬言いよどむ。表情こそいつもと変わらなかったが、瞳からハイライトが消えていたことを見逃すほど少女は甘くない。
「あー、やっぱりいじけてやさぐれてへそ曲げてると思ってたね? こいつ存外に器ちっちぇーなーとか思ってたね?」
「前半はともかく、後半はないぞ。私のご主人の割には随分と卑屈な事を言うのだな」
「前半は思っていたんだね!?」
「思っていないと思っていたのか……?」
「うぬぬ……」
しまった、と少女は後悔した。
却っていじけさせてしまったか。この少年は機嫌を損ねてもさほど態度に現さないのだが、一度損ねると長い。下手をすると日を跨ぐ。
「ううむ……」
どうしたものかと頭を捻っていると、少年はふうと一息溜息をつき、妙にスッキリした顔で言い放った。
「まあいいか。あまり子供っぽくへそを曲げるのは僕のキャラじゃないし」
「……」
気が付けば、少女は床に仰向けに寝そべって天井を眺めていた。
無理もないだろう。せっかく機嫌を直してやろうと思案していたのに、こうもあっさりと一人でスッキリされては少女の神経も付いていききれない。足を含めた全身の筋肉が脱力しきっていた。
あくまで架空の現象と思っていた『ズッコケ』というものを我が身で体験できたことを、神と主人に感謝しつつ、少女はまだ筋肉が緩んでいるせいで、フルフルと身震いしながら立ち上がった。
「……また切り替えの早い。そしてへそを曲げていたことは認めるのか」
「まあね。僕もまだまだガキンチョだから、つまんないことでへこんだりへそ曲げたりもするんだよ」
少年は僅かに憂いを帯びた苦笑いを浮かべた。
どうやらまだ機嫌が直ったというわけではないらしい。些か自己否定的な思考に陥ってしまったようで、どこかしょげている様にも見える。少しタイミングを外してカッコワルイ様を晒したからと言ってそこまで卑屈になることもないだろうに。
「だがそこが可愛い」
「何か言った?」
「いいや何でも」
少女は慌てて首を振る。
侍従が主に、それも仮にも男で、それなりに『カッコイイ』を追及する主に可愛いなどとは不敬の極みだ。仮に思っても口に出すべきことでは決してないのだから、実際に可愛いと思ってもその感想は胸に仕舞っておかねばならない。
とはいえ、現実問題として少女の主は十分に二枚目半としての魅力を見せてくれている。
思い返せば、少女と少年が出会った時からその片鱗は見え隠れしていたのだ。余人にどう映っているかはともかく、少なくとも少女には格好よく面白く、可愛い主だ。思わずむしゃぶりつきたくなる程に。
「……別にわざわざ追求せずとも十分に凛々しくて頼れる殿方と思うのだがな」
「さっきから何を一人でぶつぶつ言ってるんだい?」
「何でもない。気にしないでくれ」
「……調子悪かったら言うんだよ?」
「いや、大丈夫だ。お気遣い感謝する」
気遣いの言葉に内心ニヤニヤしながらもポーカーフェイスは崩さない。
少年には少々自己否定的な面が見え隠れしていたが、少女にとっては憧憬さえ抱くほどに慕っている主人だ。強さも弱さも含めて、少女には過分とさえ思える良き主人だった。
(まあ、そんな主と見込んだからこそ、私も跪くことに躊躇しなかったのだがな)
そんな事を思うと、浮ついた心がふと落ち着きを見せた。いや、郷愁にも似た切なさが不意に去来したのだ。
今でこそこうして他愛もない考えにうつつを抜かしたりも出来るが、少年と出会ったばかりの頃はとてもそんな状態ではなかった。不信と怯えに支配され、差し伸べられる手にも牙を剥き、爪を立てていた頃だ。
少女がこうして取り留めもない思いに耽る事が出来るのは、そんな自分に何度となく、少年が手を差し伸べてくれたからだ。こうして平和な昼下がりを過ごすことが出来るのも、この古見掛の街の人々と、何より少年の尽力があってこそなのだ。
そうでなければ少女は今もなお、一人果ての無い闇の中を彷徨っていただろう。
(ほんの数か月前の事だというのに、随分と懐かしい気もするな)
考えてみれば、少年に出会ってから過ごした時間というのは恐ろしく濃密だった気がする。
危機を潜り抜け、疑心暗鬼に囚われ、命を救われ、未知の世界で主と共に新たな生活に足を踏み出した。困惑することも多かったが、満ち足りた日々だろう。
知らず、少女はまだ短い付き合いの主人と過ごした記憶に思いを馳せていた。どうせ主従共に暇なのだ、たまには構うまいと自分に言い訳をしながら。




